君のハートに☆五寸釘!

鯨井イルカ

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気休めの言葉

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 一条さんとの話は、無事に終わった。それから、一条さんは家に帰り、僕は会社に戻るため駅へと向かって電車をまっている。平日の昼間ということもあってか、ホームはそれほど混んでいなかった。これなら、ホームの端あたりに移動して電話をしても、迷惑にはならないかな。
 そう思い、個人用の携帯電話を取り出そうとすると、業務用のスマートフォンが震えるのを感じた。慌ててスマートフォンの方を取り出すと、真木花とは別の取引先からメールが届いていた。
 昨日、途中で帰ってしまった取引先だから、武勇伝の続きを話したいだけなんだろうな……
 恐る恐るメールを開くと、やっぱり話がしたいという内容だった。思わずため息が出てしまったけど、定期的に仕事を発注してくださるところだから、ないがしろにするわけにもいかないんだよね。
 脱力しながら、是非伺います、というメールを返信して、スマートフォンを胸ポケットにしまった。その途端、今度は個人用の携帯電話が震えだした。慌てて携帯電話を取りだして開くと、京子からの着信だった。

「もしもし、京子?」

「……仮にも、取引先の部門責任者からの電話に、その出方はどうかと思いますわよ」

 焦って電話に出たところ、厳しいお叱りを受けてしまった。

「ごめん、ごめん。個人用の携帯電話だったから、ちょっと油断しちゃって」

 苦笑しながら謝ると、スピーカーから、まったく、という呆れたような声が聞こえた。

「まあ、和順さんの詰めが甘いのは、昔からですからね。それよりも、少しお時間をいただいてもよろしいかしら?」

 辛辣な言葉の後に、京子は少し不安げな声で尋ねた。

「うん、大丈夫だよ。僕も丁度、京子に電話しようとしてたところだから」

 僕が答えると、そう、という声がスピーカーから聞こえた。

「さっき、一条さんから連絡があったわ」

「あ、よかった。ちゃんと、そっちに連絡してくれたんだね」

 安心しながらそう言うと、スピーカーからため息が聞こえた。

「ええ。だから、始業前までに連絡しなかったことを注意したのだけど……あの子、どこか楽しげな声で謝っていたから、少し気になって」

 ため息の後に聞こえた京子の声は、とても困惑していた。

「そちらでの説得というのは、上手くいったのかしら?」

「あ、うん。もう誰かのために呪いを使うことはしない、ってところに落ち着いたよ」

 京子の答えに思わず口を滑らせてしまい、しまった、と思った。

「誰かのために呪いを使う?」

 でも、後悔しても既に遅く、京子は怪訝な声で聞き返した。一条さんがなぜ丑の刻参りを行っていたのか、京子には全く説明していなかったから、当然だよね……
 第三者に話すことに抵抗はあったけど、こうなったら説明しないわけにもいかないか。

「えーと、うん。内密にして欲しいんだけど、実は……」

 それから、一条さんが丑の刻参りを行っていた理由と、説得の結果を改めて京子に説明した。全て事情を話し終えると、京子は再び深いため息を吐いた。

「事情は分かったわ……それにしても、和順さんは相変わらず、厄介な性格の子に好かれるのね」

 京子はそう言うと、またしても深いため息をついた。
 厄介な性格の子に好かれる、か。
 京子もどちらかと言えば、厄介な性格をしていると思うんだけど……と言うことは、京子はまだ僕のことを思ってくれてるのだろうか?

「……和順さん?」

 自惚れたことを考えていると、スピーカーから京子の冷たい声が聞こえた。
 何故だろう?
 名前を呼ばれただけなのに、今そんなことを考えている場合か、と叱られた気分になったよ……
 いや、シュンとしている場合でもないんだけどね。

「えーと……ともかく、一条さんも納得してくれたみたいだから、もう大丈夫だと思うんだ」

「そう……本当に、和順さんの言葉通りなら、結構なのだけど」

 京子はどこか歯切れの悪い声で、そう言った。

「何か、不安要素があるのかな?」

 宥めるように声をかけると、スピーカーからは、そうね、と言う声が聞こえた。

「山本社長が喀血して倒れた、というのはもう知っているのよね?」

「うん。川瀬社長から聞いたよ」

「その症状なのだけど、気管がかなり酷く傷ついていて、一歩間違えれば命に関わっていたそうよ」

「そう、なんだ……」

 血を吐いて倒れたのだから大変な状況になっていると思ったけど、そこまで重症だったとは……
 ん?
 と言うことは、川瀬社長達はそんな重症の相手に、契約締結を迫ったということだよね……
 いや、山本社長も色々と後ろ暗いことをしているのは知っているし、こちらに危害を加えようとしていた張本人だけど……
 川瀬社長達は、鬼か何かなんだろうか?

「……そこまでの重症を相手に負わせられるなら、あの子はもう鬼になっているのかもしれない」

 川瀬社長達に対して失礼なことを考えていると、京子の悲しそうな声が耳に入った。

「そんなことにならないように、技術者部門からは外したというのに……ままならないものね」
 
 そして、京子はどこか自嘲するように、そう続けた。
 この言葉からすると、一条さん相手に厳しい態度を取っていたのは、真木花から離れさせるためということで、間違いないのだろう。

「きっと、大丈夫だよ」

 宥めるようにそう告げると、そうね、というどこか悲しげな声が聞こえた。
 やっぱり、明日になるまで、不安を完全には払拭できないよね……

「せめて、もう少し早く気が付くことが出来ていればな……」
 
 思わず、言っても仕方がない後悔が、口からこぼれてしまった。
 僕がもっと早く気付いていれば、一条さんの体の負担も、京子の心労も、今よりは軽かったのだろう。そんなことを考えていると、スピーカーから鼻で笑う声が聞こえた。

「あら?それは、すぐ側にいたのにあの子の変化に気が付かなかった私への、当て付けかしら?」

 続いて、こちらを挑発するような口調をした京子の言葉が耳に入った。
 自分の不甲斐なさを後悔した言葉だったけど、京子はそう取ってくれなかったようだ。

「ち、違うんだ!僕がもっと、注意してればって思っただけで、京子のことを責めてるわけじゃないよ!」

 慌てて否定すると、ふふ、という、どこか悲しげな笑い声が聞こえた。

「ちょっとした冗談よ。すぐ側にいたとしても、呪いの類に気付くのが難しいというのは、和順さんも知っているでしょうし」

「……」

 京子の言葉に、上手く言葉を返せなかった。京子が一条さんの異変に気付けなかったからと言って、僕がそれを責められるはずもない。
 僕だって、京子の異変にずっと気付けていなかったのだから。
 昔のことを思い出して苦い気分になっていると、またしても深いため息が耳に入った。

「ただ……あの子の異変に気付けるような目は、欲しかったと思うわね」

 ため息の後、悲しげな京子の声が続いた。
 異変に気付けるような目、か。
 そういえば、葉河瀨部長は一条さんの異変にも気付いてたんだっけ……あの二人が上手くいってくれれば、僕も京子も安心できるだろうね。どうにかして、相思相愛の仲になってくれると良いんだけどな。

「和順さん、どうかしたの?」

 余計なお世話と言われそうなことを考えていると、訝しげな京子の声が耳に入った。

「あ、いや、何でもないよ」

 京子は葉河瀨部長に、かなり厳しい目を向けているから、今思ったことは色々な事態が落ち着くまで隠しておこう。

「なら、いいのだけど……まあ、今の私の技術でも、御社に発注した仕事の手伝いくらいはできるのだから、これ以上多くは望まないことにするわ」

 京子は悲しげな声のまま、そう言った。
 たしかに、川瀬社長も、京子に手伝いを頼んだと言っていた。でも、一体何を頼んだというのだろうか?

「……簡単な仕事よ」

 こちらの考えを察したように、京子はポツリと言葉をこぼした。

「今の私が持つ技術、身の回りの人間の不幸を私が肩代わりすることと、私の不幸を身の回りの人間に肩代わりさせることがあれば、完遂できるくらいにはね」

 京子はそう言うと、ふふ、と悲しげな声で笑った。
 曖昧な言い方だったけど、京子の身に負担がかかることは間違いないだろう。

「……大丈夫だよ。明日には、その仕事はなかったことになるはずだから」

 どこか自分に言い聞かせるように、京子にそう告げた。すると、再び悲しげな笑い声が耳に入った。

「ふふ、そうね。そう言ってもらえると、ありがたいわ。たとえ気休めだったとしても」

「気休めだなんて、そんな……」

「あら、ごめんなさい。でも、皮肉を言っているわけではないのよ」

 京子はそこで言葉を止めた。そして、スピーカーから、深く息を吸い込む音が聞こえてくる。

「今回の件も、和順さんは、最善を尽くしてくれたのは分かっているわ」

 京子の声は、とても穏やかなものだった。

「今回だけでなく、いつだって……貴方なりの最善を尽くそうとしてくれていたのは、分かっているから」

 何か、声をかけないといけない。そう思っているのに、言葉が出てこない

「だから、もうこれ以上、私の逆恨みで心を煩わせる必要はないわ」

 君の気持ちを逆恨みだなんて思ったことは一度もない。
 そう伝えたいのに、口が上手く動かない。

「じゃあ、私はこれで」

 なんとかして、彼女の言葉を止めないと。
 だって、これじゃあ、まるで……



「さようなら、和順さん」



 今生の別れみたいじゃないか。



「っ京子!」

 ようやく動いた唇で、彼女の名前を叫んでいた。でも、スピーカーから聞こえるのは、ツー、という通話が終了したことを知らせる音だけだった。
 急いで彼女の番号にかけ直したけど、通話中を知らせる音しか聞こえてこない。
 仕方ない、少し時間をおいてからかけ直そう。きっと、着信拒否をされているわけじゃないと思うから。
 努めて前向きに考えていると、胸ポケットから振動を感じた。
 業務用のスマートフォンを取り出して確認すると、葉河瀨部長からメールが届いていた。

 月見野さん
 お疲れ様です。葉河瀨です。一条さんの件、どうでしたか?

 メールの内容はとてもシンプルだったけど、一条さんのことを心配する気持ちはすごく伝わった。
 急いで、説得は成功した、という旨のメールを返信した。すると、間髪入れずに、よかったです、という短いメールが返ってきた。
 うん。説得は成功したんだ。
 だから、これ以上一条さんの身に負担がかかることはないんだ。
 ましてや、京子に負担がかかるなんてことも、起きるはずがない。
 真木花から受注した仕事は、明日にはなかったことになるんだから。
 それにしても、受注した仕事がなかったことになって欲しいと思うなんて、営業部長失格かもしれないね……
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