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絶体絶命

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「お、おじゃましまーす…」

扉を押し開くと、パリパリと音を立てながら降り積もっていた霜が剥がれ落ちた。
この化け物屋敷の噂は、まだヘルトが落第勇者のレッテルを張られていない時に人づてに聞いたことがあった。

なんでも、屋敷の中には魔物であふれかえっており、さながら魔王城のような光景であると言う。最初にこの屋敷を見つけた生徒はヘルトよりも何十代も前の世代で、当時は大慌てで冒険者や騎士を派遣し、魔物たちを討伐しようと息巻いた。

けれど、魔物どころか屋敷自体にも強い氷魔法がかけられており、決して傷つける事などできなかった。世界中の魔法の使い手達に依頼をしてもびくともしない様子に、国のトップは匙を投げ、屋敷はいつの間にか脅威無きものとして、ろくに調べられぬまま放置されている。
生徒たちも殆ど近づく者もおらず、この屋敷に訪れる者と言えば相当な変わり者か怖いもの見たさかのどちらかだった。

当然この化け物屋敷の魔物たちと契約しようなどと考える者はおらず、契約できるか出来ないかなどは一切分からない。
けれど、藁にもすがりつきたいヘルトは少しの希望を胸に抱いて屋敷の中へ足を進めたのだった。

「ふ、ふえっクシュ!…さ、寒い…」

白い息を吐き、鼻を啜った。辺りを見回しても、噂のように魔物の姿は見られない。やはり、噂は噂でしかないのだろうか。
まるで極寒の地のような空気にため息をつきつつも屋敷の中を探索する。
あまりの寒さに、思わず体がよろめき壁に手をついてしまった。ざらついた感触に手を付いた場所に目を向ける。

周囲の白塗りの壁とは違い、ブツブツとした奇妙な隆起のある黒光りした壁だった。その壁をたどるようにして見上げると、ギョロリとした大きな眼球と目があった。
反射的に悲鳴が漏れそうになったのを根性でかみ殺した。
へっぴり腰のまま構えた双剣をそのままに、安堵のため息を吐く。

「化け物屋敷だもんな…、そりゃ魔物の一体二体はいるか…」

いたとしても、凍りついたまま動くことは出来無い筈だから、怯えることなど無いだろう。取り出した剣を鞘に納め、そう高をくくっていた。その魔物の、ヘルトの頭ほどの大きさがあるだろう目がグルリと辺りを見回すように動くまでは。

「う、ぎゃああああああッッッ!!!?」

まるで乙女のような悲鳴を上げ、ヘルトはその場から逃げ出した。廊下を走り、階段を駆け上がって一番近くの部屋へ飛び込んだ。

「な、なんッ…!?動かないんじゃないのかッ!?」

驚きで早くなった鼓動を押さえるように胸元を握りしめ、大きく深呼吸をする。
そして、一度冷静になってから部屋の中を見回し、また悲鳴をあげそうになった。
そこには180度何処を見ても魔物の姿があった。
唯一先程と違うのは、全ての魔物がヘルトに背を向けるようにして部屋の奥へ足を進めた状態で凍りついている所だろうか。

「驚いた…何だ、ここの奴らはしっかり凍ってるんじゃないか」

身じろぎしない上に、近付くと逆にこちらが凍ってしまいそうな程の冷気を放つ数多の魔物達に安堵の息を漏らした。

「それにしても…この魔物達は、何処に向かおうとしていたんだ?」

安心したら、今度は興味が湧いてきたヘルトは魔物達の視線の先に行ってみる事にした。
遠目から見ても、この部屋から何処かへ移動出来そうな扉も魔法陣も無い。
となると、魔物達のお目当てはこの部屋の奥にある何かなのだろう。
自身でも驚くほどに興味を惹かれ、ヘルトは何かに引き寄せられるように部屋の奥へと歩いていった。

奥へ奥へと足を進めるにつれて、どんどん冷気が強まっている。まるで何者も近付くことを許さないとばかりなその様子に、ヘルトの胸中にあった僅かばかりの負けん気が刺激された。
パリッ、と音を立てて霜が降りた前髪を拭って前に進む。

冷気に目を細め、魔物の隙間を縫うようにして行くと、一瞬、チラリと銀色の何かが視界の隅に揺らめいた。
その瞬間、驚く程の強風がヘルトを襲った。

「うわぁッ!?ッぶ!?」

強風に飛ばされるように後退した所を背後にいた魔物にぶつかり、顔面から地面に倒れこんだ。

「痛たた…突然何なんだ…?」

顔を痛みに顰めながら起き上がると、知らぬ間に手に何かを握っていた。

「ん、何だ…これは…?」

薄く黄色がかった白く、細長いもの。実際には見た事は無いが、ヘルトは本能的にそれが何だか理解していた。

「これ…まさか、骨か…!?それも人間の…!」

そう考え付くと指が震えて、骨を取り落としてしまった。
それはコロコロと転がり、何かにぶつかって止まった。骨を受け止めたそれは、つるりとした長い黒ブーツだった。

そのブーツの先をたどって行くと、タイツに包まれた細身の太腿を覆う黒のスカートが見えた。
上半身は軍人のようなデザインの服を身に纏っている。
長い軍服がまるでワンピースのように膝下まで覆い隠していた。その首には白と青のグラデーションがかかったマフラーが巻きついている。
腰には珍しい形の剣を下げており、その肩にはくるくるとウェーブした銀色の長い髪が無造作に垂らされ、酷くやわらかそうに見える。

瞬きを1つして、凍り付きそうな眼球を湿らせて再度、それを見つめた。

そこにいたのは、今まで見たことが無い程の美少女だった。
閉じた瞳の周りをけぶるような睫毛がびっしりと覆い、少し下がり気味の眉。
スッと通った鼻筋に柔らかな曲線を描いた頰。
極め付けに薄く色付いた小さな唇と、ミルク色の滑らかな肌。

まるで甘やかなビスクドールの様な少女を目の前にして、ヘルトの鼓動は早まった。
それと同時に、何処か懐かしいような、切ないような気持ちが湧き上がった。

「え?女、の子?何故こんな場所に…?」

けれど、その少女の腕の中にある物に気がつき、息を飲む。

「骸骨!?まさか、さっき拾った骨は…!」

少女は、まるで何かから護ろうとする様に骸骨を抱き締めており、その表情は泣いている様にも見える。
この少女は何なのだろう。何故こんな所にいるのか、何故骸骨を抱き締めているのか、何故、そんなに悲しげな顔をしているのか。

少女の事を、知りたくなった。

「君はーー」

少女のもとへ一歩足を踏み出すと、後頭部の方で風切り音が聞こえた。
人間の本能とは良く出来ているもので、頭で考えるより先に身体が動いた。
転ぶ様にして少女の近くへ倒れこむと、ヘルトの頭があっただろう位置を、紫色の大きな腕が薙いだ。

魔物だ。
部分的に未だ凍った部分もあるが、それを鬱陶しいとでも言わんばかりに身体を震わせ、動きづらそうにしながら近付いてくる。

「どうして、ッ、さっきまでは全然…!?」

見れば、周りの凍り付いていた魔物達も一様に氷の中から抜け出そうと身体をもがいている。これまで魔物たちを閉じ込めていた氷は徐々に空気に溶け込むようにして消えていく。
異常な光景を前にして、ヘルトは後退りした。けれど、背後に少女がいる事を思い出し、庇うように前に出る。
いくら落ちこぼれの勇者とは言え、眠っている少女を囮にして逃げるなんて事は出来なかった。

部屋に数多くいる魔物達を倒しきれるとは思えない。だが、少しでも時間稼ぎをする為にヘルトは双剣を構え魔力を練り上げた。

魔力だけは人一倍持っているヘルトだったが、その使い道はろくなものでは無かった。
今のヘルトが使えるのは氷魔法のみで、しかも、その中で秀でているものといったら氷雪ガラス作りと目くらましに使う吹雪だけだった。

氷雪ガラスは、いわば魔力を纏った強めな窓ガラスの様な物だ。ガラスの中には雪が散る様に純白の魔力がチラホラと降る姿は美しいが、別に普通の窓ガラスで事足りる為、現在では作る者の方が珍しい。

そんな物をせっせと毎日作っていたヘルトは、ある事に気がついた。自分の作る氷雪ガラスは、他者の物よりも遥かに頑丈であると言うことに。いつからか、攻撃の手段なんぞにはならないが、盾としての実力はまぁまぁ有るのでは無いか?そう考えた。

実際に使った事は無いが、今がその時な筈だ。そう思い、魔力を両手に溜めようとするが、何故か上手く行かない。
寧ろ、練り上げた先から奪われていくようにすら感じる。焦ったヘルトは、練り上げる速度を早めようとするが、それよりも先に目の前に大きな図体の魔物が大口を開けて迫ってきていた。

「あ、」

蒼黒の瞳が、絶望したように大きく目を見開いた。






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