小指の爪

内藤 亮

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「ばあちゃん!」 
「はいよ。久しぶり!」
 毎年、盆暮れ正月は母と二人で帰省しているから、ばあちゃんも慣れたものだ。母は早くに両親を亡くしているから、故郷がない。こんな素敵な田舎が出来て嬉しいわ、なんて母が言うものだから、ばあちゃんも大喜びだ。そういう訳で、父が亡くなった後も、ばあちゃんとの付き合いは結構ベタに続いている。
「荷物、届いてるわよ。すごい量ねぇ。とりあえず納屋に入れてもらったから」
「アハハ。ありがと。文ちゃんがあれもこれもって持たせるから大荷物になっちゃったの」
「文ちゃんらしいわねえ」
「ねぇ。過保護すぎるのよ」
 母子家庭の娘の言うことではないのだけど。まあ、こんな性格に育ったのは母の努力の賜物だ。なんちゃって。
「食費のことだけど。こんな沢山もらっても困るわ。まったく、文さんったら。貴女は私の娘だって言ってるのに、変なところで遠慮するんだから」
 ばあちゃんはそう言って頬を膨らませた。
しょうちゃんからも言っておいて。お金はいりませんって」
 言い遅れたが、私の名前は祥。名前の響きが何だか男っぽい。まあ、見た目と名前の違和感はないのだけれど。胸なんて絶壁だしね。と、言っていて悲しくなってきた。「子」を付けなかったのは、父がこれから訪れるであろう男女共同参画の世の中を意識したから、らしい。本当かよ?
「ここは、食べ物だけは豊富なんだからね」
「うん、分かった。文ちゃんによく言っておく」
 確かに、ばあちゃんの言う通りなのだ。ばあちゃんはガチの百姓で、大抵の作物は自分で作れる。お米なんて、そこらのスーパーのお米なんかよりずっと美味しい。野菜は郷土野菜が中心だ。東京の八百屋しか知らない私たちにとって、ばあちゃんの野菜は料亭で出される野菜のようだ。
 ばあちゃん曰く、色々な作物も試したそうだが、代々土地に引き継がれてきた作物は、手がかからずに育てやすいそうだ。
「一休みしたら、二人で荷ほどきしましょ」
「うん」
 荷ほどきしたら、出てくる出てくる。私の荷物は半分くらいで、あとはデパ地下のお菓子やパン、デリカッテッセンだった。
「ま、嬉しい!」
 ばあちゃんの顔が輝いている。ばあちゃんは根っからの洋食派で、こういう洒落た食べ物に目がないのだ。
 デパート(と言っても、東京の人は誰も知らないデパート)のある繁華街まで、バスと電車を乗り継いで、今でもたっぷり二時間はかかる。ばあちゃんが育ったのは、百貨店イコールハイカラの時代だ。今はインターネットで何でも手に入るが、娘時代の憧れが、ばあちゃんにはそのまま残っているのだ。
「Wi-Fi、つなげたわよ。あんたがここに来てくれてよかった。あとでネットの買い物の仕方教えてね!」
「うん、任せて!」
 Wi-Fi完備。ほぼ無農薬(笑。ばあちゃんだって楽をしたいときもあるのさ)の米と野菜が食べ放題。こんな恵まれた下宿が他にあるだろうか。
 大学までは役場前のバス停から一本で行ける。ただし、役場まで歩いて三十分もかかる。バスは通学と帰宅時間の数時間だけ一時間に二本ある。それ以外の欄は空白だ。乗り過ごしたらどうなるのだろう。考えただけでも恐ろしい。そういうわけで、午後からの授業でも、寝坊は出来ない。免許を取るまでは街に繰り出す事もできないのだ。バイトをして、まずは免許取得が当座の目標となった。
まさし君、今は頃どうしてるのかしら」
 一番知りたかったことだ。だからこそ、荷ほどきもすっかり済んだ頃、さりげなく聞いた。
 雅君は、ばあちゃんの遠縁の子だそうで、私とは九つ年が離れている。私たちが帰省すると、雅君もばあちゃんの家に来てくれて、一緒に遊んでくれた。 雅君は魚や虫のことを熟知していて、自然の中での遊び方を沢山教わった。もちろん、夏休みの宿題も。手先も器用で、飛ばなかった凧も雅君が調整すると、あっという間に空高く上がっていく。作ってもらった竹トンボも、これまたよく飛んだ。雅君に作ってもらった凧や竹トンボは今でも大切な宝物だ。
 一人っ子の私にとって、雅君は憧れのお兄ちゃんだった。とは言うものの、雅君が高校を卒業してからは、ずっと逢っていない。
 こっちの人は結婚が早い。あんなにハンサムで優しかった雅君には、もうお嫁さんとかいるのだろうな。
「よく遊んでもらったものねぇ」
「今、どうしてるのかなぁ」
「高校を出て地元で就職したって聞いたわ。さて、片付けも済んだことだし。今夜は文さんのお持たせね」
「うん!」
「せっかくだから、パンもいただきましょ。スープはまかせて」
 それきり、雅君の話が出ることはなかった。多分妻帯者だろうし。子供なんかもいるだろうし。事実を知るのが何だか寂しかったから、私も、雅君の事をそれ以上聞くのはやめにした。地元ならこの県内なのだろう。落ち着いたら調べてみよう、と思いつつ、ばあちゃんと夕飯の支度をした。
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