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3章 ぜぇんぶうまく行くからね
第3話 無事で良かった
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看護師さんに案内してもらい、お祖母ちゃんの病室に向かう。病棟はまだお見舞い時間内で、廊下にはお見舞いの人やパジャマ姿の患者さんが歩いていたり、休憩スペースで歓談したりしていた。
クリーム色を基調にしたふたり用の病室に入ると、奥のベッドでお祖母ちゃんが眠っていた。同室の患者さんはいない。もともと空いている様だ。
さっき倒れてた時には顔をしかめていたのに、今は穏やかそうに見える。顔色も良くなっている気がする。
掛け布団から出た左腕には針が刺さっていて、点滴のボトルに繋がっている。管の途中の筒の中でぽと、ぽと、とゆっくりと透明の液体が落ちていた。
ベッドの脇にパイプ椅子がひとつあり、若大将さんがまたリリコを座らせてくれる。若大将さんは出窓になっているところにもたれた。
眠るお祖母ちゃんを見て、リリコはまた安心して「はぁ~」と息を吐いた。
「お祖母ちゃん、ほんまに良かった……」
リリコは呟いて、また溢れて来た涙を拭う。いつの間にか若大将さんのハンカチはリリコの手元にあった。ぼとぼとに濡れそぼっていて、もはや役目を果たしているのかどうか。
「リリコちゃん、ハンカチ洗って来るわ。もう役に立ってへんやろ」
「あ、ごめんなさい。自分で行きます。洗って返しますから」
あんなに泣いてしまって恥ずかしい。こんなになってしまったハンカチを見られるもの恥ずかしい。ようやくそう思う余裕ができていた。
「かまへんかまへん。そのままで大丈夫や。すぐに戻るから」
若大将さんはリリコの手からそっとハンカチを取り上げると、病室を出て行った。
リリコはそう言えば、まだ寒いのに何かを羽織ることも忘れて、ついでにスマートフォンや財布まで家に置いて来てしまっていた。
「そうや、お財布。病院にお金払わなあかんのに」
ひとまず若大将さんにお借りするか? だがそれはあまりにも申し訳が無い。そうだ、お祖母ちゃんの退院が明日になるのなら、支払いはその時で良いはずだ。病院は完全看護で、お見舞いの時間が終わればリリコたちは帰されるだろう。明日朝いちで来て、出る時に払えばきっと大丈夫だ。
ああ、明日はお仕事もお休みをいただかなければ。退院は昼前と先生はおっしゃっていたが、お祖母ちゃんをひとりにはしておけない。絶対に家事などで無茶をするだろうから、リリコがこなしつつお祖母ちゃんを見張っていなければ。
若大将さんが戻って来た。洗ったハンカチをまたリリコに貸してくれる。
「冷たぁしてあるから、目ぇ冷やしとき」
鏡など見ずとも、目がすっかりと腫れているのが分かる。まぶたが重い。リリコは「ありがとうございます」と言いながらハンカチを目に当てた。ひんやりとして気持ちが良かった。
「久実子さんはもう大丈夫や。きっと目ぇ覚ましたらけろっとしてはるで」
「はい」
そうだ。先生だってもう心配は要らないと言っていたのだから。
その時、開けっ放しのドアからふたつの人影が現れた。
「リリちゃん」
「……叔父ちゃん? 叔母ちゃん?」
リリコは驚いて腰を浮かす。亡き父の弟夫妻だった。
「ああリリちゃん、ええから座っとき」
叔父ちゃんは労わる様に、リリコの肩をぽんと叩く。
「大変やったなぁ、リリちゃん。久実子お義母さんはどうや」
「歳で腎臓が弱って、それで貧血起こしたらしいて。それよりなんで叔父ちゃんと叔母ちゃんが?」
「いちょう食堂の大将から連絡もろたんや」
「大将さんから?」
どうして大将さんと叔父ちゃんたちに関わりが? リリコは何が何やら判らず、ぽかんとしてしまう。
「ああ、リリコちゃんたちには言うてへんかったな。実はな、叔父さんと叔母さん、うちの店に来てくれたんや」
「え? え?」
リリコの視線が忙しなく若大将さんと叔父ちゃんたちを往復する。
「家建てとる間、久実子お義母さんが電話でテナントと賃貸入れる言うとったやろ。リリちゃんたちが信用しとる人らやねんから大丈夫やと思ってても、やっぱり男ふたりや言うたら心配にもなるんや。せやからお店の方にお邪魔さしてもろたんや。挨拶さしてもろうて、少し話もさしてもろうて、念のためにって電話番号交換したんや。まさかこんなことに役に立つとは思わんかったけどな」
叔父ちゃんは苦笑しながら頭を掻く。
「ほんまに大将さんからお電話もろうた時はびっくりしたわ。久実子お義母さんが倒れて救急車呼んだ言われて、叔母ちゃん血の気が引いたわ。お父さん、叔父ちゃんもすっかり慌ててしもうて。大将さんは病院が判ったらまた連絡くれる言うてくれはったけど、叔母ちゃんらもじっとしてられへんもん。搬送先は家の近くの病院やろうから、まずはリリちゃんたちの家に行こう言うて車出して、そしたら途中で大将さんご連絡くれはったんよ」
「でもこの様子やと、久実子お義母さん大丈夫みたいやな」
叔父ちゃんが心底ほっとした様な表情で、眠るお祖母ちゃんを見下ろす。
「ほんま良かった。救急車呼ぶほどの貧血や言うたら相当やと思うけど、顔色も悪う無いみたいやし、ほんま安心したわ」
叔母ちゃんもそう言って表情を緩める。ふたりには本当に心配を掛けてしまった。
「叔父ちゃん叔母ちゃん、ありがとう。ほんまにごめん」
リリコが目を伏せると、叔父ちゃんは「何言うてんの」と笑う。
「僕らが心配するんは当たり前や。リリちゃんももっと僕らを頼って欲しいわ。リリちゃんは早ように社会人になったししっかりしとるけど、僕らにとってはまだまだ小さいリリちゃんやねんから」
「そんな、全然。私、お祖母ちゃんが倒れてしもうて、救急車呼ぶことも忘れて、若大将さんたちに助けてもろうて」
リリコが不甲斐なさにうなだれて首を振ると、叔母ちゃんが「そんなん当たり前やわ」とけろっと言う。
「大事な人に何かあって冷静でおれる人なんてそうおらんわ。近くに若大将さんたちがいてくれはってほんまに良かった。若大将さん、ありがとうねぇ」
「いえ、俺は何も」
「あ、そうや。私ちょっと電話して来るわ。優恵と香純に久実子お義母さん無事やって言うとかんと」
「え? 優恵ちゃんと香純ちゃん?」
リリコはまた目を丸くする。
「お電話もろたんあの子ら遊びに出る前でな。久実子お義母さんそんなんやったら、心配で遊ぶ気にならん言うて、まだ家におるわ。あの子らも久実子お義母さん大好きやし」
確かに優恵ちゃんも香純ちゃんも、お祖母ちゃんに良く懐いていた。会うたびにお小遣いをくれるということもあるのかも知れないが。
叔母ちゃんがバッグからスマートフォンを出しながら病室を出て行ってほんの少し後、お祖母ちゃんが「ん……」と小さく呻いた。
「お祖母ちゃん!?」
「久実子お義母さん!」
するとお祖母ちゃんの目がゆっくりと開かれる。立ち上がったリリコと叔父ちゃんは並んで見守った。
「……あら、リリちゃん。誠くんまで。どないしたん」
「お祖母ちゃん倒れたんやで。覚えてへんの?」
「ああ、そうやったねぇ。目眩がしんどおて。もしかしてここ病院やろか」
「うん。若大将さんが救急車呼んでくれたんや」
「あら、まぁ」
若大将さんはナースコールを押そうと、お祖母ちゃんの枕元に腕を伸ばす。その若大将さんにお祖母ちゃんは顔を向けた。
「まぁまぁ、若大将さんまで。これはとんだご迷惑をお掛けしたねぇ」
「とんでも無いですわ。今看護師さん呼びますさかいに」
「ありがとうねぇ」
若大将さんがナースコールを押すと、スピーカーから「加島さん、どうされました?」と問い掛けが響く。
「目ぇ覚ましはりました」
「はい。今行きます」
会話は端的に済み、回線が切れる。やがて看護師さんがやって来た。
「加島さん、ご気分はどうですか?」
「もう大丈夫ですよ」
「良かったです。血圧と酸素濃度を測りますね」
看護師さんはお祖母ちゃんの指にパルスオキシメータを挟み、次に電子血圧計を手首に巻く。結果をカルテに書き込みながら。
「はーい、大丈夫ですね。もうすぐ先生が来はりますからね。お待ちくださいね」
看護師さんはそう言い残して病室を出て行った。
「お祖母ちゃん、ほんまにもう大丈夫なん? しんどいとか気持ち悪いとか無い?」
「あれへんよ。あの時はねぇ、リリちゃんが家を出た途端に、びっくりするぐらい凄い目眩がしてねぇ。横になったら起き上がれんくなってしもたんよ」
お祖母ちゃんは言いながら上半身を起こそうとする。その時に自分に繋がれている点滴に気付いて「あら、まぁ」と腕を上げた。
「なんやこんなんされたら、えらいことみたいやわぁ」
「いや久実子お義母さん、倒れんのはえらいことやで」
叔父ちゃんが突っ込んだ時、叔母ちゃんが帰って来た。
「優恵も香純も安心しとったわ。せやからこれから遊びに行くって。あ、久実子お義母さん目ぇ覚めたんやね! ああ~良かった~」
叔母ちゃんはせかせかと言い、お祖母ちゃんに気付くと小走りでベッドに寄った。
「あらあら美樹ちゃんまで。もう大丈夫やでぇ。ほんまに心配掛けてしもうてごめんねぇ。リリちゃんが連絡してくれたん?」
「ううん、大将さんがしてくれたんやて。いつの間にか叔父ちゃんたちと連絡先交換しとったみたいで」
「あらまぁ」
お祖母ちゃんも驚いて目を丸くすると、「お待たせしました。よろしいですか?」と、さっきの先生がやって来た。
「さっきお孫さんたちには説明さしてもらったんですけど、加島さんにもね」
先生は笑顔で言って、リリコと若大将さんにしてくれた説明を、お祖母ちゃんにしてくれた。叔父ちゃんと叔母ちゃんも真剣に耳を傾けている。
「ほな、私はそのええっと、なんとかっていう成分? がちゃんと作れる様になるお薬と、鉄剤を飲めば大丈夫なんですね?」
「はい。なので定期的に検査と投薬に通って欲しいんです。加島さんが通いやすい病院かクリニックに紹介状を書きますね。ここやと少し遠いですからね。そしてあとはお食事に気を付けてくださいね。基本はバランス良う食べてもろたらええんですけど、この辺少し意識してもろうたら」
先生が出したのは、鉄分が多い食べ物とその摂り方の説明書。ヘム鉄ならレバーやかつおなど、非ヘム鉄なら小松菜や厚揚げなどに鉄分が多く含まれる。
ビタミンCが非ヘム鉄の吸収を高め、逆にコーヒーや緑茶などに含まれるタンニンが阻害してしまう。
食物は聞いたことがあったが、その摂り方などは、普段鉄分を意識していなかったので、知らなかったことばかりである。
「あらぁ、うちはおみかんたくさん食べるから、ビタミンCは摂れてるわねぇ。夏も何か果物とかいただいたらええみたいやねぇ」
「でもお祖母ちゃん、うちお茶は緑茶が多いやん。普段飲むん麦茶とかにした方がええかも」
「せやねぇ。緑茶はおやつの時のお楽しみにしようかしらぁ」
「そうですねぇ。麦茶はカフェインも入ってへんから、普段飲みにええですよ。ほうじ茶も少ないですしね。何かご質問とかありますか?」
「大丈夫です」
「そうですか。ほな今日は一晩ここでゆっくりしてもろて、退院は明日になりますから」
「あら、私はもう大丈夫ですよぉ」
「けど念のため。もう顔色もええみたいですけど、一時的に悪化したみたいなんが気になります。経過観察さしてください」
だがお祖母ちゃんは「いいえ」とゆっくりとかぶりを振る。
「ここの方が落ち着きませんからねぇ。どうせゆっくりするんやったらお家がええですわ」
「でもお祖母ちゃん、やっぱり念のため一晩おった方がええと思う。私明日迎えに来るから」
「お仕事お休みしてか?」
「うん」
リリコが当然の様に応えると、お祖母ちゃんは表情を固くして「それはあかんよ」と首を振った。
「こんなことでお仕事お休みしたらあかんよ。お祖母ちゃんはたいしたこと無いんやから」
「お祖母ちゃん……」
リリコは眦を下げてしまう。こんな頑固なお祖母ちゃんは初めてかも知れない。リリコは困り果てた。
先生も「うーむ」と唸ってしまう。だがやがて「うん」と何かを決めた様に頷く。
「そしたら明日、必ずお近くの病院に行ってくれますか? これからすぐに紹介状書きますから。うちの薬局が時間外で閉まってますんで、お薬はこちらから3日分出します。最低でもお薬が無くなるまでに行ってください」
「はい。わかりました」
お祖母ちゃんは顔を綻ばせて頷いた。
クリーム色を基調にしたふたり用の病室に入ると、奥のベッドでお祖母ちゃんが眠っていた。同室の患者さんはいない。もともと空いている様だ。
さっき倒れてた時には顔をしかめていたのに、今は穏やかそうに見える。顔色も良くなっている気がする。
掛け布団から出た左腕には針が刺さっていて、点滴のボトルに繋がっている。管の途中の筒の中でぽと、ぽと、とゆっくりと透明の液体が落ちていた。
ベッドの脇にパイプ椅子がひとつあり、若大将さんがまたリリコを座らせてくれる。若大将さんは出窓になっているところにもたれた。
眠るお祖母ちゃんを見て、リリコはまた安心して「はぁ~」と息を吐いた。
「お祖母ちゃん、ほんまに良かった……」
リリコは呟いて、また溢れて来た涙を拭う。いつの間にか若大将さんのハンカチはリリコの手元にあった。ぼとぼとに濡れそぼっていて、もはや役目を果たしているのかどうか。
「リリコちゃん、ハンカチ洗って来るわ。もう役に立ってへんやろ」
「あ、ごめんなさい。自分で行きます。洗って返しますから」
あんなに泣いてしまって恥ずかしい。こんなになってしまったハンカチを見られるもの恥ずかしい。ようやくそう思う余裕ができていた。
「かまへんかまへん。そのままで大丈夫や。すぐに戻るから」
若大将さんはリリコの手からそっとハンカチを取り上げると、病室を出て行った。
リリコはそう言えば、まだ寒いのに何かを羽織ることも忘れて、ついでにスマートフォンや財布まで家に置いて来てしまっていた。
「そうや、お財布。病院にお金払わなあかんのに」
ひとまず若大将さんにお借りするか? だがそれはあまりにも申し訳が無い。そうだ、お祖母ちゃんの退院が明日になるのなら、支払いはその時で良いはずだ。病院は完全看護で、お見舞いの時間が終わればリリコたちは帰されるだろう。明日朝いちで来て、出る時に払えばきっと大丈夫だ。
ああ、明日はお仕事もお休みをいただかなければ。退院は昼前と先生はおっしゃっていたが、お祖母ちゃんをひとりにはしておけない。絶対に家事などで無茶をするだろうから、リリコがこなしつつお祖母ちゃんを見張っていなければ。
若大将さんが戻って来た。洗ったハンカチをまたリリコに貸してくれる。
「冷たぁしてあるから、目ぇ冷やしとき」
鏡など見ずとも、目がすっかりと腫れているのが分かる。まぶたが重い。リリコは「ありがとうございます」と言いながらハンカチを目に当てた。ひんやりとして気持ちが良かった。
「久実子さんはもう大丈夫や。きっと目ぇ覚ましたらけろっとしてはるで」
「はい」
そうだ。先生だってもう心配は要らないと言っていたのだから。
その時、開けっ放しのドアからふたつの人影が現れた。
「リリちゃん」
「……叔父ちゃん? 叔母ちゃん?」
リリコは驚いて腰を浮かす。亡き父の弟夫妻だった。
「ああリリちゃん、ええから座っとき」
叔父ちゃんは労わる様に、リリコの肩をぽんと叩く。
「大変やったなぁ、リリちゃん。久実子お義母さんはどうや」
「歳で腎臓が弱って、それで貧血起こしたらしいて。それよりなんで叔父ちゃんと叔母ちゃんが?」
「いちょう食堂の大将から連絡もろたんや」
「大将さんから?」
どうして大将さんと叔父ちゃんたちに関わりが? リリコは何が何やら判らず、ぽかんとしてしまう。
「ああ、リリコちゃんたちには言うてへんかったな。実はな、叔父さんと叔母さん、うちの店に来てくれたんや」
「え? え?」
リリコの視線が忙しなく若大将さんと叔父ちゃんたちを往復する。
「家建てとる間、久実子お義母さんが電話でテナントと賃貸入れる言うとったやろ。リリちゃんたちが信用しとる人らやねんから大丈夫やと思ってても、やっぱり男ふたりや言うたら心配にもなるんや。せやからお店の方にお邪魔さしてもろたんや。挨拶さしてもろうて、少し話もさしてもろうて、念のためにって電話番号交換したんや。まさかこんなことに役に立つとは思わんかったけどな」
叔父ちゃんは苦笑しながら頭を掻く。
「ほんまに大将さんからお電話もろうた時はびっくりしたわ。久実子お義母さんが倒れて救急車呼んだ言われて、叔母ちゃん血の気が引いたわ。お父さん、叔父ちゃんもすっかり慌ててしもうて。大将さんは病院が判ったらまた連絡くれる言うてくれはったけど、叔母ちゃんらもじっとしてられへんもん。搬送先は家の近くの病院やろうから、まずはリリちゃんたちの家に行こう言うて車出して、そしたら途中で大将さんご連絡くれはったんよ」
「でもこの様子やと、久実子お義母さん大丈夫みたいやな」
叔父ちゃんが心底ほっとした様な表情で、眠るお祖母ちゃんを見下ろす。
「ほんま良かった。救急車呼ぶほどの貧血や言うたら相当やと思うけど、顔色も悪う無いみたいやし、ほんま安心したわ」
叔母ちゃんもそう言って表情を緩める。ふたりには本当に心配を掛けてしまった。
「叔父ちゃん叔母ちゃん、ありがとう。ほんまにごめん」
リリコが目を伏せると、叔父ちゃんは「何言うてんの」と笑う。
「僕らが心配するんは当たり前や。リリちゃんももっと僕らを頼って欲しいわ。リリちゃんは早ように社会人になったししっかりしとるけど、僕らにとってはまだまだ小さいリリちゃんやねんから」
「そんな、全然。私、お祖母ちゃんが倒れてしもうて、救急車呼ぶことも忘れて、若大将さんたちに助けてもろうて」
リリコが不甲斐なさにうなだれて首を振ると、叔母ちゃんが「そんなん当たり前やわ」とけろっと言う。
「大事な人に何かあって冷静でおれる人なんてそうおらんわ。近くに若大将さんたちがいてくれはってほんまに良かった。若大将さん、ありがとうねぇ」
「いえ、俺は何も」
「あ、そうや。私ちょっと電話して来るわ。優恵と香純に久実子お義母さん無事やって言うとかんと」
「え? 優恵ちゃんと香純ちゃん?」
リリコはまた目を丸くする。
「お電話もろたんあの子ら遊びに出る前でな。久実子お義母さんそんなんやったら、心配で遊ぶ気にならん言うて、まだ家におるわ。あの子らも久実子お義母さん大好きやし」
確かに優恵ちゃんも香純ちゃんも、お祖母ちゃんに良く懐いていた。会うたびにお小遣いをくれるということもあるのかも知れないが。
叔母ちゃんがバッグからスマートフォンを出しながら病室を出て行ってほんの少し後、お祖母ちゃんが「ん……」と小さく呻いた。
「お祖母ちゃん!?」
「久実子お義母さん!」
するとお祖母ちゃんの目がゆっくりと開かれる。立ち上がったリリコと叔父ちゃんは並んで見守った。
「……あら、リリちゃん。誠くんまで。どないしたん」
「お祖母ちゃん倒れたんやで。覚えてへんの?」
「ああ、そうやったねぇ。目眩がしんどおて。もしかしてここ病院やろか」
「うん。若大将さんが救急車呼んでくれたんや」
「あら、まぁ」
若大将さんはナースコールを押そうと、お祖母ちゃんの枕元に腕を伸ばす。その若大将さんにお祖母ちゃんは顔を向けた。
「まぁまぁ、若大将さんまで。これはとんだご迷惑をお掛けしたねぇ」
「とんでも無いですわ。今看護師さん呼びますさかいに」
「ありがとうねぇ」
若大将さんがナースコールを押すと、スピーカーから「加島さん、どうされました?」と問い掛けが響く。
「目ぇ覚ましはりました」
「はい。今行きます」
会話は端的に済み、回線が切れる。やがて看護師さんがやって来た。
「加島さん、ご気分はどうですか?」
「もう大丈夫ですよ」
「良かったです。血圧と酸素濃度を測りますね」
看護師さんはお祖母ちゃんの指にパルスオキシメータを挟み、次に電子血圧計を手首に巻く。結果をカルテに書き込みながら。
「はーい、大丈夫ですね。もうすぐ先生が来はりますからね。お待ちくださいね」
看護師さんはそう言い残して病室を出て行った。
「お祖母ちゃん、ほんまにもう大丈夫なん? しんどいとか気持ち悪いとか無い?」
「あれへんよ。あの時はねぇ、リリちゃんが家を出た途端に、びっくりするぐらい凄い目眩がしてねぇ。横になったら起き上がれんくなってしもたんよ」
お祖母ちゃんは言いながら上半身を起こそうとする。その時に自分に繋がれている点滴に気付いて「あら、まぁ」と腕を上げた。
「なんやこんなんされたら、えらいことみたいやわぁ」
「いや久実子お義母さん、倒れんのはえらいことやで」
叔父ちゃんが突っ込んだ時、叔母ちゃんが帰って来た。
「優恵も香純も安心しとったわ。せやからこれから遊びに行くって。あ、久実子お義母さん目ぇ覚めたんやね! ああ~良かった~」
叔母ちゃんはせかせかと言い、お祖母ちゃんに気付くと小走りでベッドに寄った。
「あらあら美樹ちゃんまで。もう大丈夫やでぇ。ほんまに心配掛けてしもうてごめんねぇ。リリちゃんが連絡してくれたん?」
「ううん、大将さんがしてくれたんやて。いつの間にか叔父ちゃんたちと連絡先交換しとったみたいで」
「あらまぁ」
お祖母ちゃんも驚いて目を丸くすると、「お待たせしました。よろしいですか?」と、さっきの先生がやって来た。
「さっきお孫さんたちには説明さしてもらったんですけど、加島さんにもね」
先生は笑顔で言って、リリコと若大将さんにしてくれた説明を、お祖母ちゃんにしてくれた。叔父ちゃんと叔母ちゃんも真剣に耳を傾けている。
「ほな、私はそのええっと、なんとかっていう成分? がちゃんと作れる様になるお薬と、鉄剤を飲めば大丈夫なんですね?」
「はい。なので定期的に検査と投薬に通って欲しいんです。加島さんが通いやすい病院かクリニックに紹介状を書きますね。ここやと少し遠いですからね。そしてあとはお食事に気を付けてくださいね。基本はバランス良う食べてもろたらええんですけど、この辺少し意識してもろうたら」
先生が出したのは、鉄分が多い食べ物とその摂り方の説明書。ヘム鉄ならレバーやかつおなど、非ヘム鉄なら小松菜や厚揚げなどに鉄分が多く含まれる。
ビタミンCが非ヘム鉄の吸収を高め、逆にコーヒーや緑茶などに含まれるタンニンが阻害してしまう。
食物は聞いたことがあったが、その摂り方などは、普段鉄分を意識していなかったので、知らなかったことばかりである。
「あらぁ、うちはおみかんたくさん食べるから、ビタミンCは摂れてるわねぇ。夏も何か果物とかいただいたらええみたいやねぇ」
「でもお祖母ちゃん、うちお茶は緑茶が多いやん。普段飲むん麦茶とかにした方がええかも」
「せやねぇ。緑茶はおやつの時のお楽しみにしようかしらぁ」
「そうですねぇ。麦茶はカフェインも入ってへんから、普段飲みにええですよ。ほうじ茶も少ないですしね。何かご質問とかありますか?」
「大丈夫です」
「そうですか。ほな今日は一晩ここでゆっくりしてもろて、退院は明日になりますから」
「あら、私はもう大丈夫ですよぉ」
「けど念のため。もう顔色もええみたいですけど、一時的に悪化したみたいなんが気になります。経過観察さしてください」
だがお祖母ちゃんは「いいえ」とゆっくりとかぶりを振る。
「ここの方が落ち着きませんからねぇ。どうせゆっくりするんやったらお家がええですわ」
「でもお祖母ちゃん、やっぱり念のため一晩おった方がええと思う。私明日迎えに来るから」
「お仕事お休みしてか?」
「うん」
リリコが当然の様に応えると、お祖母ちゃんは表情を固くして「それはあかんよ」と首を振った。
「こんなことでお仕事お休みしたらあかんよ。お祖母ちゃんはたいしたこと無いんやから」
「お祖母ちゃん……」
リリコは眦を下げてしまう。こんな頑固なお祖母ちゃんは初めてかも知れない。リリコは困り果てた。
先生も「うーむ」と唸ってしまう。だがやがて「うん」と何かを決めた様に頷く。
「そしたら明日、必ずお近くの病院に行ってくれますか? これからすぐに紹介状書きますから。うちの薬局が時間外で閉まってますんで、お薬はこちらから3日分出します。最低でもお薬が無くなるまでに行ってください」
「はい。わかりました」
お祖母ちゃんは顔を綻ばせて頷いた。
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