白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 前編

0-7 鬼の産声

 先に仕掛けたのは珀蓮だった。

 彼は早口で詠唱をしながら、手を打ち合わせる。すると、狐の足元から木の根が飛び出した。

 木の根は九尾を囲むように伸び、檻を造る。

 珀蓮は足で一回地面を叩き、木の檻に沿って東側に走った。


「儂も嘗められたものじゃのう」
 九尾はつまらなそうに、後ろ足で耳を掻いた。その仕草だけは普通の動物だ。

 しかし、その動物は炎で檻を燃やしてしまった。

「そうでもないですよ」
 珀蓮は足を止め、また地面を叩く。次は手を横に振り抜いた。

 九尾に灰にされた木の根は空中で薄い膜を造る。その膜は淡く光り、狐の動きを制御した。
 珀蓮は再び走る。


「ふむ、防御結界の応用か?」
 九尾は結界を尻尾の先でつつき、その堅牢さを確かめた。薄く見えて、鋼鉄のような強度にまで鍛え上げられている。

「ご名答っ!」
 珀蓮は足を地面に打ち付ける。
 そして人差し指と中指を立て、九尾に向けた。

「お戻りなさい……!」
 珀蓮の足元と、先程叩いた地面が部分的に蒼白い光を放つ。
 光は三点を結び、九尾に迫るように中心に集まっていった。

「ほう?」
 目が眩むほど明るい光が九尾を包み込んだ。電流が迸り、雷鳴が山を裂く。

 三角形に結ばれた光は、九尾の上でくるくると回る。やがて三辺は分離し、三本の光の槍に変化した。

 そして、その矛先は真下の邪悪な妖狐に向けられた。


「行け!」
 珀蓮の号令に従い、光の槍は急降下した。
 再び轟音が耳を貫き、地面を割る。

 砂煙が上がる中、彼は目を凝らした。舞い上がった砂は静かに消え始め——。


「お主も戯れか?」
 火の矢が珀蓮に迫る。
 少年は残念そうに、見えざる盾でそれを防いだ。


「やはり、一筋縄ではいきませんか……」
「左様。封印術だけでは、儂は倒せぬぞ」
 九尾は砂埃を払うように尻尾を振る。

「殺す気で来い」
 妖狐は少年を試すような視線を送った。
 少年は静かに妖狐を見返すと、小さく首を振る。

「殺すのは……もう止めました」
 珀蓮は翡翠色の瞳に強い意思を宿していた。

「わたしは、殺さずしてあなたを倒します」
「くっ、ははははは……! 殺さずして儂を倒す?」
 九尾は大口を開けて珀蓮を笑い飛ばした。

「綺麗事を!」
 巨大な妖狐は牙を剥き、珀蓮に飛び掛かる。彼は見えざる盾でそれを防ぐが——。


「此処にもおるぞ?」
「っ!」
 背後にも現れた九尾に跳ねとばされてしまった。更に、珀蓮が弾かれた先にも、また九尾の分身が待ち構えている。

 三体目の九尾に叩き落とされ、珀蓮は地面に伏してしまった。

 巨体に殴られた小さな身体は、数多の傷を作り、服には血が滲む。
 頭や口からも血が伝うが、珀蓮は歯を食い縛りながら起き上がろうとした。


「見た目に依らず頑丈じゃの」
 元の一体に戻った妖狐は、感心の目を少年に向ける。

 内心、驚いていた。

 本気で殴った訳ではないが、決して軽い打撃でもないはずだ。
 かつて人間を鏖殺した時も、この程度の力で簡単に死に至った。大人の男でもだ。

 しかし、この子供は華奢な見た目をしながら、まだ動く力さえ残っている。


「たとえ綺麗事だとしても、わたしは……」
 細い腕を震わせ、必死に上半身を持ち上げる珀蓮。息が荒くなり、激しく肩を上下させた。

「黙れ、人間風情が」
 冷たい声と共に、火の弾が珀蓮の肩を貫く。

 彼は体を支えられなくなり、再び地面に臥した。撃ち抜かれた傷に火傷が重なり、少年は苦悶の表情を見せる。


「貴様ら人間の残忍さはよぉく知っておる。綺麗事ばかりの貴様も。……その化けの皮を剥いでやろう」

 九尾の頭上に無数の火の玉が現れた。
 それらは赤・橙・緑・青など、色とりどりであり、整列して燃え上がる様は芸術の域だ。

 珀蓮は目を薄く開けながら、空を舞うに魅入った。

 だが、これは彼を死へと導く、残虐で美しい炎。触れてしまえば、忽ち命を焼き尽くされる。

「我が術に魅入れ。そして死ね」
 この死刑宣告が合図となり、虹色の炎は一斉に少年を餌食にした。





「つまらぬ幕引きじゃの」

 九尾は燃え盛る炎を冷たい目で見下ろした。
 どうやら少年を買い被っていたようだ。と、自分の見る目の無さに苦笑しながら。

 炎は大きく燃え上がる。

「珀蓮、と申したか。お主は気に食わぬ」
 純粋で真っ直ぐとした目を持つ青年の姿が、珀蓮と重なった。

 煩わしく、喧しく、自分に親しくしてきたあの男。最期は無様なもので、身勝手な人間になぶり殺されていた。


『——、貴方は怒ってはいけない』


 気付けば、自分が血の海の中心に佇んでいたことを覚えている。
 心は黒く染まり、おぞましい程の憎悪は、汚らわしい人間へと向けられていた。

 その時から、妖狐の尾は九本となったのだ。

「……ふん。感傷とはない」
 九尾は首を振り、目の前の炎をぼうっと眺めた。

 儚く散った少年の亡骸は、骨になっている頃合いか。
 当初は彼を食らう予定であった九尾は、つまらなそうに欠伸をした。


 ——次の瞬間。炎の中から白い閃光が飛び出し、九尾に襲い掛かった。


「っ!?」
 力強い『白』は九尾に掴み掛かり、木々を次々と倒しながら押し飛ばす。
 九尾は無理やり『白』をはねのけ、宙で一回転して体勢を整えた。


「お主……!」

 妖狐は目を見張る。
 自分を素手で圧倒してきたのは、あの小さな少年だったからだ。


あやかしか」
 爆炎から生まれた少年は、紛れもなく珀蓮であった。

 しかし、彼の濡羽色であった髪は絹のように白く、優しく思慮深い翡翠色の瞳は琥珀色に染まっていた。

 丸い形だった目は、血に飢えた獣の目のように狂暴に釣り上がっている。
 彼は牙を剥き、鋭く伸びた爪を立てた。

 その姿は、人間ではない。ただの化け物だった。


***


 命が終わる。
 そう確信した時、少年の中に宿る妖が産声を上げた。


***


 珀蓮の爛れた肌は目に見えるほど速く再生し、血と煤の汚れだけが残った。
 着物は焼け焦げ、細い肩や脚が布の間から覗く。

 ゆらり、ゆらりと危うい足取り。
 目は焦点が合っておらず、正気と言うには程遠い。

 彼は口の端を不自然なほど釣り上げ、にんまりと笑う。

 一方、九尾の笑みが消え、緊張が走った。


「がっ……!」
 九尾の腹に、珀蓮の腕が深々と食い込んだ。

 しかし、彼が攻撃したそれは軽い破裂音を発し、丸太に変わってしまう。
 九尾の本体は珀蓮から距離を置き、彼の挙動をじっと観察していた。

 信じられない。
 少年がいつ動いたのか、妖の目を以てしても捉えられなかった。


「ふふふ……」
「ちっ」
 珀蓮は乱暴に丸太を投げ捨て、九尾本体を振り返った。

 九尾は舌打ちし、自分の周りに出現させた火の弾を乱射する。炎は珀蓮の肩、腕、腹、脚など、身体中を貫いた。

「ふふ……」
 頭と心臓を狙った弾を受けとめ、少年は平然と立っている。傷も瞬時に消えてしまった。


「急所はそこか」

 珀蓮の背後から、九尾の分身が鋭い爪を振るう。
 しかし、珀蓮は最小限の動きで避け、九尾の顎を砕いた。分身は岩へと戻る。


「くっ……ははは!」
 気が狂ったような笑い声を上げ、少年は九尾の本体へと一気に距離を詰めた。
 九尾は珀蓮の細腕を前足で受け止める。

「……!」
 体格差はあるはずだ。
 妖術に長け、肉弾戦は専門外とはいえ、九尾にも怪力と呼べる程の力は備わっている。

 なのに何故、九尾が圧されているのか。


「あっはははははは!」
 珀蓮は九尾を力で負かし、巨体をよろめかせる。
 そして隙のできた妖狐を、胸から腹に掛けて、鋭い爪で切り裂いた。


「ぐあっ……!」
 切り裂かれた傷から血が吹き出し、珀蓮の白い髪を赤く染めた。
 赤い修羅は容赦なく金狐の傷口に手を刺し込み、爪を立てて抉る。

 その非道で残虐な様は、まさに鬼。

「調子、に……乗るな!」
 九尾は口から血を滴らせながら、負けじと珀蓮の肩に食らい付く。

 鋭く大きな歯が食い込み、バキバキと骨を砕いた。しかし、珀蓮は意に介していないようで、またにやりと笑った。

 珀蓮は九尾の首を横から掴み、自分ごと勢い良く地面に叩きつけた。
 その反動で、九尾の口から肩が解放される。


 鬼は素早く妖狐に馬乗りになり、手を掲げた。

「グルルアアァ!」
 妖狐は唸り声を上げ、尻尾で珀蓮を絡め取り、彼の攻撃を阻止する。

「あっ……ぐ、ぁあ……」
 少年の首はあらぬ方向に捻られながら、締め付けられてゆく。

 腕や脚にも尻尾が巻き付き、じわりじわりと圧迫していった。
 珀蓮は抵抗しようと暴れるが、その力も徐々に弱まる。


「——!」
 そして、捻られた箇所は、それぞれ曲がってはならぬ方向へと折れてしまった。


 九尾はお返しとばかりに尻尾を振りかぶり、珀蓮を地面に叩きつけた。

 地面にひれ伏す少年の白い肌には、内出血の紫斑点が浮かび、骨が突き出ている箇所も見えた。

 そのような状態でも、彼はまだ息をしていた。


 ——早く、とどめを刺さなければならない。

「さらばじゃ、鬼童子よ」
 九尾は珀蓮の胸の上に足を乗せる。その時、珀蓮の指がぴくりと動いた。

「っ!?」
 ぐちゃり、ぬちゃり、と生々しい音と共に、折れ曲がった腕が再生してゆく。

 その腕の先に付いている手は九尾の脚を捉え、その巨体を遠くへ投げ飛ばした。

「……!」
 九尾は空中で体勢を整え、地面に着地した。

 自分を投げ飛ばした少年を見て、目を大きく開く。全身の骨を折られた珀蓮は、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。


「申し訳ございません、見苦しいところをお見せてしまいましたね」

 何よりも驚くべきは、彼の瞳に正気の光が灯っていたことだ。
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