白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-32 立ち塞がるは本物の鬼

***

「早くお逃げください!」
 珀蓮は狐珱と共に妖を蹴散らしつつ、まだ残っている人々を安全な方へと誘導する。
 里の中心に近付くほど、妖怪が増えて厄介だ。

 自分たちとは逆方向へと進む青年を不審そうに見たり、『死に急ぐな』と声を掛ける人も居たが、珀蓮は『お構いなく』と笑顔を見せる。

 途中で生徒たちとも会ったが、幸いなことに皆無事であった。後で授業をすることを約束し、また駆ける。

 しかし、里の者全員が無事であるわけではなく、怪我人や、既に息絶えている人もいた。

 なぎ倒された建物、その下敷きになっている人、倒れている親らしき人物に縋って泣き喚く子供。
 食い散らかされた肉片も多数見られた。

 誰が何の目的でこのようなことをするのか。真っ昼間に多数の妖怪が現れるなど、誰かが手を引いているとしか考えられない。
 珀蓮は歯を食いしばり、更に町の中部へと進んで行った。


 ——暫く進み、視界に入る妖怪を全て片付けた頃だ。

「狐珱」
「わかっておる」
 珀蓮は式の名前を呼び、足を止める。狐珱も目つきを鋭くし、ある一点を睨みつけた。

 妖怪が全ていなくなった途端、新たな妖の気配が顔を出した。それも、これまでで一番強力なものだ。

 突然現れたのか、はたまた今まで気配を消していたのか。
 得体の知れない強大な何かに、珀蓮たちは神経を尖らせる。

「ようやく、真打ちのご登場かの?」
「……そのようですね」
 まだ破壊されていない長家の屋根。そこに、佇む白き影。

 彼は珀蓮たちが此処へ来るのを予知していたのか、余裕の表情で見下ろしてきた。

 珀蓮は少し驚いた様子を見せると、すぐに平静を装った。声の震えを抑え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「お久しぶりです」
 あの者の顔には見覚えがあったのだ。

「存外、落ち着いてるじゃないか。てっきりアタシが憎くて仕方ないと思ってたけどねぇ?」
 白き妖——宝月は長い白髪を揺らしてケタケタと笑う。そこには何故か悪意が全く感じられない。

「確かに、損の方が大きいですが、それなりに得をしたこともありましたので」
 珀蓮は妖怪の煽りに動じず、冷静に言葉を並べた。

 目の前の彼が自分の人生を狂わせた妖怪だと気付くのに、さほど時間を要さなかった。

 本来憎むべき相手だが、妖怪の力で生き延びたことによって、大切な人に出逢うことが出来た。
 彼の言う『得』とはそれのことだ。

「ほう? そりゃ良かった」
「それで、今回の件は貴方が?」
 淡々と話を進めようとする珀蓮。対して宝月は気楽な雰囲気を醸し出している。

「あぁ、そうさ。どうだ、愉快な余興だったろう?」
「余興……あれが?」
 言葉の中に、徐々に怒気が籠もる。

 町は破壊され、怪我人や死人も出た。
 泣き叫ぶ子供の声や悲鳴が、耳にこびり付いて離れない。目の前の鬼は、それを面白がっているのだ。

「どれだけ人の生活を壊せば気が済むのですか……!」
 珀蓮は珍しく声を荒げ、宝月を睨み上げた。いつも優しげな目はつり上がり、形の良い眉も怒りに歪んでいる。

「くっ、ははは! 良いねェその顔! それで? アタシを殺すのかい?」
 宝月は腹を抱えて大笑いし、目の端に溜まった涙を指先で拭う。

 その態度が火に油を注ぐと思いきや、珀蓮は少し笑みを浮かべて首を振った。

「残念ながら。封印はしますが、殺しませんよ」
「へぇ……とりあえず、やる気満々ってところかい?」
 珀蓮は無言で構える。それが答えだった。

「……狐珱、今回は加勢しないでください」
 彼は式に命令を下す。
 狐珱は少し顔をしかめたが、異論は無いようで、素直に首を縦に振った。

「言ったからには、お主が死にかけても儂は手を貸さぬからの」
「最初からそのつもりです」
 珀蓮はしっかりとした口調で狐珱の言葉を受け入れる。

 この戦いは自分でけりを付けたい。その思いが、彼の決意を強固にした。

「ふーん。随分強気だね」
 場に響く第三者の声。
 まばたきする間に現れたのは、若草色の羽織を着た若い男性だ。彼は宝月の横に立ち、珀蓮たちを見下ろす。

 宝月は興味が無さそうにそっぽを向いた。

「貴方は……覚、ですか?」
「正解! よくわかったね?」
 つい最近、珀蓮はこの脳天気な声を聞いたことがある。他人の考えを見透かす妖怪の声だ。

 覚は手を叩きながらはしゃぐ。彼もまるで緊張感が無い。

「貴方も共犯者ですか」
 珀蓮は彼の言葉を無視し、険しい表情で問い掛ける。

「まさか! 俺はただの見物客だよ。そして——」
 覚は手を振りつつ後ろに下がり、置いてある物を持ち上げるような仕草を見せた。

「ちょっと興行を盛り上げたい、お茶目な妖怪だよ?」
 覚が持ち出したのは、一人の娘——小百合だった。
 妖怪の腕に抱かれている小百合はぐったりとしており、ぴくりとも動かない。

「小百合さん!?」
 彼女は家まで送り届けたはず。
 何故このようなところに居るのか、何故妖怪に囚われているのか、理解が出来なかった。

「良いね。見事に動揺してる」
 覚は可笑しそうに笑い、小百合の髪を撫でた。

「この子、可愛いねぇ。そういえば、君の大切な家族なんだっけ?」
「小百合さんに何をするつもりですか!?」
 珀蓮は一歩前に出るが、覚が手を前に翳してそれを制する。

「そんな怖い顔しないでよ。君が条件さえ飲んでくれれば、何もしないからさ?」
「……条件?」
 珀蓮の額に薄く汗が滲む。
 このような時に出される条件など、碌なものではないだろう。

「君は宝月と戦おうとしてるよね? それじゃあ駄目だよ、面白くない」
「……何を仰りたいのか、理解しかねます」
 覚が言いたいことは把握できたが、受け入れ難いものだった。

「わかってるくせに。条件は『鬼に変化へんげして戦う』だよ」
「そのようなこと……!」

「そうしないと、大切な小百合ちゃんの首が落っこちちゃうかもね?」
 覚は小百合の首筋に短刀を添える。珀蓮は目を見開き、拳を握り締めた。

「やめて、ください……」
「んー? 早く変化しないと」
 短刀が徐々に食い込む。

「やめてください」
「どうすれば良いかわかるでしょ?」
 短刀は小百合の首の皮を斬り、血が滲み始めた。僅かに彼女の表情が歪む。

「やめろ!」
 その悲痛な叫びと共に、『異形の者』は覚へと襲いかかった。

 しかし、珀蓮の腕はヒュンと虚しく空を切る。
 雪色の髪が顔に掛かり、表情はよく見えないが、牙を剥き出しにして怒りを露わにしていた。

「そうそう、やればできるじゃないか」
 覚は珀蓮の隣に立ち、ケラケラと笑う。
 彼の様子は余裕そのもので、鬼の攻撃を完全に見切っていた。心を読める覚だからこそ成せる技だ。

「くっ……!」
「まあまあ、そんなに気を立てないでよ。条件も飲んで貰ったし、この子に手出しはしない」

 覚はにこりと笑い、手から短刀を落とす。
 短刀は屋根で一度跳ね、地面へと落ちていった。見た目の割に重量感のある音が鳴り響く。

 これで小百合を傷付ける脅威は無くなったが、依然として彼女は囚われの身だ。
 彼女の首筋にはうっすらと赤い筋が浮かび上がっていた。

「小百合さんを離してください」
 珀蓮は怒りを抑えつつ、あくまで理性的に交渉しようとする。

「やだね」
 しかし、覚は舌を出し、珀蓮から距離を取った。

「こんなおいしい人質、返すわけないでしょ?」
「貴様!」

「おいおい、茶番はそこまでにしておいてくれないかい?」
 珀蓮がまた動き出そうとした時、宝月が欠伸をかきながら話を切り出す。
 そろそろ、待っているのも飽きてきたのだろう。

「茶番って……!」
「覚よぉ。戦いを面白くするのは良いが、前置きが長すぎるぜ?」
 宝月は珀蓮に見向きもせず、覚を指さす。彼には覚の意図がわかっていたようだ。

「ごめんごめん。どうぞ、始めちゃって」
 覚は悪びれもなく軽く謝ると、クスクスと笑いながら飛び退いた。

「待っ——」
「ったく、相手はこの宝月様だろ?」
 覚を追いかけようとした珀蓮を制するように、宝月は彼の前に立ちふさがる。

「当初の目的を失っちゃあ駄目だろう? こちとら、わざわざ遊びに来てやったんだ。さっさと相手しな」
「全くじゃの」
 歯噛みする珀蓮を尻目に、狐珱も欠伸をかきながら口を開く。

「どれ、儂も行くかの」
 まるで独り言のように呑気で、場にそぐわぬ軽い発言。
 珀蓮は何かに気付いた様子で、力強く頷いた。

「……お願いします」
「はて、何のことやら」
 主人と式は最後に目配せをし、自分の相手と向き合う。

「お待たせしました、お相手願いましょう」
「あぁ、待ちくたびれたよ」
 宝月は口の端を吊り上げ、拳を振り上げた。

 それが、始まりの合図だった。
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