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同情するなら何をすべきなのか?

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 その後、SNSに失禁の件が投稿されることも、駅で再び酔っ払いに遭遇することもなく、二週間と少しが過ぎた。

 度重なる打ち合わせや問い合わせ対応に忙殺される日々を送ったかいがあり、件のホテルから正式に契約を受注することができた。

「丁寧な対応をしていただいて、本当にありがとうございました。いやぁ、私たちはシステムの方はさっぱりなので」

 受注の礼として行った接待で、発注担当者は満足げな表情でグラスを傾けた。

「桂木さんもお忙しいなか、パートさんたちからまで色々言われて大変だったでしょう?」

 ええ、本当にクソ下らないことで逐一電話しやがって。そう思いながらも、満面の笑みを浮かべて首を横に振った。

「いえいえ、皆さまのお役に立てたのなら、なによりですよ」

「そう言っていただけると助かりますよ。今後とも、システム関係は桂木さんのところに、是非お願いしたいですね」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 大げさに喜んでから、グラスを傾ける。色々と厄介なことはあったが、口約束とはいえ今後の関係が続く可能性を得られたのだから、結果はまずまずといったところだろう。

 接待が終わって駅で担当者たちを見送ると、穂乃香はよく磨かれた腕時計に目をやった。少し離れた場所にある行きつけの喫茶店はまだ開いている。そこまで酔っているわけではないが、上手くいっているときこそ油断は禁物だとつい最近身をもって学んでいる。

 少し酔いを覚ましに行こうと歩き出した矢先、ロータリーに人だかりができていることに気がついた。

「このクソ女! 俺以外に股開きやがって! 今までどれだけ世話してやったと思ってるんだ!」

 髪の毛を金色に染めた大男が怒鳴り声を上げている。
 顎と一体化した首にさげた金のチェーンネックレスに、金色のドクロがプリントされた黒いジャージの上下。どうやら、穂乃香にとって関わり合いになりたくない類の人間達による痴話喧嘩のようだ。
 それなのに、すぐさまその場を去ることができなかった。

「だから、そんなことしてませんよ」

 男の向かいに立っていたのは美優と呼ばれた彼女だった。

「ふざけんな! 美優、いい加減本当のこと言えよ! お前と男が一緒に歩いてるところを見たって奴がいるんだよ!」

「職場の先輩とたまたま駅まで一緒だっただけですよ」

「ウソ吐くな!」

「誤解をさせてしまったなら、すみません」

 派手な化粧が施された顔に、煩わしそうな表情が浮かぶ。

「とりあえず、移動しませんか? 人も集まってきてますし」

 一瞬だけ人だかりに向けられた視線と目が合った。気がした。

「なんだそのなめた口のきき方は! また躾けてやらないと分かんねぇのか!」

 厚く肉のついた拳が、震えながら振り上げられる。しかし、煩わしそうな表情は変わらない。せっかく商談もまとまったのに、面倒に関わりたくはない。
 
 放っておいて、さっさと喫茶店に移動してしまえばいい――

「……あの」

 ――はずだった。

 気がつけば、穂乃香は二人の間に割って入っていた。

「なんだ? ババア」

 振り上げられた拳が下ろされ、男の目が怪訝そうに細められた。ババアとはなんだと思いながらも巨体の隣に目を向ける。

「……え?」

 美優の顔にも困惑の色が浮かんでいる。

 なぜこんな状況に割って入ってしまったのか、自分でも分からない。
 それでも、全てを諦めたような顔を放っておくことができなかった。

「暴力は、よくないと思いますよ」

「ババアには関係ねぇだろ!」

「そうかもしれないですが、公共の場で騒がれたら迷惑なんですよ。それに、女の子一人にそんなにむきになって、恥ずかしくないんですか?」

「なんだと!? この、クソババア!」

「な、クソとはなんですか、クソとは!? そんなことを初対面の貴方に言われる筋合いなんて、なにもない……」

「うるせぇ! てめぇから、ぶん殴ってやろうか!?」

 拳が再び振り上げられ穂乃香は鞄を頭にかざして身構える。その瞬間、慌ただしい足音が近づいてきた。

「こら! そこ! 何を騒いでるんですか!?」

 声の方に顔を向けると、緑色の腕章をつけた年配の男性が目に入った。腕章には白い文字で、楡市街角パトロールと書かれている。

「あ、牧村さんまたですか! 今日はなんの騒ぎですか!?」

 牧村と呼ばれた金髪の男は、小さく舌打ちをすると振り上げた拳を下ろした。

「面倒な奴が来やがった。よかったなババア、命拾いできて」

 捨て台詞とともに、巨体が肩を揺らしながら雑踏へと消えていく。

「待ちなさい! そんなことだと、亡くなったお父さんも悲しみますよ!」

 パトロールの男性もその後を追い去っていく。集まっていた野次馬たちも散り、ロータリーには穂乃香と美優だけが残された。

「……ありがとう、ございました」

「別に。それよりも、大丈夫だった?」

「ええ、おかげさまで」

 派手な化粧が施された顔には、また煩わしそうな表情が浮かんでいた。
 せっかく、助けてやったというのに。

「……なにか?」

「……別に」

 口から出そうになる不服をすんでのところで飲み込んだ。ここで機嫌を損ねては、失禁のことをバラされる危険性が高くなる。

「でも、何か言いたそうですよね?」

「ああ、まあね……、さっきのは?」

 話題を変えると、赤く塗りつぶされた唇から小さなため息がこぼれた。

「……彼氏、ですよ」

「彼氏?」

 ケンカの内容から想像はできた。それでも、派手な格好をしているが礼儀も最低限はわきまえている美優に、あの男は不釣り合いのように思える。

「まだなにか言いたげですね?」

「いや、付き合う相手はもう少し選んだ方が……」

「そうかもしれませんね。でも、金払いはいいですから」

「そう」

 それでも、金のためだとはいえ限度というものがある。それに、この歳ならまだ親に頼ることもできるのではないか……。

 そこまで考えたところで、穂乃香の脳裏に映像がよぎった。
 駅で喚き散らす酔っ払いと、その対応をする何かを諦めたような顔。

「なんです、その顔? 同情ですか?」

「同情ってわけじゃ……」

「別に、無理に憐れんでくれなくても結構ですよ。そちらのご高説だと、私がこんな状況なのも全部自分のせいなんでしょ?」

「それは、まあ」

「だったら、放っておけばいいじゃないですか」

 美優の言葉通り、今まではそうやって不幸だと嘆く人間を切り捨ててきた。それでも、今日は何故か胸の辺りにつかえる物がある。しかし、それがなんなのかは分からない。
 二人の間には、重苦しい沈黙が訪れた。

「……ともかく、助けていただいてありがとうございました」

 沈黙を打ち破ったのは、やや語気がやわらいだ美優の声だった。

「そろそろ追いかけないと、また殴られるかもしれないので。それでは」

 高いヒールをはいた足が踵を返す。

「殴られるかもしれないやつの所に、わざわざ行くの?」

「貴女には関係ないことですよね。それにこれ以上かかわると、ご自慢の責任ある立場とやらに傷がつきますよ」

 振り返ることすらせず、華奢な体は雑踏に飲まれて消えていく。

「……くそっ」

 誰に向けたのか分からない悪態が人気の無くなったロータリーに響いた。
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