メメント・モリ

キジバト

文字の大きさ
上 下
2 / 3

2話 記録管理課

しおりを挟む

 回収部・記録管理課。この課があるのは地下二階の人気のない奥まったところだ。ちなみに地下一階には発行部の記録管理課がある。大量の記録を収納するために地下はやたらと広い空間になっており、担当者が稀に行方不明になることもある。
 高岡は収納庫で回収記録を整理していた。
 パラパラとページを捲るとその項には「再回収済」と大きな判が押されている。彼女は先日の再回収の件を思い出し、息を吐いた。 
 あの後帰るなり喜田から大変怒鳴られた。再回収方法は座学研修の際に教えたはずだと、予習復習をしておけと、だからちんちくりんなんだと、最後あたりは散々な言われようだった。捕まえる云々は聞いていたが、虫取り用の網で、とは聞いていない。
 しかしそんなことを言い返したら喜田はさらに怒鳴るだろう。
 なぜ私の教育係があんな強面で短気な管理者なのか、もっと優しくて穏やかな管理者がいたはずだ。
 高岡はまた息を吐く。
「どうしたの?高岡さん」
 後ろから声がして振り向くと、大量の記録書を抱えながらやさしく微笑む男が立っていた。
国吉クニヨシさん!」
「何回もため息ついてたけど、大丈夫?つかれてる?」
「いえいえ!そんな!大丈夫!元気です!」
「そう?ならいいんだけど」
 国吉は喜田と正反対の管理者だ。穏やかな性格で、注意することはあっても怒ることは決してない。いつもにこやかで、甘い整った顔立ちをしている男だ。高岡はこの男・国吉に非常に懐いていた。記録管理課のなかで唯一まともなやさしい管理者が彼くらいだからだ。
「あ、また喜田に怒られたりとかした?」
 国吉は記録書を足元に置いて、棚の中に適当に突っ込まれたのだろう記録書を日付順に並び直し始めた。
「そんなところです·····」
「喜田は基本的にああいう態度だから、慣れるしかないよね」
 ふふ、と笑いながら国吉は作業をする。高岡も慌てて作業を再開した。
「国吉さんは慣れたんですか?」
「そりゃあねえ。何年も一緒にいるし。無愛想なだけでやさしいから、喜田は」
「やさしいですかあ?あの人」
「じゃなきゃ教育係担当してないよ」
「国吉さんの方が教育係向いてます」
 そう断言する高岡に、国吉は困ったように眉を八の字にさせた。
「僕には、務まらないよ」
「ご謙遜を~」
「謙遜とかじゃなく、僕には向いてない。喜田みたいにうまくやれない」
 思いつめたような表情の国吉に、高岡はまずいことを言ってしまったのではないか、と違う話題を探した。
「あっ、そう、そうなんです、聞いてください。喜田さん、私が回収対象のカモにされてるってわかってて何も教えてくれなかったんですよ。どう思います?」
「ははは、そうかあ。でも助けてくれたんじゃない?」
「助けて·····?」
 思い返してみると彼は、高岡がやってきたときに回収対象の動きを感じ取り、彼女に連絡を入れたようにも思える。
「ほら、思い当たるところあるでしょ?やさしいんだよ、喜田は。きっと高岡さんが慣れてないのを見越して色々してたんじゃないかな」
「国吉さんがそう言うなら、そういうことにします·····」
「うん」
 国吉は満足そうに頷いた。
 記録書の整理を終え、高岡は記録管理課に戻った。記録管理課のフロアは大量の資料が詰め込まれた本棚が壁に連なり、中央にデスクがいくつか集まった構造だ。定期的に掃除をしてはいるが、如何せん地下にある記録管理課のフロアは発行部、回収部共に古い。廊下はタイルが剥げている箇所がそこかしこにあるし、壁もヒビだらけだ。
 上になんとかしてほしいと言ったことはあるらしいが、そのまま音沙汰はないという。現場担当のフロアは近代的なオフィスのような空間だというのに、この格差は何か。
 私もきれいなオフィスで仕事をしたい。
 高岡は自分のデスクの上に置かれた山積みの記録書を見て頭を抱えた。喜田が今日は現場に行くからと高岡には大量の記録書整理を言いつけてフロアを出ていったのは二時間前のことだ。他の管理者も出払っているようで、残っているのは高岡と佐伯サエキだった。
 佐伯は高岡と同じ記録管理課の管理者で、二十代後半ほどの落ち着いた雰囲気を持った女だ。実は現場担当の管理者たちから白い目で見られることの多い記録管理課。そのなかでも彼女と国吉だけはその整った顔立ちから、一目を置かれている数少ない存在だ。
 背が高く、手脚も長い。顔も小さく、いわゆるモデル体型というやつだ。パンツスーツを着こなし、さらにそのスタイルの良さが際立つ。ふわふわとした色素の薄い長い髪も彼女によく似合っていて、それにより色気が増しているようにも見える。
 私も佐伯さんみたいな美人だったらなあ。
 高岡は喜田からちんちくりんと言われたことを根に持っていた。
「何か」
 高岡があまりにも凝視していたためか、佐伯が用があるのかと問うてきた。しかし佐伯は高岡に目もくれず、作業をしたままだが。
「あっ、いえ、なんでも、なんでもないです」
 久しぶりに佐伯さんの声聞いちゃった···。
 高岡は佐伯とたった二言の会話ができただけでも嬉しかったのだった。

「·····ということがあったんですよお」
「そんな報告はいらねえよ」
 外から帰ってきた喜田に、高岡は締りのない顔で業務報告をしていた。
「喜田さん、佐伯さんとお話できます?」
「普通だろ」
「えぇ、ほんとですか?」
「お前って意外と失礼だよな」
 喜田は鞄からクリアファイルを取り出し、デスクの上にそのクリアファイルの中身を広げた。未回収の記録書のようで、回収済の赤い判の上から再回収の大きな黒い判が改めて押されていた。
 十枚以上はあるその記録書を眺め、高岡はまたあの虫取り用の網でやったんだろうかと横目で喜田を見た。
「あれ?」
 記録書を眺めていると、一枚だけ再回収の判の押されていないものがあった。高岡がそれを手に取ると、喜田は眉を顰めて舌打ちをした。
「喜田さん、再回収しなかったんですか?」
 高岡がそう言い終わる前に、喜田は彼女の手にある記録書を乱暴に取り上げた。
「これは·····ちんちくりんにはまだ早い」
「喜田さん!また!ちんちくりんって!」
 二人の会話を聞いていた(というよりはフロアに響いていたため否応なく耳に入ってくるのだが)国吉は、キャスター付きのオフィスチェアに座ったまま佐伯のデスクに近づいた。
「喜田と高岡さんってなかよしさんだよね」
「そうね」
「高岡さん、喜田みたいなのじゃなくて、やさしい教育係がいいって」
「充分やさしいじゃない、彼」
「ねー、佐伯もそう思うよねえ」
 喜田と高岡の声はまだフロアに響いている。

しおりを挟む

処理中です...