魔道の果て

桂慈朗

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第1章 裏切り

(6)司教と教会

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「お前たちか。自らの魔法を教会のために役立てたいというのは」

 決して大きな教会ではない。
 だが、間借りではなく間違いなく教会建物は存在した。
 この街は小さく、カズキの常識からすればむしろ教会があることの方が不思議なくらいである。
 逆に考えれば、この規模の街にも教会があるとすれば、ケルム教と言うのはこの世界で相当大きな力を追っているとも言えるだろう。

「妾はこの若い魔術師に救われた。だが、こやつは戦いにおいて視力を失っている。もうこれ以上戦えぬゆえ、今後は教会で魔法を人々のために役立てたいと言っておる」
「おい、男! なぜ自ら申し立てぬ」
「口も不自由故に、妾が話しておる」

 教会で対応する男性はカズキを一瞥すると、掌を返すように姿勢を正してユリアナの方に向きなおした。
「わかりました。では、この男は戦闘魔術師ですか」
「そうじゃ」
「しかし、大魔導師との戦いは随分前に終わったはずです。なぜ今頃」
「追手から逃げて、ようやくここに辿り着いたのじゃ」

 ユリアナは、貴族の威厳を見せて圧力をかけながら説明するが、あまり友好的には見られていない様である。
 胡散臭いと言った方が良い反応だ。

「追手、ですか?」
「ここでも、いきなり街の住人に奴隷狩りと称して、襲われそうになったぞ。この国では公然と奴隷狩りが行われているのか?」
「いえ、そんな話は全く聞き及んでおりませんね」

 慇懃無礼な態度ではあるが、問答を続けてくれるのはカズキたちからすれば助かる。
 全く相手にされない訳ではないということ。
 それがユリアナの存在によるものだとしてもである。

「なんじゃと?」
「大方、何か別の話を聞き間違えたのではありませんか」
「実際、妾たちは襲われたのじゃぞ」

 男は困惑気に大げさに両手を広げながら返してきた。
 そして、カズキが腕に抱いている娘の方に一瞬目をやる。
「そう言われましても困りますな。ところで、一緒にいる娘も魔術師ですか?」

 男は自らの地位を准司教だと説明した。
 教会の准司教の階位にある彼は、見た感じ30歳後半に見える。
 ただ、笑顔と言うよりはあまりに厳しい表情をこちらに向けていた。
 カズキは目が不自由な振りをしているので、一瞬垣間見ただけではあるが。

「違う。妾たちが襲ってくる住人から逃げたため、身代わりに奴隷へ落とされそうになったのを助けて連れて来た」
「おかしいですね。今、役所の方からは宿屋の娘が攫われたという届け出があると伝え聞いておりますが。ただ、、、」

 そう言うと、准司教はユリアナの方に再び目を向ける。
「貴族である妾の言葉が信じられないと。」
「ではお伺いします。あなた様はいずこの貴族の御身でしょうか。」
「妾の髪を見てわからぬか!」
「貴族の御方とは承知しております。ただ、辺境の教会ゆえ詳しいご身分までは。ご無礼お許しいただけると助かります。」

「まあよい。妾はいずれ国に戻るため長居はできぬ。ただ、人として受けた恩義は返したい。故に、この者が教会の雑事を覚えるまで付き添いたい」
「失礼を承知の上で再度お願い申し上げます。どうしても、あなた様のご出所を明かしていただく訳にはまいりませんか」
「貴族が下賤の者に仕えたと嘲笑いたいか!」
「いえ、滅相もございません。そのような気は毛頭ございませんが」

 准司教の男は、ユリアナの迫力に気圧されたのか、少し慌てたように上司に許可を得てくると言い残しその場を去った。
 あとに残されたのは教会の小間使いの少年が二人、そしてカズキとユリアナと少女。
 カズキとユリアナはしっかりと手をつないだまま。
 眠ったままの娘はカズキが片手で抱いている。

 正直、ユリアナが予想以上に交渉能力が高かったことに驚いている。
 ただのお飾りのお嬢様と言うわけでは無かったらしい。
 これまでの彼女の振る舞いからすればかなり意外だと言ってよいだろう。

 ただ、一方で交渉状況はあまり芳しくない。
 やり取りを聞く限りにおいてだが、教会とこの国は繋がっているのではないかという疑念が広がってくる。
 確証がある訳ではない。
 それでもここから先の交渉は、一筋縄ではいかないだろうという感じがヒシヒシとしていた。

『大丈夫じゃろうか』
『いや、あまり状況は良くないだろう。まずいと判明したら一気に逃げることも想定しておいてくれ』
『うむ。じゃが、どこが良くない?』
『本当に教会が奴隷狩りのことを知らないと思うか?』
『確かにそうじゃな。あれだけ露骨な動きを、全く知らぬというのは考えにくいか』

 念話を利用することで会話が漏れないというのは非常に助かる。
 もっとも使用に際し小さな魔力の揺らぎが生まれるので、魔術師がいれば利用を見破られる危険性はある。
 ただ、ユリアナの話では念話を使える者は魔術師の内でも一部と聞く。
 この小さな街に強力な魔術師がいる可能性は低いと考えているのだ。

『ところで、教会が悪事に加担している可能性は考慮に入れて良いのか』
『妾のこれまでの感覚から言えば、教会がそんなことをするというのはありえん。と、強く言いたいところじゃが悩ましいところじゃな。教会が加担しているとは考えたくないが、黙認していた可能性は考えた方が良かろう』

 ちなみに言うと、サエコさんは下女役よりは正義の味方役を選択した。
 一人で行動させることに若干の心配はあるが、簡単に掴まるほどには弱くない。
 魔獣を体術だけで倒してしまう強さを誇るのだ。
 少なくとも街の住民が複数襲いかかっても、負けることは考えにくい。

 そして今回のお願いは、第一に隠してあるこの世界に持ち込んだ荷物を守ること。
 次に、当面潜伏して見たままでよいので情報を集めることとしている。
 カズキたちに危険が及んだ場合には、魔法行使でサエコさんに伝えることになっているが、正義の味方としての振る舞い方までは教えていない。

 30分ほど待たされただろうか。
 相変わらずニコリとも笑わない准司教の男は、戻ってくるなり司教に会わせるので付いて来るようにと言い放った。
 先ほどの傲慢さが若干消えたようにも感じられたが、カズキは盲目設定が邪魔をして詳細な状況は読み取り切れない。

 ユリアナの話では、先ほどのユリアナの訴えが受け入れられれば通常は別の大きな教会に送り込まれることとなる。
 教会本部に送られるケースも無い訳ではないが、普通はそれぞれの国にある主管の修道場で経験を積むことになるらしい。

 ただ、今回の計画の基本線はここで集められるだけ情報を集めること。
 加えて、手元の娘を教会を通じて返すことで奴隷送りができないように歯止めをかけること。
 それが有効かは状況を見て判断する。
 既に先ほどの准司教との会話でも幾つかの気になるキーワードは手に入れた。

 二人が今訪れているのはクゼの街にある小さな教会。
 この教会を仕切っているのが誰かは知らないが、司教に会わせるということは次はその上司との対面となる。
 そこでもある程度の情報を手に出来れば、今のところは目立たないように逃亡を図りたいところでもある。

 可能性の一つとして、別の街や都市に移るケースをサエコさんには伝えてある。
 今回、カズキが想定したケーススタディは三つ。

 一つは教会組織の内部に入り込み、庇護を受けながら様々な情報を得るという理想的な流れ。
 この時には、この世界に持ち込んだ荷物を一時的にこの街に隠しておくこともやむなしと判断。
 教会が国と結託しておらず、更なる情報収集のため別の場所に移動するケースである。

 もう一つが、この教会が単独で悪事に加担している場合。
 それを確認するのは容易ではないが、状況次第で悪事を露呈させることも考える。
 もちろん、国や教会全体がそれに加担していないというケースである。

 最後が最悪。
 国と教会が結託して奴隷狩りを行っているケース。
 残念ながら、現時点で国や教会を全面的に敵に回すのは得策ではない。
 娘をどうするかは状況次第だが、目立たない形で逃げるが勝ちを実行しなければならない。

 なお、サエコさんに正義の味方を提案したのは、間違いなくそれを選択するだろうという目論見と共に、3人が同じ危機に面するのを防ぐ意味もあった。
 ただ、街の方からの情報が既に正確に教会に伝わっているとすれば、カズキとユリアナ以外のもう一人の存在は既に知られていると考えておいた方が良い。

 ちなみに、カズキの予想は最悪に近いところ。
 教会全体がどうかはわからないが、少なくともこの国の教会は黒ではないかと心づもりして今回の計画に臨んでいる。
 カズキの経験からくる信念からすれば、ユリアナのように盲目的に社会を信じると損をすると考えていた。

「こちらです。」
 ユリアナが先でカズキが後に従う形。娘はカズキが抱いている。
 指し示されたのは、木製の重厚な扉。
 おそらくは、この教会の長のための部屋であろう。
 ユリアナが扉を開き中に入り、カズキがその後に続く。
 准司教は部屋の中には入ってこないようだ。

「お久しぶりです。ユリアナさま」

 60歳くらいであろうか。
 温厚そうな男性は、にこやかに慈愛の笑みを浮かべながらユリアナに挨拶をした。

「えっ!? まさか、シュラウス神官長?」

 ユリアナが驚いたような声を上げる。

「そのとおりシュラウスです。今は、この教会で司教を務めさせていただいております。本当にお懐かしゅうございます」

 ユリアナの手にそっと触れて、念話を試みようとしたがつながらない。
 理由として考えられるケースは二つ。
 一つは、あまりに意外な人物との再開に動揺している場合。
 もう一つは、魔法を使うのがはばかられる場合である。

「神官長のあなたが、なぜこんな辺境の司教に」
「猊下のお導きによるものです。それにしてもユリアナさま。あの激しい戦闘の中、ご無事でいらっしゃったのは神のご加護のおかげでしょう。王女殿下のご信仰の賜物ですな」
「シュラウス神官長。貴殿こそ、激しい戦闘を無事乗り越えられたこと。そして再会できたことを、妾も嬉しく思うぞ」
「今は一介の司教でございます。ただ、暖かいお言葉を頂き望外の喜びでございます。ただ、陛下とお妃さまは痛ましいことで、心中お察し申し上げます」

「気にせずともよい。それより、バッテンベルクの地は今どうなっておるか知っているか?」
「はい。存じ上げております。ユリアナさまと同様に行方不明であったレオパルド殿下が少し前ですがお戻りになられ、後を引き継ぎ既にご即位されています」
「なんと。レオパルドも無事であったか!」

 レオパルドの無事を聞き、ユリアナの頬を涙が伝った。

「国の復興にはシウバ様が付き添い、摂政として尽力されていると伺っております」
「カルレイオスが。そうか、、、そうであったか」

 ユリアナは司教の話に感動したように大きく頷いている。
 カズキとしても一時期一緒に暮らしていたレオパルドが無事であったということは、決していやなニュースではない。

「ユリアナさま。国にお戻りになられますよね。私の方で手配させていただこうかと思います」
 カズキの体に緊張感が走った。
 これは想定していたシナリオになかった事態である。
 その上で、カズキから見ればあまりに出来過ぎた筋書き。
 先ほど揉めていた奴隷狩りについての話は未だ全く出ていない。

「あっ。いや、先ほどの准司教にも伝えた通り、妾はこの魔術師に助けられたのじゃ。妾のみが、、、」
 ユリアナの言葉を遮るようにシュラウス司教は、優しい笑みを浮かべながら大きく手を広げ、任せなさいとばかりに胸を打ちながら話す。

「心配はございません。私の方で全ては上手く行くように手配させましょう。ユリアナさまはご心配なく、祖国へお戻りください」
「じゃが。この者を置いてはいけぬ。それに、この娘じゃが」
「おお、何やら街の住人達の争いに巻き込まれようとした娘を、お助けになられたのですね。素晴らしい行いです。そちらの方もご心配なさらずとも、私の方で万事うまく取り計らいましょう」

 ユリアナが念話を使わなかったのは、この司教が魔法を使えるからだろう。
 そしてそんな人物がこの教会にいたということは、カズキが街の中で用いた魔法の痕跡にも気付いた可能性があるということ。

 次の言葉を紡ぎだせないユリアナに対して、シュラウスは畳みかけるように話しかける。

「とりあえず、この街にはユリアナさまをお迎えできるような場所はございません。今からすぐにでも私どもと一緒に、首都クラワミスまで参りましょう」

 カズキが思っていた以上に巧みに交渉していたユリアナではあったが、この想定外の展開には対応できないようだ。
 辛うじて返せたのはこれだけ。

「首都まではどの程度の行程じゃ?」
「なに、馬車を使えば1日ほどでございます」

 シュラウス司教は準備のためと言いながら、連れて来た娘を引き取り応接室のような場所に二人を待たせていた。
 動揺したユリアナでは、奴隷狩りの問題や少女の扱いについて、それ以上突っ込んだ話ができなかった。
 娘を易々と手渡したくはなかったが、ここで教会とトラブルを起こすわけにはいかない。
 教会が黒でなければ、両親のもとに戻されるであろう。

『すまぬ、カズキ。予想外の話に戸惑ってしまった』
『いや、ユリアナは十分よくやった。それにあの司教が話したことが本当であれば、レオパルド殿下も無事であったということだし、国も復興に向けて進んでいるということだろ。それは悪い話じゃない』
『うむ。ただ、このままでは妾は直ぐに国に戻らなければならぬことに』

『予想外はいつでもあること。しかしいろいろと疑問もある。なぜ、司教は奴隷狩りのことを住民の争いと言ったのか。俺のことを問い詰めたり詮索することもなく、引き受けると決めたのか』
『そこは、今となっては妾も気にかかるところじゃ。娘の件にしてカズキの扱いにしてもあまりに答えが軽すぎる』
『俺の直感から言えばかなり胡散臭いな。シュラウス司教だっけ。以前は神官長と言うきっとかなり高い地位だったんだろ?』
『そうじゃ。そして妾の国での争いでも戦闘指揮官でもあった』

『軍で言えば将軍の地位か。それがこんな辺境の教会の司教。よほどのことが無ければ、こんな配置は考えられないよな』
『妾は教会の内情にそこまで詳しくない。ただ、それでも位階で考えれば明らかに降格と言えるじゃろう』
『そうだ。できれば今から俺に対して治癒の魔法を掛けてくれないか』
『なぜ? 筋肉痛までは治癒の魔法では消せないぞ』
『構わない。それに紛れて俺が探索魔法で状況を探る』
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