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第一章 シマシマな日常

ボスン

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 シーマ十四世殿下一行は、私立図書館の主オーレルに案内され、読書室を兼ねた客間に移動していた。
 一行はくすんだ窓から差し込むかすかな光を頼りにして、ほこりを被ったテーブルを囲む布張りのイスに腰掛けた。その途端、イスからほこりが舞い上がる。

「クシュン!マスクをしているからいいけど、凄くほこりっぽいな……」

 シーマはクシャミをすると、フカフカの手で目をこすりながらそう呟いた。

「ぶえっくしょい!たしかに、これは凄いほこりだぁよ。お掃除のしがいがありそうだねぇ」

 シーマに続いて、はつ江も盛大にクシャミをしてから、感慨深そうに呟いた。

「ヘックシ!おっちゃん、色々と片付いたら、掃除してってもいい?」

「プチュン!みー、みみー」

 続いてクシャミをしたバービーが首を傾げながら問いかけ、同じくクシャミをしたミミがコクコクと頷く。一同が立て続けにクシャミをすると、オーレルはバツが悪そうな表情を浮かべた。そして、ボウボウとヒゲの生えた顎をボリボリと掻いた。

「じゃあ、お言葉に甘えるとするかな。最近、掃除に来たヤツらも怒鳴って追い返しちまってたから、見ての通りかなり汚れちまってるんで、大変だとは思うが」

 オーレルが申し訳なさそうにそう言うと、はつ江はカラカラと笑いだした。

「わはははは!若いころ奉公先の奥さんのつけまつげにイタズラして、でっかい蔵の掃除を一人でさせられたことがあるから、このくらいなら大したことねぇだぁよ!」

「私も学生のころ、教授のカツラにイタズラして、もっと酷い有様の資料庫の掃除とかさせられたことあるから!このくらいなら、余裕、余裕♪」

 はつ江に続いて、バービーも得意げな表情を浮かべて胸を張った。すると、シーマとミミは、尻尾をダラリと垂らしながら、深くため息を吐いた。

「二人とも……そんなデリケートなものに、イタズラをするなよ……」

「みみー……」

 脱力するシーマとミミを見て、オーレルは気まずそうにヒゲをボリボリと掻いた。

「あー……そういえば、俺もガキのころ、親父の付けひげを細かい三つ編みだらけにしたことがあったな。なんか、ああいう付け毛の類は、イタズラ心をくすぐるもんなんだよ……」

 オーレルはそう言うと、腕を組みながら、布張りのイスにボスンと腰掛けた。すると、再びほこりが舞い上がり、オーレルを除いた一同は、一斉にクシャミをした。

「ああ!悪い悪い!お前ら、大丈夫か!?」

「クシュン!大、丈夫です……」
「ぶえっくしょい!大丈夫だぁよ!」
「ヘックシ!平気、平気♪」
「プチュン!みぃー……」

 一同がクシャミをしながらもフォローの言葉を口にすると、オーレルは頭をボリボリと掻きながらペコリと下げた。

「悪い、悪い。俺はもう体がないからほこりなんて気にならなかったが、掃除しにきたヤツぐらいはここに入れてやったほうがよかったようだな……」

 オーレルが残念そうにそう言うと、シーマがマスク越しに鼻をこすりながら、いえ、と呟いた。

「それよりも、なぜ掃除に来た人達を追い返すくらいに、怒っていたんですか?」

「そうそう。おっちゃんがそんなに怒りを持続させるなんて、今までなかったじゃん?」

「よっぽど、腹が立つことがあったのかね?」

「みー?」

 四人が立て続けに尋ねると、オーレルはあごひげをボリボリと掻いた。

「ああ、そうそう。その話だったな」

 そして、そこで言葉を止めると深いため息を吐いた。

「実はこの間ポックリ逝った後な、ここの図書館も見納めかと思うと、ガラにもなく淋しくなってよ」

「ああ、おっちゃん、本が大好きだったからね」

 バービーが相槌を打つと、オーレルはコクリと頷いた。

「おう、その通りだ。それで、空に昇る前に本達に挨拶していこうと思って、ビフロンの野郎にちょっと時間くれって頼んだのよ。まあ、そんなに時間をもらえなかったから、背表紙を見て回るくらいしかできなかったがな」

 オーレルがしんみりとした口調でそう言うと、シーマが首を傾げて尻尾の先をクニャリと曲げた。

「じゃあ、もっと本を見る時間が欲しかったから、空に昇りたくない、と言っていたのですか?」

 シーマが尋ねると、オーレルは目を伏せて、ふるふると首を横に振った。

「いや、そうじゃねぇんだ。全部の本棚の背表紙を確認できるくらいには、時間をもらったからな」

「なら、なんでお空に昇るのを嫌がって怒ってたんだい?」

「みみー?」
 
 はつ江とミミが問いかけると、オーレルは深くため息を吐いた。

「それはな、最後に雑誌の本棚を見て回ってたらな……」

 オーレルはそこで言葉を止めると、不意にうつむいた。

「おっちゃん?」

「オーレルさん、どうしたんですか?」

 バービーとシーマが心配そうに声をかけると、オーレルの肩がわなわなと震えだした。

「……てたんだよ」

 そして、絞り出すようにかすかな声を出した。

「ほいほい、なんだって?」

 はつ江が聞き返すと、オーレルは顔を上げて、カッと目を見開いた。

「雑誌が一冊なくなってたんだよ!」

 そして、怒鳴り声と共にテーブルをバンと力強く叩いた。それと同時に、テーブルの上に積もったほこりが舞い上がり……

「うわぁ!?」

「みぃー!?」

 ……シーマとミミが、同時にイスから跳び上がった。
 二人はイスの上に着地すると、改めてオーレルの顔を見つめた。すると、オーレルの顔は、それまで青白かったのが嘘のように、真っ赤に染まっていた。それだけでなく、眉間には深くしわを寄せ、鋭い牙を剥き出しにして怒りの表情を浮かべている。
 シーマとミミはオーレルの表情を見ると、耳をペタンと伏せて、目をきつく閉じた。そして、それぞれはつ江とバービーの手をギュッと握った。はつ江とバービーは、二人の頭をポフポフと優しく撫でると、オーレルをキッと睨みつけた。

「これ!おおれるさん!いきなりそんな大声を出したら、子供達が怖がるだろ!!」

「そうよ!何考えてるのさ!?」

 怖いもの知らずのハツラツ婆さんと、険しい表情を浮かべたヴェロキラプトルに怒鳴り返され、オーレルはハッとした表情を浮かべた。そして、気まずそうな表情を浮かべて、ボリボリと頭を掻いた。

「すまん……幽霊になってから、どうもカッとすると歯止めが利かなくなっちまってな……」

 弁解するうちに、オーレルの顔色は徐々に青白いものに戻っていった。

「い、いえ……気にしないでください……」

「みー……」

 シーマとミミは、尻尾の毛を逆立てながらもフォローの言葉を口にした。すると、オーレルは再び、すまん、と言って頭をペコリと下げてから、話を続けた。

「前々からな、親戚の中には、俺が図書館を開いているのが気に入らないって言うヤツが結構いたんだよ」

 オーレルがため息混じりにそう言うと、はつ江はキョトンとした表情で首を傾げた。

「あれまぁよ。それは、なんでなんだい?」

「はつ江、オーガ族の人たちは猟師とか警備兵とか……どちらかと言うと、体力勝負の職業に就くことが多いんだ」

 シーマが説明すると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながらコクコクと頷いた。オーレルも、ああ、と呟くとあごひげをボリボリと掻いて、コクリと頷いた。

「殿下の言う通り、俺の家も親父の代までは、結構な名門の猟師だったんだよ。まあ、親父とおふくろが、お前の好きなように生きろ、って言ってくれたからこの図書館を開いたわけなんだが……」

 オーレルはそこで言葉を止めると、再び深くため息を吐いた。

「やっぱな、オーガ族なんだから伝統的な仕事をしろ、って言うヤツらもいたんだよ。だから、そう言うヤツらが、嫌がらせで雑誌を隠しちまったんだと思ってな。そしたら、腹が立って仕方なくてよ」

 オーレルがそう言うと、バービーが訝しげな表情を浮かべて首を傾げた。

「でも、本当にそうだったの?」

「みー?」

 バービーとミミが尋ねると、オーレルは、うーん、と唸って、頭をボリボリと掻いた。

「雑誌がなくなったのに気づいた後、ビフロンの野郎に頼んで親戚集めてもらって、お前らが隠したのかって聞いてみた。そしたら、あいつら口揃えて、知らない、って言ったんだよ。それで、全員で口裏合わせて、俺に嫌がらせをしてるって思っちまってな」

 オーレルはそう言うと、眉間にしわを寄せて腕を組んだ。

「まあ、今思えば、荒っぽいヤツらばっかりだが、嘘を吐くようなヤツらじゃなかったから、本当に知らなかったのかもしれないが……さっきも言ったように、どうも幽霊になってから色んなことに歯止めが利かなくなっててな。この嘘つき共め、って怒鳴り散らして追い返しちまった。その後、掃除ついでに探してやる、って言ってくれるヤツもいたんだが……嘘つきの話なんて聞きたくもないって思ったから、全員追い返して、一人でなくなった雑誌を探してた」


「そんで、その雑誌ってのは、見つかったのかい?」

 はつ江が尋ねると、オーレルは目を閉じてふるふると首を横に振った。

「それが、全然見つからねぇんだ」

 オーレルが答えると、今度はシーマが、尻尾の先をクニャリと曲げながら挙手をした。

「この図書館の外に持ち出された、という可能性はないのですか?」

 シーマの質問に、オーレルは、うーん、と唸りながら首を傾げた。

「ここの本は、手続きしないで持ち出すと、警報が鳴り響くようになってるんだが……生きてるときも、幽霊になってからも警報が鳴ったことはなかったな。だから、まだここの中にはあるはずなんだ。それで、ひょっとしたら俺以外のヤツらも一緒に探したら、見つかるかもしれないって思って、この図書館に入ったヤツを閉じ込める魔法を使って待ち構えてたわけだが……」

「そこにやってきたのが、私達と殿下達だったってわけね」

「みー」

 バービーとミミが声をかけると、オーレルはコクリと頷いた。

「ああ。てっきり、てっきり親戚の誰かかビフロンの野郎が来ると思ってたから、こき使ってやろうと思ってたんだがな……まさか、王族の殿下を巻き込んじまうとは思わなかった」

 オーレルはそう言うと、申し訳なさそうに肩をすぼめた。その姿を見たシーマは、片耳をパタパタと動かしながら苦笑を浮かべた。

「気にしないでください。今日の依頼は、オーレルさんが空に昇るように説得することが目的でしたから。その雑誌が見つかれば、オーレルさんの気持ちも晴れるのですよね?」

 シーマが尋ねると、はつ江がカラカラと笑いだした。

「わはははは!そんなら、お掃除しながら、皆で一緒に探そうかね!」

「うん!そうしよ!五人で探せば、今まで気づかなかった所から、ポロッと出てくるかもしれないし!」

「みみみー!」

 はつ江の言葉に、バービーとミミもニッコリと笑いながら続いた。すると、オーレルもニッコリと笑った。

「お前ら、ありがとうな」

 オーレルは呟くようにそう言うと、自分の頬をパンと叩いてから、勢いよく立ち上がった。

「よっし!じゃあ、お前ら!今日はよろしくな!」

 気合いを入れたオーレルだったが、立ち上がると同時に、またしても大量のほこりが舞い上がった。

「クシュン!わ、かりまし……クシュン!」
「任せるだぁ……ぶえっくしょい!」
「ヘックシ!私も頑ば……ヘックシ!」
「みー……プチュン!み!みー……プチュン!」

 気合いを入れながらもクシャミが止まらない四人を見て、オーレルは、しまった、と言いたげな表情を浮かべた。

「お前ら……その、なんだ……悪かった」

 オーレルがあごひげをボリボリと掻きながら頭を下げると、四人はクシャミをしながらも一斉に首を横に振った。
 こうして、シーマ十四世殿下一行は、クシャミが止まらなくなりながらも、なくなってしまった雑誌の捜索に繰り出すことになったのだった。
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