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恋のライバルと犬の知能入れ替わり
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美沙と紗英。
二人は同じ職場の同期で、同じ男性——健人に想いを寄せていた。美沙は自分の知的な会話や計画的なアプローチで勝てると信じて疑わなかった。
だが、ある日。
紗英がふざけ半分で試した「知能入れ替え薬」が、偶然にも犬と紗英の間で作用した。
結果——紗英の知能は、犬と同じレベルまで低下。
単純な感情で動き、目の前のことしか考えられず、時には意味もなく笑ったり、急に甘えたりする。
美沙は内心ほくそ笑んだ。
「これで健人は、彼女に飽きるはず。」
しかし、現実は逆だった。
職場の休憩室で、紗英は健人の隣にぴたりと座り、笑顔で肩にもたれかかる。
何の計算もない無邪気な行動に、健人の表情がふっと柔らぐ。
「紗英って、なんか…一緒にいると癒されるな」
その言葉に、美沙の胸は冷たく締め付けられた。
夜の帰り道、偶然三人で歩くことになった。
紗英は健人の腕に絡みつき、意味もなく鼻をくすぐるように匂いを嗅ぎ、笑っている。
健人は困るどころか、子犬を見るような優しい目で彼女を見つめ、頭を撫でた。
「俺、こういう自然体の子が好きなんだよな」
その瞬間、美沙は悟った。
自分がいくら言葉を尽くし、計画を練っても、健人の心を動かすのは“理屈”ではないと。
犬の知能しかなくても——いや、だからこそ——紗英は彼の好みのど真ん中になってしまったのだ。
笑いながら彼にじゃれつく紗英の姿が、遠ざかっていく。
美沙の足は動かず、ただ立ち尽くす。
もう二度と、この距離は埋まらない。
それが、彼女の絶望の始まりだった。
美沙はあの夜の絶望から、狂気じみた決意を固めた。
——健人の好みに合わせるために、紗英の知能を限界まで高め、自分の知能を“犬の知能”まで下げるという、逆転の発想だ。
新たに手に入れた知能改変薬を、二人分のコーヒーに混ぜる。
昼休み、何も知らずに薬を飲んだ紗英の目は、徐々に鋭さを帯び、会話に迷いがなくなっていった。
一方、美沙の頭は、柔らかい綿に包まれたようにぼんやりし、思考の糸がすぐ切れる。
「健人くん、この企画案、こうすれば効率も上がるしコストも抑えられるわ」
紗英は資料を片手に、流れるように説明する。
その声に健人の瞳が輝くのを、美沙は見逃さなかった——ただ、彼の笑顔の理由までは理解できなかった。
数日後。
休憩室で、美沙は健人の隣に腰を下ろし、思いつくままに話しかけた。
「ねぇ、健人くん…昨日の夜ごはんね、えっと…あれ?なんだっけ…とにかく美味しかったの」
健人は苦笑し、スマホに視線を戻す。
「そっか…よかったね」
短く返されただけで、美沙は気づかない。彼がわずかに身を引いていることにも。
一方、会議室では紗英が的確な提案を繰り出し、健人は何度も頷き、目を細める。
「やっぱ紗英ってすごいな…一緒にいると刺激になる」
その言葉を聞きながら、美沙はただ笑顔で拍手を送る。
なぜ健人が最近、あまり自分に話しかけてくれないのかもわからない。
ぼんやりと「きっと忙しいんだ」と信じ込みながら。
——美沙は知らなかった。
彼女が健人に煙たがられ、紗英が彼の理想に近づいていることを。
その事実を理解できるだけの知能は、もう、美沙には残っていなかった。
昼下がりの自室。
美沙は鏡に映る自分の顔をじっと見つめていた。
頭の中は靄がかかったようで、長い文章も複雑な計算も理解できない。けれど、その代わりに——ひとつの単純な考えだけが浮かんでいる。
「美人になれば…きっと健人くんは私を好きになる」
机の上には、怪しい薬。
——大きな瞳、ぷっくりした唇、胸の脂肪量増加、そして身長アップ。
美沙はためらいもなく、一気に飲み干した。
数分後。
全身がじんわりと熱くなり、骨が伸び、胸元が重くなる。鏡を覗いた瞬間、美沙は思わず口を開けたまま立ち尽くした。
そこには、雑誌のモデルのような完璧な美貌があった。大きく澄んだ瞳、艶やかな唇、豊かな胸、そしてスラリと伸びた脚。
翌日、職場。
休憩室に入った美沙を見た瞬間、健人の目が大きく見開かれた。
「……美沙? なんか、すごく…変わったな」
その声色は、明らかに惹かれているものだった。
美沙は嬉しそうに笑い、健人の隣に腰掛ける。
「えへへ…似合う?」
言葉は単純で、会話の中身は浅い。けれど健人は、その美しい笑顔と仕草から目を離せなかった。
——知能は低いまま。
でも、外見の変化だけで、美沙は健人の視線を独占してしまった。
紗英の鋭い視線が遠くから突き刺さる中、美沙は何も気づかず、ただ健人の笑顔に頬を染めていた。
昼下がりのオフィスの休憩スペース。
健人はコーヒーを片手にソファへ腰を下ろした。そこへ、美沙が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「けんとくーん!」
声は少し間延びし、呼び方も子供のよう。
健人の隣にぴょんと腰掛けると、美沙は彼の袖をつまみ、ゆらゆら揺らす。
「ねぇねぇ、今日ね、すっごくかわいい服着てきたの。見て~」
そう言って立ち上がり、くるりと一回転。リブのミニワンピースが身体のラインを際立たせ、柔らかな髪がふわりと揺れる。
健人は思わず笑みを漏らす。
「…本当だ、似合ってる」
褒められた美沙は、ぱっと顔を輝かせて彼の肩に頭をこすりつけるようにもたれた。
「えへへ~、けんとくんに褒められるのがいっちばん好き」
知能は低く、会話の内容は単純。だが、その無防備な笑顔と距離感の近さが、健人の心をくすぐる。
ふと、美沙が健人の胸ポケットに手を突っ込み、ペンを抜き取る。
「これ、ちょーだい!」
「おいおい、それ俺の——」
奪い返そうと伸ばした健人の手を、美沙は笑いながらひらりと避け、反対側のソファへ。
追いかけてくる健人に捕まると、美沙はくすぐったそうに笑い声をあげた。
「きゃははっ! けんとくん、くすぐったいよぉ!」
二人の笑い声が、休憩室いっぱいに響く。
その様子を、廊下の奥から紗英が黙って見ていた。
健人の視線がもう自分に向かないことを、痛いほど理解しながら——。
昼休み、オフィスの廊下。
健人が資料を抱えて歩いていると、背後から突然、美沙の指先が脇腹をくすぐった。
「けんとくーん、こしょこしょ~!」
健人はびくっと肩を跳ねさせ、資料を落としかける。
「おい…美沙、やめろって!」
だが、美沙はくすぐったがる健人の反応が楽しいらしく、さらに追撃。
会議室でも、コピー機の前でも、さらにはエレベーターの中でも——美沙はところ構わず健人の脇腹や背中をくすぐった。
知能が低い彼女にとって、それはただの「遊び」だった。
ある日、健人はついにやり返そうと決意する。
昼休み、ソファでくつろいでいる美沙に、そっと手を伸ばす。
「ほら、今度は俺の番——」
しかし、彼の指先が美沙の腰に触れた瞬間、美沙は目を丸くして叫んだ。
「やーん!けんとくん、セクハラだぁ!」
その声は休憩室に響き渡り、周囲の同僚たちが一斉に視線を向ける。
中にはスマホを構える者までいた。
翌日、健人は人事部に呼び出された。
机の上には「セクハラ報告書」が置かれ、美沙が描いた稚拙なイラスト付きの証言書まで添えられている。
「俺だって、やり返そうとしただけだ…!」
必死に弁解する健人を前に、人事担当は淡々と告げる。
「事実は事実ですから」
廊下を出ると、向こうから美沙が小走りで近づいてきた。
「けんとくーん、今日もこしょこしょしよ!」
健人の背筋に、寒気が走った。
健人は人事呼び出し事件のあと、しばらく考えていた。
美沙の無邪気さは職場では厄介だが、家にいれば——それはただ愛らしいだけだ。
だからこそ、健人は決意した。
ある夜、夕暮れのカフェで。
「美沙…俺と結婚してくれ。もう会社はやめて、俺のそばにいてほしい」
美沙の瞳がぱっと輝き、両手をぱたぱたと動かす。
「けんとくんとずっと一緒!? やったぁ~!」
こうして二人は電撃結婚。美沙は寿退社し、健人との新生活が始まった。
――そして、家。
朝、健人が目を覚ますと、美沙が布団の中からぴょこんと顔を出す。
「おはよ~!こしょこしょ~!」
布団の中で脇腹をくすぐられ、健人は笑いながら彼女を抱き寄せた。
昼、料理を手伝おうとする健人の背後から、美沙が腰に腕を回し、頬をすり寄せる。
「けんとくん、今日のごはん、なぁに?」
「カレーだよ…って、くすぐるな!」
夜、テレビを見ていると、美沙が膝の上に乗ってきて、頬をぷにぷにとつつく。
「けんとくんの顔、やわらか~い」
健人は苦笑しつつも、その無邪気な笑顔に心を溶かされていく。
外では問題児だった美沙も、家では愛らしさしかない。
健人は心の中で何度も呟いた。
——この選択は正しかった、と。
結婚生活が落ち着いてきたある頃、健人は妙な違和感を覚えていた。
美沙の様子が、日によってまるで別人のように変わるのだ。
ある日は、朝からやたらと元気で無邪気。
「けんとくーん、こしょこしょ~!」
言葉は単純で、笑顔ばかり。料理をすれば塩と砂糖を間違え、掃除も途中で忘れてテレビを見始める。
しかし翌日になると、態度が一変する。
「健人、今月の光熱費、少し抑えられそうよ」
言葉は落ち着き、表情も知的。家計簿をつけながら、合理的な提案までしてくる。
——その繰り返し。
健人はある夜、ふと気づいた。
知能が低い日の美沙は、ワンピースの胸元がすこし緩く、控えめな膨らみ。
一方、知能が高い日の美沙は、胸が豊かに張り、衣服がぴったりと張り付いている。
「まさか…胸の脂肪量と、知能が連動してるのか…?」
試しに、休日の朝、彼女の胸元を確認すると——案の定、少ない日には美沙は「けんとくんあそぼー!」と笑顔で飛びついてきた。
逆に豊かな日には、彼女は新聞を広げ、ニュースの内容について健人に意見を求めてきた。
健人は苦笑した。
「知性か…愛嬌か…日替わりで楽しめるのは悪くない、かな」
だが、胸の張り具合を確かめるために毎朝そっと目をやる自分に、健人は少しだけ罪悪感を覚えた。
ある日の午後、美沙は気づいてしまった。
——胸の脂肪が多い日、健人の視線がよく自分に向く。
けれど、そんな日はなぜか、あまり戯れ合ってくれない。
知能の高い美沙はすぐに理由を分析した。
豊かな胸元に視線を送る一方で、理知的な態度の自分には、健人は遠慮してしまっているのだ。
つまり、賢い自分と戯れる自分は両立していない。
そこで美沙は作戦を立てた。
知能が高い状態——つまり胸の脂肪が多い状態を維持しながら、あえて知能の低い自分を“演じる”のだ。
翌日。
胸の張り具合を確認し、鏡の前で微笑む美沙。
キッチンで健人がコーヒーを淹れている背後に回り、わざと間延びした声を出す。
「けーんとくーん、こしょこしょ~」
脇腹をつつきながらも、その瞳は健人の反応を鋭く観察していた。
健人は驚きと笑いを同時に浮かべる。
「おい…今日は知能低い日か?」
「えへへ~、そうかも~」
心の中で、美沙は密かに笑った。
その日、健人の視線は一日中彼女に注がれた。
そして、戯れも途切れることなく続く。
夕食後、ソファでじゃれ合いながら、美沙は確信した。
——知能を保ちながら、低く見せる。
それこそが、健人の愛情と視線を同時に奪う最適解だった。
休日の午後。
知能が高い日の美沙は、胸元も豊かで、大人びた落ち着きが漂っていた。
だが、ソファに座っていた健人は、いつもと変わらず彼女の脇腹に手を伸ばす。
「今日も無邪気でかわいいなぁ」
「きゃはっ、やめて~」と笑いながら、演技で声を弾ませる美沙。
ふと、健人の耳元に唇を近づけ、不敵な笑みを浮かべた。
「……これが全部、演技だったらどうする?」
健人は動きを止めた。
「え…」
返事をする前に、美沙は瞳を細め、低く艶のある声で続ける。
「私、本当は知能が高い日なの。無邪気な私が可愛いって知ってるから、やってあげてるのよ」
頬が熱くなる健人。
頭の中では「まんまと遊ばれていたのか」と恥ずかしさが広がる。
しかし——体は正直だった。
指先は自然と彼女の腰に回り、その距離を縮めてしまう。
美沙は微笑を深め、わざと幼い声に戻した。
「ねぇ、無邪気な私、可愛いでしょ?」
そのまま妖艶な仕草で健人の胸元に顔をうずめる。
——その瞬間、健人は悟った。
もう抵抗はできない。
それ以来、健人は美沙の頼みを何でも叶える“下僕”となった。
しかし、不思議とそれは屈辱ではなく、満ち足りた幸福に変わっていくのだった。
二人は同じ職場の同期で、同じ男性——健人に想いを寄せていた。美沙は自分の知的な会話や計画的なアプローチで勝てると信じて疑わなかった。
だが、ある日。
紗英がふざけ半分で試した「知能入れ替え薬」が、偶然にも犬と紗英の間で作用した。
結果——紗英の知能は、犬と同じレベルまで低下。
単純な感情で動き、目の前のことしか考えられず、時には意味もなく笑ったり、急に甘えたりする。
美沙は内心ほくそ笑んだ。
「これで健人は、彼女に飽きるはず。」
しかし、現実は逆だった。
職場の休憩室で、紗英は健人の隣にぴたりと座り、笑顔で肩にもたれかかる。
何の計算もない無邪気な行動に、健人の表情がふっと柔らぐ。
「紗英って、なんか…一緒にいると癒されるな」
その言葉に、美沙の胸は冷たく締め付けられた。
夜の帰り道、偶然三人で歩くことになった。
紗英は健人の腕に絡みつき、意味もなく鼻をくすぐるように匂いを嗅ぎ、笑っている。
健人は困るどころか、子犬を見るような優しい目で彼女を見つめ、頭を撫でた。
「俺、こういう自然体の子が好きなんだよな」
その瞬間、美沙は悟った。
自分がいくら言葉を尽くし、計画を練っても、健人の心を動かすのは“理屈”ではないと。
犬の知能しかなくても——いや、だからこそ——紗英は彼の好みのど真ん中になってしまったのだ。
笑いながら彼にじゃれつく紗英の姿が、遠ざかっていく。
美沙の足は動かず、ただ立ち尽くす。
もう二度と、この距離は埋まらない。
それが、彼女の絶望の始まりだった。
美沙はあの夜の絶望から、狂気じみた決意を固めた。
——健人の好みに合わせるために、紗英の知能を限界まで高め、自分の知能を“犬の知能”まで下げるという、逆転の発想だ。
新たに手に入れた知能改変薬を、二人分のコーヒーに混ぜる。
昼休み、何も知らずに薬を飲んだ紗英の目は、徐々に鋭さを帯び、会話に迷いがなくなっていった。
一方、美沙の頭は、柔らかい綿に包まれたようにぼんやりし、思考の糸がすぐ切れる。
「健人くん、この企画案、こうすれば効率も上がるしコストも抑えられるわ」
紗英は資料を片手に、流れるように説明する。
その声に健人の瞳が輝くのを、美沙は見逃さなかった——ただ、彼の笑顔の理由までは理解できなかった。
数日後。
休憩室で、美沙は健人の隣に腰を下ろし、思いつくままに話しかけた。
「ねぇ、健人くん…昨日の夜ごはんね、えっと…あれ?なんだっけ…とにかく美味しかったの」
健人は苦笑し、スマホに視線を戻す。
「そっか…よかったね」
短く返されただけで、美沙は気づかない。彼がわずかに身を引いていることにも。
一方、会議室では紗英が的確な提案を繰り出し、健人は何度も頷き、目を細める。
「やっぱ紗英ってすごいな…一緒にいると刺激になる」
その言葉を聞きながら、美沙はただ笑顔で拍手を送る。
なぜ健人が最近、あまり自分に話しかけてくれないのかもわからない。
ぼんやりと「きっと忙しいんだ」と信じ込みながら。
——美沙は知らなかった。
彼女が健人に煙たがられ、紗英が彼の理想に近づいていることを。
その事実を理解できるだけの知能は、もう、美沙には残っていなかった。
昼下がりの自室。
美沙は鏡に映る自分の顔をじっと見つめていた。
頭の中は靄がかかったようで、長い文章も複雑な計算も理解できない。けれど、その代わりに——ひとつの単純な考えだけが浮かんでいる。
「美人になれば…きっと健人くんは私を好きになる」
机の上には、怪しい薬。
——大きな瞳、ぷっくりした唇、胸の脂肪量増加、そして身長アップ。
美沙はためらいもなく、一気に飲み干した。
数分後。
全身がじんわりと熱くなり、骨が伸び、胸元が重くなる。鏡を覗いた瞬間、美沙は思わず口を開けたまま立ち尽くした。
そこには、雑誌のモデルのような完璧な美貌があった。大きく澄んだ瞳、艶やかな唇、豊かな胸、そしてスラリと伸びた脚。
翌日、職場。
休憩室に入った美沙を見た瞬間、健人の目が大きく見開かれた。
「……美沙? なんか、すごく…変わったな」
その声色は、明らかに惹かれているものだった。
美沙は嬉しそうに笑い、健人の隣に腰掛ける。
「えへへ…似合う?」
言葉は単純で、会話の中身は浅い。けれど健人は、その美しい笑顔と仕草から目を離せなかった。
——知能は低いまま。
でも、外見の変化だけで、美沙は健人の視線を独占してしまった。
紗英の鋭い視線が遠くから突き刺さる中、美沙は何も気づかず、ただ健人の笑顔に頬を染めていた。
昼下がりのオフィスの休憩スペース。
健人はコーヒーを片手にソファへ腰を下ろした。そこへ、美沙が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「けんとくーん!」
声は少し間延びし、呼び方も子供のよう。
健人の隣にぴょんと腰掛けると、美沙は彼の袖をつまみ、ゆらゆら揺らす。
「ねぇねぇ、今日ね、すっごくかわいい服着てきたの。見て~」
そう言って立ち上がり、くるりと一回転。リブのミニワンピースが身体のラインを際立たせ、柔らかな髪がふわりと揺れる。
健人は思わず笑みを漏らす。
「…本当だ、似合ってる」
褒められた美沙は、ぱっと顔を輝かせて彼の肩に頭をこすりつけるようにもたれた。
「えへへ~、けんとくんに褒められるのがいっちばん好き」
知能は低く、会話の内容は単純。だが、その無防備な笑顔と距離感の近さが、健人の心をくすぐる。
ふと、美沙が健人の胸ポケットに手を突っ込み、ペンを抜き取る。
「これ、ちょーだい!」
「おいおい、それ俺の——」
奪い返そうと伸ばした健人の手を、美沙は笑いながらひらりと避け、反対側のソファへ。
追いかけてくる健人に捕まると、美沙はくすぐったそうに笑い声をあげた。
「きゃははっ! けんとくん、くすぐったいよぉ!」
二人の笑い声が、休憩室いっぱいに響く。
その様子を、廊下の奥から紗英が黙って見ていた。
健人の視線がもう自分に向かないことを、痛いほど理解しながら——。
昼休み、オフィスの廊下。
健人が資料を抱えて歩いていると、背後から突然、美沙の指先が脇腹をくすぐった。
「けんとくーん、こしょこしょ~!」
健人はびくっと肩を跳ねさせ、資料を落としかける。
「おい…美沙、やめろって!」
だが、美沙はくすぐったがる健人の反応が楽しいらしく、さらに追撃。
会議室でも、コピー機の前でも、さらにはエレベーターの中でも——美沙はところ構わず健人の脇腹や背中をくすぐった。
知能が低い彼女にとって、それはただの「遊び」だった。
ある日、健人はついにやり返そうと決意する。
昼休み、ソファでくつろいでいる美沙に、そっと手を伸ばす。
「ほら、今度は俺の番——」
しかし、彼の指先が美沙の腰に触れた瞬間、美沙は目を丸くして叫んだ。
「やーん!けんとくん、セクハラだぁ!」
その声は休憩室に響き渡り、周囲の同僚たちが一斉に視線を向ける。
中にはスマホを構える者までいた。
翌日、健人は人事部に呼び出された。
机の上には「セクハラ報告書」が置かれ、美沙が描いた稚拙なイラスト付きの証言書まで添えられている。
「俺だって、やり返そうとしただけだ…!」
必死に弁解する健人を前に、人事担当は淡々と告げる。
「事実は事実ですから」
廊下を出ると、向こうから美沙が小走りで近づいてきた。
「けんとくーん、今日もこしょこしょしよ!」
健人の背筋に、寒気が走った。
健人は人事呼び出し事件のあと、しばらく考えていた。
美沙の無邪気さは職場では厄介だが、家にいれば——それはただ愛らしいだけだ。
だからこそ、健人は決意した。
ある夜、夕暮れのカフェで。
「美沙…俺と結婚してくれ。もう会社はやめて、俺のそばにいてほしい」
美沙の瞳がぱっと輝き、両手をぱたぱたと動かす。
「けんとくんとずっと一緒!? やったぁ~!」
こうして二人は電撃結婚。美沙は寿退社し、健人との新生活が始まった。
――そして、家。
朝、健人が目を覚ますと、美沙が布団の中からぴょこんと顔を出す。
「おはよ~!こしょこしょ~!」
布団の中で脇腹をくすぐられ、健人は笑いながら彼女を抱き寄せた。
昼、料理を手伝おうとする健人の背後から、美沙が腰に腕を回し、頬をすり寄せる。
「けんとくん、今日のごはん、なぁに?」
「カレーだよ…って、くすぐるな!」
夜、テレビを見ていると、美沙が膝の上に乗ってきて、頬をぷにぷにとつつく。
「けんとくんの顔、やわらか~い」
健人は苦笑しつつも、その無邪気な笑顔に心を溶かされていく。
外では問題児だった美沙も、家では愛らしさしかない。
健人は心の中で何度も呟いた。
——この選択は正しかった、と。
結婚生活が落ち着いてきたある頃、健人は妙な違和感を覚えていた。
美沙の様子が、日によってまるで別人のように変わるのだ。
ある日は、朝からやたらと元気で無邪気。
「けんとくーん、こしょこしょ~!」
言葉は単純で、笑顔ばかり。料理をすれば塩と砂糖を間違え、掃除も途中で忘れてテレビを見始める。
しかし翌日になると、態度が一変する。
「健人、今月の光熱費、少し抑えられそうよ」
言葉は落ち着き、表情も知的。家計簿をつけながら、合理的な提案までしてくる。
——その繰り返し。
健人はある夜、ふと気づいた。
知能が低い日の美沙は、ワンピースの胸元がすこし緩く、控えめな膨らみ。
一方、知能が高い日の美沙は、胸が豊かに張り、衣服がぴったりと張り付いている。
「まさか…胸の脂肪量と、知能が連動してるのか…?」
試しに、休日の朝、彼女の胸元を確認すると——案の定、少ない日には美沙は「けんとくんあそぼー!」と笑顔で飛びついてきた。
逆に豊かな日には、彼女は新聞を広げ、ニュースの内容について健人に意見を求めてきた。
健人は苦笑した。
「知性か…愛嬌か…日替わりで楽しめるのは悪くない、かな」
だが、胸の張り具合を確かめるために毎朝そっと目をやる自分に、健人は少しだけ罪悪感を覚えた。
ある日の午後、美沙は気づいてしまった。
——胸の脂肪が多い日、健人の視線がよく自分に向く。
けれど、そんな日はなぜか、あまり戯れ合ってくれない。
知能の高い美沙はすぐに理由を分析した。
豊かな胸元に視線を送る一方で、理知的な態度の自分には、健人は遠慮してしまっているのだ。
つまり、賢い自分と戯れる自分は両立していない。
そこで美沙は作戦を立てた。
知能が高い状態——つまり胸の脂肪が多い状態を維持しながら、あえて知能の低い自分を“演じる”のだ。
翌日。
胸の張り具合を確認し、鏡の前で微笑む美沙。
キッチンで健人がコーヒーを淹れている背後に回り、わざと間延びした声を出す。
「けーんとくーん、こしょこしょ~」
脇腹をつつきながらも、その瞳は健人の反応を鋭く観察していた。
健人は驚きと笑いを同時に浮かべる。
「おい…今日は知能低い日か?」
「えへへ~、そうかも~」
心の中で、美沙は密かに笑った。
その日、健人の視線は一日中彼女に注がれた。
そして、戯れも途切れることなく続く。
夕食後、ソファでじゃれ合いながら、美沙は確信した。
——知能を保ちながら、低く見せる。
それこそが、健人の愛情と視線を同時に奪う最適解だった。
休日の午後。
知能が高い日の美沙は、胸元も豊かで、大人びた落ち着きが漂っていた。
だが、ソファに座っていた健人は、いつもと変わらず彼女の脇腹に手を伸ばす。
「今日も無邪気でかわいいなぁ」
「きゃはっ、やめて~」と笑いながら、演技で声を弾ませる美沙。
ふと、健人の耳元に唇を近づけ、不敵な笑みを浮かべた。
「……これが全部、演技だったらどうする?」
健人は動きを止めた。
「え…」
返事をする前に、美沙は瞳を細め、低く艶のある声で続ける。
「私、本当は知能が高い日なの。無邪気な私が可愛いって知ってるから、やってあげてるのよ」
頬が熱くなる健人。
頭の中では「まんまと遊ばれていたのか」と恥ずかしさが広がる。
しかし——体は正直だった。
指先は自然と彼女の腰に回り、その距離を縮めてしまう。
美沙は微笑を深め、わざと幼い声に戻した。
「ねぇ、無邪気な私、可愛いでしょ?」
そのまま妖艶な仕草で健人の胸元に顔をうずめる。
——その瞬間、健人は悟った。
もう抵抗はできない。
それ以来、健人は美沙の頼みを何でも叶える“下僕”となった。
しかし、不思議とそれは屈辱ではなく、満ち足りた幸福に変わっていくのだった。
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