白鬼

藤田 秋

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第十六章 夏の河と風

16-1 素直になれなくて

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 あたしの名前の由来は、夏の日の河辺で両親が出逢ったことからだそうだ。
 母は普通の人間。だけど、父は妖怪。

 その間に産まれたあたしは、半妖だ。

* * * * * * * *

「おはようなっちゃん!」
「チマー! おはよう! 会いたかったぁ!!」

 新学期になり、愛しのチマと再会したあたしは、彼女を胸の中に閉じこめた。
 小柄なチマは簡単にすっぽりと収まってしまう。チビ可愛い。

「おぶぶ、ぐるじいでず!」

 チマはあたしの胸の中で苦しそうに呻いたが、可愛いので少しだけギュッとしてから解放してあげた。

 解放されたチマは胸に手を当ててしょんぼりとするが、気にしているところも可愛い。貧乳可愛い。

 お人形さんのように目がくりくりとしていて、身体が小さくて、おもちゃのような動きをして……とりあえず全てにおいて可愛い。

 意味がわからない。超可愛い。やべぇ姿を見るだけでも興奮する可愛い。もう食べちゃいたい。

「雨ヶ谷さん、ちょっと怖いよ」
 チマと一緒に登校出来るというプラチナチケットを手に入れた憎きこいつは、黎藤珀弥。

 小学生の頃からの顔見知りで、何を考えているのかわからない奴。
 彼は苦笑いしながら、少し引いている。

 あんたもチマに関しては大概なくせに、自分を棚に上げるなんて。

「うるさいむっつり」
「え! 珀弥君ってむっつりだったの!?」

「違います。誤解を招くようなことは言わないでください」
「どうだか」
 黎藤のもう一つの顔を知っていると、この話し方に違和感を覚える。
 本当はもっと乱暴な口調のくせに。Mr.猫かぶりめ。

「よっすよっす! おはよーさん!」
 いきなり顔を出してきたのは、いとこの翼。
 チャラチャラへらへらちゃらんぽらんの男だ。その正体は人間に化けている天狗である。

「おはよー翼君!」
「おはよう」
「遅刻しないなんて珍しいわね」
 チマと黎藤は各々挨拶を返すが、あたしだけは嫌味を放り投げてしまった。

「いやー、流石に新学期だし?」
「あっそ」
「ナツったら話振ってきたクセに反応うっすーい!」
 とりあえずこいつうぜぇ。翼は両手を頭の後ろで組んで、ケラケラ笑う。

 そこで、彼の制服の着こなしがおかしいことに気付いた。
 Yシャツのボタンを上まで閉め、ちゃんとネクタイを締めているのだ。

 これが規定の着こなしではあるが、普段の彼はYシャツのボタンを全部開け、中にTシャツを着ている。
 もちろんネクタイなんて締めるわけがない。

「あんた、珍しくちゃんと着てるじゃない。今日はどうしたの?」
「っ、ナツは目ざといなァ! これも新学期仕様ってやつ?」

「ふーん」
「もうちょっとリアクション取ってくれても良いと思うぜぇ!? ねーねーねー!!」
 いつも通りへらへらしているけれど、何か隠しているような気がした。

「ギャーギャーうるさいわね」
「そりゃうるさくするぜ! リアクション欲しいもーん!!」
「そこ言っちゃうんだ」
 通常運転、か。
 まぁ、こいつが何を隠していようが、あたしには関係無い。
 それよりもこのウザ絡みをどうにかしてほしい。

 志乃ちゃんも加えて談笑しているうちにHRの時間になり、あたしたちは席についた。

 久し振りに見た薄井先生は、かつ……髪型が変わっていた。
 もう皆知ってるから、無理しなくていいのに。

 諦め時を逃すと、今後もズルズルと偽りの姿を続けなくてはならないわ。

「せんせー! イメチェンっすか? かなりイカしてますよ!」
 ここで敢えて触れるのは、馬鹿ウィング。
 やめろ、良い笑顔でサムズアップするな。やめて差し上げろ!

「そ、そうか?」
 先生は思いの外、まんざらでもないという顔。いや、それ馬鹿にしてるから怒りなさいよ。

***

 何故かズボンを穿いていなかった生徒会長が強制連行されたこと以外、始業式は滞りなく行われた。

 校長先生の話は単純明快で良いが、未だに上級生のノリが掴めない。
 校長が何か言う度に『オジキ』と叫ぶの、あたしは卒業するまでやらないだろう。

「おじきー! いえー!」
 チマは手を突き上げてノリノリである。可愛い。チマの可愛さで世界は平和になる。

「千真ちゃん、式はもう終わってるよ?」
「うー」

 志乃ちゃんに注意されてしょんぼりするチマ可愛い。なまら可愛い。
 自律型アホ毛もいっしょにしょげているところもチョー可愛い。国宝、まさに国宝。この可愛さは国から保護されるべき財産だ。

「次は普通授業? だりー」
「午前で終わるんだから我慢しなよ」
 翼が始業式後のスケジュールにケチを付け、黎藤が呆れたように諌める。

 始業式が終わったからといって、すぐに帰れるわけではないのだ。

「んで、授業何やるんだっけ?」
「そろそろ把握しとけよ。数学と体育」
「ゲッ、マジか」
 翼は教科を聞いた途端、顔を引き釣らせた。何かマズいことでもあるのかしら。

「オレ、三限になったら具合悪くなって早退するからヨロシク!」
「お前どこからどう見ても元気だから許されないよ」

「チクショウこの人でなし!!」
 黎藤は翼に対してはでも容赦がない。翼はぎゃあぎゃあと喚き散らした。うるっさいなこいつ。

「翼君が体育休みたいって珍しいね?」
「そう? まっ、オレってばこいつと違ってアクティブだもんなぁ」
 チマからの質問を翼はフラリとかわす。
 黎藤はムッとした表情をしたが、何も言わなかった。

「具合が悪いならもう早退しても良いと思うよ」
 志乃ちゃんが気遣わしげに翼を見上げる。

「ダイジョーブ、普通に授業受けるくらいなら支障無いから。心配してくれてサンキューな!」
 彼はニッと笑い、志乃ちゃんの提案を拒否した。どういう意図があるのか、全くわからない。

「……どうせ、サボりたいだけでしょ? 放っておきな」
 あたしは他の子と違って、彼を労るようなことは言えなかった。

 翼はいい加減な振る舞いをするが、授業はしっかりと受ける奴だ。
 サボるなんて、よっぽどのことが無い限りしない。なのに、あたしは——。

「あははっ、バレた? ナツはホント鋭いなァ!」
 翼はあたしの頭を軽いノリでポンポンと撫で、いつものようにケラケラと笑う。

 その時、ちょうど授業開始のチャイムが鳴り、クラスはぞろぞろと席に着く。

「気にすんな」
 翼は去り際にあたしの耳元で囁き、自分の席に戻っていった。

 何よあいつ、知ったような口きいて。馬鹿みたい。
 ……馬鹿はあたしよね。そう思いながら、席に着いた。

***

 現在、体育の時間。種目は男女共にサッカーだ。

「いっけー!」

 勇ましくキュートな掛け声と共に放たれたチマのシュートは、よろよろと蛇行し、あっさりとゴールキーパーに止められてしまった。
 サッカー下手くそ過ぎて可愛い。

「あーっ、ごめん!」
「千真ちゃんったら!」
「もー!」
 ブーイングが来るが、本気で怒っている訳ではない。
 チマが可愛いから許されているのだ。あたしも許している。可愛いは正義。

「チマ! 自分から行く心意気は良いよ! でも無理だと思ったらあたしにパスしてね?」
「うん、わかった!」
 素直可愛い。……たまに思う。自分がチマのように素直で可愛い女の子だったらなぁ、って。か弱くても許されたなら。

「なっちゃんが居れば百人力だもんね!」
 チマが可愛らしくピョンピョンと跳ねる。

「うん、もちろん」
 強く在れば頼りにされるし、自分自身を守れる。だから、あたしはこれでいい。

「なっちゃん!」
「はい!」
 パスを受け、あたしは走る。

 そして立ちはだかるディフェンスをくぐり抜け、ゴールポストぎりぎりにシュートしたボールは、ゴールキーパーの手を掠りもせずに通過した。

「なっちゃん格好いい!」
「チマったら転んじゃうわよ?」
 チマのアホ毛がくるくる回る。ついでにチマ自身も回る。可愛い。

 結構本気で足元がおぼつかなかった為、チマを抱き寄せると、『おぶっ!』とくぐもった声を上げた。

「王子様! そんなとこでイチャイチャしないで!」
「ふふ、ごめんごめん」
 からかうように王子様と声が飛ぶ。どう考えても王子様はあたしの方だろう。

 あたしはチマを解放して、ゲーム再開に備えて位置につく。王子様、ねぇ。別に嫌ではないけれど……。

「よーっし! やるぞー!」
 傍らのチマを一瞥する。彼女なら、どんな物語でもお姫様役がぴったりだろう。
 それが、ほんの少しだけ羨ましいと思った。

 割り切ってるつもりなのに、可笑しいわね。

「……っ!?」
 突然、悪寒が背筋を走った。何かがいる。

 明確な殺意を肌に感じ、視線を走らせた。
 どこに居る? 人が沢山いるのに、襲撃されたら……!

 ヒュン。と風を切る音が耳に飛び込み、その方向を振り向く。切っ先の尖った鉄製の飛び道具。

 それはあたしを目掛け、真っ直ぐと向かってくる。
 攻撃は見切った。けれど、この位置から避けるとチマに当たってしまう。
 あたしが盾にならないと——。

 その時、真っ黒い羽が太陽の光を反射し、ふらふらと舞い降りた。

「え?」
 寸前のところでクナイが止まり、すぐに眼前から姿を消す。

 一秒にも満たない間の出来事だった。
 あたしを狙った飛び道具も、殺気も、全て消えてしまったのだ。

「なっちゃん、どうしたの?」
 呆然としていると、チマが心配そうに声をかけてきた。

「ん? 何でもないわ」
「そう?」
「えぇ。ほら、ボール来るわよ」
 相手ボールでゲームが再開し、こちらがディフェンスだ。

 先程のものは何なのかは気掛かりだが、チマに心配をかけるわけにはいかない。
 あたしは話題を逸らし、ボールを追いかけることにした。
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