異世界道中 お侍付き

井戸 正善

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2.はらぺこ侍

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「かたじけない……!」

 空腹を訴えるお侍の甲志郎に、鋭介はしばらく悩んだ末に母の手作り弁当を渡すことにした。
 恭しく両手で弁当を受け取った甲志郎は、初めて見るプラスチックの感触を不思議がりながらも、揚げ物や卵焼き、サラダやそぼろご飯が詰まった弁当に感動しつつ箸を動かす。

「美味い……! 何かよくわからぬ物も入っておるが、それも美味い。にしても、きれいな白米であるな……もしや、九鬼どのは豪商か高貴な家の方なのか?」

「いやいや、普通のサラリーマン家庭ですよ」

「さらりーまん? ふむ……同じ日ノ本でも、世間の様相は随分と違うようだのう」

 話している間も、箸は止まっていない。
 それから、鋭介たちは自分たちがどういう経緯で今の場所に飛ばされてきたのかを話し合った。
 甲志郎はここが外国だと考えていたようだが、ファンタジー作品好きでネット情報を漁ることが趣味の鋭介が「あんな牛は地球にいない」と説明し、おそらく日本がある世界とは違う場所なのだろうと話すと、多少は理解できたらしい。

「距離が遠いとか近いとかじゃなくて、そもそも同じ空間ですらないと思います」

「そのようなことがあるのか。何やら妖怪に騙されたような気すらする。ふむ……」

 おもむろに立ち上がった甲志郎が、澄み渡った青空を見上げたかと思うと、大きくうなずいた。

「お天道様が二つに増えておるな」

「えっ? ……まじか」

 甲志郎に言われて初めて気づいた鋭介が空を見上げると、まぶしい光を放つ太陽がかなり近い位置で二つ存在していた。
 動物や植生で説明しても確定的な証拠にならないんじゃないかと不安だったが、甲志郎の時代でも現在でも太陽の数は変わらない。

「納得はできた。しかし問題は、これからどうするかであろう。九鬼どのはこのような事態への対応に詳しいようだが、如何」

「詳しいわけじゃないんです。本で似たような物語をいくつか読んだだけで、そうなんじゃないかって思っただけで……。あと、九鬼どのなんて呼ばなくて大丈夫ですよ。俺はそんな大した生まれでもないし」

「では鋭介。拙者のことも甲志郎と呼んでくだされ。それに、鋭介は拙者の恩人である。そのようにへりくだって話すこともござらん。それにしても、この弁当の美味いことと言ったら。評判の料理屋でもこれほどのものは食べたことがない」

「ありがとう。母さんが聞いたら喜ぶよ」

「御母堂が作られたのか。いやはや……ん? おい、鋭介。ではこれはお主がここへ持ち込んだ物なのか?」

「そうだけど……」

「他にも持っているのか?」

「お菓子がいくつか。弁当はそれだけだよ」

「なんと……では、元の世で御母堂が作られたものを拙者が食べてしまったのか……」

 空になった弁当箱を見下ろす甲志郎の視線は、悲しみも含んではいるが、何かを決意したような強いものだった。
 二親と離れて、外国よりも遠い世界に飛ばされてきた鋭介にとって、これが最後の母の味になるはずだった弁当だ。
 甲志郎はそう考えると、何やら胸に熱いものがこみ上げてきた。

「えっ、なんかめっちゃ泣いてる?」

「鋭介! いや鋭介どの!」

「な、なに? ナンデスカ?」

 突如滂沱の涙を流し始めた甲志郎は、驚く鋭介を捕獲するかの如くがっちりと両肩を掴んだ。
 太い指が食い込むほどに力強く、無精ひげのいかつい顔をくしゃくしゃにして泣いている甲志郎の顔は、ちょっと怖い。

「御母堂が手ずから作られた大切な弁当を、拙者に与えてくださったのか……! 鋭介どの、貴殿はなんという慈悲深い男だ。なんという……」

「いやでも、甲志郎は腹減ってたんでしょ? 俺は朝食を食べたすぐあとだったから、そんなでもないし。三日も食べてないってのはさすがにキツイよねって思うし」

「素晴らしい!」

「いてっ!?」

 手を離したかと思ったら、ビシバシと肩を叩かれた。
 そして、気づけば甲志郎は深々と頭を下げている。

「鋭介どの。この坂田甲志郎栄佐、深く感服いたした。拙者はもとより根無し草の身ゆえ、帰る場所などござらぬ。だが、鋭介どのは親御さんの下へ帰らねばならぬ。その方法を見つけるまで、貴殿を守ると約束しよう」

「うぇ!? いやいや、それは助かるけれど、たった一つの弁当でそんな大げさな!」

「ご安心めされよ。こう見えて拙者、剣と柔には少々腕に覚えがござるゆえ。自慢ではござらぬが、一刀流皆伝。槍の方もそれなり以上にできますぞ」

「こう見えても何も、そうとしか見えないんだよなぁ……」

 甲志郎が見せる力こぶは、まるでバスケットボールを無理やり詰め込んだかのようだ。パンパンにはちきれんばかりの筋肉が、腕だけでなく全身を覆っている。
 格闘技の心得が無い鋭介には腕前のほどを察するまではできないが、万一にもケンカになったら数秒で敗れるのは間違いないと断言できる。良くて一発で昏倒。最悪一刀で両断されてしまうだろう。
 恐ろしいが、その分味方としては頼もしい。

「……わかった。それじゃ、よろしくお願いします。俺は喧嘩とか全然経験ないから、荒事は苦手なんで」

「よしよし! そうと決まれば、これからどうするかを決めようではないか」

 食休みも兼ねて話し合った二人は、まずは人里を探すことに決めた。水や食料の問題もあるが、何よりこの世界について二人とも何も知らないのだ。
 帰る方法を探すにしてもこの世界についての情報を得なければならないし、言葉の問題がある可能性も高い。
 そうなれば、まず会話や文字を憶えるところから始まる。
 もしかすると、秘匿された情報を得るために社会的な地位を得る必要まであるかも知れない。

「あれこれ考えても始まらぬ。まずは町なり村なりを探して、路銀を稼ぐとしよう。日の高いうちに異動せねば、夜になると野犬の類が出るやもしれぬ」

「こわ……」

 さらりと恐ろしいことを言う甲志郎だったが、犬の一匹二匹は怖くないと胸を張った。
 二人は牛もどきの群れから離れ、草地から拓けたように見える方向へと歩いていると、地面が均され、平らな石で舗装された幅数メートルの道路にたどり着いた。
 周囲には看板や標識などは見えないので、この道がどこに続いているかはわからない。
 それでも、人の手が入った構造物を見て鋭介は少しだけ安心した。

「人間がいるってことだよね?」

 獣人やトカゲ人間のような知的生命体によるものかも知れないが、いずれにせよ文明はあるのだ。
 いや、むしろファンタジー的世界ならば、猫耳や狐耳でふわふわ尻尾な美少女たちとの触れ合いがあるかも知れない。なめらかな石材の切り口がもし魔法によるものだとしたら、あるいは魔法少女の存在もあるかも。
 転移前に読み漁っていたあの作品やあの作品のような、バラ色というより桃色なイメージが頭に広がり、自然と鋭介の表情が緩んでいく。

「前向きに考えよう。猫耳……ご主人様……ふふふ……」

「あー……なにやら気色の悪い顔をしているところ申し訳ないが、鋭介どの」

 甲志郎は街道の片方を指さした。

「風上から血の臭いがする。獣の類ではない、人間の血の臭いが」

 誰かが戦っている。あるいは襲われている。
 そう言われて、鋭介は途端に現実に引き戻された。

「どうする? 行ったところで拙者らは異邦人。誰が敵か味方か判別はつかぬが……」

「行こう」

 鋭介は即座に決断を下した。

「盗賊に襲われている人がいるのかも知れない。悪い考えかも知れないけれど、助けて恩を売れるなら、この世界のことを教えてもらえるかも知れない」

 甲志郎は真剣な顔で頷いたが、続いた鋭介の言葉に、にっこりと笑った。

「それに、誰かが傷つくのを見過ごすのは、後味悪いから」

「うむ。さすがは鋭介どのだ。では、いざ参ろうか!」

「あ、ちょっと! てか足速っ! お、置いていかないでー!」

 腰の刀を押さえて風のように走り出した甲志郎を、鋭介はバッグを抱えて必死で追いかけた。
そして見えてきたのは、真っ白に仕立てられ、きらびやかな飾り付けがなされた馬車と、それを取り囲む薄汚い男たちの姿だった。
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