ある不条理な出来事と、呪いの獣

雫川サラ

文字の大きさ
1 / 13

1. 二人のはじまり

しおりを挟む
「アルーシャ! 今日のぶ……ん……」

 元気よく開けられたドアと同時に、飛び込んできた声。
 だが終いまで言う前に、中にいた人物の冷ややかな眼差しに、元気をなくしてしぼんでしまった。夕日をきらきらと反射して輝く青い短髪も、心なしかシュンとしおれて見える。

「ラングレン」
「……ごめん」

 咎めるように名前を呼ばれた青年は、その大きな体躯を縮こませて家の中に入ると、扉をそっと閉めた。

「いつも言っているでしょう。びっくりさせないでくださいと」

 後ろに束ねた長い金の髪を揺らして、中にいたアルーシャは入口に立ったまましおれている恋人の方へ向き直った。何度言ってもすぐ忘れるラングレンには困ったものだが、叱られてシュンとしているその姿はなんとも言えずくすぐられるものがある。

 とはいえ、アルーシャもいたずらにラングレンを叱っているわけではない。

 アルーシャは、この町で薬師をしている。
 病を扱うものとして治癒魔術師も存在はするが、その施術に見合う対価を払うことができるのはごく一部の貴族などに限られた。それ以外の大多数は医師と薬師に頼るのが一般的で、特に常駐する医師のいないような小規模な町では、薬師は重宝される存在だ。

 首都の大学で薬草学を専攻したアルーシャは、卒業後この町に拠点を移した。
 研究に精を出すかたわら、この辺り一帯の町や村の住民向けの実用的な薬の精製も行っている。主にその対価で生計を立てている形だ。

 魔術の素養もあったアルーシャには、学生時代そちら方面からの熱心な誘いもあった。
 だが、いかんせん魔術師という種類の人間は人付き合いにおける感性が非常に独特で、アルーシャはどうにも苦手だった。実際顔も名前も知らない魔術専攻の学生から、熱烈な告白とも脅迫文とも取れる手紙が届いたこともある。
 どう考えてもそちらへ進むメリットが感じられなかったアルーシャは、魔術は日常レベルの基礎を学ぶにとどめ、自分は薬草と向き合っている方がよっぽど楽しいからと、惜しまれつつあっさりと首都を去ったのだった。

 アルーシャの1日は、自宅兼研究所であるこの家の一部屋を使って、首都から取り寄せた最新の論文を片手に行う新たな薬の開発実験や、住民の要望を受けての薬の精製作業を行うことで過ぎていく。作業中は細心の注意を払い、一つの些細な変化も見逃さない集中力が求められる。つまり、いきなりドアを開けられて大声を出されてはかなわないのである。

 この少しばかり元気が良すぎるところが、公私ともに自分を支えてくれている大切なパートナーである、ラングレンの唯一の欠点といっても良かった。

 2人が暮らすここは、山麓の町、レッキア。別名、「月の加護を受けた町」。
 首都ガレから、馬車でおよそ1日の距離にある、小さな町だ。
 別名の由来は、満月の夜に花を咲かせるリヨンという薬草で、ここレッキアでしか採ることができない。
 不眠や神経症の緩和、興奮を鎮めるのに抜群の効き目があり、貴族から平民まで、文字通り誰でも一度はお世話になったことがあるほどに普及している薬草である。
 レッキアの経済は、リヨンの流通によって支えられていると言っても過言ではなかった。
 リヨンだけでなく、レッキアには他にも病や体質改善によく効くさまざまな薬草が名産として知られている。アルーシャがこの町を研究拠点にすることにしたのも、それが理由だった。

 アルーシャもラングレンも、もともとこの町の出身ではない。
 アルーシャは北方の出、ラングレンは首都を囲む下町の育ちだ。大学時代のアルーシャに、首都で料理屋の見習いをしていたラングレンが一目惚れをし、辛抱強く口説き落として恋人になった。

 ラングレンはアルーシャを何かと「高嶺の花」扱いし、自分ばかり惚れていると思っている節がある。確かに自分より5つも年下のラングレンからの好意を、アルーシャも最初は全く本気にせず適当にあしらっていたのは事実だった。
 母ゆずりの北方らしい色素の薄い髪と肌は人目を引くのか、それ目当てで言い寄ってくる者たちが多く、それを当時のアルーシャがひどく煩わしく思っていたのも大きい。
 だが、ラングレンがそういった俗物どもとは違う、清々しく眩しいほど真っ直ぐな魂の持ち主であることを次第に知っていったアルーシャは、生まれて初めて胸の内からじわじわと燃え焦がされるような感情を経験した。
 今では、アルーシャの方もラングレンのことを言えたものではない独占欲を胸の内に飼っているのだが、そのことにラングレンはあまり気づいていないようである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

処理中です...