この夜を越えて、静寂。

創音

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Wonder Land.

始ト闘。

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 もう五年も昔の話だ。 オレ、夏瀬 歩耶なつせ アユカには五歳年上の兄さんがいた。

 極論から言うと、兄さんは失踪した。

 当然オレや両親は兄さんを探したが、この五年の間見つかることはなかった。

 広い集めた彼の痕跡。

 兄さんは失踪する一ヶ月前、交通事故に遭い、昏睡状態に陥っていた。
 目が覚めて退院したと同時に、彼は『誰か』を探し始めた。
 自分が通っていたのとは違う高校、友だち、知り合い。 可能な範囲を必死に調べていた。


「兄さんは誰を探しているんだ?」


 そんなオレの疑問に、兄さんは困ったように笑った。

「夢の中で会った少年を探しているんだ」

 事故のせいで眠っていた時に、兄さんの夢に現れた少年。
 その人のことが気になって、探しているのだと。 彼から聞けたのはそれだけだった。




「それは恐らく、【眠り鼠】ですね」


 あの時の兄さんより一つ下の年になったオレは、繰り返し不思議な夢を見ていた。
 腰ほどまで伸びた真っ白な髪と血のように赤い瞳。 不健康そうな蒼白い肌と、髪と同じ真っ白なドレス。
 彼女は自分を、【白の女王】だと名乗っていた。


「……【眠り鼠】?」

 【女王】の言葉が理解できず聞き返せば、彼女がこくりと頷いた。
 真っ黒な空から降り続ける真っ白な雪。 地面には艶やかな赤い花が咲き乱れていて、不気味ながらもいっそどこか神秘的だった。

「貴方のお兄さま……繭耶まゆかさんの関心を引き、連れ去ったのは、我々が【眠り鼠】と呼ぶ少年。
 蒼い髪が特徴の、眠り続けている存在です」

 なるほど、と適当に返して、オレは空を見上げる。 雪が止んだ。 もう、目覚める時間だった。

「……オレ、起きなきゃ」

「……そうですね。 では、最後に一つだけ。
 近々、貴方のまわりに『異形』が現れます。
 ですが、恐れないで。 それはきっと、お兄さまへと繋がる道となるはずですから……」

 柔らかい【女王】の声を聞きながら、オレの意識はふわりと浮上していく。 漆黒の世界から一転して、視界に痛いほどの光が突き刺さる。


 ああ、朝だ……――




 目覚まし時計の音と共に目を覚ましたオレは、いつも通り学校へ行って、いつも通り授業を受け、いつも通り帰路についていた。


「いつも通りって言うけど、酷い顔だよ、歩耶。 ちゃんと寝てるの?」


 ……とは、幼なじみである少女・桜木 梨子さくらぎ リコの言葉だが。

 ここ一年ほど見ている変な夢のせいで、確かに寝不足気味だった。
 彼女にはそのことを話していない。 心配をかけているのはわかっているが、これ以上気を病ませたくなかった。

 ため息を吐いた梨子のポニーテールが、冬を予感させる冷たい風にふわふわと揺れている。
 オレたちの真横を、バットを担いだ同じ高校の野球部員が駆けていく。
 元気だなあ、そう呟いて梨子の方へ再度視線を移そうとした……瞬間だった。


 ぐらり、と世界が瞬く。 風が強く吹いて、夕暮れ時の喧騒がぱたりと止んだ。
 ざわり、と視界が揺らめく。 目の前に現れたのは、闇のような黒色の、ウサギだった。
 ウサギはどんどん増えていく。 その目に目玉がないことに気付いたオレは、本能的に恐怖を覚えた。


(に、逃げなきゃ……っ!)


 梨子の手を握って走り出そうとする。 ……しかし、彼女の手の感触は、ない。
 梨子は、いなかった。 梨子だけじゃない、野球部員も、街の人たちも、誰も……。

「……うそ、だろ……? 梨子、梨子……!!」

 オレは必死に梨子の名前を叫ぶ。 ウサギたちはじわじわとオレへと向かって集まってくる。
 ふとオレの視界に金属バットが目につく。 野球部員が置いていったものだろう。 近くに転がっていたそれを拾い構えれば、ウサギが襲いかかろうと飛び上がってきた。

「ひっ……!!」

 怖い。 だけどオレはひたすらに、バットを振り回し続けた。 ばちん、と嫌な音を立ててそれがウサギに当たったが、そいつらは物ともせずに立ち上がり、またオレへと這い寄ってくる。
 倒せないのか。 心に絶望が生まれた、その時だった。


「アユカ」


 聞き慣れてしまった【女王】の声に、目を瞬かせる。 気が付けばそこは、いつもの夢の空間だった。

「間に合ってよかった、アユカ」

「……え? 夢……? あのウサギたちは? 梨子は!?」

 微笑む彼女に、オレは先ほどの出来事について問い詰める。

「今は一時的に、貴方を精神空間へと連れてきただけに過ぎません。
 ……あのウサギたちは【カゲウサギ】。 【眠り鼠】の手下です」

 苦い顔をした【女王】の説明に、理解が追い付かずぽかんとする。 

「……時間がありません、アユカ。 今は取り急ぎ、貴方に『異形』と戦う力を授けます。
 どうかその力で、この世界の真実を……――」

 急速に意識が遠退いていく。 何かに引っ張られるように、水中から光の方へ目指すように。
 夕陽の橙色が、閉じた目蓋の裏に突き刺さる。


「……か……アユカ、起きて!!」


 突然、聞いたことのない少年の声が耳に届いた。

 目を開けると、そこには燃えるような赤い髪と全身包帯だらけの、オレと同い年くらいの男がいた。 更にその奥には、真っ黒なウサギたちもいる。

「あ、あれ……? お前、誰だ? なんで……何が、どうなって」

「オレは【チェシャ猫】。 【女王】の部下だよ……ってそんな話は後、後! 今はとにかく【カゲウサギ】たちを倒すよ!」

 後って。 今説明してくれた方が助かるんだけど!?
 内心パニックになっているオレが持つ金属バットを、猫と名乗った少年は指差した。

「それに【女王】が退魔のチカラを込めてくれたよ。
 今度はあの【カゲウサギ】たちを消滅させられるから、やってみて!」

「っわけわかんねーよ……!!」

 ぼやきながらも、オレは指示通りにウサギにバットを振るう。
 相変わらずの嫌な音の後、ウサギが霧のように夕空へと霧散していった。

「た、倒せた……のか?」

「いいよ、アユカ! その調子でどんどんやっつけちゃおう」

 言われるがままに、オレはウサギたちを倒していった。
 十分ほどバットを振り続ければ、うごうごとひしめいていたその異形たちは、すべて消え去っていた。

「終わった……?」

 バットを振るうという慣れないことをしたからか、腕が酷く痛い。 これは筋肉痛になるな、と考えたのも束の間、猫が真っ直ぐに前を見つめていることに気付いた。

「おい、どうした……?」

 視線を辿れば、明かりがついた街灯の下に、誰かが佇んでいるのが見える。
 それは、光に照らされている海を思わせる青い髪と、真っ黒な長い丈の服を身に付けている少年だった。

「……だれ……」


『アユカ』


 名を問おうとすると、その少年が話しかけてきた。 深海のような光を宿さない瞳が、歪な形の笑みを作る。

『倒しにおいで、オレを。 そうすればきみは、きみにとっての“シロウサギ”と……この世界の真実を、手にすることが出来るよ』

「……“シロウサギ”……?」

 聞き返した言葉には無視をして、彼は現れた時と同様に唐突に消え去った。
 彼がいた場所をじっと睨む猫に、オレは首を傾げる。

「さっきのは……?」

「あの人は、【眠り鼠】。 アユカを狙う厄介な人だよ。
 ……“シロウサギ”ってのは、たぶん……アユカのお兄さんのことじゃないかな?」

「【眠り鼠】って、【女王】が言ってた奴か……。 ってお前も兄さんのこと知ってるのか」

 猫は「まあね」と頷いた。 斜陽の世界がくらくらと揺らぐ。
 時間か、と呟いてから、彼はじっとオレを見た。
 目元を覆う真っ白な包帯。 瞳の色も感情も感じ取れないが、真剣な雰囲気を纏っていた。

「アユカ。 君はこれから、非日常に身を置くことになる。 きっと、“シロウサギ”を見つけ出すまで。
 だけど大丈夫。 オレは傍にいるし、【女王】だって君の味方だよ。 ……これからよろしくね、アユカ」

「は? いやいや、よろしくって……!」

 慌てて声をあげたオレの背後から、聞き慣れた声が響く。


「歩耶?」


 梨子だった。 もうずいぶん長い間、会っていないかのような錯覚に陥る。

「梨子……? ……梨子っ!! 無事か? 怪我は!?」

「わっ、なに? どうしたの歩耶。 なんか変だよ?」

 その女子特有の細くて柔らかい腕を掴んで問えば、彼女は困ったような顔でオレと視線を合わせてくれた。
 ……もしかして、さっきのこと……何も覚えていないのか?
 そんなオレの疑問に答えたのは、猫だった。

「【カゲウサギ】たちとの戦闘中は、【女王】が貼った結界が働くんだ。 その間、現実での時間はすべて停止している。
 まあ早い話が、別空間に飛ばされている……という認識で問題ないよ。 そしてそれらは、一般の人たちには認知されない。
 ……そう、このオレ、【チェシャ猫】の存在もね」


 猫の話をまとめると、オレは【眠り鼠】率いる【カゲウサギ】たちに狙われていて、そいつらを倒し続ければ“シロウサギ”……兄さんに会えるかもしれない、ということらしい。

 そして、オレのパートナーはこの包帯だらけの【チェシャ猫】。


「歩耶、大丈夫?」


 甘やかな声音に、思考の渦から脱する。 猫は消えていた。
 促されるままに立ち上がって、オレは空を見上げる。 オレンジ色はほとんどなくなって、代わりに紺や紫がじわじわと空を覆っていく。

「……かえろ、歩耶」

 差し伸べられた手のひらは小さく温かい。
 夕飯の支度が始まるのか、美味しそうなご飯の匂いが辺りを充満していく。
 なぜだか無性に泣きたくなった。 夜を迎える前の世界が、酷く切ないからかもしれない。


『ようこそ、非日常へ』


 不意に冷ややかな【眠り鼠】の声が、脳裏に届く。
 先を歩く梨子が振り向いて、ふわりと微笑んでいた。


 きっとオレはもう、普通の生活には戻れないのだろう。 突然急速に理解してしまった。
 ……いいや、わかっていた。 兄さんがいなくなったあの日から、ずっと。




 こうしてオレは、日常と非日常、現実と非現実の狭間をゆらゆらと彷徨うことになる。

 そして、【眠り鼠】に連れ去られた兄さんと、予想だにしない再会をすることになるなんて……このときのオレには、まったくわかるはずもなく。



 ……ああ、そうか。



 これが全てのはじまりだったんだ……――





 始ト闘。



『おいで、おいで、ここへ、眠りの深淵へ。
 そして、一緒にセカイを壊そう……――』


 狂気を湛えた瞳で、【眠り鼠】が笑う。


 救えないのは、だれのこころか。




 
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