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戦場
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真木花を出て、駅前で葉河瀨部長と一条さんの二人を見つけて、日神君と一条さんが揉めそうになっていたわけだけど……
今まで騒がしかった駅前の通りが、突如として静まり返り、僕達以外の人影が見当たらなくなってしまった。そして、どこかあどけない顔をした小柄な男性が現れた。年齢は、多分一条さんと同じくらいか。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
尋ねてみると、男性はニッコリと笑顔を浮かべた。
「これから消える人間に向かって、名乗っても仕方ないですよね?」
男性はそう言うと、笑顔のまま首を傾げた。 笑顔に殺気が込められているから、多分真木花の関係者だろうね。
でも、まさか、こんなに早く遭遇することになるとは思わなかったよ……
「何か知らないが、驚くほど噛ませ犬が吐くような台詞だな」
「こら、葉河瀨。初対面の人間をいきなり犬に喩えるのは良くないぞ。確かに、躾のなっていない小型犬みたいな雰囲気がするけれども」
京子の対応の早さに困惑していると、葉河瀨部長と日神君が相手を煽るような言葉を口にした。この状況で相手を煽るのはあまり得策ではないと思うけど……確かにちょっとチワワに似てるかもしれない。
「誰が小型犬ですか!」
内心日神君の喩えに感心していると、男性は鋭い目つきを二人に向けた。でも、二人ともあまり動じていないようだ。
「そう言われても、名前教えてもらってないしな」
「初対面の相手には、笑顔で名刺を取り出して、会社名と所属部署と名前を伝えてから、三十度程度に頭を下げて名刺を渡すのがマナーだと思うけれども?」
無表情な葉河瀨部長と笑顔の日神君がたたみかけるようにそう言うと、男性は顔を赤くして更に目つきを鋭くした。
「うるさい!今、丁寧に名刺出して挨拶するような状況じゃないことぐらい、分かりますよね!?」
そして、良く通る高い声でそう叫んだ。まあ、あまり好ましくない状況だけど、彼の言う通りだよね。あまり、手荒なことにはしたくないけど、どうしたものかな……
「あの……垂野君?」
対応に悩んでいると、葉河瀨部長の後ろから一条さんが困惑した表情で顔を出した。一条さんの姿を見て、垂野君と呼ばれた男性は大きな目を見開いて驚いた。
「一条先輩!?なんで、こんなところにいるんですか?」
「あ、はい……さっき倒れたときに、こちらの葉河瀨部長がご対応くださって……今、駅まで送っていただいていたところなんです」
一条さんがおろおろとしながら答えると、垂野君はムッとした表情を葉河瀨部長に向けた。葉河瀨君は軽く眉を動かしてから、一条さんに笑顔を向けた。
「一条さん、こちらの小型犬は一条さんのお知り合いですか?」
「誰が小型犬ですか、おっさん」
その言葉に、今度は葉河瀨部長がムッとした表情を垂野君に向ける。
……うん、何かこれは、話があらぬ方向でイザコザしそうな流れだね。どうしたものかなと思い、思わず日神君に視線を送ってしまった。すると、日神君は苦笑いを浮かべて、軽く頷いた。
「一条さん、この垂野君でしたっけ?彼は、御社の技術者なのですか?」
日神君に声を掛けられた一条さんは、ハッとした表情を浮かべてから小さく頷いた。
「はい。彼は、垂野 命と申しまして、弊社の技術者です」
「なるほど、そうなんですね。ちなみに、どのような技術をお持ちなのですか?」
「あ……えーと、詳しくは存じ上げないのですが……客先に赴くときは、他の技術者と二人一組でいることが多いですね」
と言うことは、今回みたいに人払いをするのは得意だけど、直接人に危害を加えるタイプの技術は持っていないってことかな。あと、他に誰かがいる可能性が高いってことか。
これで、少し状況が分かったね。ナイスアシストをありがとう、日神君。
「へえ、そうなんですか。では、本日は一条さんとペアだったのですか?」
「いいえ、まったくの偶然です!」
日神君が笑顔で更に尋ねると、一条さんは勢いよく首を横に振った。すると、葉河瀨部長が額の左側をおさえながら、辺りを見渡した。
「少なくとも、他に人はいないみたいだな。あと、爆発物は持ってないみたいだが、刃物は持ってる」
葉河瀨部長はそう言うと、一条さんをかばうように片腕を伸ばしながら軽くため息を吐いた。でも、なんで、そこまで分かるんだろう……いや、相手が刃物を持っているなら、詳しい事情を葉河瀨部長に聞いている場合じゃないか。
「えーと、垂野君。こちらとしては、取引が終了すれば、御社のことを他社に話したり、ましてやもめ事をおこすつもりも無いですよ?」
できる限り穏やかに言ってみると、垂野君は鼻で笑った後、蔑むような表情を僕に向けた。
「何言ってるんですか?うちにも面子っていうのがあるんですよ。勧誘を断ったり、うちのことをコソコソ嗅ぎ回るような奴がいる所がどうなるか、って前例を作っておくに決まってるじゃないですか」
垂野君はそう言いながら、スーツの胸ポケットから折りたたみナイフを取り出した。これは、説得は無理そうだね。そして、ナイフの刃を取り出すと、切っ先を日神君に向けて笑顔を浮かべた。
「そう言うことなので、一条先輩、ひとまずそこのひ弱そうなおっさんを取り押さえ……」
「え?嫌ですよ。何バカなこと言ってるんですか」
垂野君の言葉が終わる前に、一条さんがハッキリとした口調で申し出を断った。途端に、垂野君がぽかんと口をあけたまま、悲しそうな表情になる。
うん、一条さんは誰かを傷つける手助けをするような子じゃないよね。しかも、今日は体調も悪いのに巻き込んでしまって、悪いことしちゃったな……
「やーい。フラれたー」
心の中で申し訳なく思っていると、葉河瀨部長が無表情に抑揚の無い声で、垂野君を煽るような言葉を投げかけた。垂野君は顔を赤くして、手を握りしめながらプルプルと震えだす……うん、ここで挑発はして欲しくなかったかな。
「あ、あの垂野君。人を傷つける協力を断られただけで、恋愛感情が無いとは言われたわけじゃないから、落ち着い……」
「つ、月見野様!?何をおっしゃるのですか!?垂野君はただの厄介な後輩ですから、恋愛感情を持つなんて万が一にもありませんよ!」
ひとまず垂野君を落ち着かせようとしたけど、一条さんの必死な声にかき消されてしまった。うん、まあ、確かにあらぬ誤解を生むような発言はまずかったけど、垂野君の顔が一段と赤くなってしまったね……
「すみません、一条さん。変なことを言ってしまって」
「あ……いえ、こちらこそ申し訳ございません。でも、あまりにもあり得ないお話だったので、つい……」
苦笑いをしながら謝ると、一条さんは申し訳なさそうな表情で、垂野君に止めを刺すような言葉を口にした。葉河瀨部長と日神君は、垂野君から顔を背けて笑いをこらえている。対する垂野君は、若干涙目になりながら右足を踏みならした。
「うるさい!役立たずのくせに、あまり調子に乗らないでください!一条先輩の助けなんか無くても、おっさん二人とジジイ一人くらい、僕一人でどうにかできます!」
垂野君は叫ぶようにそう言うと、胸の前でナイフを構えた。
そうか、僕もジジイなんて言われる歳になったんだな……
「まあ、フラれて激昂するのは分かるが……調子に乗っていたのはそっちだと思うけれども?」
思わず感慨に耽っているところを、日神君の声で現実に戻された。垂野君に目を向けると、いつの間にかナイフを持った手に、ムカデが巻き付いている。
「ひっ……」
「……囓れ」
日神君がそう呟くと、垂野君は悲鳴を上げながら手をふるった。その勢いで、ムカデと一緒にナイフが地面に落ちる。あまり手荒なまねはしたくなかったけど、この機に無力化はしておかないといけないか。
垂野君に一気に詰め寄り、しきりにふるっていた腕を掴んだ。目を見開く垂野君に、ごめんね、と伝えてから腕を捻り、足を払う。すると、垂野君は前のめりに倒れ込んだ。そのまま、腕を捻り上げてうつ伏せの上体で押さえ込む。
「うぐっ!?」
耳に入った短い悲鳴に罪悪感を覚えたけど、ここで手を抜いてまた斬りかかられたら厄介だからね。
「垂野君、今日のところは、帰ってもらえるかな?そうすれば、このまま放すし、追いかけたりもしないから」
諭すように伝えると、垂野君は首を僅かに捻って、涙をためた目でこちらを睨みつけた。これは、お願いは聞いてもらえないみたいだね。
「黙れジジイ!一条先輩!何ボサッとしてるんですか!?さっさとナイフを拾って助けてくださいよ!」
垂野君が声を上げると、葉河瀨部長の陰から覗く一条さんの顔に、困惑の表情が浮かんだ。一条さんがそのまま答えずにいると、垂野君から舌打ちの音が聞こえた。
「いい加減にしてくださいよ!雑用しかできない役立たずのくせに……僕が声を掛けてあげなかったら、誰からも相手にされないようなお荷物のくせに!たまには、少しくらい役に立ってくださいよ……っつ!?」
一条さんに対する暴言に、思わず腕を締め上げる手に力が入ってしまった。
同僚がこの様子だし、京子も部下に厳しいから、一条さんの日常はあまり穏やかではないんだろうな……
そんなことを考えながら一条さんの方に目を向けると、葉河瀨君の陰で目を伏せている姿が見えた。
ただ、何か違和感があるような……
一条さんの目……あんな色だっけ?
疑問に思っていると、不意に葉河瀨部長が無表情に、こちらに向かって近づいて来た。
そして、垂野君の前で足を止め、無言で頭を踏みつけた。
「ぐっ!?」
「……葉河瀨さん!?」
垂野君の短い悲鳴の後に、一条さんが目を見開きながら声を上げた。その目の色は、いつもの色に戻っている。さっきのは、見間違いだったみたいだね……なんてことを思ってる場合じゃない。
「葉河瀨君!?何してるの!?」
慌てて声を掛けたけど、葉河瀨部長の耳に僕の声は入っていないようだった。
「お前、大概にしとけよ」
葉河瀨部長は眉間にしわを寄せて、憎々しげに呟いた。
うん、意中の相手に暴言を吐かれて、憤る気持ちは分かるよ。でも……
「葉河瀨君、これは流石にやり過ぎだよ!早く、足をどけて!」
今度は僕の声が耳に入ったらしく、視線をチラリとこちらに向けた。でも、垂野君の頭を踏む足は、どけようとしない。
「お断りします。少なくとも、彼女の気が済むまでは」
葉河瀨部長は抑揚の無い声でそう呟くと、足をゆっくりと上げた。
まずい、これ踏み抜くつもりだ。
「葉河瀨く……」
「お取り込みのところ悪いのだけど、ちょっとよろしいかしら?」
葉河瀨君を止めようとした声は、女性の声に遮られた。
葉河瀨部長は動きを止めて、声のする方向に顔を向けた。僕もそちらに顔を向けると、そこには黒いトレンチコートを着込んだ京子が立っていた。
……殺気は感じないけど、垂野君の加勢に来たんだろうか?
今まで騒がしかった駅前の通りが、突如として静まり返り、僕達以外の人影が見当たらなくなってしまった。そして、どこかあどけない顔をした小柄な男性が現れた。年齢は、多分一条さんと同じくらいか。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
尋ねてみると、男性はニッコリと笑顔を浮かべた。
「これから消える人間に向かって、名乗っても仕方ないですよね?」
男性はそう言うと、笑顔のまま首を傾げた。 笑顔に殺気が込められているから、多分真木花の関係者だろうね。
でも、まさか、こんなに早く遭遇することになるとは思わなかったよ……
「何か知らないが、驚くほど噛ませ犬が吐くような台詞だな」
「こら、葉河瀨。初対面の人間をいきなり犬に喩えるのは良くないぞ。確かに、躾のなっていない小型犬みたいな雰囲気がするけれども」
京子の対応の早さに困惑していると、葉河瀨部長と日神君が相手を煽るような言葉を口にした。この状況で相手を煽るのはあまり得策ではないと思うけど……確かにちょっとチワワに似てるかもしれない。
「誰が小型犬ですか!」
内心日神君の喩えに感心していると、男性は鋭い目つきを二人に向けた。でも、二人ともあまり動じていないようだ。
「そう言われても、名前教えてもらってないしな」
「初対面の相手には、笑顔で名刺を取り出して、会社名と所属部署と名前を伝えてから、三十度程度に頭を下げて名刺を渡すのがマナーだと思うけれども?」
無表情な葉河瀨部長と笑顔の日神君がたたみかけるようにそう言うと、男性は顔を赤くして更に目つきを鋭くした。
「うるさい!今、丁寧に名刺出して挨拶するような状況じゃないことぐらい、分かりますよね!?」
そして、良く通る高い声でそう叫んだ。まあ、あまり好ましくない状況だけど、彼の言う通りだよね。あまり、手荒なことにはしたくないけど、どうしたものかな……
「あの……垂野君?」
対応に悩んでいると、葉河瀨部長の後ろから一条さんが困惑した表情で顔を出した。一条さんの姿を見て、垂野君と呼ばれた男性は大きな目を見開いて驚いた。
「一条先輩!?なんで、こんなところにいるんですか?」
「あ、はい……さっき倒れたときに、こちらの葉河瀨部長がご対応くださって……今、駅まで送っていただいていたところなんです」
一条さんがおろおろとしながら答えると、垂野君はムッとした表情を葉河瀨部長に向けた。葉河瀨君は軽く眉を動かしてから、一条さんに笑顔を向けた。
「一条さん、こちらの小型犬は一条さんのお知り合いですか?」
「誰が小型犬ですか、おっさん」
その言葉に、今度は葉河瀨部長がムッとした表情を垂野君に向ける。
……うん、何かこれは、話があらぬ方向でイザコザしそうな流れだね。どうしたものかなと思い、思わず日神君に視線を送ってしまった。すると、日神君は苦笑いを浮かべて、軽く頷いた。
「一条さん、この垂野君でしたっけ?彼は、御社の技術者なのですか?」
日神君に声を掛けられた一条さんは、ハッとした表情を浮かべてから小さく頷いた。
「はい。彼は、垂野 命と申しまして、弊社の技術者です」
「なるほど、そうなんですね。ちなみに、どのような技術をお持ちなのですか?」
「あ……えーと、詳しくは存じ上げないのですが……客先に赴くときは、他の技術者と二人一組でいることが多いですね」
と言うことは、今回みたいに人払いをするのは得意だけど、直接人に危害を加えるタイプの技術は持っていないってことかな。あと、他に誰かがいる可能性が高いってことか。
これで、少し状況が分かったね。ナイスアシストをありがとう、日神君。
「へえ、そうなんですか。では、本日は一条さんとペアだったのですか?」
「いいえ、まったくの偶然です!」
日神君が笑顔で更に尋ねると、一条さんは勢いよく首を横に振った。すると、葉河瀨部長が額の左側をおさえながら、辺りを見渡した。
「少なくとも、他に人はいないみたいだな。あと、爆発物は持ってないみたいだが、刃物は持ってる」
葉河瀨部長はそう言うと、一条さんをかばうように片腕を伸ばしながら軽くため息を吐いた。でも、なんで、そこまで分かるんだろう……いや、相手が刃物を持っているなら、詳しい事情を葉河瀨部長に聞いている場合じゃないか。
「えーと、垂野君。こちらとしては、取引が終了すれば、御社のことを他社に話したり、ましてやもめ事をおこすつもりも無いですよ?」
できる限り穏やかに言ってみると、垂野君は鼻で笑った後、蔑むような表情を僕に向けた。
「何言ってるんですか?うちにも面子っていうのがあるんですよ。勧誘を断ったり、うちのことをコソコソ嗅ぎ回るような奴がいる所がどうなるか、って前例を作っておくに決まってるじゃないですか」
垂野君はそう言いながら、スーツの胸ポケットから折りたたみナイフを取り出した。これは、説得は無理そうだね。そして、ナイフの刃を取り出すと、切っ先を日神君に向けて笑顔を浮かべた。
「そう言うことなので、一条先輩、ひとまずそこのひ弱そうなおっさんを取り押さえ……」
「え?嫌ですよ。何バカなこと言ってるんですか」
垂野君の言葉が終わる前に、一条さんがハッキリとした口調で申し出を断った。途端に、垂野君がぽかんと口をあけたまま、悲しそうな表情になる。
うん、一条さんは誰かを傷つける手助けをするような子じゃないよね。しかも、今日は体調も悪いのに巻き込んでしまって、悪いことしちゃったな……
「やーい。フラれたー」
心の中で申し訳なく思っていると、葉河瀨部長が無表情に抑揚の無い声で、垂野君を煽るような言葉を投げかけた。垂野君は顔を赤くして、手を握りしめながらプルプルと震えだす……うん、ここで挑発はして欲しくなかったかな。
「あ、あの垂野君。人を傷つける協力を断られただけで、恋愛感情が無いとは言われたわけじゃないから、落ち着い……」
「つ、月見野様!?何をおっしゃるのですか!?垂野君はただの厄介な後輩ですから、恋愛感情を持つなんて万が一にもありませんよ!」
ひとまず垂野君を落ち着かせようとしたけど、一条さんの必死な声にかき消されてしまった。うん、まあ、確かにあらぬ誤解を生むような発言はまずかったけど、垂野君の顔が一段と赤くなってしまったね……
「すみません、一条さん。変なことを言ってしまって」
「あ……いえ、こちらこそ申し訳ございません。でも、あまりにもあり得ないお話だったので、つい……」
苦笑いをしながら謝ると、一条さんは申し訳なさそうな表情で、垂野君に止めを刺すような言葉を口にした。葉河瀨部長と日神君は、垂野君から顔を背けて笑いをこらえている。対する垂野君は、若干涙目になりながら右足を踏みならした。
「うるさい!役立たずのくせに、あまり調子に乗らないでください!一条先輩の助けなんか無くても、おっさん二人とジジイ一人くらい、僕一人でどうにかできます!」
垂野君は叫ぶようにそう言うと、胸の前でナイフを構えた。
そうか、僕もジジイなんて言われる歳になったんだな……
「まあ、フラれて激昂するのは分かるが……調子に乗っていたのはそっちだと思うけれども?」
思わず感慨に耽っているところを、日神君の声で現実に戻された。垂野君に目を向けると、いつの間にかナイフを持った手に、ムカデが巻き付いている。
「ひっ……」
「……囓れ」
日神君がそう呟くと、垂野君は悲鳴を上げながら手をふるった。その勢いで、ムカデと一緒にナイフが地面に落ちる。あまり手荒なまねはしたくなかったけど、この機に無力化はしておかないといけないか。
垂野君に一気に詰め寄り、しきりにふるっていた腕を掴んだ。目を見開く垂野君に、ごめんね、と伝えてから腕を捻り、足を払う。すると、垂野君は前のめりに倒れ込んだ。そのまま、腕を捻り上げてうつ伏せの上体で押さえ込む。
「うぐっ!?」
耳に入った短い悲鳴に罪悪感を覚えたけど、ここで手を抜いてまた斬りかかられたら厄介だからね。
「垂野君、今日のところは、帰ってもらえるかな?そうすれば、このまま放すし、追いかけたりもしないから」
諭すように伝えると、垂野君は首を僅かに捻って、涙をためた目でこちらを睨みつけた。これは、お願いは聞いてもらえないみたいだね。
「黙れジジイ!一条先輩!何ボサッとしてるんですか!?さっさとナイフを拾って助けてくださいよ!」
垂野君が声を上げると、葉河瀨部長の陰から覗く一条さんの顔に、困惑の表情が浮かんだ。一条さんがそのまま答えずにいると、垂野君から舌打ちの音が聞こえた。
「いい加減にしてくださいよ!雑用しかできない役立たずのくせに……僕が声を掛けてあげなかったら、誰からも相手にされないようなお荷物のくせに!たまには、少しくらい役に立ってくださいよ……っつ!?」
一条さんに対する暴言に、思わず腕を締め上げる手に力が入ってしまった。
同僚がこの様子だし、京子も部下に厳しいから、一条さんの日常はあまり穏やかではないんだろうな……
そんなことを考えながら一条さんの方に目を向けると、葉河瀨君の陰で目を伏せている姿が見えた。
ただ、何か違和感があるような……
一条さんの目……あんな色だっけ?
疑問に思っていると、不意に葉河瀨部長が無表情に、こちらに向かって近づいて来た。
そして、垂野君の前で足を止め、無言で頭を踏みつけた。
「ぐっ!?」
「……葉河瀨さん!?」
垂野君の短い悲鳴の後に、一条さんが目を見開きながら声を上げた。その目の色は、いつもの色に戻っている。さっきのは、見間違いだったみたいだね……なんてことを思ってる場合じゃない。
「葉河瀨君!?何してるの!?」
慌てて声を掛けたけど、葉河瀨部長の耳に僕の声は入っていないようだった。
「お前、大概にしとけよ」
葉河瀨部長は眉間にしわを寄せて、憎々しげに呟いた。
うん、意中の相手に暴言を吐かれて、憤る気持ちは分かるよ。でも……
「葉河瀨君、これは流石にやり過ぎだよ!早く、足をどけて!」
今度は僕の声が耳に入ったらしく、視線をチラリとこちらに向けた。でも、垂野君の頭を踏む足は、どけようとしない。
「お断りします。少なくとも、彼女の気が済むまでは」
葉河瀨部長は抑揚の無い声でそう呟くと、足をゆっくりと上げた。
まずい、これ踏み抜くつもりだ。
「葉河瀨く……」
「お取り込みのところ悪いのだけど、ちょっとよろしいかしら?」
葉河瀨君を止めようとした声は、女性の声に遮られた。
葉河瀨部長は動きを止めて、声のする方向に顔を向けた。僕もそちらに顔を向けると、そこには黒いトレンチコートを着込んだ京子が立っていた。
……殺気は感じないけど、垂野君の加勢に来たんだろうか?
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