14 / 14
崩れた翅の呼び声
しおりを挟む
キーボードの音が響く夕方のオフィス。静一は脇目も振らずに経費精算をこなしていた。システム改修が終わって間もないが業務に支障は出ていない。時折他の社員から操作方法について質問が出ても、託されたマニュアルで充分に対応できている。
遠く離れた客先に常駐している者に連絡を取る必要はなにもない。
「おーい、平川くん」
顔を上げると身支度を整えたナオミが立っていた。窓の外は既に暗くなり、他に残っている社員もいない。
「私そろそろ帰るけど、まだかかりそう?」
「ああ、はい。あと少し何で、休み前に一通り終わらせておこうかと」
「ふーん。でも、あんまり無理しなくても大丈夫だよ。なんか最近元気ないし、週末はちゃんと休んだら?」
「あはは、大丈夫ですよ。本当にあと少しだけなんで」
「そう? じゃあ、ほどほどにね。何かあったら週明けに手伝うから」
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
「はーい、お疲れー」
ひらひらと手を振る後ろ姿を見送っていると、ふと、以前も同じようなことがあったことを思い出した。
しかし、今日は急いで仕事を終わらせたところで誰が待っているわけでもない。ガラス張りの喫煙所で気怠げに紫煙をくゆらせるすがたは、もう。
「……集中、しないと」
静一は軽く頬を叩き画面に向かうと残りの仕事にとりかかった。区切りがつくころにはすでに終電間近になっていた。
※※※
疲れた身体を引きずり部屋に戻り、食事もそこそこに寝るしたくを済ませベッドに倒れ込む。枕元で充電しているスマートフォンの画面には数件の通知が表示されていた。いずれも通販アプリのものだ。交際相手に捨てられたコレクションと同じものが入荷したのだろう。
戦前に流通した責め絵師の画集、戦後に緊縛ショーの世界を作ったプロモーターにして緊縛師の回顧録、緊縛もの成人映画のポスター集、それに細川樹氷が緊縛師としてはじめて縄の監修に携わったAV。
交際相手からの賠償金もまだ残っている。しかし、商品をカートに入れる気にはなれなかった。
緊縛に対しての興味や情熱を失ったわけではない。ただし、どんなに評価が高い作品を前にしても、以前ほど心が震えなかった。
眠気にぼやける視界のなか通販アプリの画面には、樹氷が手がけた緊縛写真集が並ぶ。スワイプしながら眺めていると、鮮やかで複雑な縄をまとう裸体のモデル達のなかに黒い影がよぎった。思わず画面をなぞる指がとまる。表示されたのは喪服の上から緋色の縄で縛られた中年女性。自ずと小さなため息がこぼれた。
黒い肌襦袢。
白く滑らかな肌。
薄く食い込み全身を戒める緋色の縄。
苦痛と恍惚が入り交じった笑み。
労いの言葉をかける掠れた声と頭をなでる手。
もう二度と傍に立つことが許されない人。
件の動画も以前イツキが言ったようにいつの間にか全て削除されていた。今許されていることは眠りの前の一時、目蓋の裏に焼きついた姿を反芻することのみ。
「……寝よう」
スマートフォンをスリープモードに切り替え枕元に置こうとしたそのとき、俄に振動が伝わり画面が明るくなった。メッセージアプリからの通知がきている。
差出人名は、高山円。
眠気は一気にさめた。
もつれる指でメッセージをタップするとURLとパスワードが記載された本文が開いた。それ以外は何も書かれていない。
真意を問う返信など望まれていないのだろう。
静一は息を飲みURLをタップした。続いて表示されたテキストボックスにパスワードを入力する。すると画面が暗転し、しばしの間を置いて動画のサムネイルが表示された。
片耳に紅い飾り房がついた狐の半面、漆黒の肌襦袢。
映っているのは間違いなく高山だ。
その隣には落ち着かない表情を浮かべた男性が、毒々しいピンク色をした綿のロープを手に立っている。男性が新たなパートナーだということはすぐに見てとれた。近況報告か決別の宣言か、どちらにしろ新しい相手が見つかったのなら自分はもう身を引くべきなのだろうと思った。
動画を再生するそのときまでは。
パートナーは落ち着かない表情のまま、棒読みの卑猥な言葉で罵りながら高山を縛っていく。その手つきはぎこちなく、縄はずれ、歪み、たわみ、ひどく不格好な有様で黒い肌襦袢を着た身体にまとわりついていく。半面からのぞく紅を引いた唇からは、恍惚からではないと断言できるため息がこぼれた。それに気づく素振りすらなく、男は必死で棒読みの台詞を必死に続け毒々しいピンク色の縄で高山を汚し続ける。
気がつけば、スマートフォンを握りしめる手が震えていた。
いますぐそこを退け。
その人はお前なんかが縄をかけていい人じゃない。
叫びを押し殺すうちに歪で崩れた後ろ手縛りが完成した。同時にそれまで泳いでいた目が満足げに細められる。
なにを悦に入っているんだ。
さっさとその醜い縄を解け。
心の内でいくら叫んだところで動画ファイルのなかにとどくはずもない。パートナーは余った縄を引きながら、先ほどよりもやや感情のこもった声で跪くように命じた。高山は相変わらずつまらなそうな口元を覗かせながら、おもむろに床に膝をつく。その間も抑揚をました卑猥な罵りが響きつづけた。
恐らくこの男は緊縛そのものよりも、相手の身体を拘束して行為に及ぶことを好んでいるのだろう。双方の合意がある以上、それを否定するつもりはない。
ただし、高山が求めているものは違ったはず。
たとえ身が蝕まれようとも、縄による美の極限へ。
そんな望みを叶えられるのは、少なくともこの動画に映っている男ではない。
一月ほど前に行った最後の縄が頭をよぎる。
白日に晒された縄を纏う身体。恍惚と苦痛がない交ぜになった微笑み。縋り付いた足の甲の滑らかさ。泣き顔に吹きかけられた甘い香り。
もう一度、その傍に立つことが許されるのなら、今度こそは。
気がつくと、手間取りながら服を脱ぐパートナーの傍らに跪きながら高山がこちらを見つめていた。狐の半面越しにも射貫くような視線を感じる。
「Arrested at last」
動画の終了間際、紅を引いた薄い唇はたしかにそう動いた。
遠く離れた客先に常駐している者に連絡を取る必要はなにもない。
「おーい、平川くん」
顔を上げると身支度を整えたナオミが立っていた。窓の外は既に暗くなり、他に残っている社員もいない。
「私そろそろ帰るけど、まだかかりそう?」
「ああ、はい。あと少し何で、休み前に一通り終わらせておこうかと」
「ふーん。でも、あんまり無理しなくても大丈夫だよ。なんか最近元気ないし、週末はちゃんと休んだら?」
「あはは、大丈夫ですよ。本当にあと少しだけなんで」
「そう? じゃあ、ほどほどにね。何かあったら週明けに手伝うから」
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
「はーい、お疲れー」
ひらひらと手を振る後ろ姿を見送っていると、ふと、以前も同じようなことがあったことを思い出した。
しかし、今日は急いで仕事を終わらせたところで誰が待っているわけでもない。ガラス張りの喫煙所で気怠げに紫煙をくゆらせるすがたは、もう。
「……集中、しないと」
静一は軽く頬を叩き画面に向かうと残りの仕事にとりかかった。区切りがつくころにはすでに終電間近になっていた。
※※※
疲れた身体を引きずり部屋に戻り、食事もそこそこに寝るしたくを済ませベッドに倒れ込む。枕元で充電しているスマートフォンの画面には数件の通知が表示されていた。いずれも通販アプリのものだ。交際相手に捨てられたコレクションと同じものが入荷したのだろう。
戦前に流通した責め絵師の画集、戦後に緊縛ショーの世界を作ったプロモーターにして緊縛師の回顧録、緊縛もの成人映画のポスター集、それに細川樹氷が緊縛師としてはじめて縄の監修に携わったAV。
交際相手からの賠償金もまだ残っている。しかし、商品をカートに入れる気にはなれなかった。
緊縛に対しての興味や情熱を失ったわけではない。ただし、どんなに評価が高い作品を前にしても、以前ほど心が震えなかった。
眠気にぼやける視界のなか通販アプリの画面には、樹氷が手がけた緊縛写真集が並ぶ。スワイプしながら眺めていると、鮮やかで複雑な縄をまとう裸体のモデル達のなかに黒い影がよぎった。思わず画面をなぞる指がとまる。表示されたのは喪服の上から緋色の縄で縛られた中年女性。自ずと小さなため息がこぼれた。
黒い肌襦袢。
白く滑らかな肌。
薄く食い込み全身を戒める緋色の縄。
苦痛と恍惚が入り交じった笑み。
労いの言葉をかける掠れた声と頭をなでる手。
もう二度と傍に立つことが許されない人。
件の動画も以前イツキが言ったようにいつの間にか全て削除されていた。今許されていることは眠りの前の一時、目蓋の裏に焼きついた姿を反芻することのみ。
「……寝よう」
スマートフォンをスリープモードに切り替え枕元に置こうとしたそのとき、俄に振動が伝わり画面が明るくなった。メッセージアプリからの通知がきている。
差出人名は、高山円。
眠気は一気にさめた。
もつれる指でメッセージをタップするとURLとパスワードが記載された本文が開いた。それ以外は何も書かれていない。
真意を問う返信など望まれていないのだろう。
静一は息を飲みURLをタップした。続いて表示されたテキストボックスにパスワードを入力する。すると画面が暗転し、しばしの間を置いて動画のサムネイルが表示された。
片耳に紅い飾り房がついた狐の半面、漆黒の肌襦袢。
映っているのは間違いなく高山だ。
その隣には落ち着かない表情を浮かべた男性が、毒々しいピンク色をした綿のロープを手に立っている。男性が新たなパートナーだということはすぐに見てとれた。近況報告か決別の宣言か、どちらにしろ新しい相手が見つかったのなら自分はもう身を引くべきなのだろうと思った。
動画を再生するそのときまでは。
パートナーは落ち着かない表情のまま、棒読みの卑猥な言葉で罵りながら高山を縛っていく。その手つきはぎこちなく、縄はずれ、歪み、たわみ、ひどく不格好な有様で黒い肌襦袢を着た身体にまとわりついていく。半面からのぞく紅を引いた唇からは、恍惚からではないと断言できるため息がこぼれた。それに気づく素振りすらなく、男は必死で棒読みの台詞を必死に続け毒々しいピンク色の縄で高山を汚し続ける。
気がつけば、スマートフォンを握りしめる手が震えていた。
いますぐそこを退け。
その人はお前なんかが縄をかけていい人じゃない。
叫びを押し殺すうちに歪で崩れた後ろ手縛りが完成した。同時にそれまで泳いでいた目が満足げに細められる。
なにを悦に入っているんだ。
さっさとその醜い縄を解け。
心の内でいくら叫んだところで動画ファイルのなかにとどくはずもない。パートナーは余った縄を引きながら、先ほどよりもやや感情のこもった声で跪くように命じた。高山は相変わらずつまらなそうな口元を覗かせながら、おもむろに床に膝をつく。その間も抑揚をました卑猥な罵りが響きつづけた。
恐らくこの男は緊縛そのものよりも、相手の身体を拘束して行為に及ぶことを好んでいるのだろう。双方の合意がある以上、それを否定するつもりはない。
ただし、高山が求めているものは違ったはず。
たとえ身が蝕まれようとも、縄による美の極限へ。
そんな望みを叶えられるのは、少なくともこの動画に映っている男ではない。
一月ほど前に行った最後の縄が頭をよぎる。
白日に晒された縄を纏う身体。恍惚と苦痛がない交ぜになった微笑み。縋り付いた足の甲の滑らかさ。泣き顔に吹きかけられた甘い香り。
もう一度、その傍に立つことが許されるのなら、今度こそは。
気がつくと、手間取りながら服を脱ぐパートナーの傍らに跪きながら高山がこちらを見つめていた。狐の半面越しにも射貫くような視線を感じる。
「Arrested at last」
動画の終了間際、紅を引いた薄い唇はたしかにそう動いた。
1
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
泣き虫だったはずの幼なじみが再会したら僕を守るために完璧超人になっていた話。
ネギマ
BL
気弱で泣き虫な高校生、日比野千明は、昔からいじめられっ子体質だった。
高校生になればマシになるかと期待したが状況は変わらず、クラスメイトから雑用を押し付けられる毎日を送っていた。
そんなある日、いつものように雑用を押し付けられそうになっている千明を助けたのは、学校中が恐れる“完璧超人”の男子生徒、山吹史郎だった。
文武両道、眉目秀麗、近寄りがたい雰囲気を纏う一匹狼の生徒だったが、実は二人は、幼い頃に離れ離れになった幼なじみだった――。
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
王道学園のモブ
四季織
BL
王道学園に転生した俺が出会ったのは、寡黙書記の先輩だった。
私立白鳳学園。山の上のこの学園は、政財界、文化界を担う子息達が通う超名門校で、特に、有名なのは生徒会だった。
そう、俺、小坂威(おさかたける)は王道学園BLゲームの世界に転生してしまったんだ。もちろんゲームに登場しない、名前も見た目も平凡なモブとして。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
美しい、というのが第一印象です。
柔肌を感じ、吐息が聞こえてくるようなセクシーな作品ですが、下品さはない。まさに大人の「美」だと思いました。
お読みくださりありがとうございました!
まだまだ未熟ではありますが、緊縛について書きたいことを自分なりに全力で詰め込んだ話だったので、美しいと感じていただけたなら恐悦至極です!