あの日をくり返したくないから

能登原あめ

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1 朝起きて



 エルバが朝の身支度を整えた後、最初に義兄のフェルシアノの元へ行く。

 彼は魔力の量が多く一度体調を崩すとうまく調整できず、しばらく寝込む。
 高位の貴族の中に魔力を持つ子どもが時々生まれて、優遇されてきたけれど幼い頃は体が弱い場合もある。

 成長すれば折り合いがつくはずなのに、もうすぐ成人で十八歳の誕生日を迎える彼は、今回、長くせっていた。

 フェルシアノの見た目は色白で天使のように綺麗な顔立ちで華奢な上、最近ますます痩せて空の向こうに消えてしまうんじゃないかとエルバは心配になっている。

「今日は体調が良くなって笑顔を見せてくれますように」

 エルバの母がフェルシアノの父と再婚したのは、十年前でエルバが六歳の時。
 フェルシアノは二つ年上で、本当なら二人ともそろそろ結婚の話が出てもいいのに、どちらにも婚約者すらいない。

 義兄の部屋に立ち入ることを止められるまで、エルバは毎朝起こすつもりでいた。

 大好きなフェルシアノのそばにいられることが嬉しくて幸せで、この日々が続けばいい、あとは元気になってくれたら――。

 フェルシアノの部屋の扉を叩き、静かに開けてそっと入る。今日もとがめる者は誰もいない。
 
「あら? エルバ、いいところに来たわね」

 いつも一番乗りなのに、今朝は母のグアダルペがベッド横の椅子に腰かけていた。
 フェルシアノは気づかず、ぐっすり眠っているらしい。

「お母様も心配でこちらへ?」
「ええ。……フェルシアノが死んだわ」

 母がにっこりと笑いかける。
 まるで天気を話すような調子だから、言葉がすんなり頭に入ってこない。
 
「悪い冗談はやめて。……フェルお義兄様? 起きて。……温かいわ。からかわないでよ、お母様」

 エルバがフェルシアノの肩の後ろ側に触れて確かめた。
 母がふふ、っと笑ってエルバの耳元に唇を寄せる。

「あなたが王族へ嫁いで、男の子を二人産むの。一人は侯爵家の跡継ぎにしてもいいんだもの」
「……何をおっしゃっているの?」

 いきなり何を言い出すのか、唐突すぎて意味がわからない。

「あのね、第二王子があなたのことを気に入っているの。でもあなたはフェルシアノが好きでしょう? このまま二人が結婚されるのは困るのよね」
「お、母様……?」

 第二王子のことなんて考えたこともないし、エルバがフェルシアノを好きなのは、この家に住む者ならみんな知っている。それに、結婚――?

「だからね、邪魔だったの。別にフェルシアノが嫌というわけではなくてね、女は高い身分の相手に嫁いだほうがより幸せになれる……大丈夫よ、エルバ。初恋は実らないもの。それにフェルシアノは体が弱かったし、先立たれるのはつらいわ。私がそうだったから」

 驚きすぎて何も言えないエルバに彼女が続けた。じわじわと言葉が染み込む。

「全部あなたのことを思ってしたの。あなたは王族の一員になって、皆にかしずかれて、私を王子妃の母として時々王宮に呼べばいいの。本当に第二王子はあなたのことを気に入っているんだから。見ていたらわかるわ。フェルシアノのことなんて忘れてしまいなさい。ほら、息……してないでしょう?」

 はっ、としてエルバはフェルシアノの顔の前に手を出した。
 息がかからない。
 それに、胸も動いていない……?

 心臓が激しく打った。

「いや――! いやよ……義兄様! 起きて! フェルお義兄様っ、目を開けてよ……お義兄様っ、フェルお義兄様――!」

 エルバはフェルシアノにすがりついて泣き叫んだ。
 大きな声で呼びかけたら戻ってくるんじゃないかって。
 まだ温かく眠っているだけなんだと思いたくて、彼の死を信じることができなくて。

 彼女の悲痛な叫び声を聞きつけたのか、侍女がやって来た。

「失礼いたします。どうかされましたか?」
「お医者様と! マルシオ様を早く呼んでちょうだい! フェルシアノが息をしていないの」

 母の説明に息を飲んだ侍女が出て行き、すぐに家令と義父のマルシオがやって来た。

「何があった?」
「お母様が! お母様のせいで!」

 身を起こして義父の元へ駆け寄ろうとしたエルバの頭を、母が胸元にきつく抱え込んで背中をさする。
 それは母親が娘を慰めるように見えた。

「…………ッ! うぅっ……」
「あなた……。この子はフェルシアノが亡くなって気が動転しているの。……ごめんね、エルバ。私がもっと注意深くフェルシアノのことをみていたらこんなことには……」

 眉間に皺を寄せた義父がフェルシアノをのぞき込み、彼の首筋に手を当てた。それからそのまま大きく息を吐いて祈りを捧げる。

「…………フェルシアノは体が弱かったからね。魔力と相性が合わなかったんだ、たまにあることだよ。……だから、誰のせいでもない……」

 息子の死を受け入れて義父が肩を落とし、母が喉を震わせて涙をこぼす。

「いえ、私にもっと何かできたはずです……ごめんなさい」
「……っ! お母様がっ、お母様が悪いのよ、お母様が!」
「ええ、私が悪いわ」

 エルバは真実を伝えたいのに、涙が溢れて、胸が苦しくて話すことができない。
 
 その人は人殺しなの!
 騙されているの――!

「エルバの気持ちもわかるよ。フェルシアノのことを愛してくれていただろう。本気で悲しんでくれてありがとう。あの子はエルバに愛されて幸せだった。あの子もエルバを愛していたんだ」

 だから、二人を結婚させようと私達は考えていたんだ、と。
 義父の言葉がエルバの心を深くえぐる。

 母はそれを知っていたんだ。だから――。
 到底許せない。許せるはずなどなかった。

「……っ、お義兄様を生き返らせてよ、お母様! お母様のせいなんだからっ……お義父様、お願い!」

 フェルシアノとの結婚を夢見たことはあった。
 叶わない夢のはずだったけれど、母に邪魔されなければ結ばれる道もあったというのに――。

「私の魔力はわずかで、今はもう何もできないんだ……すまない、エルバ」
「できることならそうしてあげたいのよ、エルバ。でもできないの。いたらない母でごめんね。とても気持ちはわかるのよ。あなたの悲しみが癒えるまで、私がそばにいるから……」

 気持ちがわかるなんて、嘘。
 悔しくて胸が苦しくて、声が出ない。
 嘘つき、嘘つき、嘘つき――‼︎
 
「フェルお義兄様! 目を覚まして、お願いっ!」

 フェルシアノの亡骸に縋りついて、エルバは泣き叫んだ。そうすればまた目を覚ましてくれると一縷いちるの望みをかけて。
 エルバには彼以外何も見えていなかった。
 


 やって来た医師によりエルバは鎮静剤を与えられ、意識が混濁しているうちにフェルシアノの葬儀が終わってしまった。
 最期のお別れさえできなかったことにエルバは涙を流す。

 きっと母が医師にたくさん薬を出させたか、エルバにも何らかの薬を盛ったのかもしれない。ただの十六歳の小娘にできることは限られていて――。

「フェルお義兄様を殺したのはお母様です」

 エルバの訴えは、心を病んだ者として誰にも取り合ってもらえなかった。
 周りの人が憐れみの目を向けてくる。

「違うの。本当にお母様が殺したのよ! だってあの日私に言ったの。フェルお義兄様が邪魔だって! 言ったでしょう?」

「エルバ……なんて、こと……」

 母が涙を流し、義父が抱きしめる。この頃の義父はエルバのことを険しい顔で見ていた。
 拒絶されていることがわかっていても、どうにかして伝わるまで言葉を止めることができない。

「本当のことを言っているのに、誰も信じてくれない! 嘘をついているのは私じゃない! お母様の嘘つき!」
 
 それからすぐ、エルバは修道院へと入れられた。
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