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第8部
10話 誰も知らない真実
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目を覚ますと、遥か遠くに小さな光が見えた。
あんな高いところから落ちたのに、不思議と痛みはない。体を起こし、右手に残ったぬくもりの主を探してあたりを見渡すと、ここは円形劇場のような作りになっていると気づいた。
王城の地下深くにあるという、聖女の結界の維持施設だろうか。端が見えないほど広大で、床にはびっしりと魔法紋が刻まれている。ただ、ところどころヒビが走り、本来の用を成していなかった。
『よう、お目覚めか?』
反射的に背後を振り向く。周りをぐるりと囲む階段の中腹で、禍々しい気配を漂わせたデュラハンが、ぐったりしたリリアナの体を抱えて座り込んでいた。
まるで玉座のように。
「リリアナさん!」
『でけぇ声出すなよ。反響すんだから。大したお嬢ちゃんだぜ。お前を抱え込んで落ちても、傷一つついてねぇ。つくづくデュラハンてやつは化け物だな』
低く笑うエドウィンの足元には、武具保管庫で直したフェリクスの忘れ形見があった。
『これ、お前が直したんだろ?』
赤黒いもやの中に浮かんだ赤目が、まっすぐにアルティを射抜く。レイが言う通り温存しているのか、もしくは魔物を操るのに消費したからか、最初に対峙したとときの圧倒的な魔力はなりを潜めていた。
「……そうだけど」
『やっぱりなあ。磨きが甘いと思った。お前さあ、磨きに必要なのは力だと思ってるだろ? そうじゃねぇんだよなあ。もっと素材の表情を読みな。観察が足りねぇな』
「今さら師匠ヅラすんなよ、エドウィンさん。あんた、口で教えるタイプじゃなかったんだろ? 師匠が憤慨してたぞ」
一瞬の間を置いて、くつくつと肩を揺らしたエドウィンがゆらりと立ち上がった。
『そうか。知ってるのか、俺を』
「こんなところで何やってんだよ。師匠も、ミルディアさんも、ずっとあんたを待ってるのに!」
『あいつにも会ったのか。とんだ孫弟子だぜ。大師匠さまの過去を嗅ぎ回るなんてな』
「違う。俺は受け継いだだけだ。金槌と共にあんたの技術と想いを!」
アルティの叫びが、残響のようにその場にこだまする。エドウィンはリリアナを抱えたまま、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
『半人前が偉そうなことを言うなよ。俺の何を知ってるってんだ。あいつのために作った鎧兜も、こんなに作り変えちまって』
エドウィンが不愉快そうに鼻を鳴らす。だが、鎧の下のセレネス鋼には気づいていないようだ。無属性のストロディウム鋼で覆った効果が出ているのだろう。まだ勝機は残っている。リリアナが目覚めるよう願いを込めて、声を張り上げる。
「たとえ世界を壊したって、フェリクスさんは戻ってこない! 今のあんたは魔属性に取り憑かれて暴走してるだけだ。いい加減、現実から目を逸らさないでくれよ!」
『陳腐なセリフだな。さてはお前、ヒーローものが好きだな? 全然ちげぇんだよ。俺はこいつに取り憑かれたんじゃない。自分から受け入れたんだ』
「こいつ……?」
魔素を人のように語るエドウィンに違和感を覚える。そんなアルティの顔を覗き込み、エドウィンは目を細めた。
『ミルディアから教わらなかったか? この世界は一つの生命体。魔素にも意思はあるんだよ。なんで属性を帯びるのに相性があると思う? 誰だって好きなやつと一緒にいたいもんだろ?』
「……じゃあ、あんたは取り込んだ魔の魔素と一緒にいたいっていうのか? 絶え間ない悲しみと憎しみに身を置いてまで?」
『そりゃそうさ。親友から託されたもんなんだからな』
小さく笑ったエドウィンは、誰も知らない真実を語った。
あの運命の日、魔王を討ったのはフェリクスだったと。
「まさか……そんな」
『何がまさかだ。当時生まれてもなかったくせに。俺はあの場にいたんだぜ? この目で全部見てんだよ』
先に倒れた弟の屍を乗り越え、満身創痍になりながらも魔王の体に剣を突き立てたフェリクスは、血と共にあふれ出た魔力――魔の魔素をその身に浴びてしまった。
闇と魔属性から生まれたデュラハン。愛する妻を残して戦場へ赴いた後悔。魔王への憎しみと怒り。弟を失った悲しみ。友を守らねばという焦り。魔属性に取り憑かれる条件は全て揃っていた。
エドウィンは目の前で苦しむ友の姿をただ見ていることしかできなかったという。
そして、両目を赤く染めたフェリクスは、壮絶な抵抗の果てに自害した。エドウィンの作った短剣を喉に突き立てて。
『あいつが……フェルが生きているとバレたのは、俺が作った鎧兜のせいだった。フェルに散々自慢された弟は、俺の屋号紋を覚えてたんだよ。笑えるぜ。あいつ、なんて言ったと思う?』
赤黒いもやが揺れる。沸き立つ怒りに呼応するみたいに。
『『今のラスタに、あなた以上に腕のある職人はいません。だから気づきました』だとよ。こんなに嬉しくねぇ褒め言葉はねぇよ。その結果があれだ! ミルディアが生きる未来を守るため、フェルは戦場に行き、俺の作った短剣で死んだ。わかるか? 俺が殺したんだよ!』
血を吐くような叫びだった。フェリクスを守るために作られたものが、彼の命を奪った。それは職人として何よりも耐えられない事実だっただろう。
『あいつが自分の命を絶ったとき、微かに……ほんの微かに魔力の欠片が漂ってきたんだ。まるで俺に命を託すようにな』
はは、と渇いた笑みが赤黒いもやの中からこぼれ落ちていく。
『生きたい。そうだ、生きたかったんだ。生きてミルディアと再会したかった。なのに、それは叶わなかった。だから、あいつの代わりにデュラハンになると決めたんだ。闇と魔の魔素が充満する小部屋で、誰も知らねぇ最後の作品を身にまとって、あいつの命を奪った短剣で喉を突き刺してな! 百年経って目覚めてみたらなんだ。あいつの犠牲も忘れて、どいつもこいつものほほんと人生を謳歌しやがって。反吐が出るぜ』
アルティの脳裏にアレスの姿が浮かんだ。彼のミドルネームにはフェリクスの名が受け継がれている。建国祭だってそうだ。ラスタ国民は決してフェリクスたちの犠牲を忘れていない。
「誰も……誰も忘れてなんかない! みんな過去の痛みを抱いて生きてるんだよ! あの戦争で大事な人を失ったのはあんただけじゃない!」
『綺麗事はもうたくさんなんだよ。お前も俺と同じ目に遭えばわかるか?』
エドウィンがリリアナの首に手を伸ばした。必死にしがみついて腕を引き剥がそうとするが、びくともしない。デュラハンの怪力は全種族一だ。ヒト種のアルティではとてもかなわない。それでも、絶対に諦めたくはなかった。
「やめろ! やめてくれ!」
首を絞められたリリアナが、う、と呻く。
そのとき、レイとウルフを抱えたバルバトスが、頭上から急降下してエドウィンに蹴りを放った。
「悪ぃ、遅くなっちまって。ここからが本番だぜ!」
「私ごと蹴るな! このイモリ野郎!」
埃と床の欠片が舞い散る中、衝撃で意識を取り戻したリリアナが、ふらついたエドウィンの腕をすり抜け、その体を背後から押さえ込んだ。
それを見たレイが、アルティとウルフの首根っこを引っ掴んで、床に広げた布の上に誘う。布には魔法紋が描かれている。アルティたちを守る防御壁を張るのだ。
「バルバトス! やれ!」
「任せな!」
輪を作った右手を口元に当てたバルバトスが、咆哮と共に火炎を噴き出した。
魔力で迎撃する間もなく、エドウィンが炎に飲み込まれる。体を羽交締めにしていたリリアナも同様だ。
しかし、彼女の鎧の表面にはアイスブルーに輝く氷が張り巡らされていた。セレネス鋼の力で底上げされた絶対零度の氷だ。一瞬だけならドラゴニュートの炎にも耐えられる。
『はっ、油断したぜ。ちったぁ考えたみたいだな』
炎が消えた瞬間、赤黒いもやがリリアナの鎧兜の中に入り込んだ。弾みで闇から落ちた兜が床で大きく跳ねる。
「二度も操られるか!」
リリアナが両手を叩いたと同時に、周囲に霧が満ちた。空気中の水分を凍らせ、周囲の気温を一気に下げたのだ。その隙に二人に接近していたウルフが闇魔法の中からエスメラルダを出し、手袋を脱ぎ捨てた彼女の体を抱え上げた。
「――っ!」
エスメラルダの小さな手がリリアナの――いや、エドウィンの顔の赤黒い闇に触れた途端、声なき叫び声があがった。
魔法紋が効果を発しているのだ。エドウィンはエスメラルダを振り払おうと試みたが、身体中を縛り上げるレイの木の根とリリアナの腕力で思うように動けないみたいだった。
「連隊長! そいつを離さないでよ!」
「おねえさま! 頑張って!」
魔力の消費が著しいのだろう。木の根を操るレイから鼻血が流れ出している。エスメラルダの両目や、両手の爪の間からも血が流れ落ちていた。
しかし、まだ不十分だ。やはり兜がないと。
「バルバトスさま!」
意図を察したバルバトスが、アルティの体を抱えて舞い上がった。
人生には退いてはいけないときがある。
今がそのときだ。
下にいる仲間たちはすでに疲労困憊。みんなの未来はこの手にかかっている。
もうもうと立ち込める霧の中、アルティは兜を振りかぶった。
「行け! アルティ!」
眼下に向かって、バルバトスが手を離す。落下するアルティに気づき、コバルトブルーの鎧に身を包んだデュラハンがこちらを見上げた。
兜がないので赤目は見えない。けれど、確かに目が合ったような気がした。
「あなたの頭――」
耳元でひゅうひゅうと風が鳴る。それに負けないよう、全力で叫ぶ。
「お作りしました!」
確かな手応えを感じた瞬間、脳裏に眩い太陽の光が閃いた。
あの夏の日が、全ての始まりだったのだ。
リリアナが店のドアを開いた瞬間から、アルティの運命は動き出していた。
(リリアナさん!)
祈るように目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのはリリアナの優しい瞳だ。彼女はいつだってアルティのそばにいてくれた。
そう。エドウィンにとってのフェリクスのように。
『ふざけるな!』
腕の下から獣みたいな咆哮が上がった。
エスメラルダとウルフ諸共、容赦無く振り払われる。身体中を走る痛みと共に、兜が床に転がった。
「アルティ!」
「エスメラルダ! ウルフ! しっかりしろ!」
レイが駆け、バルバトスが急降下してくる気配がする。無理やり体を起こして前を見据えると、リリアナを完全に制御したエドウィンが、周囲に出現させた闇の槍でアルティたちを串刺しにしようとしているところだった。
『俺はデュラハンだ! 使えるのは魔属性だけじゃねぇんだよ!』
槍の切先がこちらに向かって伸びてくる。
その刹那、空気を切り裂くような鋭い声が上がった。
「エド!」
あんな高いところから落ちたのに、不思議と痛みはない。体を起こし、右手に残ったぬくもりの主を探してあたりを見渡すと、ここは円形劇場のような作りになっていると気づいた。
王城の地下深くにあるという、聖女の結界の維持施設だろうか。端が見えないほど広大で、床にはびっしりと魔法紋が刻まれている。ただ、ところどころヒビが走り、本来の用を成していなかった。
『よう、お目覚めか?』
反射的に背後を振り向く。周りをぐるりと囲む階段の中腹で、禍々しい気配を漂わせたデュラハンが、ぐったりしたリリアナの体を抱えて座り込んでいた。
まるで玉座のように。
「リリアナさん!」
『でけぇ声出すなよ。反響すんだから。大したお嬢ちゃんだぜ。お前を抱え込んで落ちても、傷一つついてねぇ。つくづくデュラハンてやつは化け物だな』
低く笑うエドウィンの足元には、武具保管庫で直したフェリクスの忘れ形見があった。
『これ、お前が直したんだろ?』
赤黒いもやの中に浮かんだ赤目が、まっすぐにアルティを射抜く。レイが言う通り温存しているのか、もしくは魔物を操るのに消費したからか、最初に対峙したとときの圧倒的な魔力はなりを潜めていた。
「……そうだけど」
『やっぱりなあ。磨きが甘いと思った。お前さあ、磨きに必要なのは力だと思ってるだろ? そうじゃねぇんだよなあ。もっと素材の表情を読みな。観察が足りねぇな』
「今さら師匠ヅラすんなよ、エドウィンさん。あんた、口で教えるタイプじゃなかったんだろ? 師匠が憤慨してたぞ」
一瞬の間を置いて、くつくつと肩を揺らしたエドウィンがゆらりと立ち上がった。
『そうか。知ってるのか、俺を』
「こんなところで何やってんだよ。師匠も、ミルディアさんも、ずっとあんたを待ってるのに!」
『あいつにも会ったのか。とんだ孫弟子だぜ。大師匠さまの過去を嗅ぎ回るなんてな』
「違う。俺は受け継いだだけだ。金槌と共にあんたの技術と想いを!」
アルティの叫びが、残響のようにその場にこだまする。エドウィンはリリアナを抱えたまま、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
『半人前が偉そうなことを言うなよ。俺の何を知ってるってんだ。あいつのために作った鎧兜も、こんなに作り変えちまって』
エドウィンが不愉快そうに鼻を鳴らす。だが、鎧の下のセレネス鋼には気づいていないようだ。無属性のストロディウム鋼で覆った効果が出ているのだろう。まだ勝機は残っている。リリアナが目覚めるよう願いを込めて、声を張り上げる。
「たとえ世界を壊したって、フェリクスさんは戻ってこない! 今のあんたは魔属性に取り憑かれて暴走してるだけだ。いい加減、現実から目を逸らさないでくれよ!」
『陳腐なセリフだな。さてはお前、ヒーローものが好きだな? 全然ちげぇんだよ。俺はこいつに取り憑かれたんじゃない。自分から受け入れたんだ』
「こいつ……?」
魔素を人のように語るエドウィンに違和感を覚える。そんなアルティの顔を覗き込み、エドウィンは目を細めた。
『ミルディアから教わらなかったか? この世界は一つの生命体。魔素にも意思はあるんだよ。なんで属性を帯びるのに相性があると思う? 誰だって好きなやつと一緒にいたいもんだろ?』
「……じゃあ、あんたは取り込んだ魔の魔素と一緒にいたいっていうのか? 絶え間ない悲しみと憎しみに身を置いてまで?」
『そりゃそうさ。親友から託されたもんなんだからな』
小さく笑ったエドウィンは、誰も知らない真実を語った。
あの運命の日、魔王を討ったのはフェリクスだったと。
「まさか……そんな」
『何がまさかだ。当時生まれてもなかったくせに。俺はあの場にいたんだぜ? この目で全部見てんだよ』
先に倒れた弟の屍を乗り越え、満身創痍になりながらも魔王の体に剣を突き立てたフェリクスは、血と共にあふれ出た魔力――魔の魔素をその身に浴びてしまった。
闇と魔属性から生まれたデュラハン。愛する妻を残して戦場へ赴いた後悔。魔王への憎しみと怒り。弟を失った悲しみ。友を守らねばという焦り。魔属性に取り憑かれる条件は全て揃っていた。
エドウィンは目の前で苦しむ友の姿をただ見ていることしかできなかったという。
そして、両目を赤く染めたフェリクスは、壮絶な抵抗の果てに自害した。エドウィンの作った短剣を喉に突き立てて。
『あいつが……フェルが生きているとバレたのは、俺が作った鎧兜のせいだった。フェルに散々自慢された弟は、俺の屋号紋を覚えてたんだよ。笑えるぜ。あいつ、なんて言ったと思う?』
赤黒いもやが揺れる。沸き立つ怒りに呼応するみたいに。
『『今のラスタに、あなた以上に腕のある職人はいません。だから気づきました』だとよ。こんなに嬉しくねぇ褒め言葉はねぇよ。その結果があれだ! ミルディアが生きる未来を守るため、フェルは戦場に行き、俺の作った短剣で死んだ。わかるか? 俺が殺したんだよ!』
血を吐くような叫びだった。フェリクスを守るために作られたものが、彼の命を奪った。それは職人として何よりも耐えられない事実だっただろう。
『あいつが自分の命を絶ったとき、微かに……ほんの微かに魔力の欠片が漂ってきたんだ。まるで俺に命を託すようにな』
はは、と渇いた笑みが赤黒いもやの中からこぼれ落ちていく。
『生きたい。そうだ、生きたかったんだ。生きてミルディアと再会したかった。なのに、それは叶わなかった。だから、あいつの代わりにデュラハンになると決めたんだ。闇と魔の魔素が充満する小部屋で、誰も知らねぇ最後の作品を身にまとって、あいつの命を奪った短剣で喉を突き刺してな! 百年経って目覚めてみたらなんだ。あいつの犠牲も忘れて、どいつもこいつものほほんと人生を謳歌しやがって。反吐が出るぜ』
アルティの脳裏にアレスの姿が浮かんだ。彼のミドルネームにはフェリクスの名が受け継がれている。建国祭だってそうだ。ラスタ国民は決してフェリクスたちの犠牲を忘れていない。
「誰も……誰も忘れてなんかない! みんな過去の痛みを抱いて生きてるんだよ! あの戦争で大事な人を失ったのはあんただけじゃない!」
『綺麗事はもうたくさんなんだよ。お前も俺と同じ目に遭えばわかるか?』
エドウィンがリリアナの首に手を伸ばした。必死にしがみついて腕を引き剥がそうとするが、びくともしない。デュラハンの怪力は全種族一だ。ヒト種のアルティではとてもかなわない。それでも、絶対に諦めたくはなかった。
「やめろ! やめてくれ!」
首を絞められたリリアナが、う、と呻く。
そのとき、レイとウルフを抱えたバルバトスが、頭上から急降下してエドウィンに蹴りを放った。
「悪ぃ、遅くなっちまって。ここからが本番だぜ!」
「私ごと蹴るな! このイモリ野郎!」
埃と床の欠片が舞い散る中、衝撃で意識を取り戻したリリアナが、ふらついたエドウィンの腕をすり抜け、その体を背後から押さえ込んだ。
それを見たレイが、アルティとウルフの首根っこを引っ掴んで、床に広げた布の上に誘う。布には魔法紋が描かれている。アルティたちを守る防御壁を張るのだ。
「バルバトス! やれ!」
「任せな!」
輪を作った右手を口元に当てたバルバトスが、咆哮と共に火炎を噴き出した。
魔力で迎撃する間もなく、エドウィンが炎に飲み込まれる。体を羽交締めにしていたリリアナも同様だ。
しかし、彼女の鎧の表面にはアイスブルーに輝く氷が張り巡らされていた。セレネス鋼の力で底上げされた絶対零度の氷だ。一瞬だけならドラゴニュートの炎にも耐えられる。
『はっ、油断したぜ。ちったぁ考えたみたいだな』
炎が消えた瞬間、赤黒いもやがリリアナの鎧兜の中に入り込んだ。弾みで闇から落ちた兜が床で大きく跳ねる。
「二度も操られるか!」
リリアナが両手を叩いたと同時に、周囲に霧が満ちた。空気中の水分を凍らせ、周囲の気温を一気に下げたのだ。その隙に二人に接近していたウルフが闇魔法の中からエスメラルダを出し、手袋を脱ぎ捨てた彼女の体を抱え上げた。
「――っ!」
エスメラルダの小さな手がリリアナの――いや、エドウィンの顔の赤黒い闇に触れた途端、声なき叫び声があがった。
魔法紋が効果を発しているのだ。エドウィンはエスメラルダを振り払おうと試みたが、身体中を縛り上げるレイの木の根とリリアナの腕力で思うように動けないみたいだった。
「連隊長! そいつを離さないでよ!」
「おねえさま! 頑張って!」
魔力の消費が著しいのだろう。木の根を操るレイから鼻血が流れ出している。エスメラルダの両目や、両手の爪の間からも血が流れ落ちていた。
しかし、まだ不十分だ。やはり兜がないと。
「バルバトスさま!」
意図を察したバルバトスが、アルティの体を抱えて舞い上がった。
人生には退いてはいけないときがある。
今がそのときだ。
下にいる仲間たちはすでに疲労困憊。みんなの未来はこの手にかかっている。
もうもうと立ち込める霧の中、アルティは兜を振りかぶった。
「行け! アルティ!」
眼下に向かって、バルバトスが手を離す。落下するアルティに気づき、コバルトブルーの鎧に身を包んだデュラハンがこちらを見上げた。
兜がないので赤目は見えない。けれど、確かに目が合ったような気がした。
「あなたの頭――」
耳元でひゅうひゅうと風が鳴る。それに負けないよう、全力で叫ぶ。
「お作りしました!」
確かな手応えを感じた瞬間、脳裏に眩い太陽の光が閃いた。
あの夏の日が、全ての始まりだったのだ。
リリアナが店のドアを開いた瞬間から、アルティの運命は動き出していた。
(リリアナさん!)
祈るように目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのはリリアナの優しい瞳だ。彼女はいつだってアルティのそばにいてくれた。
そう。エドウィンにとってのフェリクスのように。
『ふざけるな!』
腕の下から獣みたいな咆哮が上がった。
エスメラルダとウルフ諸共、容赦無く振り払われる。身体中を走る痛みと共に、兜が床に転がった。
「アルティ!」
「エスメラルダ! ウルフ! しっかりしろ!」
レイが駆け、バルバトスが急降下してくる気配がする。無理やり体を起こして前を見据えると、リリアナを完全に制御したエドウィンが、周囲に出現させた闇の槍でアルティたちを串刺しにしようとしているところだった。
『俺はデュラハンだ! 使えるのは魔属性だけじゃねぇんだよ!』
槍の切先がこちらに向かって伸びてくる。
その刹那、空気を切り裂くような鋭い声が上がった。
「エド!」
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今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。
その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。
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