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第一章
ギルバートは酔い痴れる
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学園の王族専用ティールーム。リアムが淹れた紅茶を一口飲んで、ギルバートは首を傾げた。
「あれ、茶葉が変わったかい?」
「……いえ」
「前に君が淹れてくれたのとは、少し味が違うね」
「そうでしょうか」
リアムには自覚が無いらしい。ギルバートはカップをソーサーに戻す。
ヴィクトリアから解放した後のリアムは、めっきり口数が減り、表情も薄くなった。ポーラがいつも横で話しかけているが、基本的には無言のままか、一言二言返事をするのみだ。
彼がヴィクトリアに拾われたのは、七歳の頃だと聞いている。その頃から魔法で心を縛られていたのなら、人らしい感情がうまく育たなかったとしても仕方がない。
契約魔法の反動だろうと話すと、ポーラは悲痛に顔を歪めた。
「リアム君はいつも辛そうな顔をしていたから……。今は少しでも、穏やかに過ごせてるといいんだけど」
「そうだね。君にも見てもらった通り、僕とリアムが結んだ契約は、主従の立場だけをはっきりさせるものだ。他の条件は何も付けていない。彼にはできるだけ縛りを増やしたくなかったから」
「さすがギル君、優しいんだね。ヴィクトリア様とは大違い。あの人、今のリアム君を見ても顔色一つ変えないんだもん」
ポーラがそう褒めてくれるのは気分がいい。ヴィクトリアもいつも同じようにギルバートをおだてたが、どこか社交辞令感が否めなかった。
ギルバートとヴィクトリアの婚約は、完全な政略結婚だった。それも、アイラ公爵家を王家に繋ぎとめるための結婚だ。ギルバートだから、望まれたわけではない。
兄たちが言っていた。アイラ公爵家は、独立してもやっていけるだけのものを持っていると。財政は安定し、領主は民からの人気が高い。ただ、男の後継者がいないことだけが欠点なのだと。
タディリス王国では、男の直系がいなければ女でも跡を継ぐことができる。一人娘であるヴィクトリアには、アイラ家を継ぐ資格があった。ただ、ギルバートがさらに家格の高い王族であるから、婚姻後に公爵位を引き継ぐことになっていたのだ。
もしギルバート以外の男と結婚するなら、アイラ公爵を名乗ることになるのはヴィクトリアだっただろう。
貴族の力関係だとか、規則だとか、そんなものにがんじがらめにされた契約だ。それでも、ポーラと出会うまでのギルバートは、それが当然だと思っていた。
愛のない、義務だけの結婚。ギルバートに望まれているのはその血筋。
それがおかしいと、声に出して言ってくれたのはポーラが初めてだった。
結婚は愛する者とするものだと、ポーラはきらきらした笑顔で語ってくれた。愛する人と結ばれ、幸せになるために。生まれた子供に、あなたは愛の結晶なのだと教えてあげるために。
ギルバートは母たる王妃に、幼い頃からこう言われていた。
「『ギルは人の心が分かる優しい子になる』と、母上にずっと言われてきた。下の者たちの声を聞いて、兄上たちを助けるようにと。それが、兄上たちにはできないことだから、とね」
「王妃様は、すごくいいお母さんなんだね。ギル君のことをよく分かってるんだ」
そう。そして、ギルバートはポーラを見つけた。
ソファーに隣り合って座るポーラの肩を抱き寄せる。
「ポーラのお陰で、僕は目が覚めた。兄上たちにできないこと……。ポーラやリアムのような立場の低い者に話を聞き、彼らのために現状を変えていかなければならない。生まれた場所や、順番で不利益を被るなんてことがあってはいけないんだ。僕は恥ずかしながら、王族としての生活を当然だと思っていたけれど」
今の貴族社会には、そういう現実を分かっていない者が多すぎる。
ポーラが言うように、その筆頭こそがヴィクトリアなのだ。貴族の中で最も力を持つ公爵家の令嬢が、美しいものが好きだからと我が儘放題に振舞っている。腐敗は当然だと思えた。
「そういえば、ヴィクトリア様の植物園ってなんのこと? ギル君が止めたって言ってた」
「ああ……。彼女は昔、アイラ領の領都に植物園を作らせたんだ。とても規模の大きな園なんだが、もともとそこはスラム街だったらしくてね。ポーラも知っているだろう? ヴィクトリアは美しいものを愛しているが、醜いものは大嫌いだ」
ポーラはハッと息を呑み、大きく丸い瞳を揺らした。
「もしかして……、スラムが汚くて、醜いから、そこに植物園を立てたの? そんな、酷い!」
「確かにスラムはどの国でも問題になっているが、ヴィクトリアのやり方はあまりにも横暴だ。そこに住んでいた人たちも、その後どうなったのか僕は知らない……」
ギルバート自身もその時はまだ幼かった。だから、こんなことがあったと、後から聞いただけだ。詳細までは知らない。
「婚約者の悪事に今まで気付かなかったことが悔しいよ」
「遅くても気付けたことが大事なんだよ。あたしはずっとギル君を応援するからね!」
「ありがとう。君にそう言ってもらえると、体の底から力が湧いてくるよ」
ヴィクトリアからリアムを解放できたように、理不尽な目に遭っている人たちのために、ギルバートには成すべきことがある。
「まずは、身分制度の撤廃を。学園でも賛同者が増えてきている。ポーラのお陰だよ」
「ううん、あたしはギル君の助言通りにしただけだから。今までは誰も聞いてくれなかったもん……。家や生まれで差別されるのはおかしい、皆が平等に、幸せになるべきなんだって、あたしはそう思ってる」
ギルバートは満足そうに笑って、ポーラの頬に口づけを贈った。顔を赤くして、でも嬉しそうに笑うポーラが可愛くて、幸せな気分になる。
改革のためには、ヴィクトリアとの結婚は必須だ。だが、彼女は言っていた。そこに愛が無くても構わないのだと。ならばギルバートの心は、すべてポーラに捧げると決めた。
最近は賛同者を増やすために、ポーラは様々な生徒たちと関わっていた。『皆が平等で幸せな世界』。懸命に説くポーラに心を動かされ、仲間が増えたのは喜ばしいことだ。
だが、そのせいでギルバートと過ごす時間は減っていた。必要なことだと分かっていても、寂しいことに変わりはない。
けれど、ポーラもギルバートを好いてくれている。一番だと言ってくれる。今はそれで十分だ。
しばらく二人で幸せな時間を堪能して、鐘が鳴ったところで名残惜しくも立ち上がった。
「よし、そろそろ休憩時間も終わるね。授業に行こうか」
「うん!」
「リアム、残った分は片付けておいてくれ」
すっかり冷めてしまった紅茶のカップを示してから、ギルバートはポーラに腕を差し出した。
「……かしこまりました」
壁際にいたリアムや他の従者たちが動き出したのを横目に、ギルバートはティールームを出た。
自分の勝利を、何ら疑ってなどいなかった。
「あれ、茶葉が変わったかい?」
「……いえ」
「前に君が淹れてくれたのとは、少し味が違うね」
「そうでしょうか」
リアムには自覚が無いらしい。ギルバートはカップをソーサーに戻す。
ヴィクトリアから解放した後のリアムは、めっきり口数が減り、表情も薄くなった。ポーラがいつも横で話しかけているが、基本的には無言のままか、一言二言返事をするのみだ。
彼がヴィクトリアに拾われたのは、七歳の頃だと聞いている。その頃から魔法で心を縛られていたのなら、人らしい感情がうまく育たなかったとしても仕方がない。
契約魔法の反動だろうと話すと、ポーラは悲痛に顔を歪めた。
「リアム君はいつも辛そうな顔をしていたから……。今は少しでも、穏やかに過ごせてるといいんだけど」
「そうだね。君にも見てもらった通り、僕とリアムが結んだ契約は、主従の立場だけをはっきりさせるものだ。他の条件は何も付けていない。彼にはできるだけ縛りを増やしたくなかったから」
「さすがギル君、優しいんだね。ヴィクトリア様とは大違い。あの人、今のリアム君を見ても顔色一つ変えないんだもん」
ポーラがそう褒めてくれるのは気分がいい。ヴィクトリアもいつも同じようにギルバートをおだてたが、どこか社交辞令感が否めなかった。
ギルバートとヴィクトリアの婚約は、完全な政略結婚だった。それも、アイラ公爵家を王家に繋ぎとめるための結婚だ。ギルバートだから、望まれたわけではない。
兄たちが言っていた。アイラ公爵家は、独立してもやっていけるだけのものを持っていると。財政は安定し、領主は民からの人気が高い。ただ、男の後継者がいないことだけが欠点なのだと。
タディリス王国では、男の直系がいなければ女でも跡を継ぐことができる。一人娘であるヴィクトリアには、アイラ家を継ぐ資格があった。ただ、ギルバートがさらに家格の高い王族であるから、婚姻後に公爵位を引き継ぐことになっていたのだ。
もしギルバート以外の男と結婚するなら、アイラ公爵を名乗ることになるのはヴィクトリアだっただろう。
貴族の力関係だとか、規則だとか、そんなものにがんじがらめにされた契約だ。それでも、ポーラと出会うまでのギルバートは、それが当然だと思っていた。
愛のない、義務だけの結婚。ギルバートに望まれているのはその血筋。
それがおかしいと、声に出して言ってくれたのはポーラが初めてだった。
結婚は愛する者とするものだと、ポーラはきらきらした笑顔で語ってくれた。愛する人と結ばれ、幸せになるために。生まれた子供に、あなたは愛の結晶なのだと教えてあげるために。
ギルバートは母たる王妃に、幼い頃からこう言われていた。
「『ギルは人の心が分かる優しい子になる』と、母上にずっと言われてきた。下の者たちの声を聞いて、兄上たちを助けるようにと。それが、兄上たちにはできないことだから、とね」
「王妃様は、すごくいいお母さんなんだね。ギル君のことをよく分かってるんだ」
そう。そして、ギルバートはポーラを見つけた。
ソファーに隣り合って座るポーラの肩を抱き寄せる。
「ポーラのお陰で、僕は目が覚めた。兄上たちにできないこと……。ポーラやリアムのような立場の低い者に話を聞き、彼らのために現状を変えていかなければならない。生まれた場所や、順番で不利益を被るなんてことがあってはいけないんだ。僕は恥ずかしながら、王族としての生活を当然だと思っていたけれど」
今の貴族社会には、そういう現実を分かっていない者が多すぎる。
ポーラが言うように、その筆頭こそがヴィクトリアなのだ。貴族の中で最も力を持つ公爵家の令嬢が、美しいものが好きだからと我が儘放題に振舞っている。腐敗は当然だと思えた。
「そういえば、ヴィクトリア様の植物園ってなんのこと? ギル君が止めたって言ってた」
「ああ……。彼女は昔、アイラ領の領都に植物園を作らせたんだ。とても規模の大きな園なんだが、もともとそこはスラム街だったらしくてね。ポーラも知っているだろう? ヴィクトリアは美しいものを愛しているが、醜いものは大嫌いだ」
ポーラはハッと息を呑み、大きく丸い瞳を揺らした。
「もしかして……、スラムが汚くて、醜いから、そこに植物園を立てたの? そんな、酷い!」
「確かにスラムはどの国でも問題になっているが、ヴィクトリアのやり方はあまりにも横暴だ。そこに住んでいた人たちも、その後どうなったのか僕は知らない……」
ギルバート自身もその時はまだ幼かった。だから、こんなことがあったと、後から聞いただけだ。詳細までは知らない。
「婚約者の悪事に今まで気付かなかったことが悔しいよ」
「遅くても気付けたことが大事なんだよ。あたしはずっとギル君を応援するからね!」
「ありがとう。君にそう言ってもらえると、体の底から力が湧いてくるよ」
ヴィクトリアからリアムを解放できたように、理不尽な目に遭っている人たちのために、ギルバートには成すべきことがある。
「まずは、身分制度の撤廃を。学園でも賛同者が増えてきている。ポーラのお陰だよ」
「ううん、あたしはギル君の助言通りにしただけだから。今までは誰も聞いてくれなかったもん……。家や生まれで差別されるのはおかしい、皆が平等に、幸せになるべきなんだって、あたしはそう思ってる」
ギルバートは満足そうに笑って、ポーラの頬に口づけを贈った。顔を赤くして、でも嬉しそうに笑うポーラが可愛くて、幸せな気分になる。
改革のためには、ヴィクトリアとの結婚は必須だ。だが、彼女は言っていた。そこに愛が無くても構わないのだと。ならばギルバートの心は、すべてポーラに捧げると決めた。
最近は賛同者を増やすために、ポーラは様々な生徒たちと関わっていた。『皆が平等で幸せな世界』。懸命に説くポーラに心を動かされ、仲間が増えたのは喜ばしいことだ。
だが、そのせいでギルバートと過ごす時間は減っていた。必要なことだと分かっていても、寂しいことに変わりはない。
けれど、ポーラもギルバートを好いてくれている。一番だと言ってくれる。今はそれで十分だ。
しばらく二人で幸せな時間を堪能して、鐘が鳴ったところで名残惜しくも立ち上がった。
「よし、そろそろ休憩時間も終わるね。授業に行こうか」
「うん!」
「リアム、残った分は片付けておいてくれ」
すっかり冷めてしまった紅茶のカップを示してから、ギルバートはポーラに腕を差し出した。
「……かしこまりました」
壁際にいたリアムや他の従者たちが動き出したのを横目に、ギルバートはティールームを出た。
自分の勝利を、何ら疑ってなどいなかった。
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