あの日をくり返したくないから

能登原あめ

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2 夢をみた


 
 修道院で日々を過ごす中、エルバは夢を見た。

 六歳の頃、侯爵の前妻が遺した一人息子、八歳のフェルシアノと出会った日――。

 明るくてふわふわの栗色の髪に白い肌、亜麻色の瞳は、黒髪に黒い瞳のエルバにとって天使のように見えた。

「エルバ、ご挨拶なさい」

 もともと大人しい気質で、父が亡くなってからは家の中で過ごすことが多かったエルバは、母のスカートの影に隠れたまま。

「…………」
「ごめんなさい、人見知りする子なの。エルバは今月六歳になったわ」

 母が紹介すると、にっこり笑って手を差し伸べたのはフェルシアノだった。

「よろしくね、エルバ。僕、フェルシアノ。呼びにくかったらフェルと呼んで」
「……フェル?」
「うん、これから仲良くしよう」

 エルバはフェルシアノが大好きになった。
 優しくて、おしゃべりにもつき合ってくれる。
 無理矢理外へ引っ張り出すこともないし、エルバのペースに合わせて本を読んだり、お菓子を食べたり。

 フェルシアノの友人が遊びに来ると、大人しいエルバをからかおうとする彼らから守ってくれた。
 友人達からすると小さくて見慣れない少女と話してみたいだけだったが、エルバには怖く見える。特に意地悪をされるわけでもなかったのだけど。

「フェルにいさま、大好き!」
「うん、僕もエルバが好きだよ」
「お母さまも、お義父さまもみんな大好き!」
「……一番好きなのは?」
「フェルにいさま!」

 夫が亡くなり、後継ぎの男児を産むことができなかったエルバの母グアダルペは、夫の弟に伯爵家を追い出され、実家で肩身の狭い思いをしていた。
 マルシオ・クエスタ侯爵も、妻が流行病で亡くなり、フェルシアノの為に母親を必要としていた。
 二人は歳も近く、共通するところが多かったから、あっという間にまとまった。

 クエスタ侯爵家は連れ子同士の再婚、しかも夫婦同士はお互いの利害が一致しただけとは思えないくらい仲が良かった。
 いつしか愛情の生まれた両親の姿をみて、エルバもフェルシアノもまっすぐ育つ。

 とてもとても幸せだった。
 子供好きで愛情深い母は子供達を大切にしたし、そんな姿をみた義父も情を深めて。
 穏やかで愛に満たされた家族だと、みんなも感じていたと思っていたのに。


「……どうして」

 泣きながら目覚める。

 当たり前に感じていた日常がなくなって、それがとても尊いものだったと気づいた。
 母が彼の命を奪わなければ。

 彼女より先にエルバがフェルシアノの元に駆けつけていれば、止めることができたのに。
 これから先も幸せになれるはずだったのに。

 どうしてあの日、もっと早く起きなかったんだろう。
 どこで何を間違えてしまったのだろう。
 フェルシアノとおしゃべりすることも、触れることも、笑顔を見ることもできない。

 彼が生きてさえいれば、それでよかった――。
 ただ、それだけで。





 修道院の院長に言われるまま、朝起きて祈り、食事をとり、体を動かす。そしてまた祈る。
 エルバにはフェルシアノのために祈る時間が一番好きだった。
 体を動かし祈りを捧げるうちに、荒れ狂っていた心を胸の奥深くに閉じ込める。

 修道女達は、愛する者を亡くして気の触れた女が神の加護で落ち着いたのだと思っているようだった。
 エルバにもよくしてくれた彼女達に、これ以上心配かけないようにしようと思えるようにはなったけれど。

 早くフェルシアノに迎えに来てほしい、そう願う。
 時々死んでしまいたいと思ったけれど、踏みとどまっていた。

 閉じ込めた思いはじわじわとエルバをむしばむ。
 しばらくはいつもどおり、普通に過ごせていたけれど、少しずつ食事が喉を通らなくなって、どんどん痩せていく。
 ベッドで過ごすことが多くなって、眠る時間がどんどん長くなっていった。

 申し訳ないと思うものの、体が動かない。
 修道院の中で働きもせず暮らしていけるのは、きっと義父が多額の寄付金を納めたからだろう。

 なんのために生きているのかわからない。
 消えてしまいたい。

 クエスタ侯爵家では養子を取る方向でいたらしいが、奇跡的に母が妊娠したため、男女どちらであっても後継ぎとして育てるのだと聞いた。
 幸せに穏やかにつつがなく暮らしているらしい。

「…………」

 フェルシアノもエルバも最初からいなかった者として……。
 グアタルペの罪は誰にも知られていないから、罰も受けない。
 彼女からの手紙はいつも優しく慈愛に満ちていて――。
 
 それがエルバをますます苦しめる。
 だんだん夢と現実がよくわからなくなっていった。
 フェルシアノから誕生日にもらった小さな手鏡を手にして背面の飾り模様だけを眺める。

 鏡に映る頬のけた不幸せな顔を見たくなかった。
 フェルシアノに艶やかで綺麗だと言われた髪も、黒い宝石みたいと褒められた瞳も今はそこに映らない。
 
 ここでひっそり朽ちていくのだろう。
 早く彼のそばへ行きたい。
 できることなら幸せだったあの頃に戻りたい――。

 ぼんやりと窓に視線を向けた。
 そろそろ夜が明けるというのに、今日はいっこうに眠気が訪れなかった。
 空が白んで、エルバはゆっくりと目蓋を閉じた。



 


* 亜麻色→薄い栗色
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