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ノッキング ドア
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面接からの帰り道、圭司はなぜあの時にシングという曲を選んで歌ったのかと圭に聞くと、「だってシングを歌ってって言われたから」と答えた。圭には田辺副学長の「プリーズ シング」という日本語は、「シングを歌って」と脳内変換されたらしい。ついてたな——
面接は和やかに進み、帰り際に田辺が「わが聖華学園には伝統あるコーラス部もあるんですよ」と言うと、圭が「うやあ、もし合格したら、私コーラス部に入りたい」と大袈裟にはしゃいでみせた。
——嘘つけ
圭司は可笑しくて仕方なかった。
⌘
その日は店を休みにして、夕方からとりあえず面接終了のささやかな祝杯をあげた。簡単な食べ物を適当に作って3人でテーブルを囲む。豪華なディナーは合格発表があってからだ。
今日のステラは、学園の人たちから「お母さん」と何度も呼ばれてご機嫌だ。
——娘のことは何も心配してません
娘をを信頼して、だが優しく人生を導く素敵な母親——誰がみてもそう映っただろうと圭司は思った。ステラの献身的な協力には本当に頭が下がる。感謝しかない。
今日の面接のことや、もし合格したら、しなかったら、そんな話で盛り上がっていたときのこと。店の扉を誰かが叩く音がする。
「『クローズ』、確かドアに下げたよね?」
圭司とステラが目を見合わせて確認し、すっと圭司が立ち上がって扉に向かう。残念なことではあるが、アメリカという国は強盗事件も多く、迂闊に扉を開けるのは危険なことだ。長年のアメリカ暮らしで圭司も用心深くなっていた。
「今日は店は休みだよ。明日なら開いてるから、また今度来て」
扉は開けずに圭司が大声でいう。アメリカではこういう対応は特に珍しくない。「お客様は神様です」などと軽々しく扉でも開けた日には、即座に撃ち殺されることさえある国である。
これでもう帰るだろう——
そう思いながら圭司がドアに背を向けたとき、
「何言ってんの! 明日はロスに移動するから、もう来られないのよ。いいから早く開けなさい」
という史江《フーミン》の日本語の怒鳴り声が聞こえ慌ててドアを開けた。
史江は店に入ると、訝しげにみているステラにツカツカと歩み寄った。ここでステラもやっと昼間の通訳だと気がついたみたいだ。史江は黙ってステラにハグをして、
「バカな弟のためにお芝居までしてくれて、ありがとう」
と、まず感謝の言葉を述べた。コネとか変に期待されてもいけないので、通訳が実は姉であったことは言ってなかったため、ステラはおそらく意味がわからなかったのだろう、「えっ?」という顔で圭司を見た。
「あっ、俺の姉貴。俺が電話とかメールでフーミンって呼んでたのがこの人なんだよ」
圭司がそう言うと、ステラは最初たいそう驚いたようすだったが、事情が飲み込めると史江にきつくハグを返した。
それから史江は圭に向き直り、にこりと微笑み「今日は素敵な歌をありがとう」と言いながら圭にもハグをし、「会えてうれしいよ」と両手を肩に置いて圭の顔をしげしげと見ていた。
「フーミン、アメリカに来るなら来るって連絡くらい——」
そう言いかけた圭司に「あっ、お母さんから伝言。たまには帰ってこいってさ」と史江が言い「とりあえずビールね」と圭の横に椅子を出して腰掛けた。
圭司は冷蔵庫から瓶のビールを1本取り出し、史江の前のグラスに注ぎながら、「で、本当に通訳だけで来たの?」と聞いたのだが、史江はそれにはすぐに返事をせずグラスのビールを一気に飲み干し、「ふう」と一息ついた。
「フーミン、そんなに酒が強かったっけ」と驚く圭司に「女が一人で生きてると、いろんなことが変わるものよ」と笑った。
「最初に言っておくけど、私に変な期待はしちゃだめよ」
真顔に返って史江が圭司に言う。
「期待?」
「うん。はっきり言っておくけど、私は今回の面接に介入できるような力はないからね。もしあったとしても、公私混同はしない。だから、結果がどうなるかは私は一切知らないから」
「言われなくても、わかってるよ」
圭司はそう返事をした。史江が学園の関係者と知った時、実は一瞬だけではあるが、全く期待を持たなかったわけではない。だが、考えてみれば当たり前のことだ。英語教師にそんな力があるはずもないし、あったとしても史江はそういう私情に流される性格ではないことは圭司が一番よく知っているつもりだ。
「私にできるのは、通訳するとき本人のしゃべったことよりも少々お上品に翻訳してあげるくらいよ」と笑っていた。「でもね、今日の面接は学校だけじゃなくて、私の面接もあったのよね」
「フーミンの面接?」
「あなたのことは信用してる。でも、この子を家で預かってもらえないかって言われたとき、圭司の頼みだとわかっていたけど躊躇っちゃった。だって私は全くこの子のことを知らないんだもん」そう言いながら、史江はもう一杯グラスを空けた。
「いい声だったよ」そう言って史江が隣に座る圭の右手を回して目を細めた。「この子だったらいいかなって。あの時にそう決めたの」
「ありがとう、姉ちゃん。感謝してる」圭司が少し声を震わせた。
「でもね、圭司。これだけは覚えていて。もし学園に入ることになっても、この子の保護者は圭司、あなただからね。私はあくまでも学校の先生で、大家さんだよ。必要以上の介入はしない。あなたがこの子の親だというなら、3年間親としての覚悟を見せなさい。いいね」
「わかった。約束する」そう圭司は答えた。史江は微笑むと、
「ねえ、圭ちゃん。一曲何か聞かせて」
と圭に言った。
「何かリクエストはある?」と圭が聞くと、横から圭司が「フーミンはビートルマニアなんだよ」と言う。
「ジョン? ポール?」圭が聞く。
「今日はポールがいいな」と史江がいう。
軽く「うん」と頷いた圭はギターを取ってきて圭司に渡し、そっと耳打ちをした。圭司は「OK」と返事をし、ギターを構えると、いきなり前奏なしで圭の「オー・ダーリン」が流れ出した。
史江とステラが手を取り合って、圭の歌声を聴いていた。
そして年が明けた1月の初め、入学案内の通知が届いた。
「私に期待しないで」と言った史江の顔を圭司はふと思い浮かべたが、「まさかな」と頭から打ち消した。
面接は和やかに進み、帰り際に田辺が「わが聖華学園には伝統あるコーラス部もあるんですよ」と言うと、圭が「うやあ、もし合格したら、私コーラス部に入りたい」と大袈裟にはしゃいでみせた。
——嘘つけ
圭司は可笑しくて仕方なかった。
⌘
その日は店を休みにして、夕方からとりあえず面接終了のささやかな祝杯をあげた。簡単な食べ物を適当に作って3人でテーブルを囲む。豪華なディナーは合格発表があってからだ。
今日のステラは、学園の人たちから「お母さん」と何度も呼ばれてご機嫌だ。
——娘のことは何も心配してません
娘をを信頼して、だが優しく人生を導く素敵な母親——誰がみてもそう映っただろうと圭司は思った。ステラの献身的な協力には本当に頭が下がる。感謝しかない。
今日の面接のことや、もし合格したら、しなかったら、そんな話で盛り上がっていたときのこと。店の扉を誰かが叩く音がする。
「『クローズ』、確かドアに下げたよね?」
圭司とステラが目を見合わせて確認し、すっと圭司が立ち上がって扉に向かう。残念なことではあるが、アメリカという国は強盗事件も多く、迂闊に扉を開けるのは危険なことだ。長年のアメリカ暮らしで圭司も用心深くなっていた。
「今日は店は休みだよ。明日なら開いてるから、また今度来て」
扉は開けずに圭司が大声でいう。アメリカではこういう対応は特に珍しくない。「お客様は神様です」などと軽々しく扉でも開けた日には、即座に撃ち殺されることさえある国である。
これでもう帰るだろう——
そう思いながら圭司がドアに背を向けたとき、
「何言ってんの! 明日はロスに移動するから、もう来られないのよ。いいから早く開けなさい」
という史江《フーミン》の日本語の怒鳴り声が聞こえ慌ててドアを開けた。
史江は店に入ると、訝しげにみているステラにツカツカと歩み寄った。ここでステラもやっと昼間の通訳だと気がついたみたいだ。史江は黙ってステラにハグをして、
「バカな弟のためにお芝居までしてくれて、ありがとう」
と、まず感謝の言葉を述べた。コネとか変に期待されてもいけないので、通訳が実は姉であったことは言ってなかったため、ステラはおそらく意味がわからなかったのだろう、「えっ?」という顔で圭司を見た。
「あっ、俺の姉貴。俺が電話とかメールでフーミンって呼んでたのがこの人なんだよ」
圭司がそう言うと、ステラは最初たいそう驚いたようすだったが、事情が飲み込めると史江にきつくハグを返した。
それから史江は圭に向き直り、にこりと微笑み「今日は素敵な歌をありがとう」と言いながら圭にもハグをし、「会えてうれしいよ」と両手を肩に置いて圭の顔をしげしげと見ていた。
「フーミン、アメリカに来るなら来るって連絡くらい——」
そう言いかけた圭司に「あっ、お母さんから伝言。たまには帰ってこいってさ」と史江が言い「とりあえずビールね」と圭の横に椅子を出して腰掛けた。
圭司は冷蔵庫から瓶のビールを1本取り出し、史江の前のグラスに注ぎながら、「で、本当に通訳だけで来たの?」と聞いたのだが、史江はそれにはすぐに返事をせずグラスのビールを一気に飲み干し、「ふう」と一息ついた。
「フーミン、そんなに酒が強かったっけ」と驚く圭司に「女が一人で生きてると、いろんなことが変わるものよ」と笑った。
「最初に言っておくけど、私に変な期待はしちゃだめよ」
真顔に返って史江が圭司に言う。
「期待?」
「うん。はっきり言っておくけど、私は今回の面接に介入できるような力はないからね。もしあったとしても、公私混同はしない。だから、結果がどうなるかは私は一切知らないから」
「言われなくても、わかってるよ」
圭司はそう返事をした。史江が学園の関係者と知った時、実は一瞬だけではあるが、全く期待を持たなかったわけではない。だが、考えてみれば当たり前のことだ。英語教師にそんな力があるはずもないし、あったとしても史江はそういう私情に流される性格ではないことは圭司が一番よく知っているつもりだ。
「私にできるのは、通訳するとき本人のしゃべったことよりも少々お上品に翻訳してあげるくらいよ」と笑っていた。「でもね、今日の面接は学校だけじゃなくて、私の面接もあったのよね」
「フーミンの面接?」
「あなたのことは信用してる。でも、この子を家で預かってもらえないかって言われたとき、圭司の頼みだとわかっていたけど躊躇っちゃった。だって私は全くこの子のことを知らないんだもん」そう言いながら、史江はもう一杯グラスを空けた。
「いい声だったよ」そう言って史江が隣に座る圭の右手を回して目を細めた。「この子だったらいいかなって。あの時にそう決めたの」
「ありがとう、姉ちゃん。感謝してる」圭司が少し声を震わせた。
「でもね、圭司。これだけは覚えていて。もし学園に入ることになっても、この子の保護者は圭司、あなただからね。私はあくまでも学校の先生で、大家さんだよ。必要以上の介入はしない。あなたがこの子の親だというなら、3年間親としての覚悟を見せなさい。いいね」
「わかった。約束する」そう圭司は答えた。史江は微笑むと、
「ねえ、圭ちゃん。一曲何か聞かせて」
と圭に言った。
「何かリクエストはある?」と圭が聞くと、横から圭司が「フーミンはビートルマニアなんだよ」と言う。
「ジョン? ポール?」圭が聞く。
「今日はポールがいいな」と史江がいう。
軽く「うん」と頷いた圭はギターを取ってきて圭司に渡し、そっと耳打ちをした。圭司は「OK」と返事をし、ギターを構えると、いきなり前奏なしで圭の「オー・ダーリン」が流れ出した。
史江とステラが手を取り合って、圭の歌声を聴いていた。
そして年が明けた1月の初め、入学案内の通知が届いた。
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