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9.限界

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 ——全然、いいわけねえっつうの……

『大体いいんじゃねえ?』とうそぶいた自分の声が頭の中で反響する。

 自室に戻った絢也は、自分の心に溜まったままの、鉛のような感情と向き合っていた。
 士郎がラブソングめいたものや恋愛をモチーフにした歌詞を書いてきたことは、別にこれが初めてではない。
 だが、ここまで自分が打ちのめされているのは、絢也の思い出せる限り、初めてだった。

 ——細い指が触れる、その先を……貴方を愛してしまった……

 絢也はさっき見たばかりの士郎の書いた歌詞を、頭の中で反芻する。
 やめればいいのに、どうしたって勝手に頭が歌詞を思い出して、なぞってしまうのだ。

 その歌詞の描き出す、ヒリヒリするような、生々しい感情の揺れ動く情景は、きっと聞いた者の心を動かすだろう。
 士郎の力量は、曲ごとにどんどん上がっていた。
 人の心を掴む歌詞を書くことができるようになってきている。それ自体は、とても喜ばしいことだった。
 だが今、絢也には、それを喜ぶ余裕など1ミリもなく、ただそこに描かれた、見たこともない人物に、燃えるような嫉妬心で心を焦がしていた。
 士郎が、その見知らぬ誰かと肌を重ねた。こんなにヒリヒリした気持ちを味わった。こんな歌詞を書けてしまうくらい、心が捩れそうな恋を誰かにしていた……。
 それを考えただけで、絢也は叫び出しそうになった。

 ——結構、重症、だな……

 うっすらと士郎への気持ちを自覚してから、ずっとそれを直視しないようにしてきた。
 そこに何かが刺さりそうになるたびに、気持ちを、思考を、逸らしてきた。
 士郎は、Mr. Liarの大事なボーカリストであり、約3年の間、一緒にこのバンドを作り上げてきた仲間であり、そしてこれからもそうでいてもらわなければ困るのだ。
 だから自分の気持ちが足かせにならないように、私情を挟まないように、絢也は徹底して自分の気持ちに嘘をつき続けてきた。

 だが、それももう限界にきていることを、絢也は感じていた。
 もう、自分で自分に嘘をつくのは無理だった。
 何も感じないフリをしても、すぐそこに透けて見える本当の気持ちをなかったことには、できなくなっていた。

 ——じゃあ、これからどうするんだ?

 自問したが、答えなんか、聞く前から出ていた。
 この気持ちを抱えて、生きていく、それしかないのは分かりきっている。
 叶えることもできない、かといってなかったことにもできない。
 士郎をどうしようもなく好きになった自分を抱えて、このまま生きていくしかない。
 もしかしたら、この先、今を笑って思い出話にできる日が来るかもしれない。
 その日を待ち望んで、歯を食いしばって生きていくしかないのだ。

「はは……」

 絢也の口から、乾いた笑いが漏れた。

 たぶん、初恋ってやつだ。
 ほら、初恋は叶わないっていうじゃないか。
 自覚したら、笑いと一緒に涙が少しこぼれた。

 ——俺、士郎のこと、こんなに好きだったんだな……

 初めて士郎を見たときのこと。
 初めて声をかけて、たくさん話をして、カラオケで士郎の歌を聞いたときのこと。
 バンドを組んで初めてスタジオに入ったときのこと。
 初めて歌詞を書いてきて、絢也に見せたときの緊張した顔。
 Mr. Liarの初ライブで見せた、頼もしいパフォーマンスと、心を掴まれたMC。
 それから…

 ずっと押さえ込んできた蓋を開けたら、雪崩のように士郎の記憶が溢れかえった。
 ベッドに仰向けになってひっくり返りながら、絢也は目を閉じて、ただただ士郎を想った。


 腹が減って絢也は目を覚ました。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 時計を見ると、夜の10時を回ったところだった。
 少し遅いが何か腹に入れて、シャワーを浴びようと、絢也はリビングへ向かった。

 熱いシャワーを浴びると、少しシャキッとした。
 士郎の不在と啓介の爆弾で立て続けにダメージを負って、らしくもなく、くよくよしてしまった。
 士郎には、今まで通り、接することができるだろう。
 あいつにとって、信頼できる「仲間」でいられれば、それでいい。
 それで、ずっとこれからもあいつの隣にいられれば、俺はきっと、幸せだ。

 そうやってひとり納得して、風呂場から出たところで、絢也はギョッとして固まった。
 リビングのソファで、士郎がカップ麺をすすっていたのである。

「おま、お前」
「あー、絢也か、風呂にいたの。なんか、部屋にいたらいい匂いがするから、俺も腹減っちゃってさ」

 シャワーを浴びる前、絢也が鍋で袋麺を温めていた匂いが士郎の部屋まで届いたのだろう。
 いや、問題は今そこではない。
 まさか誰も部屋から出てくるなどとは思いもしていなかったから、絢也は下着しか身につけていなかったのだ。
 早い話が、絢也は今パンツ一丁で士郎と対峙していた。これは非常にまずい。
 案の定、士郎は麺をすする途中で、目を丸くして絢也の身体を凝視している。

「お前、相変わらずキレッキレだな~。なんかモデルみてえ」
「いや、その、これは別に」
「どうすればそうなんの? 今度メニューとか教えろよ。俺なんて、一応ボーカリストだから腹筋だけでもつけてえと思っていろいろ試してんだけど、全然お前みたいにならねーの」

 そう言いながら、士郎がカップ麺をテーブルに置いて、自分のTシャツの裾に手をかける。

 ——やめろ。似たような展開、前もあったぞ。

 絢也の祈りも虚しく、「ほら」と士郎がTシャツをまくって腹を晒した。
 遊ばずにバンドだけに明け暮れた証拠の、日に焼けていない滑らかな士郎の肌があらわになる。
 絢也は思わずゴクリと唾を飲み込んでしまい、その音が士郎まで聞こえなかったか内心慌てた。

 いつも細いなと思っていたが、本当に筋肉や脂肪がつきにくい体質なのか、無駄のない士郎の身体は、衝撃的なまでに美しく、艶かしかった。
 人間のへそがここまで色っぽく見えるのを、絢也は初めて知った。
 ハーフパンツのウエストからちらっと覗いている腰骨は、撫でたらどんな反応を返すだろう。
 そこまで考えたところで、絢也は我に返った。

「分かったから、腹しまえよ。風邪ひくぞ」

 士郎から目を逸らし、ぶっきらぼうな口調で絢也が言った。
 声が震えていなかったか、ハラハラした。

 タオルで頭をガシガシ拭きながら、足早に自室に戻った絢也は、躊躇いなく、下着の中に手を伸ばしていた。


「……っ……は、」

 もう、罪悪感も、背徳感も、全部どこかへやった。
 もう、この気持ちを見ないふりはしないことにしたから。

「……っん……」

 あの白い腹を思うさま撫で回したい。
 腰骨に噛み付いて、自分のものだという印をつけたい。
 見えそうで見えなかった胸の飾りは、舐めたらどんな味がするだろう。
 舌で突いて転がして、暴れるほど感じさせて、快楽でドロドロに蕩してやりたい。

 絢也の雄の象徴は、想像の中の士郎の痴態に反応して硬く反り返り、先端から涙を滴らせていた。
 絢也の荒い息遣いと、くちゅくちゅと濡れた音が室内に響く。

 想像の中で、絢也は士郎を組み敷いていた。
 驚きながらも、期待に濡れる士郎の瞳に自分を映し、その頬に、耳朶に、首筋に、キスを落とす。
 首筋にかじりつきながらTシャツの中に指を忍ばせ、その肌に触れ、胸の尖を撫でる。
 快楽と羞恥に染まった士郎の肌は、きっと美しいだろう。
 唇の中に舌を差し入れて、舌と舌を絡ませ、粘膜を愛撫する。
 両の胸を弄られて上がる嬌声も、唾液ごと飲み込む。
 とっくに反応している股間を、腰を浮かせて擦り付けるようにくねらせてねだる士郎は可愛くて、淫らで、絢也は我慢できなくなる。
 ハーフパンツを下着ごと脱がせて、勢いよく飛び出す士郎の雄を、口で可愛がりながら、足を開かせて、奥の慎ましやかな窄まりを、指でゆっくりと撫でる。
 たぶん、士郎は知識として知っていても、そこを触られれば身が竦むだろうから、怖がらせないように、口淫で快楽を与えながら、少しずつ解してゆくのだ。
 ローションはきちんと手のひらで温めて、丁寧に丁寧に、指を埋め込んでいく。
 士郎の中は、眩暈がするほどきつくて、熱くて、奥へと誘うようにうねっている。
 この孔に、絢也は快楽を教え込んでゆく。
 可愛らしく膨れた前立腺を探り当てて、2本に増やした指で撫で、挟むようにして刺激してやれば、初めての強烈な快楽に士郎は戸惑うだろう。
 それは痛いんじゃなくて気持ちイイのだと、ゆっくり覚えさせる。
 指を3本に増やして、中を押し広げ、絢也のモノを受け入れることができる場所に変えてゆく。
 口を離して、ローションをまとわせた自分のモノを孔の入り口に押し当て、ゆっくりと飲み込ませる。
 経験のない絢也にとっては、その感触は想像でしかなかったが、きっと温かくて、濡れていて、ため息が出るほど気持ちいい。
 覚えたての前立腺を擦って、奥まで暴いてゆく。
 中で快感を拾うことができる者とそうでない者がいるというのは読んだことがあったが、想像の中の士郎はちゃんと気持ちいいと全身で伝えてくれる。
 長い手足を絢也の身体に絡ませて、揺さぶられる度に顔が快感に歪み、奥まで嵌めた絢也のモノに中がしゃぶりつく。
 反応が良かったところを重点的に責めれば、泣き出しそうな声に変わる。

「……っは、ぁ、……っぅ、あ、っ」

 絢也のモノは先端がパンパンに膨れ上がり、限界が近いことを表していた。
 士郎のイくところを思い浮かべながら、絢也はティッシュの中に精を吐き出した。

「はっ、はぁ、っ」

 吐精後の怠さに、絢也はティッシュを丸めてゴミ袋に放り投げると、身体をベッドに投げ出した。
 襲ってくるのは、虚しさだった。
 現実の士郎は、あんな風に自分から求めてはくれない。
 そもそも、自分は恋愛対象に入ってなどいない。

 ——俺は、これを一生抱えて生きていくのか……

 腹を括ったつもりでも、その重さに自分が耐えられるのか、まだ絢也には分からなかった。
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