古いお家

青樹加奈

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古いお家

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 私はいつものように奥様のお家の玄関を開けた。
 古い日本家屋の玄関の戸は、ガラガラと音をたてて開いて行く。
 奥様がいなくなって一週間。一体、どこに行ってしまわれたのだろう?
 お身内の方が、捜索願いを出されたそうだけれど、警察は探して下さっているのだろうか?
 雨戸を開けて風を通す。淀んだ空気がさあっと解けて行く。日差しを受けた縁側が気持ちよさそうだ。
 まずはハタキをかける。欄間の彫り物には特に丁寧にかけて行く。吉祥模様の彫りは表と裏で、意匠が違う。それでいて、どちらから見ても違和感がない。
 雪見障子の桟にも丁寧にハタキをかける。
 それから、和室を箒で掃いて、、、。奥様は掃除機を嫌われた。
(やかましくて頭が痛くなるのよ)
 奥様はそう言って箒の使い方を教えてくれた。
 箒で掃いたら、次は雑巾掛けだ。洗面所に行って雑巾を洗った。きつく絞る。和室に戻って畳を拭いて行く。
(雑巾はね、きつく絞らないとだめよ。それからね、こうやって畳の目に沿って拭くんですよ)
 奥様の声が今も聞こえて来るようだ。
 和室を終えて、縁側を吹き終え、最後に床柱を乾いた布で磨く。床の間には、備前の花瓶が置いてある。桃の花が生けてあったが、枯れたので始末した。花瓶はどこにしまったらいいかわからないから、そのまま床の間に置いてある。
 一通り終えたらちょうど昼時になった。私はキッチンで持ってきたお弁当を食べた。
 静かだ。
 奥様がいなくなったのは雛祭りの日だと思う。
 三月三日の翌日、掃除に来たら奥様がいらっしゃらなかった。
 私が掃除に来る時はいつもおられるのに。玄関の鍵は閉まっていて、声をかけたけれど、返事がなくて、心配になって、預かっている合鍵を使って入った。もしかしたら倒れているかもしれない。そう思ったけど、奥様はおられなかった。こんな朝早くからどうされたのだろうと思ったけど、とりあえず掃除を始めた。すぐに帰って来られるだろうと思った。
 でも、前日の雛祭りのご馳走がそのままキッチンのテーブルの上に置いてあって、変だなと思いながら掃除を続けた。昨日はどなたもいらっしゃらなかったのだろうか? お孫さんが来るのを楽しみにしていらしたのに。ご馳走は捨てるのがもったいなくて、お一人で何度かに分けて召し上がるつもりだったのだろうけど、、、。
 一番変だと思ったのは、雛飾りが片づけられていた事だ。
 いや、片づけられていないというか、床の間の掛け軸がお雛様の軸のままだったのだ。男雛と女雛の絵のままだなんて。雛壇の雛飾りは片づけられているのに。掛け軸が変えられてないってどういう事? 
 奥様はこういった行事はきちんとなさる方だ。雛飾りを片付けられるなら、床の間の軸も片付けるか変えるかする筈だ。一体どうしたのだろう?
 掃除が終わって、昼時になったけれど、奥様からは連絡がない。結局、その日はキッチンのテーブルに「連絡をお願いします」とメモを残して帰った。でも、翌日になっても連絡がなかった。夜電話をしてみたけれど、誰も出ない。流石に心配になって、翌朝、奥様のお家に行って、昔ながらの黒電話の側に置いてある電話帳を調べ、お身内に連絡した。奥様の息子さんのお嫁さんと連絡が取れ、自分が通いの掃除婦である事、週に二日通っている事、奥様が一昨日からいらっしゃらない事を告げた。
「旅行にでも行ったんじゃないの? お年寄りの気まぐれで」
「奥様はそんな方じゃありません。私、こちらに通って三年になりますが、こんな事一度もありませんでした。何日も家を空けられる時は、必ず日程を置いて行かれます」
 お嫁さんは私の抗議にいらいらしながらも、心当たりを当たってみると約束してくれた。
 結局、息子さんが行き先を探したけれど見つからず、警察に捜索願いを出したそうだ。私は先払いでお給料を貰っていたので、そのまま週二日、このお家にお掃除に通っている。だけど、それも、今日までだ。お嫁さんが、「お義母さんがいないから、もう来なくていい」と言い出して「お給料は先払いで貰っています。来週まで、お掃除させて下さい」と言ったら給料をもらっているならその分は働いてもらうと言われ今日までとなった。
 奥様はなんでもお出来になる方で、本当は通いの掃除婦なんていらなかった。
 要介護の義父を抱え主人の収入だけではどうにもならない所まで来ていた時、勤めたばかりのスーパーで大失敗をして首になってしまい、その時、私の事情を知った奥様が掃除婦という形で雇ってくれることになったのだ。
 掃除の仕方は奥様が教えてくれた。私は不器用で奥様の合格点は中々出なかったけど、時々褒めて下さって凄く嬉しかった。
 何より、この古く美しい日本家屋を磨くのが楽しかった。住んでいるアパートとは雲泥の差だ。片付けても片付けても散らかる部屋、四六時中鳴っているテレビの音。落ち着かない。でも、ここは静かで美しくて、ほっとする。
 それも今日まで。
 私はため息をついて、戸締りをして回った。
 縁側の雨戸、ガラス戸を閉める。電気を消して玄関へ。ガラガラと音を立てる引き戸を開けて振り返った。もう一度、玄関から屋内を見渡す。涙が溢れた。急いで拭う。
(奥様、奥様、どうかどうか、ご無事で。どうかどうか、無事、お帰りになりますように)
 私は古い家に向かって祈った。手を合わせて家に一礼する。古い家なら家の主を守ってくれるに違いないと思った。奇妙と思われるかもしれないが、この古い家にはそんな不思議な力を感じた。
 外に出て、玄関の鍵を閉めた。
 門に向かって歩き出した時、ピンク色の花びらが目の前をよぎった。桜? いや、季節じゃない、きっと桃の花びらだ。落ちて行った先を見るが花びらはない。どこに飛んで行ったのだろう。
(困るのよ)
 奥様の声が聞こえる。
 花びらって掃除が大変ですものね。
(いいえ、違うのよ。桜の木があるあの家のお爺さんがね)

「あ!」

 私は声を上げていた。


 それからしばらくして新聞に記事が出た。
「資産家夫人見つかる。
 犯人は近くに住む老人で、夫人に交際を申し込んだが聞き入れて貰えず夫人を拉致監禁していた。夫人は警察官によって無事保護された。通いの掃除婦が、夫人が老人から言い寄られて困っていた話を思い出し、警察に通報。警察官が老人の家を訪ねた所、老人はいきなり暴れ出し、自ら犯行を自供した。老人は夫人に、夫人の孫の写真を見せ孫を殺すぞと脅して逃げられないようにしていた模様」

 奥様は警察で色々聞かれた後、戻って来られたが、しばらく息子さんのお家で過ごす事となった。一人で家にいるのが怖いそうだ。引き続き、家の掃除をしてほしいと頼まれた。
 私は前にも増して、この家を綺麗に掃除している。磨き上げていると言ってもいい。あのピンクの花びらはきっとこの古い家が飛ばしたに違いない。忘れんぼの私に花びらを見せて奥様と老人の話を思い出させてくれた。
「ありがとね」というと、パキパキパキッと家が鳴った。

 
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