カナリア

春廼舎 明

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終幕

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始まらない終わり

 気がつけば、アルバム、音楽配信ストアからのダウンロードがコンスタントに続いてそれなりの件数になっていた。以前コウタさんと事務所のスタッフがアップした動画が、びっくりする再生回数になっている。

「え?なんで?」
「どうした?」
「圭介さん、これ、知ってました?」

 動画配信サイトのページの再生回数を指差す。

「ああ、それ。いつだったか、まとめサイトでリンク貼られて、なんか検索にヒットするようになったらしいよ。」
「え!何それ?」
「あと、美咲さんの店、雑誌に載った。んで、コウタがアップした動画もHPに載せてたし。」
「……そうですか」
「それから、陵伽がちょくちょく共演者とか晶さんのSNSやブログにチラチラ映るから、それもあるんじゃね?」

 なんだか、他力本願みたいでしっくりこないが、ありがたいことには変わらない。

「陵伽がさ、地方で歌うだろ?」
「はい」
「で、ついでにローカルのイベント出てくるときに、CDと一緒にカセット置いてんだよ。ダウンロードコードつけてさ。」
「カセット?カセットテープですか?」
「そう。テレビ見る世代ってさ、ダウンロードとかCDとかより、カセットテープの方が使い勝手がいいっていう人多いんだよ。」
「確かに、会場にいらっしゃる方はご年配が多いですね。」
「あと、最近大手レコードショップでもカセットテープの取り扱いも増えてんだ。」
「そうなんですか?カセットは意識してなかったので知りませんでした。今度チェックしてみます。」
「で、物販でDLダウンロードって難しい?カセットテープもありますよ?っていうと、ばあちゃんとか喜んで買っていってくれるぜ。」

 このマダムキラーが!と思ったけど、黙っておくことにした。

「お試しで聞いてみて、お金出してでも聴きたいって思ってくれたってことだろ?自信持てよ。」

 圭介さんの言葉に感動した。しばらくして、朝の番組のテーマ曲に私の歌の入った曲が1クールだけだけど、使われるようになった。
 アコースティックライブに誘われることが増え、ノルマがかからなくなった。
 少しずつ前進している。間違いなく、前進している。
 以前はライブハウスのオーディションに落ちることもあった。圭介さんの曲はインストゥルメンタルじゃなくなった。私の歌が乗っている。単発でもコンスタントに音楽番組に出るようになった。最近は私1人でなく、ユニットとしてちゃんと圭介さんも喚ばれている。
 夏の大型フェスに出演が決まったりなんかしないけど、持ち歌2曲でドームクラスの会場でワンマンライブなんか出来るわけないけど、チケット即完売とかするわけないけど、前進している。


 梅雨頃に、陵伽は単発で受けた子供向け番組の歌唱を引き受けた。それを皮切りに童謡やら音楽の教科書に載っているような唱歌やら歌う機会が増えた。試しに1枚アルバムを出したところ、じわりじわりと広がる。保育所やケアホームやらに需要があるらしく思ったより売れている。のは嬉しい。でも、なんか、思っていたのと違う。陵伽に話せば、正しく音楽を理解してくれて、そんな人たちが聴いてくれて嬉しいとのこと。陵伽がいいならいいか。

「ゆっくりやすみましょうねって歌った子守唄が、保育園のおちびちゃんたちが気持ちよく眠りについてくれて、保育士さんたちが気に入ってかけてくれるなら、これ以上正しい音楽の理解はないと思うよ?」
「まあ、そうだけど。大きなライブイベントとか、フェスとか憧れないの?」
「そういうところで盛り上がりそうな曲、ありましたっけ?」
「……」

 テーマ曲となっていた番組が1クール終わる頃、同一局の別の番組内の楽曲の依頼を受けた。スロー、ミドルテンポの曲と一緒に、思いっきりアップテンポの曲をイチオシとしてみた。スローテンポの曲とアップテンポの曲が採用され、こっそりガッツポーズをする。



 圭介さんと知り合ってそろそろ2年になる。音楽史という催眠術と戦い、乙女ゲームの頭の中お花畑な人達にうんざりしていたあの時から、今こうしていると、どうして考えられようか。今日は晶さんと音楽雑誌の対談形式の取材を3人で受けた。雑誌の取材とかインタビューとか初めてで、私はご機嫌で文字通り、高いところに登った。

 高層ビルの展望台から外の夜景を見渡す。あのお店はあのあたりだろうか、あのオフィスビルこんな時間まで仕事している人がいるのか、つばさも残業とかするんだろうか、大変だなと想像する。あのあたりは光もなく真っ暗だから公園かな、と眺めていると後ろから圭介さんが覆いかぶさるように私を閉じ込めるように手すりに両手をついた。
 鏡のようにこちらが映るガラス越しに圭介さんを見ると、楽しそうに笑みを浮かべガラス越しに目を合わせた。圭介さんも今日は少しアルコールが入りご機嫌らしい。圭介さんのことを無愛想で冷たい奴だ、だなんて言ったのは誰だろう?こんなに楽しそうによく笑う優しい人は私は知らない。私の手に重ねられていた大きな手は、手すりから私の手を引き剥がし、長い指を絡めてきた。

「陵伽」

 耳元にキスするように口元を近づけ、低く甘い声で名を呼ばれた。ドクンと鼓動が響き、途端に蘇る感覚。強制的に、自動的にスイッチが入ってしまう。そういう風に圭介さんに教え込まれた。たっぷりと仕込まれた。切ない感覚に耐えながら私がガラス越しに圭介さんを見ると、私をじっと見つめたまま知っててわざとやってるのか、また耳元で私の名を囁いた。

「陵伽、何、期待してんだよ」
「圭介さん、近すぎ。」
「かまうか。周りもみんな相手以外目に入っちゃいない。」

 圭介さんの腕の隙間から両脇を盗み見れば、腰に腕を回し寄り添う二人、後ろから女性を抱きかかえ顔を寄せ囁き合うカップル、うっとりとした表情を浮かべている。ここはいつからカップル専用展望台になったのだろう。こめかみに触れるだけのキスをされた。ガラス越しに圭介さんを見れば、圭介さんの目は熱っぽく、その奥に秘める思いが何かわからないはずはない。隣からチュッとキスの音が聞こえてきた。思わずビクッとしたら、圭介さんに笑われ耳元で囁かれた。いちいちこんなふうに、耳元で甘い声で囁かれたら脳が痺れてそろそろ危ない。

「陵伽、他の奴なんか見るな。」
「ご、ゴメンなさい。」

 圭介さんは私の反応を見て、満足げにニヤリと笑う。

「ホテルでいい?」

 思わずうなずきかけて、慌てて横に振った。圭介さんはちょっとムッとした表情を浮かべた。今日は金曜、今から部屋取れるの?取ってあるの?
 振り返って、圭介さんの頭を引き寄せて耳元で答えた。

「お家がいい。時間気にしながらは、やだ」

 ムッとした表情から一変、びっくりした表情をしたと思ったら、不敵な、それでいて楽しそうにニヤリと笑って私の腰を強く引いた。

「それ、この連休、陵伽のこと抱き潰していいって事?」
「え!あ、しまった。」
「責任取れよ、自分の言葉には」
「そんなー、ちょっとは手加減してください。」
「守れない約束はする気無い。」
「そもそも手加減する気は…」
「ない!陵伽相手じゃ無理だ」
「もう、圭介さんってば…」
「嫌か?」
「…嫌なわけない。嬉しい。」
「そうか。じゃ、行こう」

 強引に私を引っ張って歩き出した。私はよろけてしまい、圭介さんにしがみついた。

「ちょっと待って!そんな急に、はやく歩けない!」

 ギラギラした鋭い目をふっと和らげ、腕の力を緩めてくれた。

「悪い。がっついた。」

 クスクス笑うと、ふと気づいたように耳元で言われた。

「あいつらも、今夜はどっかでヤるんだろうな」

 展望台の方を顎でしゃくり、カップル達を示す。悪戯っぽくニヤっと笑う圭介さんに、私は腕を絡め体を添わせた。

「そうね」

 ゆっくりエレベーターホールに向かって足を進めると、意外そうな表情をされた。

「想像させて、恥ずかしがるところ見たかったのに」
「……愛し合う人達が結ばれるのは恥ずかしい事?」
「いや……」
「好きな人と幸せな時間を過ごす、そんな人がたくさんいるって、素敵な事じゃない?」
「ったく、なんで俺はこんな下世話なオヤジで、つくづく嫌んなる。」

 エレベーターホールは、ちょうど今一台出たばかりで人がいなかった。

「圭介さん大好き」

 エスコートされ触れていた肘のあたりから、するりと腕を絡め圭介さんの手に触れた。私の手を迎えると、長い指を絡めて私ごとぐいっと腕を引き寄せてくれた。肘に軽く触れるだけより安定感があって私は好きだ。

「圭介さん」
「ん?」
「私、これ好き。」
「なに?突然。そのセリフはベッドの上で聞きたいんだけど」
「もうっ!真面目な話。杖と違って安心する。」
「杖の方が良いと言われたら、ショックだ。」
「この方がフォーマルな形式だけのエスコートより安定してて好き。」
「そうか。」
「うん」
「フォーマルな場じゃなければ、いつでもしてやるよ。」
「そんな場所出る機会ないでしょ?」
「さあな。」
「何?その含みのある言い方。」

 エレベーターを降り、外に出るとちょうど来たタクシーを捕まえ乗り込む。
 ドアが閉まり、静かに車が動き出すと、薄暗く静かな車内に眠気がやってくる。

「着いたら起こす。寝てて良いよ。」

 なんかこのやり取り、前にもあったような気がする。片手で口元を隠しあくびをする私を引き寄せて、頭を自分の肩に乗せると、圭介さんは私の髪を撫でた。

「ん」

 お言葉に甘えて、目を閉じた。
 圭介さんの含みは後日知ることになる。新人賞にはノミネートされただけで終わったが、そんな賞あったの?という賞をいただいた。
 2年で賞をもらえるようになっているなら、幸運なの?何年経っても賞の一つももらえない、けど賞の一つももらえなくても何年も続けていられる方がすごいの?

 シンデレラストーリーってなんだろう。平民の女の子が大貴族の御令息と大恋愛の末結ばれちゃったとして、礼儀作法にダンス、社交界の情報収集・分析力に話法、一つ一つの言葉の選び方にほんのちょっとした立ち居振る舞いに至るまで、そんなものを幼少期から叩き込まれているご令嬢と肩を並べさせられる、それって幸運なのだろうか。
 努力もなしに瞬く間に売れっ子になるって、それって幸運だろうか?努力もせずにのし上がっちゃえば、自覚も自信もなくても当たり前かも、長い下積みに苦労を重ねてきた人に妬まれても仕方ないのかも。あれ、でもあのシナリオ、売れっ子になって数年後の話だった…
 やっぱり事実と外から見る小説は違う。

 車が静かに停まり、運転手さんに声をかけられる。圭介さんは寝ちゃってる。起こしてくれるんじゃなかったの?支払いを済ませ、圭介さんを起こして部屋に入る。
 まだ眠そうにぼうっとしている圭介さんの顔を眺める。落ち着いた色合いのアッシュブラウンの髪は染めているんじゃなくて地毛だと知ったのは、結婚してからだ。
 まだユニットとしての活動だけで食べていけないから、圭介さんのマニピュレータとしての稼ぎが必要で、どちらか一本より、体力的にキツそうだ。私が精神的支えになるなら、私が癒してあげられるなら幾らでもそうする。柔らかな髪に手を差し入れて、引き寄せキスをする。

 小説と違うところは何より、途中経過がある。選択肢は2~3個じゃなく、無数にある。
 のろのろ眠そうな圭介さんをベッドに追いやり、電気を消して私もベッドに倒れこむ。あれ、抱き潰されるんじゃなかったけ?とあくびをしながら思い出す。明日の朝を想像し、私も早く眠ることにした。眠い時より良い。明日の朝には愛を深める、お互いを惚れ直すに違いない。いいコンビだと思う。
 これがきっと私たちなんだろう。思っていたのと違う?でもそれも事実で現実だ。
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