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2章 肉食野郎と秘密のお嬢さん
第6話 実は。
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翌日、夜の営業前に「すこやか食堂」の固定電話が鳴った。ファクスと一体化になったシンプルな電話機だ。取ったのは悠ちゃんである。
「……はい、はい、分かりました。ほな、お待ちしておりますね」
悠ちゃんが静かに受話器を置く。
「みのり、ビフテキさんや。明日週末の金曜日やから、言うてた女性連れて来たいって」
「明日やね。分かった」
みのりは頷く。
「でな、ビフテキさんの本名、浦安さんやて。いつもステーキ焼いてもろてる者です、て言わはるからすぐに分かったわ」
「浦安さんやね。ちゃんとお呼びせんと」
そうしてビフテキさん改め浦安さんは、金曜日に思い人と来られることになった。その日のお惣菜は動物性を除去して、そうだ、とろろこんぶの在庫をチェックしておかなければ。
そして金曜日の夜営業。予約時間の18時過ぎにビフテキさん、もとい、浦安さんは訪れた。続いて小柄で小動物の様に可愛らしい女性が入ってくる。相当寒がりなのか、いったい何枚着込んでいるのか、ベージュのダウンコートはまるでだるまの様に膨らんでいた。マフラーも幅の広そうなものを口元までぐるぐるに巻いている。
「こんばんは。今日は無理言うてすいません」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。いらっしゃいませ」
浦安さんは気軽な調子で言って、それぞれコートを脱いで、ドア脇の木製のハンガーラックに掛ける。浦安さんはグレイのトレンチコート、女性はダウンの下にニットのジャケットまで着込んでいた。女性はニットは着たままで、浦安さんとふたりでみのりが示したカウンタ席に腰を降ろす。
「ここ、酒は無いんやけど、おかずとかが日替わりで飽きひんねん。俺しょっちゅう来て、ステーキ焼いてもろてんねん。牛のやつな」
みのりが渡した温かなおしぼりで手を拭きながら、おしながきを広げて意気揚々と語る浦安さん。それまで女性は店内を興味深げにきょろきょろと見渡して楽しそうにしていたのだが、途端に表情に陰りを見せた。引きつっている様にも見える。
「それが赤身肉で、でもめっちゃやぁらかくて旨いねん。せやからぜひ、佐竹さんにもぜひ食べて欲しいて思って」
「でも先輩、私はあの」
女性、佐竹さんは戸惑っている。浦安さんはそんな佐竹さんに畳み掛ける様に口を開く。時折目線がみのりに向く。フォローを期待されているのだろうか。
「牛肉、めっちゃ旨いやん。食べられへん人生なんてもったい無いと思わん?」
正直、浦安さんがここまでストレートにぐいぐい行くなんて思わなかった。みのりはためらいつつも、思い切って「あ、あの」と声を上げた。浦安さんの期待する様な視線と、佐竹さんの助けを求める様な眼差しが、同時にみのりに注がれる。
「浦安さん、あの、後輩さんがベジタリアンにならはったんは、ひとつの決意やと思うんです。そうしはった過程があって。せやから尊重しはるべきなんや無いやろかって思うんですよ」
援護射撃してもらうつもりだったのに、まさか佐竹さん側に付かれるとは。浦安さんはそんなことを思ったのかも知れない。あからさまにショックを受けた様な顔をされた。みのりは申し訳無いと苦笑いを浮かべてしまう。
「浦安さんもベジタリアンとかヴィーガンとか、牛肉が食べられんくなる宗教とか押し付けられたらお嫌や無いですか?」
「そりゃ、そうやけど。旨いから食わへんやなんてって思って」
「美味しいの感覚も人それぞれやと思うんですよ。好きなもんも。ちなみに私は、お肉類やったら鶏のレバがいちばん好きです」
「そうなん!?」
浦安さんが信じられないという様に目を見張る。ビーフステーキ好き、牛肉が至上の浦安さんにしてみれば、鶏レバ好きだなんてありえないのかも知れない。
鶏レバは、みのりの貧血対策のために、幼いころから美味しく食べられる様にと、お母さんいろいろ工夫を凝らして調理してくれていた。多いのは甘辛く煮付けたものやニラレバなど。お塩で焼いてねぎポン酢を掛けたものも美味しかった。そのおかげでレバ好きになったのだ。
ヘム鉄含有量がいちばん多いお肉類は豚のレバである。だがスーパーなどで手に入りやすいのは牛か鶏のレバである。そのふたつだと鶏レバの方に多く含まれるのだ。
「レバってぱさぱさして食いにくいやん。それやのに?」
「それやのに、です」
レバは好き嫌いが分かれる食材だと思う。独特な味はもちろんだが、火を通すとぱさついてしまう食感が苦手だと言う人も多い。だがそれが気にならない、むしろ旨味だと感じるみのりの様な人もたくさんいるのだ。
「ですから、植物性しか食べはれへんのやったら、それでええや無いですかねぇ。特に牛肉はアレルギーを持ってはる方もいますからね」
「え、お肉にアレルギーてあんの? 蕎麦とか小麦とかは知ってるけど。あ、あと卵とか」
「ありますよ。結構思いもよらんもんがアレルゲンなことがあったりします。せやので食べ物をおすすめするときは注意が必要やなって思います」
「そっかぁ、知らんかった……」
浦安さんは肩を落として、だがすぐに佐竹さんに頭を下げた。
「ごめん、佐竹さん。俺、無神経なことをしてしもた」
みのりはほっと胸を撫で下ろす。良かった、分かってくれた。
「いえ、あの、実は私……」
佐竹さんは苦しげに可憐な顔を歪めてしまっている。みのりが余計なことをしてしまったのだろうかと慌てると、少しの沈黙のあと、ぽつりと漏らした。
「私、実は、卵アレルギーなんです」
その言葉で、みのりは佐竹さんがなぜヴィーガンレストランに行きたがったのかを理解した。
「……はい、はい、分かりました。ほな、お待ちしておりますね」
悠ちゃんが静かに受話器を置く。
「みのり、ビフテキさんや。明日週末の金曜日やから、言うてた女性連れて来たいって」
「明日やね。分かった」
みのりは頷く。
「でな、ビフテキさんの本名、浦安さんやて。いつもステーキ焼いてもろてる者です、て言わはるからすぐに分かったわ」
「浦安さんやね。ちゃんとお呼びせんと」
そうしてビフテキさん改め浦安さんは、金曜日に思い人と来られることになった。その日のお惣菜は動物性を除去して、そうだ、とろろこんぶの在庫をチェックしておかなければ。
そして金曜日の夜営業。予約時間の18時過ぎにビフテキさん、もとい、浦安さんは訪れた。続いて小柄で小動物の様に可愛らしい女性が入ってくる。相当寒がりなのか、いったい何枚着込んでいるのか、ベージュのダウンコートはまるでだるまの様に膨らんでいた。マフラーも幅の広そうなものを口元までぐるぐるに巻いている。
「こんばんは。今日は無理言うてすいません」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。いらっしゃいませ」
浦安さんは気軽な調子で言って、それぞれコートを脱いで、ドア脇の木製のハンガーラックに掛ける。浦安さんはグレイのトレンチコート、女性はダウンの下にニットのジャケットまで着込んでいた。女性はニットは着たままで、浦安さんとふたりでみのりが示したカウンタ席に腰を降ろす。
「ここ、酒は無いんやけど、おかずとかが日替わりで飽きひんねん。俺しょっちゅう来て、ステーキ焼いてもろてんねん。牛のやつな」
みのりが渡した温かなおしぼりで手を拭きながら、おしながきを広げて意気揚々と語る浦安さん。それまで女性は店内を興味深げにきょろきょろと見渡して楽しそうにしていたのだが、途端に表情に陰りを見せた。引きつっている様にも見える。
「それが赤身肉で、でもめっちゃやぁらかくて旨いねん。せやからぜひ、佐竹さんにもぜひ食べて欲しいて思って」
「でも先輩、私はあの」
女性、佐竹さんは戸惑っている。浦安さんはそんな佐竹さんに畳み掛ける様に口を開く。時折目線がみのりに向く。フォローを期待されているのだろうか。
「牛肉、めっちゃ旨いやん。食べられへん人生なんてもったい無いと思わん?」
正直、浦安さんがここまでストレートにぐいぐい行くなんて思わなかった。みのりはためらいつつも、思い切って「あ、あの」と声を上げた。浦安さんの期待する様な視線と、佐竹さんの助けを求める様な眼差しが、同時にみのりに注がれる。
「浦安さん、あの、後輩さんがベジタリアンにならはったんは、ひとつの決意やと思うんです。そうしはった過程があって。せやから尊重しはるべきなんや無いやろかって思うんですよ」
援護射撃してもらうつもりだったのに、まさか佐竹さん側に付かれるとは。浦安さんはそんなことを思ったのかも知れない。あからさまにショックを受けた様な顔をされた。みのりは申し訳無いと苦笑いを浮かべてしまう。
「浦安さんもベジタリアンとかヴィーガンとか、牛肉が食べられんくなる宗教とか押し付けられたらお嫌や無いですか?」
「そりゃ、そうやけど。旨いから食わへんやなんてって思って」
「美味しいの感覚も人それぞれやと思うんですよ。好きなもんも。ちなみに私は、お肉類やったら鶏のレバがいちばん好きです」
「そうなん!?」
浦安さんが信じられないという様に目を見張る。ビーフステーキ好き、牛肉が至上の浦安さんにしてみれば、鶏レバ好きだなんてありえないのかも知れない。
鶏レバは、みのりの貧血対策のために、幼いころから美味しく食べられる様にと、お母さんいろいろ工夫を凝らして調理してくれていた。多いのは甘辛く煮付けたものやニラレバなど。お塩で焼いてねぎポン酢を掛けたものも美味しかった。そのおかげでレバ好きになったのだ。
ヘム鉄含有量がいちばん多いお肉類は豚のレバである。だがスーパーなどで手に入りやすいのは牛か鶏のレバである。そのふたつだと鶏レバの方に多く含まれるのだ。
「レバってぱさぱさして食いにくいやん。それやのに?」
「それやのに、です」
レバは好き嫌いが分かれる食材だと思う。独特な味はもちろんだが、火を通すとぱさついてしまう食感が苦手だと言う人も多い。だがそれが気にならない、むしろ旨味だと感じるみのりの様な人もたくさんいるのだ。
「ですから、植物性しか食べはれへんのやったら、それでええや無いですかねぇ。特に牛肉はアレルギーを持ってはる方もいますからね」
「え、お肉にアレルギーてあんの? 蕎麦とか小麦とかは知ってるけど。あ、あと卵とか」
「ありますよ。結構思いもよらんもんがアレルゲンなことがあったりします。せやので食べ物をおすすめするときは注意が必要やなって思います」
「そっかぁ、知らんかった……」
浦安さんは肩を落として、だがすぐに佐竹さんに頭を下げた。
「ごめん、佐竹さん。俺、無神経なことをしてしもた」
みのりはほっと胸を撫で下ろす。良かった、分かってくれた。
「いえ、あの、実は私……」
佐竹さんは苦しげに可憐な顔を歪めてしまっている。みのりが余計なことをしてしまったのだろうかと慌てると、少しの沈黙のあと、ぽつりと漏らした。
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その言葉で、みのりは佐竹さんがなぜヴィーガンレストランに行きたがったのかを理解した。
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