この夜を越えて、静寂。

創音

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最果ての世界。

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 この世界には、数千年の長きに渡って伝わる“伝承”があるらしい。

 “異世界から来た勇者が、この地の者と協力し、世界を救うだろう……――”

 しかしそれは、お伽噺。 勇者は消えて……この世界は、緩やかに崩壊していく。




 目が覚める。 なぜかベッドで寝ていたのではなく、胎児のように丸まって宙に浮かんで眠っていたようだ。
 地面に足をつける。 ぽろり、と何かが落ちたような気がして足元を見るが……何もない。 気のせいだったか、と今度は辺りを見回す。
 そこは床も壁も、一面真っ白な部屋だった。 なぜ眠っていたのか、ここがどこなのかすら思い出せない。

 ……そう、思い出せないのだ。 自分の名前はわかるのだが。 ……確か、“ナイトメア”と呼ばれていた……はず。
 それ以外の記憶がこの身から零れ落ちてしまったようで、そのことが少しだけ悲しかった。

 誰かいないか探そうと思い、部屋を出てみる。 外は廊下だったのだろう、部屋と同じく白い壁と床だった。 しかし、そのほとんどが崩壊してしまっていて、瓦礫と化した壁の向こうに緑の木々や灰色の空が見える。
 ……ここは一体どこだろう? 
 ふと、崩れた廊下の先に一人の少年が蹲っているのが見えた。 慌てて駆け寄ると、彼は眠っているかのように瞳をかたく閉ざしていた。
 琥珀色の髪を後ろで高く結い上げた、一見して少女のような彼。 だが、なぜかオレは彼が男であると確信していたし、その閉ざされた瞳が濃い藍色であることを知っていた。

「……起きてよ、ねえ……――」

 起こそうと思い彼の体を揺するが、その冷たさに思わず手を引っ込める。 そのまま彼は、力無く廊下に倒れてしまった。

「……っ」

 オレは怖くなってその場から走り去った。 知っているはずの彼が動かなくなったことが、ひどく悲しかった。
 しかし程なくして、彼と同じように廊下に倒れ伏す人たちを見つけてしまった。

 真っ白な髪の少女、赤い髪のこども、金髪の青年が二人、オレンジ色の髪の青年……。

 知っている。 知っている。 知っているはずなのに、呼びたい名前も叫びたい想いも、頭から現れない。
 目の前で穏やかに眠る彼らは……かつての仲間だったはず。 それはわかるのに、どうして何も……何も思い出せないのだろう……?
 彼らが眠る理由も、何があったのかも……わからなくて……。


「……ナイトメア……?」


 不意に呼ばれた声に顔をあげると、廊下の先に自分そっくりな顔立ちをした淡い蒼髪の青年が、ぽつんと立っていた。 その背後には壁はなく、曇り空がよく見える。
 彼が佇む場所へふらふらと近づくと、そこは崖になっていた。 この建物は宙に浮かんでいるらしく、足元からは崩れ落ちる大地と真っ黒な海が見えた。

「……なに、これ……?」

「世界の終焉だよ」

 淡々とした彼の声に、オレは振り返る。 彼は紅い瞳で真っ直ぐにオレを見つめながら、事の顛末を説明してくれた。

「……異世界から来た勇者がね。 魔王であった君を倒した。 それが、世界崩壊の始まり。
 君は勇者を召喚した世界を憎んで、眠りについた。 目が覚めたら世界が壊れるよう、呪いをかけて」

 ひどくあっさりした説明は、やはり自分には覚えがなくて。 しかし彼の言葉が正しいのであれば、これは……今目の前で起こっている世界の崩壊は、荒れ狂う黒い海に墜ちていく大地は、灰色の空は、自分が原因ということになる。

「……オレの、せい」

「ちがうよ、ナイトメア。 悪いのは全部、世界と勇者のせい」

 聞けば、オレは魔王と呼ばれてはいたものの悪さなんてしておらず、ただその名称のみに惑わされた勇者が暴走しただけだそうで。
 だけど、記憶がないから不安になる。 彼は、オレにとって都合のいいことしか言っていないのではないのか?
 ……しかし彼はそれすら見通したように、ふわりと笑った。

「……僕たちはね、ナイトメア。 君と同じように世界を憎んだ。 世界を守ったはずの君を、この世界は拒絶したんだ。 だから……許せなくなった」

 オレたちは以前、『勇者』の立場だった。 オレが魔王の役目を引き受けたから、仲間たちも勇者から魔王の仲間へと立場を変えた。
 あの廊下で眠っていた仲間たちは、みんなオレを大切に想っていてくれた。 だからこそオレが眠りについた時、彼らは悲しんで、世界が壊れるときにはオレと共に旅立てるよう、覚めない夢を見続けているという。

 ……あんまりだ、と思った。 覚えていないけれど、彼らが大切だという感情は残っていた。 その彼らが、世界を憎んで目覚めなくなってしまうなんて。

 誰が悪いのか。 自分? それとも……世界……?


「ナイトメア」

 昏い思考の海に陥っていたオレを引き戻したのは、やはり目の前にいた彼だった。 困ったように笑いながら、彼はオレを抱き締めた。

「そんな顔しないで、ナイトメア。 僕は、僕たちは、後悔なんてしていない。 ただ君のしあわせを、願っているだけなんだよ」

「……しあわせを願っていただけなら、眠りにつく必要なんてなかったじゃないか……」

 思わずそんな言葉が零れていた。 しかし彼はそれでも笑みを崩さないまま、そんなことないよ、と頭を撫でてくれた。

「僕たちは夢を見てるんだ。 ……生まれ変わったあとの世界を。 君と僕たちが、平穏に生きられる、そんな世界を」

 大切な願い事を託すような声で、彼は囁いた。
 世界が崩れる音が遠ざかる。 灯りは消え、世界は暗闇に包まれた。 いよいよ世界が終わるのか。 恐怖はないがこれからのことに不安になって、目の前の彼の服を掴む。

「大丈夫だよ、ナイトメア」

 オレを抱き締めたまま、彼は穏やかに微笑んでいた。 彼の優しい心音に安心して、さっきまで寝ていたにも関わらずゆっくりと眠気がやってくる。
 ……次に目を覚ましたとき、世界はどうなっているのか。 それすらわからないが、彼をはじめとする大切な仲間たちが願った世界であればいいと思って、オレは瞳を閉じた。


「 生まれ変わったら、今度こそ……ずっと一緒に、生きようね。  おやすみ、ナイトメア。 僕の大切な……弟……」


 意識が闇に墜ちる瞬間聞こえた彼のその声に、オレは最期にすべてを思い出した。
 彼は、アルバ。 オレの双子の兄。 ずっとずっと……傍にいてくれた、オレの一番の理解者だった。


(忘れていて、ごめんね、お兄ちゃん。 ……次の世界では……普通の兄弟になれたら、いいね……)


 魔王とその兄ではなく、普通の兄弟として。 魔王とその仲間たちではなく、普通の友だちとして。





 めぐる世界でオレたちは、再び出逢うのだろう。
 ……すべての記憶を失くして。






「――そうして世界は滅びを迎えました。 魔王とその仲間たちの逆鱗に触れた世界は、永久の闇に呑まれました。
 彼らはきっと今でも、どこかの世界で平和に生きていることでしょう。 彼らがそう願った通りに。
 これはお伽噺。 痛みと絶望の果てにある、希望へ繋がるお伽噺……――」


 【創造神】と呼ばれた少女は、視線を空へと移す。 澄み渡る青空の下で、彼らが笑いあっていることを願いながら。


「また、逢いましょう」





 ramification:01 「最果ての世界」 Fin.


 
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