君に★首ったけ!

鯨井イルカ

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君しかいない★

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遠い昔はる……

「いや、その始まりは流石にまずいだろ……」

そうですね、すみません……

 確かその日は、夕方からの出社で、20時までの勤務でした。ただ、発行する予定の請求書の量が多かったので、入力作業や元資料とのチェックとか郵送準備なんかで、気がついたら22時ギリギリになっていました。後は投函するだけだったので、部長と課長に挨拶をして先に失礼したんです。

「あの頃は、まややんのお陰で、だいぶ助かってたね」
「いつも遅くなってしまっていたから、申し訳無かったわ」

 いえいえ!私はシフト勤務だったので、遅い日の次の日は、早くても午後イチからの出社だったから平気でしたよ!それに、どちらかと言うと夜型でしたし。

 そんな感じで執務室を出た後、向かいの執務室のドアについた小窓から、薄っすら光が漏れているのが分かったん。誰かいる、にしては光が小さかったので、電気の消し忘れだと思って、ドアを開けてみました。

「確かに、俺も良く消し忘れてたな……」
「私もです……一ヶ所だけ付けっ放しとか、よくやります……」

 そちらの執務室は、スイッチの組み合わせが、ややこしいですもんね……

 それで、中に入ってみると、やっぱり一ヶ所だけ照明が点いていました。ただ消し忘れじゃなくて、照明の下の席で日神課長が引き出しを開け閉めして、何か探し物をされていたようでした。

「おー、ついに、ひがみんのことを思い出してくれたか」

 はい、おかげさまで。それまでは、優しい方でしたし、寧ろ格好いい方だなって思ってたんですが……早川さん、なんでむっすりしてるんですか?

「別に……」

 そうですか……ともかく、消し忘れじゃ無かったなら、挨拶だけして帰ろうと思って、声を掛けようとした時に、日神課長は勢いよく顔をあげてこちらを見ました。とても、焦った顔だったのを覚えてます。
 そして、早足でこちらに来ると、いつから居たの?、と聞いてきたので、ついさっき照明の消し忘れだと思って入ったことを伝えました。日神課長は、そう、とだけ言って席に戻ったので、挨拶をして帰りました。
 それから、帰路に着いたのですが、途中で重大な事を思い出しました。

「日神課長に関係のあることですか?」

 はい。よく考えたら、作業をされていた席は、日神課長の席じゃ無かったことと、野菜ジュースを会社の冷蔵庫に忘れてしまっていた事です!

「珍しいですね、三輪先輩がヒヨコ以外の事を気にするなんて……」

 ふっふっふ、その野菜ジュースのメーカーさん、「シールを集めて貰おう!ひよこちゃんブランケット!」というキャンペーンをしてくれてたのです!

「やっぱりか……」
「そう言えば嬉しそうに、あと一点なんです!って言っていたものね……」

 はい!凄く楽しみでした!
 でも、応募締め切りまではまだ期間があったので、次の日の帰りに投函することにして、その日は請求書の投函だけして帰りました。
 次の日は、午後から出社の予定だったんで、正午前には乗り換えの駅に着いていました。今日は忘れずに応募しないといけないな、なんて考えながら階段を登っていたんですが、不意に耳元で、全部忘れろ、と言う声がしまして振り返って見ると、すぐ後ろに日神課長がいました。凄く、思いつめたような表情だった気がします。
 茫然としていると、すれ違いざまに勢い良く肩をぶつけられて、バランスを崩しました。よく言われているように、その瞬間は周囲の動きがスローモーション映像のように見えて、日神課長がこちらに振り返ることもなく階段を登っていく様をゆっくり目で追っていました。落ちた後のことは、あまりよく覚えていないのですが、周囲から悲鳴が聞こえたことと、頭がやけに重苦しかった気がしたことはぼんやりと覚えてます。

「日神課長……そんな事までするなんて……」
「命に別状がなくて、良かったわ……」

 そうですよね……運が悪ければ、生きていなかったかもしれないですから……

 その後のことは、早川さんには少し話したんですが、少し詳し目に話します。
 目を覚ますと、病院のベッドの上で、誰かが泣きながら手を握っていました。今思えば父と母だったんでしょうけど、その時はそれが誰か思い出そうとするたびに、全部忘れろ、と言う声がどこかから響いて頭が割れるように痛くなりました。話しかけてくれる人たちが誰か思い出そうとするたびに、声と酷い頭痛が発生するので、段々周りの人が誰なのか思い出すのを諦めて、話しかけられてもぼんやりと聞き流すようになって、最終的に話しかけられた言葉がうまく理解できなくなってしまいました。

「あの野郎……あ、メンゴメンゴ★続きを聞かして!」
「こら、早川ちゃん!怖い顔で悪態ついた後に、アタシのマネして誤魔化さないの!」
「ごめんなさいなり★」

 お二人とも、息ぴったりで、ちょっと羨ましいです……早川さん、怪訝な顔しないであげて下さい。
 
 それから、多分身体の方には大した怪我が無かったためか、退院して、ずっと自宅にいました。あとは、長い間ぼんやりとヒヨコ達を眺めながら過ごしていました。
 でも、ある日スーツ姿の誰かが、母に連れられてやって来ました。
 その人は、ぼんやりとしている私に近づいて、何かごにょごにょ言っていたのですが、意味はほとんど理解できませんでした。ただ、一番心残りがある処に行くといい、というようなことを言っていた気がします。
 その後、その人は何事もなく部屋を出て行きました。
 夜になって、うとうとしながら、そう言えば何かを凄く楽しみにしてたはずだったな、とか、楽しみにしてたことが思い出せないのは寂しいな、とか、大好きなヒヨコに囲まれているけど誰ともお話し出来ないのは寂しいな、とか色々と考えてるうちに……



「……最大の心残りがしまってある、俺の家の冷蔵庫に発生したって訳か」
「発生って言い方は、もうちょっと、なんとかなりませんかね……」
 彼女はそう言って力無く抗議したが、自分でも発生という表現がしっくりきているようで、強く否定することは無かった。
「発生がだめなら……湧き出でたって感じですかね?」
「いっそのこと、ザ・降臨★とか?」
「2人とも、今は出現する様を表す言葉にこだわっている時じゃないでしょ!」
 ナチュラルに話をややこしくする吉田と、狙って話をややこしくする課長に、部長が喝を入れる。
この面子に、唯一の常識人が居てくれることは、とてもありがたい。
「しっかし、一番強い心残りは、そっちだったかー。てっきり、ひがみんに対する怒りの方かと思ってたのにー」
 課長が、若干落胆したようにそう言った。彼女の見たというスーツ姿の人物は課長なのかもしれない。しかし、そうなると、彼女が一番心残りのあるものの所に、生首で現れるように仕組んだのは課長ということになる。そうすると、どうやってそんなことが出来たのだろう?
 訝しげな視線に気づいた課長は、こちらを向いてふふんと笑い
「課長だからね★」
 と、妙な説得力のある答えを口にした。しかし、課長であることがそんな芸当をやってのける根拠なら、同じく課長職である日神も、課長がやっているようなことが出来るのだろうか?例えば、精巧な特殊メイクとか……
「ともかく、三輪さんの話からすると、あの時夜遅くまで残ってたのは、早川じゃなくて日神ってことになるわよね」
 部長の言葉で、急にセクシー美女になってウルトラ課長チョップ★を繰り出す日神、という恐ろしい想像から帰って来られた。
「そうだと思います。だからこそ、余計なことを言わせないために、追い越しざまにぶつかって階段から落としたんだと思いますが……まだその時のことを思い出したばかりなので、見間違いかもしれないですし……」
「流石に、1人の証言だけだと証拠としては弱いわね。駅での事についても、今から目撃者が現れるとも思えないし……」
 部長は、そう言って肩を落とした。確かに日神のことだから、証拠が彼女の話だけなら簡単に煙に巻いてしまうだろう。しかし……
「君を突き落とした時、日神は思いつめた顔をしていたんだよね?」
 そう尋ねると、彼女は少し考えてから、そうだったと思います、と答えた。それなら、会社で思いついた案が使えるかもしれない。
「日神は自分が納得して人の不利になるようなことをする時は、大体は自信に満ち溢れた笑顔になるんだけど、思いつめた顔をしていたなら、若干は後悔してるのかもしれない。とは言っても、何も非がない君を階段から落とした事は決して許される事じゃない。運良く命に別状が無かったけど、思い出そうとするだけで酷い頭痛や幻聴が起こるくらい怖がらせた、というのも許せない」
 まくし立てるようにそう言うと、課長が興味津々というような表情をして、それでそれで、と続きをうながした。髭面じゃない時なら、可愛い反応な気がするが、残念がっている場合ではない。
「本人の口から、自白が聞けるかは微妙なところだけど、腹いせに、うぎゃあ、と言わせるくらい怖がらせてやろう、と思ったんだけど、どうだろうか?」
 俺の言葉に、吉田が律儀に挙手をしてから疑問を投げかける。
「でも、日神課長が怖がったりする所なんて、一緒に仕事してても滅多に見たこと無いですよ?街路樹の下を歩いて急にアフリカマイマイが降って来た時は、流石に慌ててはいましたが……」
 そんな事があったのか……ただそのエピソードだと、日神が慌ててる様よりも、木から急に降って来たという、アフリカマイマイが何なのか気になって仕方がなくなった。しかし、吉田に聞くと夜が明けるまで、アフリカマイマイについての話になりそうで恐ろしい。
「デスクに、大量の爆竹でも仕込んでみちゃう?」
「危険な事を言わないの!暴力は駄目だって、自分でも言ってたでしょ!」
 アフリカマイマイについて悩む俺をよそに、ワクワクした顔で恐ろしい事を言う課長を部長が咎めた。今は本題を進めよう。
「並大抵の事じゃ難しそうですよね……危険な目に合わせずに、恐ろしい目に合わせると言ってもどうすれば……」
 そう言って考え込む彼女に、俺以外の3人の視線が集まる。
「……まあ、普通に考えると、三輪さんに行ってもらうのが一番よね」
「日神課長が後悔なさっているようなら、三輪先輩が適任ですよね……」
「やっぱり、まややんしか居ないと思うのよん★」
 その言葉に、彼女はキョロキョロと3人の顔を見回した。そして、困った様な顔で俺の方を見た。
「何故、私なんでしょうか……?」
「……いや、ほら、後ろめたいと思っている相手が生首の姿で現れたら、流石に怖がるかなと思って」
 俺がそう言うと、彼女はハッとした顔になった。
「そう言えば私、生首なんですよね……」
 彼女の言葉に、全員が頷く。俺も含めて、変に順応力が高い面子が集まってしまったためか、全員が何事もなく会話をしているが、相変わらず彼女は生首のままだ。
「因みに、まややんが休職に入ってから、アタシと部長と社長以外、特にひがみんには、まややんの近況についてわからない様にしてあったから、ここまで回復してることも知らないはず。だから、恨めしそうな顔で出て来てくれれば、ビックリだと思うよー★」
「そうね……でも、都合よく日神の元に出て行けるのかしら?」
 楽しげに言う課長に、部長が疑問を投げる。
「大丈夫、大丈夫!ポイントシールに対する思いと、ひがみんのせいでヒヨコちゃんブランケットが貰えなかった悔しさをバネにすれば、確実に行けるのねん!」
「何故だか私もそんな気がします!」
「愛でる対象を奪われた時の恨みは、恐ろしいということを教えて差し上げましょう!」
 彼女と吉田と課長が、そう言いながら盛り上がっている。そこは、階段から落とされたことに対する恨みじゃ無いのか、という言葉を口に出そうか悩んだが、部長がこちらを見つめ悲しそうな顔をしながら無言で首を横に振っているから、深くは追求しないことにしよう。
「じゃあ、決行は明日ということで、少し戦略を練ろうか」
 俺の言葉に、全員が頷いた。そして、戦略が決まったところで4人は帰って行った。
 俺も、野菜ジュースを忘れないように鞄に入れてから、シャワーを浴びて寝てしまおう。
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