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3.海上島 編

その8

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「ええっと、いちにっさん。いちにっさん」
ビオラは、人のいない広い部屋で、ダンスの練習を始めた。
王島にいる時に、少しヘンリーから手ほどきを受けていた。
何度か王宮の舞踏会にも呼ばれたことがある。
「…」
あの時急にキスされて。
されるわけないと思っていたから、ちょっと驚いたのよね。
思わず、アルテミス様と比べられている気がして、本音を吐いてしまった。
足を無くしたままでもいいくらいの情熱をかけた女性…
シシィ様の事は嫌いじゃない。
一緒にいればきっと楽しいし充実した日々を送るだろう。
でも、義足を見るたび、きっと私の胸はキリキリと痛む。
「ここまで狭い心だとは思ってもみなかったわ」
自分の汚い嫉妬心にヘドが出る。

「はい、練習!」
ぱんぱんと軽く顔を叩いて、また、ステップを踏む。
「結構忘れているなあ」
「ビオラ様?何をなさっているんです?」
「わあ!マーガレットさん!いい、いや、あの」
重要な部分は濁して、先日の話をした。
その後、シシィが忙しくなり食事も一緒に取れない。
「それで、あの、シシィ様とダンスができればなと思って。シシィ様は左足が悪いのですよね?」
「はい、そうです!」
「じゃ、私がこう回ればいいのかな?」
ビオラが一人でターンをしようとしていた。
「お付き合いしますよ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそです」
「え?」
さすが、城の侍女、ダンスも完璧である。
流れるように踊りながら、部屋を縦横無尽に動いていく。
そんな様子を通りかかったシシィがそっとドアから見ていた。
踊りながら2人は話す。
「旦那様は、カイト様のお母さま亡き後、一切の華やかなことから遠ざかっておいででした」
「あ、じゃあ迷惑…」
「いいえ!ビオラ様がいらっしゃってから、お城の中が明るくなりました。感謝しております」
「ええ、何もしていないのに?」
「シシィ様のご機嫌が全然違いますもの」
笑いながら侍女はウインクをした。
むっと一瞬シシィは怒ったが、それもそうかと考え直した。
最近、城が明るく風通しが良いのは。
『シシィ様』
風になびくおくれ毛を手で押さえて笑っている彼女がいるからか。
「何を見ておいでで?」
執事がシシィに声をかけた。
「うおっ!」
さすがのシシィもびっくりした。
その声で、ビオラたちも気が付いてしまった。
話を聞いて、執事が、いいですね、ささやかな夜会を開きましょうかと言った。
「はい、練習」
執事がシシィを立たせる。
「二人とも固いっ!もっと滑らかに!」
「もっと優しく言ってくれ」
「うふふ、かなり厳格ね。納得させるには練習あるのみ」
「おいおいビオラ」
二人で腕を組んでいるが、恥ずかしくてほとんど目を合わせられない。
「もっと相手を見てください!はいっ!」
「なんか凄い気合が入っている…」
「忘れてた、昔こってり絞られたのを」
侍女が執事を呼びに来て、練習は終わりとなった。
ビオラは長時間踊ったのは初めてなので、足腰がガクガクしている。
シシィも久しぶりに踊ったから、あちこちがギシギシ言っているらしい。
「ああ、疲れた」
「足は痛みませんか?結構な運動ですよね」
こんな時でも俺の足の心配か。
「大丈夫だ、義足も慣れているからな」
「でも夜会って誰を呼ぶのでしょう?マーレ島に貴族の方いらっしゃいましたっけ?」
「いや、貴族は俺一人だ。おそらく町の偉い人でも呼ぶんだろう。みな、ダンスなんてできるのか?」
「ふふふ。楽しそうですね」
「王島ではよくあるだろうに。いかないのか?」
「一応ヘンリー様の身内になってはいますが、貴族ではないので、3回ほどだけですね」
「若い女性がもったいないな」
窮屈きゅうくつなので、ドレスはあまり好きじゃないんです」
「じゃあ、夜会用はきつくないものを作ればいい。明日にも衣装屋を呼んでやる」
「いいですよ!何もしていないのに、いただけません」
「マーレ島の伝統的な衣装のドレスならきっと似合うよ」
優しく微笑んだ。
そうでしょうか?とビオラは赤くなって顔をそらした。

侍女や執事たちは、久しぶりの夜会に張りきっていた。
食事のメニュー、飾りつけ、衣装。
招待客の選定、招待状を出したりと大忙しだ。
カイトも邸内での夜会など初めてなので、心が躍っていた。
「街にいったら、声をかけられましたよ。花とお酒を寄贈してくださるそうです。父上、今度、島内でお祭りも開きませんか?僕たちだけ楽しんでも、島民に悪い気がします」
「そうだな、よく言った。これが終わったらそうしようか」
ビオラに話したら、きっと喜ぶ。
率先して話を進めるだろう。


夜会当日。
邸内は明るくランプがつるされ、花がそこかしこに置かれていた。
結局宮廷ダンスというものは踊らなかった。
マーレ島の伝統のあるドレスに身を包み、手をとり、マーレ島の昔からあるダンスをシシィと踊った。
カイトとも踊り、執事とも踊り、兵も、侍女も、街の偉い人とも踊り。
カイ兄弟とも踊り、笑って話して。
身分もなく、みなで手を取り音楽に合わせて身体を動かした。
みな、楽しくお酒を飲み、食事をつまむ。
あちこちから笑い声が響く。

ああ楽しい!
ビオラはテラスに出てイスに座った。
夜風が気持ち良い。
シシィも夜風にあたりにきた。
「楽しんでいるか?」
「ええ、とっても楽しいです」
「もう一ついかがかな」
ワインを持ってきた。
「美味しいですね!」
「マーレ島のワインだ。口にあったかな?」
「ええ、とても。さわやかな味です」
それからビオラは前の世界にいた時の話をした。
仕事で道を作ったこと、朝は野菜ジュースを自分で作って飲んでいたが、失敗の連続だったこと、職人のおじさんたちとビールと焼き鳥で乾杯したこと。
「そうそう、その材料のおしょうゆを今、試験的に作っているんです」
楽しく話すビオラを見て、自然とほほ笑んだ。

本当は戻りたいんだろうな。
『ここの世界では私は偽物なんです!』
泣きながら叫んだ、あれが本音。
渦巻人の役目上、普段は言えないのだろう。
初めて燃える火山のように吹き出すような感情をみた。
当たり前だ、突然違うところに来て違う人物に入り込んでしまって。
『大人でしたからね、諦め慣れてますよ』
どこか遠くを見ながら言っていたな。
命と身を削る使命を負って。
自分を押し殺して生きているのか。
今までもこれからも。
今の自分に納得するのに時間はかかるな。
中身は34才の女性か。
話し方も、さりげない気遣いも大人ならではだ。
見た目の15才ではない。

「シシィ様?」
「あ?ああ、すまん。少し酔っているみたいだ」
「お水をいただいてきましょうか。ちょっと待っててくださいね」
「ビオラ」
シシィは行こうとするビオラを抱きしめた。
「ひえ!」
邸内にいる人間は、驚いたが、見てみないふりをする。
カイトはワインを落としそうになった。
テラスに出ないように、とみんな気を使った。
カイトの母である女性をなくしてからもう何年もたつ。
そろそろ、島主様も幸せになってもよいのでは?とみんなが思っていたからだ。

「この前は悪いことをした。すまない。君を傷つけるつもりはなかったんだ」
「私こそ、事情をよく知らないのに勝手に大切な方の名前を呼んでしまって」
ごめんなさい…
なぜ君が謝るんだ。
無体な事をしたのは俺の方なのに。
抱きしめたままシシィはビオラの髪にキスをした。
「シシィ様…離してください」
「嫌だ」
「みんな見ていますから」
「見せつけておけばいい。お前に余計な手出しをしなくなるだろうから」
「変な事を言わないで」
「口づけをしてくれたら離す」
「もう、酔っているんでしょ!子供みたいな事を言わないで」
こんな言葉も15才の娘じゃ出てこないだろう。
大人の女性の話し方だ。楽しいな。
ビオラの腰あたりで手を組んだシシィはふふふと笑った。
まあ、口づけしても離したくはないが。
真っ赤になってこまっている顔もかわいいな。
一生懸命、拳で叩くそぶりは見せるが本気ではないし。
…何せ子供の手首を折るくらいだからな。
そうだ、カイトの癇癪で兵に囲まれたとき、それは見事な体術だった。
この娘のどこにそんな力があるのだろう?
「仕方ないな」
「え?」
軽く唇にキスをして、シシィは邸内に戻った。
みんな楽しんで行ってくれ!と声をかけている。
「~~!」
ビオラは口を手で覆って、テラスで真っ赤になっていた。


数日後、カイトがこの前のお祭りについて話をした。
朝食の席でいつものテラスだ。
「いいですね、お祭り。他にお祭りらしいことはしないのですか?」
「金月の時に魚祭りをするくらいで、他にこれといってないんですよ。この前楽しかったですからね。今度は島民みんなでやらないと」
「確かに楽しかったですよね。マーレ島の伝統的な音楽はとても素敵ですもの」
「でしょう?今度は大々的に騒ぎたいですね」
「じゃあ、この季節に取れる特産品を中心にして行いましょうよ」
「それならレモン祭りかな」
「くーう、酸っぱいんですけど」
ビオラは口をすぼめて、手で頬を触った。
カイトも給仕をする侍女もみんな笑う。
シシィも笑った。

ああ、幸せというのはこういう時間のことを言うんだな。
特に何かをしなくてもいいんだ。
日常に幸せがあるとは思ってもみなかった。

シシィは愛おしいものを見る優しい目をビオラに向けた。
父上、そんな目で見るんですね。
カイトは、侍女と話をしているビオラを見る父親の視線の意味がわかった。

ん?とビオラがシシィの視線に気づく。
ふふふっとビオラが笑い返す。
テーブルを優しい風が通っていった。



「え?帰島?」
「ああ、やっと陛下からお許しが出てね。私が迎えに行ける日が7日後なんです。シシィ殿、その旨よろしくお願いします」
「ああ」
魔法鏡に映るシシィはかなり不機嫌だった。
「まったく急な。これだから陛下のわがままには困る」
立ち上がって、シシィは鏡を片付けさせた。
かなり怒っている。
持っていた書類の束を机に投げるくらいに。
「そうですね、せっかくお祭りに参加できるかと思ったのに」
「そうだな。いいんだぞ、このままいても」
バン!と机を拳で殴る。
相当な怒りだ。
「シシィ様」
「今のように鏡を使えば王島の仕事など、ここにいてもできる。王島に戻れば、また命と身を削る魔石の仕事をしなければならないのだろう?」
「それだけではないですけどね、お仕事は」
「あんなの、魔法省にやらせておけ!」
吐き捨てるようにシシィは言った。
あまりの腹立たしさに、うろうろ部屋の中を歩き始めた。
チャパティ長官の態度も気に入らなかったのだろう。
でも、このまま島にいたら。
「迷惑がかかりますから、やはり戻ります」
「ビオラ、迷惑なんて」
「『戻らなかった』ら、かかるんだと思います」
「!!」
真っ正面に俺を見据えて言い放った。
強いまなざし。
陛下が何かを仕掛けてくるというのか。
そこまで考えるのか、お前は。

「陛下ににらまれてもこの海上島はびくともしないぞ!甘く見るな、この島を!」

自信たっぷりにシシィは、手を広げた。
そのままビオラを抱きすくめ、耳元でささやく。
「だから、そばにいろ」
「お願いですからこまらせないで」
「もっとこまれ。そして、帰るのを諦めろ」
「からかわないで」
「本気だ。帰るな」
するりとシシィの腕からビオラは逃げた。


「なーんで戻られるんですか!」
「仕方ないですよ、マーガレットさん。陛下の命ですし」
「はあ、もう。こちらでお仕事すればいいのでは?」
「シシィ様と同じことをいうのね」
え、ビオラ付き侍女のマーガレットはどきりとした。
シシィ様もそう思っている?
マーガレットは、床に膝をついた。
そして手を取る。
「ビオラ様、シシィ様はこの島にとっていなくてはならない方です。ですから重責も人一倍です。ビオラ様がおそばにいればシシィ様はお心安らかにお仕事にまい進できるはず。どうか残ってはいただけませんか?」
「お城の政務官としては、優秀な部類ですからね、私は」
「そうじゃありません!お一人の女性として」
しーと、マーガレットの口の前に人差し指を出した。
「シシィ様には忘れられない方がいらっしゃるわ」
「それは過去のことです」
「でも私は心が狭いから、あの人の足を見て…」
「ビオラ様」
「きっと嫉妬するわ、見えない過去に、知らない過去に」
聖女候補アルテミス様。
きっと永遠に戦うことなく負ける相手。
「私は臆病者だから傷つきたくないのよ」
「うっ…」
「泣かないで、マーガレットさん。それに戻らないときっと、マーレ島に嫌がらせがくるわ」
「陛下のですか?」
「あと、魔法省もね」
「あの腹が立つ長官ですね!毒でも送ってやりましょうか!」
「物騒なこと言わないでー」


その会話の報告を受けたシシィは心が揺らいでいた。
手に持つワインを静かに置く。
「弟から奪えというのか?」
「ビオラ様は、シシィ様の事を好いていらっしゃいます。足を見て過去の恋人に嫉妬するなんて口に出されるくらいです」
「…」
「どうか正式に奥様にお迎えになってください。シシィ様が言えば、陛下もきっと」
「そうして、彼女をここに縛るのか?」
「シシィ様…」
「ありがとう、もう下がってよい」

俺は卑怯者だ。
彼女の口から陛下に『残りたい』と言わせようとしている…
そうすれば丸く収まると知っている。
ビオラも恐らく気づいている、自分から言い出せばいい事だと。
魔王に取りつかれて危ないから、王島に帰らないとか、調べるからとか言い訳はたくさんある。
一番は。
「シシィの妻になりたいのです」
言わせたい。
ルークではなく、この俺を選ばせたい。
その後、弟にどう思われようとかまわない。
地獄行きならとことんつきあってやる。
共に行くなら、きっとどこでも楽しいだろう。

「何を考えているんだ、酔っているな、俺は」

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