星に捧げる小夜曲

のえ桐花

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第一章 魔法都市サムサラ

目醒め

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 眩しいのか暗いのか、よく分からない空間。
 ふわふわと、まるで漂っているような感覚。
 少女は、自分がどんな状態なのか把握できなかった。
 ただ何もない空間に揺蕩うだけのような。
 ふと、悪魔に胸を撃たれたことを思い出す。
 とすれば自分は死んだのだろうか。
 どうしようもない状況で、パルスや街を守ろうとした自らの行動に悔いはなかった。
 けれどエステルの件が明かされる前にこうなってしまったことと、あの悪魔が本当に約束を守ったかを確かめる術がないことは、心残りだった。
 そして――

(ライアン……)

 今はもう、決別した筈の遠い人のことが、脳裏に浮かぶ。
 きっと自分は幼くて、未熟で至らないところばかりだった。
 それでも、二人で決めたことを一方的に反故にされて、胸が潰れるような思いをして。

(私は、なんだったの……?)

 ギルドを去って独りの夜を過ごした時、このまま消えてなくなってしまいたいと思うこともあった。
 全てを滅茶苦茶にしてしまいたい衝動に駈られたことだって、ある。

 でも、もういいのだ。
 もう身の置き場のない感情に苛まれることもない。
 このまま何もない世界を漂って、この意識もゆっくり溶けるように消えていく。
 それでいい。
 そう思い始めた頃。

 空間に、自分以外の気配があることに気付いた。

(誰……?)

 その人物は、少女と同じように揺蕩いながら近付いてくる。
 瞼を閉じている筈なのに、その姿はなんとなく判別がついた。
 青みがかった艷やかな黒髪に、青い瞳。
 自分と同じ髪と瞳の色を持つ男性だった。

『――……』

 その唇が何かを紡いでいる。
 けれど、少女の耳には届かない。

(何を言っているの?)

 尋ねようとしても、身動ぎひとつできなかった。

『――……』

 彼がまた、何がしかの言葉を零すのに耳を傾けていると、何かが指先に触れた。
 恐らく、男性の指だ。
 少しひんやりした感触が、次第に温もりに変わって。
 やがて、指先からあたたかなものが流れ込んできた。
 それは、半ば感覚を失い掛けていた少女の全身を巡っていく。

(これは……なに?)

 身体の芯から湧き出す、生命の奔流。

 急速に活力が漲ってきて、少女はゆっくりと目を開いていく。
 視界に入ってくるものを眩しいと感じたものの、すぐに見覚えのある風景が馴染んでいく。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 はっとして半身を起こす。
 周囲の建物が、炎に包まれていた。

(何が起きてるの……?)

 横たえられていた石畳の上で、緩慢な思考を働かせる。
 自らの周囲を、魔法障壁のようなものが囲んで守ってくれているようだ。
 ふと、視界に飛び交う二つの影が飛び込んできた。
 目にも留まらぬ応酬を繰り返していた影は、間合いを取るようにして動きを止める。
 影のひとつは、あの悪魔だ。
 そしてもうひとつは……。

「パルス、先生……?」

 それは、リルフィーナのよく見知った人物だった。
 といっても、パルスの半身は侵食されたように黒い影に覆われ、見たこともない厳しい表情を浮かべている。
 激しい戦闘で眼鏡のレンズはひび割れ、服の端々も荒れていた。

 非戦闘員だと思っていたけれど、戦えたのか。
 それとも、あの黒い影の力で……?
 悪魔とパルス医師の対峙を呆けたように見ていると、胸元でピキリと音がした。
 そういえば、と思い出して胸ポケットに手を入れる。
 出てきたのは、ギルドを抜けた日に捨てられなかった髪飾りだった。
 白と緑の石で作られた可憐な花の髪飾りは、リルフィーナの掌の上で更に亀裂を増して、砕けていく。

 これが、悪魔による一撃から守ってくれたのか。
 ほんの魔除けの効果しかないと、思っていたのに……。
 リルフィーナは粉々になって指の間から零れ落ちていく髪飾りの破片を、ぎゅっと握り締めた。

 すると、掌に感覚が蘇る。
 意識を失っていた時に、誰かが指先に触れて広がった、あの滾々こんこんと湧き出る泉のような温かさを。
 少女はゆっくりと立ち上がった。

「リルフィーナ!?」

 パルスが驚いたようにこちらを見る。

「その姿は……?」

 言われて、リルフィーナは見てくれの変化に気付いた。
 全身が柔らかな燐光に包まれ、視界に映る自らの髪も青白い光を帯びている。
 まるで能力を上昇させる司祭プリースト祝福ブレッシングを受けた時の何倍もの力が、己の内から溢れ出しているのを感じた。
 リルフィーナの変化に気を取られていたパルスの目前の石畳が抉られ、彼も吹き飛ばされる。

「先生!」
『ええい、なんだお前、その姿はっ……! まさか』
「そんなのこっちが知りたいよ!」

 にわかに動揺を見せた悪魔の声を遮って、リルフィーナは地面を蹴った。
 普段では考えられないような跳躍力で、一気に悪魔との距離を詰める。

「〈アイシクルランス〉!」

 無数の氷柱つららが標的を貫く魔法を使うと、いつもより遥かに多くの氷柱が悪魔の周囲を取り囲み、次々と放たれていく。

『くそっ、この魔力……本当に人間か?』

 自らを狙った氷魔法を防ぎながらも、手傷を負った様子の悪魔にもう一撃お見舞いする。

「〈ファイアバレット〉!」

 炎のつぶてを放つ魔法は、人の頭の倍以上の火球を生み出して悪魔を襲った。
 この力がなんなのか、自分にもわからない。
 それでも今は、目の前の危機を排除できるならという気持ちが何よりも勝った。

 悪魔もやられてばかりではいない。
 闇の魔力を自在に操りながら、その獣のような体躯を余さず使って攻撃してくる。

(見える……!)

 今のリルフィーナは、魔力だけでなく身体能力も激的に上がっているようだ。
 悪魔の鋭い爪をすれすれでかわし、闇の魔法を障壁で弾く。
 自分でも驚きながら、悪魔の猛攻に耐えていた。

『ガッッッ!』

 不意に、横合いから蹴りが飛んできた。
 リルフィーナに集中していた悪魔は、まともにそれを食らって仰け反る。

「大丈夫かい?」

 先程吹き飛ばされたパルスだ。
 然程ダメージは受けていないように見える。

「は、はい」

 コクリと頷いて、リルフィーナは悪魔の方を見遣る。
 パルスについても何がどうなっているかは分からないが、二人掛かりでならなんとかできるだろうか。
 特に言葉を交わすでもなく、前に立ったパルスが悪魔を牽制し、リルフィーナが攻撃魔法を撃ち込んでいく。

 だが、相手も古代都市を滅ぼしたと言われるだけの悪魔だ。このまま戦闘が長引けばサムサラの被害も大きくなる、早々にそんな予感が過ぎっていく。
 既に火が着いた家々の人々は逃げ出したようだし、じきに火消しの役に就く者もやって来るだろうが……悪魔との戦闘が続いている状態では、人的被害が増えてしまいかねない。

「リルフィーナ」

 戦いながらも頭を悩ませていると、パルスに呼び掛けられた。

「君は、封印の魔法を使えるかい?」

 封印魔法。
 その一部は書物では読んだことがあり、方法は知っている。
 ……実際に使ったことはないが。

「……やります!」

 使えるか使えないか、できるかできないかではない。
 ここで封印を成功させて戦いを終わらせなければ、被害が甚大になる。
 例え知識だけのぶっつけ本番でも、やるしかない!
 リルフィーナは腹を決めた。

(この封印方法には、要となるものがないと……)

 すかさず手持ちのアイテムに使えるものがないかと、考えを巡らせる。
 目に入ったのは、先程リルフィーナが倒れた場所に落ちている、エステルに貰った黒猫のマスコットだった。
 悪魔に撃たれた時、衝撃でポーチから外れてしまったのだろう。
 闇の魔法を飛び退いて避けるついでに、それを拾い上げる。
 目つきの悪い、けれど見ているうちに愛着が湧いてくる黒猫。
 一針一針、エステルが心を込めて作ったぬいぐるみ。

(エステル、力を貸して)

 強く願いを籠めながら、術式を編んでいく。

『何してやがる!』

 気付いた悪魔が闇を操りながら、こちらに向かってくる。
 その勢いを、パルスも止められない。
 リルフィーナは悪魔を見据え、声を上げた。

「破ァッ!」

 見えざる波動が、迫りくる闇を払う。

『何ィ!?』

 セリに教えて貰った『気』の扱い方が、こんなところで役立つとは。
 尤も、溢れ出るような力がある今だからできたことだ。

(私はいろんな人に支えられて、助けられてるんだ……)

 その想いを胸に、跳躍した。

「我が名に於いて、ここにお前を封ずる!」

 黒猫のマスコットを握った拳を、振りかぶる。
 跳躍の勢いに乗せて、悪魔の顔面に思いっきり叩きつけた。

『ごふぅッッッ!!』

 悪魔の顔にめり込む拳。
 次の瞬間、織り上げた術式が悪魔の身を包み、マスコットの中へと吸い込んでいった。
 遠くで炎の爆ぜる音が聞こえる中、沈黙が訪れる。

『……な、なんだこりゃぁぁぁぁぁ!?』

 それを破ったのは、少女の手の中のマスコットだ。

『お、俺様がこんな小娘に、ふ、封印っ!? こ、こんなちんちくりんにされちまうなんてっっっ……』

 リルフィーナは、目を白黒させてジタバタと藻掻くマスコットから手を離す。
 そのまま宙に浮いたマスコットは、両手で自分の顔を擦ったり手足をバタバタさせながら喚いている。
 マスコット――もとい悪魔――の力は、もうリルフィーナの制御下だ。好き勝手に暴れることもできないだろう。
 終わった、そう思った直後、リルフィーナの身体から漲っていた力が抜けていく。
 反動にふらついた彼女を支えたのは、悪魔と対峙していの一番に吹き飛ばされたディノだった。

「大丈夫ですか?」
「あ……はい」

 ディノは負傷はしているものの、しっかりと立っている。酷いダメージはないようで、リルフィーナはほっとした。
 あの力は一時的なものだったのだろう。
 けれど助かった。
 どうして自分にそんな力が出せたのかは分からないが、あれがなければ悪魔に対抗して封じることはできなかっただろう。
 一息つきたいところだったが、なぜか自分を支えるディノの手が強張っているのに気付く。
 驚異は去った筈なのに。

「……近付かないで下さい」

 警戒を露わにしたディノは、少し離れたところに立つパルスを睨んでいた。
 半身を闇色に染めた男。
 彼は、レンズの割れた眼鏡の向こうからリルフィーナを見て、どこか寂しげに口許を綻ばせた。
 その顔から、柔和な表情が抜け落ちる。

「リルフィーナ。君に伝えなければいけないことがあるんだ」

 何か、嫌な予感がした。
 その先を聞いてはいけない、聞いてしまったらもう戻れない……そんな気が。
 けれど時は止めようもなく、パルスは続けて口を開いた。

「エステルを殺したのは、僕だ」
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