優しい関係

春廼舎 明

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パチパチパチパチ……

向かいに座る雄二がキーボードを軽やかに叩くのを眺めていた。
そういえば、雄二の仕事をしているところを見るのは初めてだ。
学生時代は私もレポートを書くのに必死にペンを走らせ、資料のページを繰っていたから見ちゃいない。

メモは図なんかも思いついたこと手早く書き込めるから、私は紙のノート派だ。
提出するときは、パソコンに打ち込んで清書する。
対して、雄二はタブレットやスマホに直接打ち込む。
図はどうしてるんだろう?

ふとキーボードを叩く音が止み、コーヒーを口にする雄二。

「よし、終わり。華はもう終わったの?」
「うん。お疲れ様。なんか、向かい合ってレポートとか書いてると学生時代思い出す。」
「はは、そうだな。さて、行くか。」

店を出ると雄二は私の手を引いて歩き出した。
金曜夜のお台場は人が多かった。

「ねえ、雄二?今日はどこ行くの?このままお台場ぷらぷらするのも良いよ?」
「ん~、華ってお台場とか表参道とか流行りのデートスポットみたいなところあんまり行きたがらないよな……」
「うん、なんか浮かれた人が多くて落ち着かない。」
「少し移動するけど良い?今日、華がこっち来てると思わなかったから予約したの新宿なんだよ」
「うん、良いよ。」


「で、雄二?新宿って言っても、ここは……」

連れてこられたのは、都内でも有数のラグジュアリーテイストのホテルだった。
海外のセレブがこぞって泊まる高級ホテル。
こんな所のレストランでディナー!?私は、思わず尻込みした。

「ん?そろそろ予約した時間だから行こう?」
「いや、ええと、ドレスコードは?ワンピースでジャケット羽織ってるからかろうじて大丈夫?…」
「華?」
「えーっと。雄二?私、基本的にいつも研究室にこもってるのが仕事で、あんまりこういうところに来るの慣れてないんだけど…」
「おう、俺も慣れてないぞ」

目を白黒させている間に連れてこられたのは、上層階の壁がガラス張りで夜景がよく見えるレストランだった。

遠くにはまだオレンジの夕焼けが残り、グラデーションを描いて青い夜が訪れる。
透明感があって、切なくなるような、いつまでも見ていたくなるような、不思議な時間帯。
街のキラキラと白い瞬き、電車の滑る光、遅々として進まないテールランプ、黒い稜線が街を縁取り見事なグラデーションに染まった空とを分けていた。

思わず見惚れていた私はほうっと溜息を吐いた。

「お気に召していただいたようで、何より」
「うん、綺麗だね。」

本当に綺麗なものを見たとき、人はあまりそれについて語らない。
ただただ魅入る。

グラスを軽く持ち上げ、乾杯をし口をつけた。
ワインは私好みの、華やかな香りでフルーティー、運ばれて来る料理もワインによく合うメニューだった。
私はご機嫌で終始ニコニコしていた。


「美味しかった~」
「良かった。華の好みなら、カリフォルニアワインもいいかなと思ってたけど、気に入ってもらえた。」
「うん!ありがとう、雄二」

コーヒーが運ばれデザートを食べ終えると、雄二は私の手をとり小さな箱を乗せた。

「華、受け取って」
「え?」

この大きさって、まさか、
まさか
いや、普通にアクセサリーかもしれないし。

「……ありがとう、これって?…」
「…華?もしかして、忘れてる?」
「え?」
「誕生日おめでとう」
「あ。えと、ありがとう。」
「……はぁっ、華?」
「覚えてはいたけど、プレゼントをもらう日って認識がなかった」
「何言ってるの、ものじゃなくても毎年プレゼント贈ってるけど?去年は出張中で日にちずれたけど……ああ、違う、そうじゃなくて…」
「雄二?」
「……場所、変えようか」
「え?うん」

あっちにあるバーも素敵だな、と思っていたらエレベーターホールに連れて行かれた。
腰を抱かれて、耳元に囁かれる。

「部屋、とってあるから」
「え?」
「帰るとか言うなよ」
「言わないよ。なんか今日は目が回りそう……」

連れてこられた部屋に入り、私は本格的にめまいを起こしそうになった。
大きな窓からは宝石のようにキラキラ輝く街並みが彼方まで続いていた。バスルームからも夜景を楽しめるビュールームだった。
豪華すぎる……
部屋に戻ると、雄二はソファでくつろいでいる。いつの間にかテーブルにはワインとグラスが用意されている。

「探検は終わった?」
「雄二、気合い入れすぎ……」
「まあ、今日くらいはね。」
「昨日のことが今日だったらどうするつもりだったの?」
「……それは考えてなかった。まあ、誕生日だし慰める口実とか色々言って連れてきたかな。」
「そう…プレゼント、開けて良い?」
「もちろん。ここおいで?」

ぽんぽんと自分の膝を叩く雄二。
バッグから受け取った箱を持って、隣に座る。
ちょっとがっかりした表情をし、腰に腕を回された。
こんな広いのに、わざわざくっつかなくても…

「本当はさ、雰囲気もいいしさっきの店でもよかったんだけど」
「ん?」
「俺が落ち着かない」

私は照れ臭そうにしている雄二を見上げ、くすくす笑みを漏らした。

リボンをほどき、箱を開けるとロイヤルブルーのビロード張りのジュエリーケース。大きさからして指輪かピアス。
雄二からジュエリー類をもらったことは今までにもあるのに、手が震えた。
今までのと違い、緊張した。
顔を上げ、雄二を見ると優しい目でこちらを見ている。
促すようにゆっくり頷いてくれた。

そっと蓋を開ける。
小さな透明に輝く石がついたリング、内側には文字が刻まれている。

「……Le Même Futur…ポージーリング…?」
「できればエンゲージリングとしたいんだけど?」

ドクン!と私の心臓が跳ねる。

「華、結婚しよう」

私の視線はリングに縫い付けられたまま、頭の中で何度も反芻した。

「誕生日プレゼントって…」
「そう、俺が華にあげられる最大限」
「Le Même Futur…?」
「うん。…華…返事、貰っても良い?」

頰に手を添えられて気づくと、ポロポロ涙がこぼれていた。

「…はい。喜んで!」

私の指先には夜景に負けない輝きを放つリングが煌めき、この優しい関係を祝福してくれた。
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