上 下
4 / 10
第一話 一千年前の約束

4.

しおりを挟む
新緑に薫風そよぐ柔らかい日差しの午後。
木漏れ日が落ちる温かい岩に腰掛け、風に揺られた若葉の擦れる音に耳を傾けていると、
不意に、すぐ傍に気配を感じた。

「———千夜、元気がないな。どうしたのだ?」

声がした方に顔を向けると、陽の光に透けて輝く髪をなびかせている男の人が、いつの間にか並んで座っていた。
「少し疲れて、休んでいるだけでございます」
「そうか?」
遠慮がちに答えた私に、含みのある声が返ってくる。

「千夜」

今度は空から声が降ってきて、それとともに黒い羽が一枚、ひらひらと舞い落ちてくる。
「見ていたぞ。おまえ、また自分の食事を全て、他人に与えていたな?」
黒い羽を掴むと同時に、目の前に漆黒の翼を背中に携えた男の人がふわりと降り立つ。
「それは…、先日の長雨のせいで飢えている方がいたので…」
そう言ったところで、ぐぅぅとお腹の音が鳴る。
「あっ!あの…その……」
誤魔化しがきかないほどの大きな音のそれに、恥ずかしさが込み上げてきて、顔が真っ赤に火照りうつむいた。
隣からは忍び笑いが聞こえ、目の前からはカラッとした明るい笑い声。
「それで今度はお前が飢えるのか?…ほら。食べるがいい」
差し出された半分のおにぎりを見て、驚きパッと顔を上げる。
「そんな、受け取れません!」
「お前と同じで、飢えている者を助けているのだ。それに、半分だけだ。遠慮せず受け取れ」
「…有難う御座います…」
おずおずと受け取ると、目の前に立っている男の人が優しく微笑んだ。
「千夜、私もあるぞ」
今度は隣の男の人が、着物の袖から枇杷を出す。
「皆で食べようと持ってきたのだ」
「それはお供物ではありませんか!私が頂けるものではありません」
「良いのだ。私がお前に与えたいのだから。さあ、その握り飯を食べている間に、剥いてあげよう」
優しい眼差しでそう言われると、口から出るのは御礼の言葉しかなかった。

私はなんと幸せなことか。
このように想ってくださる御方が、二人も傍に居て下さるなんて……。

三人の間に、ふわりと温かい風が吹き抜けた。


「……夜、千夜」
名前を呼ばれるとともに、ポンと肩を優しく叩かれた。
そこで、ハッと気がつく。
「おい大丈夫か?腹が減りすぎて動けなくなったのか?」
心配そうに、黒髪の男が私の顔を覗き込む。
あれ…、今これは、現実よね?
「ちょっとぼーっとしてただけ。大丈夫」
何とかそう返事をすると、私を見ていた心配そうな顔は、ほっとしたような表情に変わった。
「まずは食事をしたほうがいいだろう。話はそれからだ」
「分かった…」
頷くと、2人は座っていたベッドから立ち上がって、部屋を出て行った。
パタンと静かにドアが閉まる音がして、私はそのままベッドに倒れ込む。

さっき、一瞬…。
アレは夢を見ていたのだろうか?
たまに見る、あの私が死ぬ設定のあの夢と、似たような感じだった。
顔はよく見えないけれど、男の人が2人。
銀髪の人に、黒い羽の人。
そして声はあの2人のもの。
…そうだ。
2人が昔のことを懐かしんだあとに、あの世界へ引きずり込まれた。

もしかして、あれは夢じゃなくて、
前世の記憶がフラッシュバックしている……?

ぐううぅぅぅ…

もう一度お腹が鳴って、バッと起き上がった。
「だめだ!ゴハン食べよ!!」
私に繊細な考え事は無理だ。
部屋着を着てからキッチンへ向かう。
…そういえば、あの2人はどこへ行ったんだろう。
リビングへ続くドアを開くと、右手側にあるダイニングセットのイスに黒髪の男が座って、その奥のキッチンに銀髪の男が立っていた。
2人とも、眉を寄せて憐れんだような表情で私を見る。
「千夜……。冷蔵庫が空なのだが」
キッチンに立っている銀髪の男が、先に口を開いた。
「昔も、食にこだわらない奴だとは思っていたが、何を食べて生きているんだ?」
次に黒髪の方にそう言われる。
「ちょっと!どこに行ったかと思えば。人ん家の冷蔵庫を勝手に開けないでよっ。それに食べ物はちゃんとあるもん」
いくら神サマとはいえ、失礼よね。
あ、擬体化とかなんとか言ってたけど、それって人間と同じように食事とかするのかな。
「ねえ、2人もゴハン食べる?」
とりあえず聞いてみると、2人は首を横に振った。
「俺は食べたからいい」
「私も夕食は摂っている。千夜に何か作ろうかと冷蔵庫を開けたのだ」
「えっ!!神サマなのにゴハン作ったりするの?」
食事をするかどうかも疑問だったのに、まさかのゴハン作れる発言に驚く。
だってさあ、神サマって、王様とかそんなんより偉い存在だよね?
召使いみたいなのが用意してくれるんじゃないの??
「まあ、道楽の一部だがな」
「そーなんだ」
道楽、か。
神サマって暇なのかな。
私がキッチンへ入ると、銀髪の男はキッチンから出て、黒髪の男の隣のイスに座った。
「千夜、何を食べるつもりなのだ?」
「え?なにって…」
電気ポットでお湯を沸かす間に、冷蔵庫から納豆のパックを取り出し、炊飯ジャーからご飯をよそった。
お椀にインスタント味噌汁の具と味噌を入れたところで、丁度お湯が沸く。
それらをダイニングテーブルに並べると、向かい側の席に座っている2人は、呆然とした顔つきで私を見ていた。
「千夜…それは冷や飯か?」
「うん、温めるの面倒だしね。それにお味噌汁はあったかいし」
「随分と粗食だな…」
「そうかな?これで十分おいしいよ。いただきます」
手を合わせて箸を持つと、目の前の2人の表情が緩んでいた。
「…昔と変わらないな。どんなに質素な食事でも、十分おいしいと手を合わせていた」
イケメン2人に微笑まれる。

……あ。
やばい、今更気づいちゃったんですけど。
目の前にいるのは神サマだとしてもよ。
私、男の人とこうやって食事するのって、初めてじゃない!?
イケメン男子と食事といえば!オシャレカフェ的なところで、なんだか横文字系の映えるゴハンが憧れだったはずなのに…。
え、何だよ私。
目の前に2人もイケメンいるのに、冷や飯と納豆とインスタント味噌汁食べんの?
いや、ご飯納豆味噌汁は日本人の心だよ。
そりゃあ大好きだよ。
でもさ…こんなの女子として終わってない!?

「あ、あのさあ。そんなに見られてるとゴハン食べられないんだけど」
刺さるような視線に、箸を口に運ぶことができず、2人をジロリと見た。
「ああ、すまない」
2人はすぐに私から視線を逸らす。
…そういえば、よく見る夢の中でも、さっきのフラッシュバック的なものの中でも、この2人は一緒だった。
仲良しの神サマ同士なのかな。
一千年経っても、ずっと一緒に居られる仲って、なんだかいいな…。
てか、何の神様なんだろ。

こういう時に、ママがいればよかったのに。
今はちょうど不在にしている。
ママの実家は、昔から続く社家なのだと聞いたことがある。
そんな神様に仕える家に生まれたママは、巫女になるのが嫌で嫌で、家を飛び出したとか。
霊感も私より強いし、こういうことには詳しいと思うんだけど。
私は霊に襲われることはしょっちゅうあっても、神様とかそういうものとは無縁の生活だったから、知識は凡人並かそれ以下か。
とりあえず、日本の神様は神社に祀られていて、確か神様の数はめちゃくちゃ多い…とかだった気がするんだよね。

「2人は、何の神サマなの?」
無理に視線を逸らしてくれている2人を前に、黙々とご飯を食べるのにも何だか気が引けて、ふと思い浮かんだ質問をする。
「私は、五穀神だ。そうだな…、分かりやすく言うと"お稲荷さま"と呼ばれているな」
銀髪の方が先に答えてくれた。
「お稲荷さまって、キツネの?」
「そう思われがちだが違う。狐は私の使いだ」
「え?そうなの!?キツネに祟られる、怖い!みたいなイメージだったんだけど」
それを聞いていた黒髪の男が笑う。
やば、私やっぱり知識なさすぎて変なことを言ってるのね。
「昔、千夜が仕えていたんだぞ」
……そっか。
私は昔、この銀髪の…お稲荷さまに仕える巫女だったんだ…。
「私はそう簡単に人間を祟るほど狭量ではない」
「そうかぁ?」
またしても目の前でギャイギャイと始まる喧嘩。
仲がいいんだか、悪いんだか。
その隙に、ご飯を頬張った。
「ごちそうさまでした」
お箸を置いて、手を合わせる。
私のその声で、2人は喧嘩をやめて、こちらに向き直った。
「…そっちの黒髪の人は、何の神サマ?」
部屋がしんとなるのが居心地悪くて、もう1人にも尋ねる。
「俺は、天狗だ」
「はあ?」
思いもよらない答えに、間抜けな声が出てしまった。
「天狗って、あの赤くて鼻が長いヤツ?妖怪じゃないの??」
「よくそう言われるけどな」
聞き返すと、ムスっとした表情になる、その天狗さま。
隣でお稲荷さまの方はクスクスと笑った。
「彼は天狗の中では一番偉い大天狗だ」
「まあ昔、千夜と出会った頃は、まだ修行の身だったが」
「じゃあ、努力して一番になったのね。すごいのね!」
素直にそう思って口にすると、天狗さまはほんのり顔を赤く染めた。
それを見て、また胸がドキンとなる。
イケメンが照れてるところって、やばっ!
次の言葉を見つけられずに黙っていると、お稲荷さまが口を開いた。
「…千夜は、本当に何も憶えておらぬのだな」
その声は、静かで優しい響きだったけど、表情はどこか寂しげ。

2人はずっと…、一千年もの時の間、私のことを待っていたのに。
私は何も憶えていないんだもんね。
そりゃ悲しくもなるよね…。
「さっき、思い出してほしいって、言ってたよね?あれってどういうことなの?」
思い切って聞いてみる。
すると、2人はふっと微笑んで、昔の話をしてくれた。
しおりを挟む

処理中です...