学生の俺

アズ

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家族の本当の絆

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 ある事実が新たに判明した。元担任は自分達の教室に監視カメラやわ設置していた。つまり、先生のいない間も先生に見張られていたのだ。それを知った俺達の先生に対する感情に疑心暗鬼が生まれた。
 とは言え、体罰を行っていた先生はあの後学校からいなくなり、学校には残り半年のところで平和を取り戻した。
 学校の思い出としてはトラウマに近いし、学校は洗脳に近いものがあると感じた。どんな教育をするかにもよるが、それによっていかようにも影響を与えてしまう可能性があるということだ。
 俺は最後のバイト帰りに、園児と先生の一団に遭遇した。まるでカルガモ親子のように見え微笑ましく、あの苦い記憶を一瞬吹き飛ばしてくれたが、話しは実はこれで終わりというわけにはいかなかった。
 学校という支配から本当に卒業出来たのは卒業式まで時間がかかったということだ。
 例えば、体育の時間に下着着用が禁止されたこと。衛生上の問題という理由だが、それ以外にも不可解な校則が他にも実在し、それを支配したことは事実だった。
 なんだかそれだけを聞いていると、学校っていうのは悪いところに聞こえてくるかもしれない。実際、悪いところだ。でも、悪いことばかりでもない。それは、どちらにも受け取れるからだ。
 イジメを受けた子にとっては悪いところだろうし、それを無理して不登校という状況だけを切り取って問題視していかに学校に行かせるかを考える大人はダメだ。
 一方で学校には良い思い出がある子にとっては学校が悪いところとはならないだろう。
 問題は少なからず存在し、それをコツコツ時間がかかりながらも良い方向へと変わっていくしかない。それに、問題は児童から見たもの以外にも教師の過重労働や教育の問題がある。それは社会の問題でもあると言える。
 例えば教育格差があげられるだろう。それだけでなく、母子家庭や共働き夫婦にとって、子どもを見る時間はどうしても取りにくい。早く自分の子どもが自立することを望んでいる一方で子どもの成長をゆっくり見れないことを惜しまないわけではない。しかし、そのゆとりがないのが現実でもある。
 特に貧しい家庭はよりそうだ。母子家庭でろくに教育費を払わない無責任な男どもがいる限り、そのシワ寄せはその一家にふりかかる。
 そういう男はろくでもない奴だ。そして、だいたいそいつは子どもの頃からろくでもなかったりする。つまり、成長がない。
 あのクラスにもそのろくでもない、というよりくだらない男子はいた。



 前回、学校の体操着は股下が凄く短いという話しをしたが、男子達の中にはわざわざその隙間からお互いのパンツを見せ合ってはクスクス笑っているくだらない男子達がいた。俺はその中には入らないかったが、そいつらはマット運動で開脚前転する時にたまたま隙間から見えるとクスクス笑ってからかっていた。でも、そいつらが頭も悪いかといったらそうではなかったりするので腹が立つ。頭が悪ければ、そいつらがそれで面白がるのも仕方がないと思えるのに。
 結局、人間は偏差値や学力で測るもんじゃないと思う。
 ただ、そういったおふざけに抗体がない子は弱くやられやすい。実際、青木という男子はそれで悩んでしまった。
 新しい担任はそれに気づけて男子達を注意したが、授業後にその担任の荻先生は俺に転校前に使用していたズボンを彼に貸してやって欲しいと言ってきた。
 俺は断れず青木に前の学校の体操着ズボンを貸した。サイズは合っており、彼はそれ以降それを履いて授業を受けることになった。でも、それは本当なら俺が履いている筈なんだが。
 まぁ、そんな文章にするにもくだらないことがあってその後、事件は起こった。



 青木がいなくなった。



 群雲のかかった空の下では、大人達が青木を探し回っていた。青木は学校が終わった後も帰宅することはなかった。青木の家は母とお婆ちゃんの三人暮らしで、青木は典型的なお婆ちゃん子だった。母はというと仕事で毎晩遅くに帰り、ほとんどはお婆ちゃんと過ごしていた。だが、そのお婆ちゃんはアルツハイマーの重度と認定され、最初は青木が母のいない間はお婆ちゃんの介護をするようになっていた。いわゆるヤングケアラーだ。とは言え、ADL(食事、排泄、入浴、着衣着脱、歩行は自立)であり、施設入所を希望しても優先順位は低い。最近は老介護の問題もあり、そちらが優先的である。青木のお婆ちゃんのアルツハイマーは進行しており、自分で帰宅は難しく、夜中に突然起き出しては外に出ようとする行為が見られていた。それでも、青木は学校の皆はおろか教師に相談することはなかった。青木の家庭状況を知ったのは、青木が行方不明になってからだった。
 学校の先生も全ての児童の家庭状況を把握出来るわけではない。そういったプライベートの中にまでそもそも担任だからと踏み込んで良いのかという問題もある。どこまでなら教師は踏み込めて良いのか? いや、それ以前に教師にそこまでの時間的余裕はなかっただろう。特に教師のトラブルで急遽担任が変わった先生にとっては尚更だ。
 青木の性格の優しさはお婆ちゃん子からくるものだろうが、一方で弱さもある。かといって、イジられたことはあっても行方不明になるようなイジメが当日あったわけではない。普通に登校し授業を受け、放課後の時間まで教室でトラブルはなかった。
 母親の方は、自分が仕事を終えて帰るまでのことは基本的に子どもに任せていた。特にお婆ちゃん子である青木がほっぽり出してどっか寄り道するような無責任な子ではなかったから、親は事故の可能性を凄く心配した。
 警察は直ぐに捜索にあたり、町内の放送が入り、辺鄙な田舎に青木の情報が響き渡る。
 青木の家の周辺は田んぼばかりだった(それは数年後には埋め立てられアパートやスーパーが建つことになる)
 クラスメイトも青木の捜索に参加し、近くの公園を見て回った(数年後には遊具が撤去され、公園を無くすかどうかで市と住民で意見の対立が起こることになる)
 しかし、青木の姿は見当たらなかった。
 懐中電灯が必要な時間帯になると、子ども達は家に帰るように言って、大人達だけで捜索を続行した。子ども達は各々の自宅で青木が見つかった連絡を待った。
 俺は壁掛けの時計の針を見た。テレビもニュース番組にし、青木が行きそうな場所を考えた。だが、皆は青木のことをあまり知らなかった。青木は家でお婆ちゃんと一緒にいたから、友達と遊ぶことも少なかった。
 青木が好きそうなものと言えば、彼は教室の窓から新幹線をよく眺めていた。青木は電車や新幹線にやたら詳しかった。だが、新幹線の駅は徒歩で行くには遠すぎるし、電車の駅なら駅員が少なくともいる。子どもが一人この時間にいたら声がかかるだろう。特に家に帰ってないとなれば、ランドセルも背負ったままだ。ランドセルの中には教科書やノートが入っており、それを背負ったまま遠くへ徒歩で行ったとは考えにくい。



 夜の8時。大人達は青木家の前で集合した。
「見つかりませんね……」と大人達が困った顔をする横で青木の母親は焦っていた。早く見つかって欲しいのに、何故こんなに探しても見つからないのか。
 そこへ、玄関の扉が開き青木のお婆ちゃんが中から出てきた。
「お婆ちゃん、中にいて待ってて」
 母親はお婆ちゃんに家に戻るよう言った。その口調には苛立ちが感じられた。空気を読んでよって感じに。
 だが、お婆ちゃんは母の手を振り払って睨んだ。
 アルツハイマーのお婆ちゃんは母のことを忘れてしまったのか、それは他人を見るような目だった。
「お願いだから言うことを聞いて」
 だが、お婆ちゃんは怒りながら「ほっといて」と言って歩き出してしまった。
「どこ行くの」と母も怒り気味に言ったが、それを無視してどんどん歩いていく。
 周りも徘徊だろうかと思った。こんな時にと母親に同情した。
 だが、お婆ちゃんをどんなに引っ張ろうとしても頑固に戻ろうとはしなかった。こうなるとこちらは付き合うしかない。気分が落ち着いた時に声をかけなければ、余計不穏になるからだ。
 全員が仕方なしにお婆ちゃんのあとをついていく。
 だが、そこで知ることになる。徘徊に見えた行動は徘徊ではなかったことに。
 お婆ちゃんが向かった先は神社の階段で、その階段を登っていった。
「本当にどこへ行くの」
 皆が呆れながら同行すると、階段を登りきった先のベンチに青木が明かりもないところに座っていた。
「ここから見える夜景がね、綺麗なのよ」
 そこから見える景色は隣町の明かりだった。
「お母さん?」
 青木はベンチから立ち上がった。母親は自分の子どもの無事が分かると走り抱きつき、背中を擦りながら泣いた。
「どうしていなくなったの」
「ごめんなさい」



 後で分かった話し、青木はお婆ちゃんとここへ何度か来たことがあったとのこと。お婆ちゃんの行動は偶然彼を見つけることが出来た。だが、それは単なる奇跡ではない。お婆ちゃんと青木との絆が二人を引き合わせたのかもしれない。アルツハイマーという病気に負けない絆が確かにあったのだろう。
 あれからは母親も青木に任せっきりにせず、ちゃんと話すようになったらしい。
 俺は何で青木が家に帰らなかったのか知らないし、皆も大人達からは知らされていない。でも、親と子どもの絆に俺達が知る必要もないのかもしれない。
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