カナリア

春廼舎 明

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◇圭介18

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 年末に向け慌ただしくなってきた頃、細々した仕事が発生した。番組内のキャッチやCMソング、ゲーム音楽。陵伽と組んでから明るめの軽い曲の依頼が増えたのは、陵伽の歌声をイメージして作るからだろうか。一体いつまで、バラバラで仕事をするんだろう。番組内音楽の依頼が来た時に陵伽のハミングの曲をこっそりと入れておいた。
 いい曲を書くだけじゃ売れない。うまい歌手が歌うだけじゃ売れない。

 陵伽の希望に沿って、クリスマスイベントに参加した。インディーズからメジャーと多数参加する長丁場のイベントだ。俺たちの出番は中間のアコースティック系のバンド、シンガーが固まった時間帯。
 リハが終わりオープニングアクトの軽めのロックバンドが演奏を始めていた。出番までだいぶ時間がある。

「陵伽、飯食いに行く?」
「んー、微妙な時間帯ですね。少しだけ食べたいです。」
「車出す?」
「歩きで行けるところでいいんじゃないですか?」
「わかった。物販に声かけてくる。」
「はい」

 外に出れば、クリスマスの浮かれた雰囲気で街が騒がしい。おしゃれなカフェは浮かれた奴らで満席で、適当にファミレスと思ったが若い学生カップルがギャーギャー騒ぎながら出てくるのを見てやめる。結局駅まで歩き、カフェに入る。あまり食えないけど、がっつり食べるわけじゃないから別にいい。
 禁煙席に迷わず選べば陵伽が首をかしげる。

「圭介さん、禁煙してるんですか?」
「いや、禁煙してるつもりはなかったけど、吸いたいと思うことがなくなっただけ。」
「本当ですか?吸いたければ無理しないで、吸って構いませんよ。」
「ああ、ありがとう。でもせっかくだからこのまま禁煙してみるのもいいかな。」
「そうですか。それがストレスにならないなら、いいと思います。」

 時間になり、セッティングが完了しステージに上がる。ステージ裏はごちゃごちゃしてるしケーブルは邪魔だし、薄暗いし狭い。なので陵伽の手を引く。オープンマイクイベントでも、アコースティックライブでも手を取る。上手からステージに上がるから、客席側からは陵伽の杖がよく見え、客は手を引いている理由に気づいてくれる。慣れた箱では慣れているが、初めての箱、スタッフや知らない共演者がいると陵伽の脚に気づかずニヤニヤされる。陵伽がそれに怯える。ぎゅっと手を握ってやりステージに上がり、マイクの前に連れて行く。
 陵伽が短い挨拶をし、俺がピアノを弾き始めると静かに歌い始める。

 出番が終わり、機材を撤収。陵伽を物販に立たせ、機材を車に積みに行く。戻って来れば、数名の客と話している。

「圭介さん!」
「どうした?」
「意外と売れました!」

 満面の笑みを浮かべる陵伽に、スタッフと一緒に失笑する。

「意外とじゃなくてしっかり売らねえとだろ」
「でも嬉しいです!」
「わかったから、その笑顔は買ってくれた客に向けろ。」
「はい!ふふふ」

 終了後、スタッフ含め事務所に帰還する。車内で売り上げの報告を聞く。用意していたCDはほぼはけた。持って行った枚数、そんな多くなかったけど。

 カウントダウンイベントは、社長の主催で、さすがに一世を風靡したアーティスト、大きめの箱でワンマンが出来る集客力だ。仲の良いアーティスト、目をかけている若手の数組でイベントを企画していた。
 小さな箱のブッキングライブと違い、ちゃんと楽屋があった。年内になんとか納品を終え徹夜続きだった俺は、オープニングアクトで出番を終えると脱力し楽屋でうとうとした。



 クリスマスイベントの後、圭介さんの部屋に泊まりはしたけど、翌朝から圭介さんは詰まっていた仕事を片付けるため自宅スタジオにこもりっきりになった。およそ、クリスマスの朝を迎えるカップルのような甘い雰囲気ではなかった。少し私は不満に思った。じゃあ、もし、私がクリスマスは一緒にラブラブに過ごしたいって言ったらどうしてたの?
 でも仕方がない。私の歌が売れないんじゃ、圭介さんが作曲家、マニピュレーターとして稼ぐしかない。やっぱり私はおんぶに抱っこで、圭介さんには何もしてあげられない子供で寂しくなった。
 いつまでもスネていても仕方がないので、子供の頃はよく参加していた教会のクリスマス集会に参加した。しかし、世の中はクリスマスは24日だと勘違いしているようで、クリスマス当日25日は街は燃え尽きた感が溢れ疲れて寂れた感じがしていて私の心はもやもやした。
 年内最終のレッスンとトレーニングを終え、一日空いてやっと圭介さんに会えたのは大晦日のイベント当日だった。クリスマスの抗議をしようと思ったのに、疲れた様子の圭介さんを見て私は心配になった。

「圭介さん疲れてる?」
「んー、まあ」
「横になれる場所借りましょうか?」
「いや、そしたら起きられなくなるから、ここで良い。」

 そっとパイプ椅子を持ってきて並べる。

「圭介さん、横になって良いですよ。」

 圭介さんは並んだパイプ椅子を面倒臭そうに見た後、私の方へ体を倒した。音を立てないよう鞄からカイロを取り出しタオルに包んで圭介さんの目の上に乗せると、手を取られた。
 最近分かってきたこと、圭介さんは疲れていると、こういうちょっとしたスキンシップを取りたがる。いつも甘やかされるばかりの私だけど、お正月は圭介さんを甘やかそうと決心した。

「膝枕します?」
「良いね、それ。ついでになんか歌って」

 ストンと私の膝に頭を乗せる。柔らかな前髪を撫でる。いつもの逆で、ちょっと私は嬉しくなって、いたずらを思いつき、歌った。

Nessun dorma…
Nessun dorma…

「拷問か!これ前にもあっただろ」
「じゃあ、どんな曲がいい?子守唄?」
「ふわふわした感じの、静かな感じの」

……
it's a beautiful night
And we call it bella notte
…………
……

 2時間ほど経ったころ、コンコン!とノックがしたと思ったら数秒後ドアがパッと開いた。入ってきたイベントスタッフさんは、私達を見てバツが悪そうに用件も言わずに出て行ってしまった。

 私がポカンとしてると、圭介さんがもぞもぞ起き出した。

「今…ノックが聞こえた気がしたけど?」
「はい。スタッフさんでしたが、ドアを開けた瞬間出ていかれました。」
「なんだそれ…」
「もういいんですか?」
「だいぶすっきりした。」

 少し眠そうなまま、顔を近づけキスを交わす。もうちょっとしよう、というところでノックが2度鳴る。

「……タイミング悪いな」
「外からは見えませんから」

 また軽く唇を触れさせた後、いかにも不機嫌な仏頂面で圭介さんが椅子に座り直し、ため息を吐いた。まだ眠そう。
 またノックが2度鳴る。圭介さんと目を見合わせた。

「…入ってまーす」
「ぷ、圭介さんってば」

 ドアを開けに行き、スタッフさんを入れると圭介さんが、仏頂面のまま指摘をする。

「ここはトイレじゃねえ」
「はい?」
「ノックは4回ってビジネスマナー、常識知らねえの?」
「え?」
「2回はトイレの個室の在室確認だ」
「え!そうなんすか?」
「えと、面接の練習とかで教わりませんでした?だから後もう2回鳴るの待ってたんですが…」
「4回も鳴らしたらうるさくないですか?」
「『ドン、ドン、ドン、ドン』ってうるさく鳴らすからうるさいんじゃないですか?『トントン、トントン』か『トトトトン』って軽く鳴らせば良いんですよ。」
「知らなかったんなら良い勉強したな。で、用件は?」

 圭介さんが起きたので、ホールに出る。間も無く社長の出番で、他の出演者やラウンジのバーにいた人たちも、ぞろぞろとホールに集まってきた。やはり、往年のとはいえ一時代を築いたアーティスト、会場の客は全て彼の客だったのではと思うほどホールはぎっしりになった。
 バックコーラスは別録りだったので彼の歌を生で初めて聴く。きっと、これは例えではなく、1ステージで5Kgは体重落ちるだろうと思った、そんな歌だった。私は1曲終わる頃にはすっかり世界に入り込み、それは会場全体がそうで、バラードになると鼻の奥がツンとして、気がつけばボロボロ涙をこぼしていた。会場中で鼻をすする音が聞こえていた。ロックのライブのはずで、今も演奏は爆音で流れているのに、シンと静まり返っていた。ああ、魂削って歌うってこう言うことなんだ、とこれ以上ないくらいよくわかった。まざまざと見せつけられた。



 社長のライブを見て、陵伽がまたびーびーと泣いていた。英詞がわかるやつ、曲の背景を知っているやつは大抵涙していた。それが終わると、DJが曲を流し、未成年、オールのチケットを買っていない客を追い出しにかかる。
 カウントダウンも終わり、出演者も酔っ払い始めた頃、いつの間に飲んでいたのか、陵伽も酔っ払いフルボイスで第九を歌い出す。うるせーと、どやされ家路を歌う。もう年明けたぞとつっこまれれば、ラジオ体操の、新しい朝が来たとか歌い出す。明けたのは年で、まだ夜だ!とツッコミが入る。酔っ払った時の陵伽の歌のレパートリーと思考回路はよく分からない、面白い。
 ひとしきり歌って気の済んだらしい陵伽が俺に寄りかかり、満足げにくふふーとか笑ってる。眠気も混じってとろんとした表情をしている。この状態の彼女を人目に晒したくなくて、楽屋に引っ張り込んだ。

 明け方撤収作業を終え、帰宅するともう限界。陵伽を押し倒して、そのまま何もできず二人で泥のように眠った。
 目が覚めれば『お正月は圭介さんを甘やかします!』と高らかに宣言した陵伽をたっぷり甘やかした。

「圭介さんのばか」
「なんだよ、不満か?」
「これじゃ初詣行けません」
「三が日過ぎてからの方が空いてるぞ」
「そんな混んでるところ行こうとしたんですか?」
「都心のど真ん中、芸事の神様と境内にある末社の御稲荷さん。」
「どういうご利益です?」
「こういうこと」

 彼女に覆いかぶさり、口付け、まだ余韻の残る蕩けたままのそこへ潜り込んだ。

「…ぁ…」

 陵伽の甘い声が漏れる。衣擦れの音、ベッドの軋む音、滴る水音、思わず漏れる吐息。次第に激しさが増し、部屋に熱気がこもる。

 神頼みは必要なさそうだ。

 愛する人とただ愛し合う。随分色っぽい元旦だ。長い人生、一度くらいこんな元旦があったっていいじゃないか。
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