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第18話 誘拐事件発生

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 初めて目にする魔導車は、馬の繋がっていない長い馬車、といった見た目だったわ。中にはベンチ型の椅子が設置されていて、横に並んで座るみたい。

 コモートへ向かう魔導車の旅は、とても快適だったわ。馬車みたいにガタガタ揺れないし、車内の温度も魔法で調節してあって過ごしやすい。人は多くて少し騒がしいけれど、料金がそれなりにするだけあって、マナーの悪い人はいなかった。

 気になると言えば、ルシオンからの視線ね。なんだかギラギラしていて、身震いしてしまう。さりげなくクシェが間に入ってくれたり、カリオが引き剥がしたりしてくれるけれど。

 分かってるわ。ここまでルシオンを増長させたのは、私の態度が原因よね。この旅を続けるために、私自身の気持ちを明確にしなかったもの。

 クシェに言わせれば、「ルシオンが特別鈍いだけですよ!」らしいのだけれど。私、そんなに分かりやすく彼を嫌っていたかしら?

 だけどクシェも、最初みたいな執着は見せなくなった。いい意味で距離が取れているように見える。これから二人がどうなるかは分からないけれど、クシェが傷つくことが無いように願うわ。

 そしてカリオは、ケンディムの街から一向にルシオンに対する態度が軟化しなかった。これはもう仕方がないから、何も言わないでいる。もともと相性が悪いのに、完全に亀裂が入ってしまったわね。

 正直、ルシオンが私に近づこうとするたびにピリピリするから、助かっている部分もある。だから積極的に咎めないのだけれど、それもルシオンを苛立たせる理由になっているみたい。

 間に座るクシェとカリオの向こうから、ルシオンの熱視線を感じる。心なしか体を小さくすると、隣でクシェが苦く眉を下げた。


「すみません……」

「いえ、クシェさんは悪くないわ」


 うん。本当に早く何とかした方がいいわ。勘違いさせたのはこちらだけれど……。

 そっと視線を背けて窓の外を眺める。一面に広がる、豊かな田畑の海。とても美しい、そしてパンデリオでは見られない光景。

 風に波打つ草木を愛でていると、ふと腕の下で何かがカサリと音を立てた。

 羽織っている外套の内側に、こっそりと紛れ込む白い封筒。さっきまでは無かったものだわ。同行者たちに気づかれないように、内ポケットに押し込む。

 ちらっと見えた宛名書きの字がリダールのものだった。手紙をくれたってことは、会いに来る時間がないのかしら?

 デムの件のように、過激派が民に被害を与える事件も増えているみたい。魔導車に乗っている人たちも、ひっきりなしに噂していたわ。ケンディムで兵士たちが言っていたように、情報規制があるから詳細を知っている人はいないけれど。知らされていないからこそ、不安を覚えている人は多いみたい。殺人事件まで起きているのだものね。

 なんにせよ、カリオの警戒度が上がっていて、隙を見て手紙を読むのは難しそうね。宿をとれば一人の時間もできるでしょうから、その時にゆっくり読みましょう。

 服の上から手紙を押さえて、緩みそうになる唇にぎゅっと力を込めていると、魔導車が大きく揺れた。慌てて椅子にしがみつく。


「な、なに?」


 完全に停車してしまった魔導車の中で、乗客たちが騒いでいるわ。一番前の御者台にあたる場所から人が飛び降りて、外から車体を確認しているのが見えた。

 少しして、御者、という呼び方でいいのかしら。魔導車を動かしていた人が、困った顔で戻ってきた。


「車輪が一つ、壊れてしまったようです。すぐに修理しますので、少しの間お待ちください」


 こういうことは、そう珍しくもないみたいね。乗客たちはあまり不満も口にせず、元いた席に落ち着いた。それに、事件に対する不安の方が大きいからか、ただの故障だと分かって安心しているみたい。

 注意深く周囲を観察していたカリオが、危険はないと判断したのか肩の力を抜いた。その向こうで、さりげなく聖剣に手をかけていたルシオンも警戒を解く。

 コモートに着くのは予定より遅れそうね。故障はどれくらいで直るのかしら。

 魔導車が停まったのは、柔らかい日差しの差し込む林の傍だった。御者が「奥に泉もあって居心地がいいので、もし手持ち無沙汰なら散策するのも良いかと思います」と言い置いたから、何人かは車から降りて林に入って行ったわ。


「私たちも降りますか?」


 そう提案するクシェは、さっきからひっきりなしに背伸びをしていた。馬車に乗ったこともないと言っていたから、慣れない長時間の乗車で体が硬くなっているのね。


「そうね……。少し歩くのもいいかもしれないわね」


 ルシオンの顔が露骨に輝いたわ。私、あなたと散歩する気はないわよ……?

 対照的にカリオが渋く眉をしかめたけど、ため息をついて「私から離れないでくださいね、お嬢様」と許可を出してくれた。もちろん、別行動はとらないわ。ルシオンと二人きりにならないためにも。

 四人で魔導車を降りると、後方の車輪の近くで御者が作業していた。魔力で動く大きな乗り物なんて構造が複雑になるでしょうから、修理するのも大変ね。魔力の流れがどうのこうのと呟いているけれど、私にはさっぱりだわ。


「クシェ殿、体は平気か」

「大丈夫です。肩は凝った気がしますけど」


 あらまあ、カリオがクシェを気遣っているわ。どうせ、「いざという時に足を引っ張られては困る」とか言うんでしょうけれど。


「そうか。慣れないと体調も悪くなるから、何かあったらすぐに言え」


 ……あら?

 クシェが目を瞬かせる横で、盛大にルシオンがすっ転んだわ。


「ルシオン殿、何をしている」

「いえ、や、別に……」


 カリオがいたって平然としているから誰も何も言えない。ルシオンはものすごく不自然に目を逸らして、気まずそうに立ち上がった。


「ええと……、泉まで行ってみましょうか?」


 微妙な空気が漂う中、そう提案するとクシェがこくこくと頷いた。





 きらきらと光る木漏れ日が降り注ぎ、時折吹く風が髪を揺らし、草花の香りを運んでくる。湧き出る水の音は清らかで、耳を楽しませてくれる。心が穏やかになる、自然豊かな場所だわ。ただの散策だったらとってもくつろげたはず。

 ただ、残念ながらそうはいかなかったわ。主にルシオンのせいで。とはいっても、魔導車を降りた時に予想していたのとは、違う意味で、だけれど。

 ルシオンが私に近づこうとしたり、何か声をかけようとするたびに、足を滑らせたり木の枝に引っかかったり、果ては何もないところで尻餅をついたりするの。訳が分からない、という顔で立ち上がるルシオンがあまりにおかしくて、いえ、笑ったら失礼よね。カリオとクシェは、もう笑いをこらえていないけれど。特にクシェは、幼馴染としての気軽さもあってか遠慮なく笑っているわ。


「もう、さっきからどうしたの、ルシオン」

「いや、何かが足に引っかかるんだけど……。あれ?」

「……ルシオン様も、慣れない移動で疲れていらっしゃるのでは?」


 しきりに首を捻るルシオンだけじゃなくて、魔力探知のできるクシェも気づいてはいないみたい。さっきから、ルシオンが転ぶたびにリダールの魔力を感じるのよね。すっごく微量だし一瞬だけど。

 遠く離れた場所から、「人を転ばせるだけ」なんて細かくて神経の使う魔法を、それも魔術師であるクシェに気付かれないように発動させるなんて。こんな高度で複雑な技術を、みみっちい悪戯に使わないでほしいわ。笑いが止まらなくなっちゃう。

 だけどリダールったら、よほど昨夜のルシオンが許せなかったみたいね。リダールがそうやって怒ってくれるから、私は落ち着いていられるわ。やり方が子供の頃に二人でやった悪戯とほとんど同じなのは、私が笑ってしまうように、かしらね。

 リダールは私を愛してくれている。こうやって形に表してくれる。心から愛している人に愛を返してもらえる。こんなに幸せなことって、あるかしら?

 予定とは違う流れになってしまったけれど、もう少しよ。リダールのいる都はどんな所かしら。早く見てみたいわ。


「で、殿下。これって……、うわっ!?」


 またもやひっくり返ったルシオンに、とうとう私も声を上げて笑っちゃった。


「もうルシオンったら、あちこち汚れてるじゃない。水を汲んでくるから、そこに座ってて!」


 笑いながらも幼馴染の世話を焼くクシェが泉に近寄った時、音もなく、彼らは木陰から現れた。下級兵士に支給される革の胸当てを装備した男が、三人。二の腕に金槌の絵が刺繍された赤い布が巻かれている。

 私たちは油断していたわ。狙われやすいのは私じゃなくてクシェだなんて、森を抜けてすぐにリダールと話していたことじゃない。


「クシェ……!」


 叫んだのは、誰だったかしらね。私に分かったのは、クシェが容赦なく頭を殴られて倒れたこと、即座に剣を抜いたカリオが真っ青になったこと、そしてルシオンが唖然としてそれらを眺めていたことだった。

 カリオが目にも止まらぬ速さで斬りかかって行ったけれど、一番前に立つ男が右手を掲げた途端に体が硬直した。


「ぐ……っ、っの!」


 ごく簡単な金縛りの魔法だけど、無詠唱ってことはそれなりのやり手だわ。それなら!


「カリオ!」


 発動した魔法を対象に、魔力を残さず奪い取る。金縛りの解けたカリオは剣を振り下ろした。でもその勢いは既に死んでいる。

 下級兵士の格好をした男たちはカリオの攻撃をそれぞれ避けて、気を失ったクシェの体を担ぎ上げた。


「待て、貴様ら!」

「この女を殺されたくなければ、コモートの街外れにある倉庫街まで来い。そろそろ魔導車の修理も終わる頃だろう。日没までに来なければ女の命はない」


 魔導車の故障はこいつらの仕業ってわけね。都へ向かう道の落石も、もしかして仕組まれていたのかしら。まったくふざけてるわ。

 何より、こんなに易々と罠に引っかかったのが腹立たしい。もうすぐ都だからって、気が緩んでたわ。多分カリオとルシオンもそうでしょう。魔王城を前にして、ひと時の休憩のつもりだった。

 男たちの動きは訓練されたものよ。統率が取れているわ。もしかしたら、その格好の通り兵士なのかもしれない。……私たちを襲撃する理由が、分からないけれど。


「こんな手荒な真似をするあなたたちを、信じろっていうの?」

「信じる信じないは自由にするといい。だが、人質がこちらの手の中にあることに変わりはない」


 ほとんど選択肢がないも同じじゃない。従うしかないわ。――いえ。

 本当は、ここでクシェを取り戻す方法が、あるわ。あるけれど。

 握りしめた拳が、震えた気がした。


「お下がりください、姫様!」


 憤然とカリオが前に出た。男たちはそれを鼻で笑うだけ。こちらが何もできないのだと、分かっているから。


「確かに伝えた。待っているぞ、聖女一行」


 そう言って男たちは、来た時と同じように音もなく姿を消した。
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