上 下
67 / 109

67

しおりを挟む
小さな起伏を服のうえから抓んでみた。
「んあっ!」
 とたんにあがった大きな声に慌てて口をふさいだ。思いもよらない快感が内部を駆けぬけたのだ。声が隣の部屋で眠る春臣に聞こえたのではないかと狼狽えると、興奮していた身体がいっきに冷めていく。
 神野は荒く乱れた呼吸を大きくゆっくり息を吸うことで整えていくと、涙に濡れた頬をシーツでごしごしと拭う。

(……そっか)
 最後にスンと鼻を鳴らして、細い吐息を吐いた。
(やっとわかった……)
 あの日から引っかかっていた棘の正体が――。
 自分はずっと篠山と遼太郎のセックスに、正体のわからない異質なものを感じとっていた。それは自分と篠山のセックスにはなかったものだ。

 確かに篠山は自分を抱くときに甘い言葉をかけることも、どこも撫でてくれることもなかった。キスだってされたことはなかったし、身体のどこかを舐められてもいない。
 しかしそういう目に見える明らかな違いが、その違和感の正体ではないことはわかっていた。じゃあなにがかというと、それがずっとわからなかったし、わかろうともしてこなかった。きっと知りたくなんてなかったのだ。
 でも、もう、自分は知ってしまった。

「……遼太郎さんは、篠山さんに愛してもらっていたんだ」
 キスや愛撫のあるなしじゃない。それらの行為を促す愛情の存在を、あの日神野は無意識のうちに彼らの行為の中にみつけていたのだ。
 そしてそれを理解できていなくても、ちゃんと傷ついていた。
 自分は篠山にひとかけらも愛されていないんだと。
(あんなセックス、自分にも与えてほしかったな)

 春臣が篠山の恋人だったと思いこんでいたとき、神野は篠山と寝るたびにその罪悪感から身体だけの関係だからと、心の中でずっと云い訳をしていた。
 そんなことが云えていたのは、セックスで愛されるということを、自分が知らなかったからだ。
 もし知っていたとしたら、例え自分にそれが与えられていなかったとしても、自分は春臣といっしょにいられなかったはずだし、それに……、きっとそれをいつかは篠山に求めるようになっていた。

(かといって、はじめからそれを与えられていたとしても、きっと自分にはその価値なんてわからなかったんだ)
 それは彼にはじめて抱かれた日、自分が正気を失っていたからという意味ではない。自分がまだ彼にそれを求めていなかったからという意味だ。あの時に、もし彼に愛のあるセックスを与えられていたとしても、きっとありがたみなんてなかっただろう。

 でも、いまならば。
 神野は篠山を欲していて、彼に愛されたいと思っていて、――それで篠山に遼太郎のようにして抱いてもらえるのだとしたら、自分はどれだけ幸せな心地で果てることができるのだろうか。
 瞳を閉じて思いを馳せると、きゅっと唇を咬んだ。
(せつないよ)
 生活もままならない自分が、人恋しさを理由に寂しさなんかに浸っていると、際限なく脆弱になってしまいそうだ。これではいけないと、気持ちを奮いたたせ、くすぶるせつなさを怒りに変えてみる。
(なんで篠山さん、俺のこと愛してくれないかな? 手の届く範囲内のオトコたちとやりまくってるんなら、俺にもちょっとくらいどうなの?)

 愛されるセックスを、彼としたい。
 たったひと匙ぶんの愛情でもいいから、それを込めたセックスで抱きしめてほしい。ベッドの中だけでの戯言でいいから、好きだと云って体に触れて欲しい。胸にも、唇にも彼にキスしてもらいたい。
 彼にあちこちに振舞うことのできる、それがあるのであるのなら……。

「そんなもんがあるなら、俺にもくれとけよ」
 ちいさな声でぼやいて、くすりと笑う。
 ずっと刺さったままだった硬質な棘が、きれいに溶けてすっかりなくなってしまった。そういう意味では、気分は晴れ晴れとしていた。
「って云うか、モヤモヤの答えって、とっくにでていたんだ」
『ふたりはちゃんと愛しあっていた、決して遊びなんかじゃなかった』
しおりを挟む

処理中です...