解剖令嬢

井戸 正善

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15.謁見

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 迎賓館での待機は短かった。
 王の予定はスムーズに進んだようで、昼食を終えたクレーリアは休息をとる間もなく呼ばれた。
 ただ、謁見の間ではなく王城内にある騎士たちの訓練場が指定された。これは王の謁見の間に標本とはいえ遺体の一部が運び込まれるのは忍びないと判断した文官たちの考えによるものだった。

 クレーリアにしてみれば、場所が多少変わったくらいは気にしていない。
 アルミオは安堵している。謁見の間であれば双子は入れない可能性があったのだが、訓練場であれば問題ない。彼女たちもクレーリアを充分に補佐できる。
 双子たちにしてみれば、緊張感が増す結果になってしまうが。
「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」

 迎賓館から訓練場までは徒歩で向かう。
 王城内で敵が出る可能性はかなり低いが、それでもアルミオは緊張していた。敵襲の他にも、捜索の結果が出次第連絡が来る可能性もあるのだ。
 そんな彼の前に現れたのは、敵と言えば敵だが、一人の貴族だった。
「おや、ソアーヴェ侯爵の一人娘ではないか。王城にいるとはどのような風の吹き回しかね」

 痩せた身体にぴったりとした服を着こなす貴族然とした男性であった。歳は二十代半ばあたりか、面長で鼻筋が通ってはいるものの、色白すぎてどうも不健康にすら見える。
「アポンテ子爵。私は国王陛下にご招待いただきここにいるのです。そのような言い方は不敬にあたりますよ」
「……ふん、陛下に何を吹き込もうとしているのか知らないが、あまり調子に乗らないことだ」

 アポンテ子爵と呼ばれた男性がクレーリアをよく思っていないのは態度から明らかであったが、アルミオはやや後ろに控えているしかなかった。背後の双子は視線を下げて直視することすら避けている。
「死体を弄ぶような気色の悪い研究もどきを国王陛下にご覧いただくなど、王国貴族として恥を知るべきだ」

「知りもしない。いえ、視野が狭いせいで自分が理解できないからと言って、良くないものだと否定する。それこそ恥を知るべきことでしょう」
「う……だ、だが死体に触れることそのものが汚らわしいことなのは間違いない。そうだろう!」
「いいえ」

 クレーリアはばっさりと言い切った。
「あなた方のように、忌避感を言い立てて真実を覆い隠すような真似をすることこそ、汚らわしい行為だと知りなさい。……アポンテ子爵、これ以上私と議論をしたいのであれば、どうぞ陛下の御前で行いましょう」
「ち……。父親に保護されているうちに、好き放題さえずっているがいい。いずれ我々貴族の社会に入ったとき、後悔することになる」

 吐き捨てるように言って足早に去っていったアポンテ子爵に、クレーリアは嘆息してアルミオを見た。
「ああいう人なのです。父や私の敵と呼べる人は多いですが、概ねあの程度の人なのであまり気にすることはありません」
 毅然としている。自分でも言うように全く気に留めてすらいないらしい。

「あの人は、国王軍の軍備に関する差配を行っている家系ですので羽振りは良いのですが、どうも軍事に関して衛生を軽視される傾向があるようです」
 そのため王国軍は慢性的に医薬品の備蓄がギリギリしか用意されておらず、奇跡的に大きな事故が起きていないためにどうにか回っているが、ある程度の規模の戦闘や訓練中の事故が発生すれば治療を受けられずに死ぬ兵も出るのではないかとクレーリアは危惧しているという。

「アルミオさん、私は死体を解剖して死因を特定したり、その事例を記録したりしていますが、そのための死者が増えてほしいとは思っていません」
 むしろその記録をもとにして死者の減少に繋がることをやりたいのだ。
「理解しています。少なくとも、そのつもりです。俺よりもイルダやエレナの方がもっと深くわかっていると思いますが……」

 言いながらちらりと後ろの双子に視線を向けたアルミオは、驚いて声が止まってしまった。
 イルダは不機嫌といった表情だったが、エレナの方は最早一秒たりとも待てないほどに爆発寸前の、憤怒の表情であった。
「エレナ、落ち着いてください」
 同じく気づいたクレーリアは、苦笑して宥めた。

「ああいう人たちは他にもたくさんいます。それはエレナも知っているでしょう?」
「でも、あのクソ野郎めはお嬢様を馬鹿にして……」
「馬鹿にすることもできていません。彼は何もわからずに嫌だ嫌だと赤子のように駄々をこねていただけではありませんか」
 優しい声音ではあるが、クレーリアの台詞もなかなかキツイ。

「お嬢様、急ぎましょう。陛下をお待たせするわけには」
「そうですね。頼りにしていますから、落ち着いてくださいね、エレナ。イルダもお願いしますね」
「わかりました。お任せください」
 大きく息を吐いてから胸を叩いたイルダの隣で、エレナもどうにか表情を元に戻して頷いていた。

 案内役の文官はここまでのやり取りを聞いていたはずだが、頬に一筋の汗を流したのみで黙っていたあたり、肝が据わっている。
 クレーリアの合図で移動が再開され、数分を歩くことでようやく訓練所へとたどり着いた。
 ここは非公開の訓練を行う場所で、時には貴族同士の決闘の場にもなる。ここ十数年は血統騒ぎなど起きていないのだが。

 訓練場は低い塀でぐるりと囲まれ、土を踏み固めた地面が広がっている。
 城内とは思えないほど粗野な雰囲気の場所であり、ここだけは貴族趣味の入り込む余地はなく、克己と暴力の臭いが漂っている。
「クレーリア・ソアーヴェ。待たせたようだな」
「いいえ、陛下。恐れ多いことでございます。ソアーヴェ侯爵家クレーリア、お呼びにより参上いたしました」

 王の方こそ待っていたのではないだろうか。クレーリアが訓練場に入ってすぐ、王は姿を見せた。
 その周囲には文官や護衛が付き従っているのだが、うち護衛は近衛の中でも特に最上位クラスの腕前を持つ騎士である。アルミオは王に対して平伏していたが、どちらかといえば意識は近衛の方に向いていたかも知れない。

 王の側仕えの中にはクレーリアの父、ソアーヴェ侯爵の姿もあった。
 彼は王に向けて一礼する娘の姿を見て、すぐに視線を逸らした。
「相変わらず、ここは落ち着かぬな」
「持ち込まれました物が物ですので、どうぞご容赦を」
「ああ、わかっている」

 ゆっくりと訓練場内を歩きながら王がこぼした言葉に文官の一人が声を落として説明をすると、王は頷いた。
 用意された椅子に腰を下ろした王は、左腕で頬杖を突いた格好になり、クレーリアを見遣る。アルミオや双子たちは視界にすら入っていないらしい。
「早速だが、聞きたいことがある」
「私にお答えできることでございますれば」

 ふむ、と頷いた王は、傍らに立つ侯爵をちらりと見て頷いた。
「持ち込まれた書類は一通り目を通した。標本については……後程見せてもらうとする。まず言っておくが、ここで長々と議論をするつもりはない。提案された司法解剖について、ソアーヴェ侯爵領での社会実験ともいうべき組織運用は理解している」
「では……」

「ただ、余としては自らの目で確かめないうちに、死体から情報を引き出す解剖というものについて信用を置くわけにもいかぬ」
 要望が通ったかと思ったクレーリアは、その後に運び込まれてきたものに驚いた。
 二人の騎士が板に載せて運んできたものは、一人の屈強な男性の遺体である。
 衣服は全て脱がされており、腰に布を一枚だけかけられただけの裸形。

 王はやや顔をしかめていたが、周囲の文官たちは青ざめた顔をしている。
 侯爵もクレーリアも、そして双子たちも顔色は変わっていない。むしろクレーリアに至ってはやや頬を紅潮させているほどだ。
「実践をせよ、と言われるのですか?」
 許可されなかったはずの公開検視をできると知って、クレーリアの声は弾んでいる。

 その様子を見て侯爵は頭を抱えていたが、王は少し楽しくなってきたらしい。
「その通り。言葉を並べるよりも、実力を示してみせろ。余は回りくどい話を聞くよりも、実際にどのように悪事が暴かれるのかが見てみたいのだ」
 侯爵が合図をすると、クレーリアたちが持ち込んだ現場検証用具一式が持ち込まれた。
 それらを受け取った双子が中身を確認し、問題ないことを伝える。

「畏まりました」
 クレーリアは一礼し、微笑みと共に宣言する。
「これより、こちらの方を検死解剖いたします。どうぞ、私が『この世界』に何を残そうとしているのか、ご覧いただきたく」
 まず、と遺体の全体を見始めたところまでは良かったが、肝臓の温度を測るために体温計を突き刺し始めたところで、文官の一人が体調不良を訴えて退場していった。

 ふらふらと出ていく文官の背中を見送ったアルミオは、クレーリアの解剖にまだまだ先があることを知っている。
「この程度で……」
 小さく呟いた彼は、ふと気づいた。
 王の傍らにいる近衛が、不敵な笑みを浮かべているのを。
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