煮物屋さんの暖かくて優しい食卓

山いい奈

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30章 それぞれの距離感

第1話 新たなご縁

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 辰野たつのさんは小柄でとても華奢きゃしゃな女性である。お歳はまだお若い。今勤めておられる会社は大学卒業後に新卒で入社され、まだ数年とのことだった。

 いつもお酒を飲まれ、お好みはサワーである。煮物屋さんのサワーはウォッカを使うので、加味が無ければウォッカの炭酸割りになる。

 辰野さんはその日によってフレイバーを変えられる。今日の1杯目はライムだった。さっぱりした酸味と軽い甘さで食事にも合う味である。

「やっぱり1週間働いた後のお酒は美味しいですねぇ~」

 そんなことをおっしゃりながら、うっとりと目を細める。今日は金曜日なのである。

「今週もお疲れさまです。ごゆっくり疲れを癒してくださいね」

 佳鳴かなるの言葉に、辰野さんはふにゃりと頬を緩ませた。

「ありがとうございます。ここのご飯をいただくだけで、そんなの吹っ飛んじゃいます~」

 辰野さんは毎週金曜日に来ていただく常連さんなのである。

 今日のメインは豚肉と切り干し大根、干し椎茸とうずら卵の煮物である。彩りはにらで添えた。

 切り干し大根と干し椎茸の戻し汁もして使っているので、煮汁にはふたつの乾物かんぶつの豊かな味もしっかりと蓄えられている。

 戻された大根と椎茸にもしっかりと旨味が絡んでいる。お野菜はどうして干すとこんなにも滋味じみ深くなるのだろうか。

 豚肉はばら肉のかたまりを厚めにカットし、余分なあくと脂を抜いてからことことと煮込んでいるので、脂がとろけるほどに柔らかである。

 乾物のお出汁が溶け込んだ煮汁のふくよかさ。それらをまとった具材はとても良い味わいを醸し出しているのだ。

 小鉢のひとつはごぼうといんげん豆のきんぴらである。ごぼうは食感を活かすために、縦半分に割ったものを斜め薄切りにしている。いんげん豆はごぼうと長さを合わせてカット。

 ごま油でしっかりと炒めて、味付けは日本酒とお砂糖とお醤油。仕上げにすり白ごまをまぶす。

 ごぼうは皮をかずに使うので、心地のよい土の香りといんげん豆の爽やかさ、白ごまの香ばしさが相まって、良い風味を生み出しているのである。

 小鉢のもうひとつは、かぼちゃとアーモンドのサラダだ。色鮮やかな皮ごと蒸して荒く潰したかぼちゃにプレーンヨーグルトとお砂糖、お塩を混ぜ、乾煎からいりしたアーモンドスライスをたっぷりと混ぜ込んだ。

 ねっとりとした甘いかぼちゃにあっさりとした酸味を持つヨーグルト。かりっと香ばしいアーモンドが加わって良いアクセントなのだ。

「はい、お料理お待たせしました」

 佳鳴が整えたお料理をお出しすると、辰野さんは「わぁ! ありがとうございます」を相貌そうぼうを崩した。

「美味しそうです~。いただきます」

 手を合わせておはしを持ち上げると、かぼちゃとアーモンドのサラダを口に運ぶ。

「ん! かぼちゃとアーモンドって合いますねぇ。美味しいです」

 目を丸くし、満足げに口を動かす辰野さん。佳鳴は「ありがとうございます」と微笑んだ。

 次に煮物にお箸を伸ばす。切り干し大根ににらを絡めて口へ。噛みしめるとしゃくしゃくと良い音がする。

「ん~、優しい味ですよねぇ。本当に癒されちゃいます。今日はどうにか定時で帰れたんですけど、今週は頭からばたばたしちゃって。先輩が自社製品の搬入数のけたを間違えちゃって、大変でした」

「あら、それは本当に大変ですね。大丈夫だったんですか?」

「どうにか。幸い少し日数に余裕があったので、工場フル回転してもらって、事務方も応援に行ってなんとか」

「それは良かったですねぇ。じゃあ今週はずっと残業を?」

「そう遅くはならなかったですけどもね。でも緊張感が半端無くて。明日と明後日のイベントで配るので、間に合わなかったら本当にどうしようかと」

「じゃあ明日は無事にイベントを迎えられるんですね。そのイベントに辰野さんも参加されるんですか?」

「いえ、それは広報と営業の人間が。あとは派遣のコンパニオンさんです。コンパニオンさんの資料見せてもらったんですけど、綺麗な人ばっかりなんですよ~」

「辰野さんのお仕事は、美も大事ですものね」

 辰野さんのお勤め先は、化粧品の開発や製造をされている会社なのだ。辰野さんは事務に従事しておられる。

 なのでイベントに参加されるのなら美容関係のもよおしだろう。自社製品と言うのも恐らくはサンプルか何かだ。

「そうなんですよね~。無事成功すると良いんですけども。私たちも準備に駆り出されちゃって。うちの場合、事務って何でも屋みたいなところがあって、人手が足りなかったら部署関係無く駆り出されちゃうんですもの。さすがにイベント当日は免除されましたけど。おかげでゆっくり休めます。今日も飲みますよ~。サワーお代わりください。次はグレープフルーツで」

 お話をしているうちに、辰野さんのタンブラーはすっかりと氷だけになっていた。

 辰野さんは可愛らしい見た目に反して酒豪しゅごうなのである。ビールは苦いとおっしゃって好まれないのだが、サワーがお好きでたくさん飲まれる。煮物屋さんのサワーはウォッカがベースなので、アルコール度数は馬鹿にできないのだが、辰野さんに掛かるとまるでジュースの様だ。

「はい。お待ちくださいね」

 新しいグラスを出し、氷、ウォッカ、グレープフルーツ果汁、炭酸水を入れてステアする。できあがったそれを辰野さんにお渡しし、空いたグラスを引き上げた。

「お待たせしました」

「ありがとうございます」

 いつものペースだと、この2杯目もすぐに空になるだろう。それでいてほとんど酔わないのだ。ご自身の適量をしっかりと把握しておられる。見ていて気持ちが良い。

「また週明けから頑張れます。お酒もお料理も美味しいです~」

「それは嬉しいです」

 辰野さんのリラックスした様子に、佳鳴は微笑ましくなってゆったりと笑みを浮かべた。
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