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冴えないおっさんと美人モデルの改札入れ替わり
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改札前のホームは、いつもと同じ灰色だった。
吊り広告、無表情な通勤客、湿った空気、スマホの光。
そして自分――くたびれたスーツに、疲れた顔の冴えない中年男。
主人公は、いつも通り会社へ向かっていた。
今日も遅刻ギリギリ、今日も上司の小言、今日も誰にも気づかれずに終わる一日。
「はぁ……」
ため息をつきながら、改札へ向かう。
すると、ふと視界の先に“異物”が見えた。
前にいるのは――美人だった。
背が高く、すらりと伸びた脚。
黒髪は艶があり、整った横顔。
コートのシルエットさえ絵になるような、モデル体型の女性。
(なんだよ……朝から目の保養かよ……)
そう思った瞬間、主人公は妙な違和感を覚えた。
改札を通った男が、通った直後に“別人”になっている。
通る前はサラリーマンだったのに、通った後は若い女性。
通る前は女子高生だったのに、通った後は中年男。
「……え?」
主人公は思わず立ち止まった。
一人、また一人。
改札を抜けた瞬間、全員が“前の人”になっている。
まるで改札がコピー機みたいに、前の体を上書きしている。
(……前の人の体に、なる?)
主人公は目を見開いた。
(ってことは……)
視線の先。
改札直前にいるのは、さっきの美人。
(まさか……俺も……?)
喉がごくりと鳴る。
(いや、そんなバカな……でも……)
そして主人公は、半信半疑のまま改札へ歩き出す。
前の美人は、何事もないようにSuicaをかざし、改札を抜けた。
その後ろに続くように、主人公も改札へ。
手が震えた。
ピッ。
改札を通った瞬間――
視界が、変わった。
空気の冷たさが違う。
服の重みが違う。
靴の中の足の感覚が、明らかに細く、長い。
胸元に感じる柔らかい重み。
腰の位置が高く、背筋が自然と伸びる。
(……え?)
主人公は数歩進んで立ち止まった。
自分の手を見た。
細い指。
整った爪。
肌が白い。
(……うそだろ)
反射的に近くのガラスに映る姿を見た。
そこには、さっきの美人がいた。
黒髪、整った顔立ち、長い睫毛。
そして何より、信じられないほど脚が長い。
主人公は息を呑んだ。
「……俺……?」
その声すら、少し高く、綺麗に響く。
混乱して振り返る。
改札の向こうから出てきた次の人間――
冴えないおっさん。
疲れた顔。
くたびれたスーツ。
冴えない髪型。
まぎれもない、元の自分だった。
その男は、目を丸くしてこちらを見ている。
いや、正確には“美人になった主人公”を見ている。
主人公は理解した。
(あいつが……俺の体になった……)
背筋がゾクリとした。
だがそれ以上に――
胸の奥から、熱い笑いが込み上げてきた。
(俺……勝ったのか?)
人生で一度も“当たり”を引いたことのない自分が。
この改札を通っただけで。
たったそれだけで。
この完璧な美人の体を手に入れた。
主人公は、思わず口元を押さえた。
(やばい……笑いが止まらねぇ……)
だが、次の瞬間。
頭の奥が、チリッと痛んだ。
視界が揺れた。
知らない景色が流れ込んでくる。
スタジオの照明。
カメラのフラッシュ。
スタッフの声。
「次、○○さん準備お願いしまーす!」
「衣装、これに変更で!」
「メイク直しますねー!」
そして、胸の奥に刻まれていた感覚。
“この体の持ち主”の記憶。
主人公はぼんやりと理解する。
(……モデル……?)
この女はモデルとして働いている。
しかも今日、テレビ局で撮影がある。
(テレビ局……!?)
改札の外、案内板を見ると、電車はちょうど目的地へ向かう路線だった。
身体が勝手にルートを知っている。
足が自然と動き出す。
主人公は歩きながら、もう一度ガラスに映る自分を見た。
細い腰。
まっすぐな背中。
コートの隙間から覗く脚のライン。
(俺が……モデル……)
信じられない。
だが同時に、最高だった。
主人公は、無意識に姿勢を正した。
すると驚くほど自然に、歩き方が変わった。
膝が伸び、足が前へ流れるように出る。
まるでランウェイを歩くような感覚。
(え、何これ……)
脚が長い。
ただ長いだけじゃない。
動かすだけで“映える”。
通勤客たちが、ちらりとこちらを見る。
視線が集まる。
空気が変わる。
主人公は、その瞬間に確信した。
(俺は今、“見られる側”なんだ)
今までずっと、背景だった。
誰にも気づかれない、透明なおっさんだった。
でも今は違う。
視線が、自分に刺さる。
すれ違う男が振り返る。
女が羨ましそうに目を細める。
主人公は口元を吊り上げた。
(すげぇ……これが……美人の世界……)
胸の奥が、ぞくぞくするほど満たされていく。
改札を抜け、階段を上がり、ホームへ。
歩幅は自然に大きくなる。
脚が長いから、同じ距離でも少ない歩数で進める。
(歩くだけで、気持ちいい……)
主人公は電車に乗り込むと、吊り革に手を伸ばした。
腕を上げるだけで、周囲の視線がまた集まる。
細い腕、綺麗な手首、女性らしいライン。
(これが俺……)
笑いが込み上げる。
(テレビ局か……)
頭の中に、撮影スケジュールが流れ込んでくる。
番組名、スタッフの顔、衣装、控室の場所。
そして、次に向かうべき場所――テレビ局の最寄駅。
主人公は、ふっと息を吐いた。
(俺が、テレビに出るのか)
車窓に映る自分の顔は、完璧だった。
少しだけ上目遣いになるだけで、もう“それっぽい”。
主人公は小さく笑った。
「……悪くないな」
電車が揺れる。
次の駅へ向かって走り出す。
主人公は、その長い脚を組みたくなる衝動を必死で抑えながら、
心の中で確かに呟いた。
(冴えないおっさん人生、今日で終わりだ)
そして――
モデルとしてテレビ局へ向かう朝が始まった。
テレビ局――いや、撮影所のビルは、駅から少し歩いた先にあった。
ガラス張りの高層ビル。
入口には警備員、搬入口には機材車、そして腕章をつけたスタッフが忙しなく出入りしている。
主人公は、その前で一度立ち止まった。
(……俺がここに入るのか?)
胸が高鳴る。
緊張というより、現実感のなさで足が止まった。
だが、次の瞬間。
頭の奥がふっと熱くなる。
「関係者入口は右です」
「受付で名前言えば通りますよ」
「控室、3階のCスタジオ横です」
知らないはずの知識が、当たり前のように浮かんでくる。
(……この体、覚えてる)
主人公は何食わぬ顔で歩き出し、受付へ向かった。
受付の女性が顔を上げた瞬間、目を見開いた。
「あっ……○○さん!おはようございます!」
(え、俺の名前……)
主人公は一瞬固まるが、体が勝手に口を動かす。
「おはようございます」
声が柔らかく、澄んでいて、自分の耳ですら心地いい。
受付の女性は嬉しそうに笑った。
「控室、いつもの場所です!今日もよろしくお願いします!」
主人公は軽く会釈して通り抜ける。
その一歩一歩が、異様なほど自然だった。
背筋が伸びて、首がすっと伸びて、足が前へ流れる。
(……歩き方すら、もうモデルなんだな)
エレベーターで3階へ。
廊下には、台本を抱えたスタッフ、メイク道具を運ぶ人、モニターを見つめるディレクター。
誰もが忙しいのに、主人公が通ると、なぜか一瞬空気が変わる。
「あ、来た」
「今日も綺麗だな……」
小さな声が、確かに聞こえた。
主人公は平静を装いながら、内心で笑っていた。
(俺、今……完全にスター扱いじゃん)
控室のドアを開ける。
「○○さん、おはようございます!」
中にはスタイリストらしき女性がいて、衣装ラックを整えていた。
テーブルにはペットボトルの水、軽食、台本。
主人公はぎこちなく頷く。
「おはようございます……」
スタイリストは当たり前のように言った。
「今日はまずこの衣装からですけど、先にコート脱いで楽にしてくださいね」
主人公は「はい」とだけ返し、部屋の奥へ歩いた。
そして――
ゆっくりとコートを脱いだ。
肩から滑り落ちるように外すだけで、動きが妙に綺麗だ。
まるで舞台の所作みたいに、無駄がない。
鞄を椅子に置く。
ふと視線が自分の体へ落ちた。
ニットのトップスが、胸と腰のラインを拾っている。
ウエストは細く、脚は長い。
長い、細い、真っ直ぐ。
(……やばい)
主人公は息を呑んだ。
今まで見てきた“美人”とは、レベルが違う。
これは美人というより、作り物みたいに完成された体だ。
肩幅、首の長さ、鎖骨、腰の位置、脚の比率。
どこを切り取っても「モデルの体」だった。
主人公は、思わず腹に手を当てる。
(脂肪がない……)
次に、太ももを軽く触る。
(細いのに、ちゃんと筋肉がある……)
その感触に、背筋がぞくっとした。
(俺……こんな体を持ってるのか……)
そして気づく。
鏡がなくても、わかる。
自分の存在が、もう“絵”になっている。
主人公は部屋の隅に立ち、何となく腕を上げてみた。
肩がすっと開き、背中が自然に伸びる。
姿勢が整う。
次に、片足を前に出し、腰を軽くひねる。
――決まった。
何の練習もしていないのに。
まるで体が答えを知っている。
(嘘だろ……)
主人公は、試しにもっとやってみた。
顎を少し引く。
視線を斜めに落とす。
肩を落とし、鎖骨を見せる。
脚を交差して、体重を片側に乗せる。
髪を軽くかき上げる。
――完璧だった。
控室の空気が変わる。
スタイリストが手を止めて、ぽかんと主人公を見ていた。
「……すごい。今日、なんかいつも以上に仕上がってません?」
主人公は心臓が跳ねた。
(やべ、やりすぎたか?)
だが、口元が勝手に微笑む。
「そうですか?」
その一言すら、余裕のあるモデルの声になっていた。
スタイリストは苦笑しながら言った。
「そういうとこですよ……もう、ほんと天性ですね」
主人公は内心で、思いきり笑った。
(天性じゃねぇよ……中身は冴えないおっさんだよ……!)
だが同時に、胸の奥が熱くなる。
この体は、努力して作り上げたものだ。
この体の持ち主は、こうやって日々、撮影に来て、堂々と立っていた。
主人公は、ふと手を握った。
(……俺がこれを使うのか)
(この人生を、俺が……)
そう思った瞬間。
背筋が自然に伸びた。
もう一度、モデルのように立つ。
呼吸を整え、視線を上げる。
自分の脚の長さが、床に影を落とす。
主人公は、静かに確信した。
(……いける)
(俺は今日から、モデルだ)
控室のドアの外から、スタッフの声が聞こえた。
「○○さーん!そろそろ入りお願いしまーす!」
主人公はコートを椅子に掛けたまま、ゆっくりと歩き出した。
足音すら綺麗だった。
そして、控室を出る直前――
ほんの少しだけ口元を吊り上げる。
(冴えないおっさんだった俺が……)
(テレビに出るんだ)
モデルらしい完璧な歩き方で、
主人公はスタジオへ向かった。
撮影スタジオに入った瞬間、空気が変わった。
照明の熱。
カメラのレンズ。
スタッフの足音。
モニターの光。
主人公は、思わず喉を鳴らした。
(……これがテレビの現場か)
今まで人生で、こんな場所に入ったことなど一度もない。
なのに――足が止まらない。
むしろ、自然に前へ出てしまう。
「はい、○○さんお願いします!」
「カメラこっちです!」
「かわいくいきましょう!」
スタッフの声が飛ぶ。
主人公は、言われるままにセットの中央へ歩いた。
床には柔らかいラグ。
背景は淡いパステル調のセット。
小道具のクッションと、小さなテーブル。
完全に「かわいい」を撮るための世界。
(……俺がここで、かわいい……?)
笑いそうになるが、その瞬間。
体が勝手に動いた。
主人公は、すっと膝を折り――
床に座り込む。
しかも、ただ座ったのではない。
両足を体の横に流し、お尻を床につける。
正面から見ると脚がW字型に見える座り方。
ぺたんこ座り。
その姿勢が、驚くほど自然だった。
(……は?俺、何してんだ?)
だが次の瞬間、さらに体が勝手に「完成」させる。
上半身を少しだけ前に傾け、
肩をすぼめ、
顎を少し引き、
目だけを上げて――上目遣い。
そして、ほんの少し口元を緩める。
ぶりっ子の決めポーズ。
(やべぇ……)
主人公は内心で焦った。
(こんなの、俺の人生で一度もやったことねぇぞ!?)
だが、スタジオは静まり返り――
次の瞬間、爆発した。
「うわ、出た!!!」
「それそれ!!」
「かわいい!!!」
「最高!!そのギャップ!!」
スタッフの声が飛び交う。
カメラマンが興奮気味にシャッターを切り始める。
カシャ、カシャ、カシャ。
フラッシュが光る。
主人公は気づく。
この体の“売り”は、ここだ。
大人っぽい美人の顔。
整った骨格。
色気のある雰囲気。
なのに――
床にぺたんこ座りして、上目遣いで甘える。
それが異常に刺さる。
長い脚が、座り方で余計に強調される。
W字に折れた脚のラインが、あり得ないほど綺麗に見える。
大人の顔で、子どもみたいな仕草。
そのギャップが、完全にウケている。
「はい、目線そのまま!」
「もうちょい口角上げて!」
「いい!天才!」
主人公は、内心で震えながらも、
(……すげぇ)
としか思えなかった。
自分が何かをしているというより、
この体が「正解」を知っていて、
勝手に正解を出している。
そしてそれを、周囲が歓声で肯定する。
(これが……モデル……)
主人公は、上目遣いのまま、心の中で笑った。
(冴えないおっさんだった俺が……)
(今、テレビの現場で“かわいい”って言われてる……)
撮影はまだ続く。
次の衣装もある。
次の番組もある。
次の仕事もある。
そして何より――
この体には、まだまだ知らない「決めポーズ」が眠っている。
主人公は、カメラの光を浴びながら思った。
(……これからが楽しみだ)
ぺたんこ座りのまま、
完璧な笑顔で。
主人公は、モデルとしての未来を確信しながら――
物語はそこで幕を閉じた。
吊り広告、無表情な通勤客、湿った空気、スマホの光。
そして自分――くたびれたスーツに、疲れた顔の冴えない中年男。
主人公は、いつも通り会社へ向かっていた。
今日も遅刻ギリギリ、今日も上司の小言、今日も誰にも気づかれずに終わる一日。
「はぁ……」
ため息をつきながら、改札へ向かう。
すると、ふと視界の先に“異物”が見えた。
前にいるのは――美人だった。
背が高く、すらりと伸びた脚。
黒髪は艶があり、整った横顔。
コートのシルエットさえ絵になるような、モデル体型の女性。
(なんだよ……朝から目の保養かよ……)
そう思った瞬間、主人公は妙な違和感を覚えた。
改札を通った男が、通った直後に“別人”になっている。
通る前はサラリーマンだったのに、通った後は若い女性。
通る前は女子高生だったのに、通った後は中年男。
「……え?」
主人公は思わず立ち止まった。
一人、また一人。
改札を抜けた瞬間、全員が“前の人”になっている。
まるで改札がコピー機みたいに、前の体を上書きしている。
(……前の人の体に、なる?)
主人公は目を見開いた。
(ってことは……)
視線の先。
改札直前にいるのは、さっきの美人。
(まさか……俺も……?)
喉がごくりと鳴る。
(いや、そんなバカな……でも……)
そして主人公は、半信半疑のまま改札へ歩き出す。
前の美人は、何事もないようにSuicaをかざし、改札を抜けた。
その後ろに続くように、主人公も改札へ。
手が震えた。
ピッ。
改札を通った瞬間――
視界が、変わった。
空気の冷たさが違う。
服の重みが違う。
靴の中の足の感覚が、明らかに細く、長い。
胸元に感じる柔らかい重み。
腰の位置が高く、背筋が自然と伸びる。
(……え?)
主人公は数歩進んで立ち止まった。
自分の手を見た。
細い指。
整った爪。
肌が白い。
(……うそだろ)
反射的に近くのガラスに映る姿を見た。
そこには、さっきの美人がいた。
黒髪、整った顔立ち、長い睫毛。
そして何より、信じられないほど脚が長い。
主人公は息を呑んだ。
「……俺……?」
その声すら、少し高く、綺麗に響く。
混乱して振り返る。
改札の向こうから出てきた次の人間――
冴えないおっさん。
疲れた顔。
くたびれたスーツ。
冴えない髪型。
まぎれもない、元の自分だった。
その男は、目を丸くしてこちらを見ている。
いや、正確には“美人になった主人公”を見ている。
主人公は理解した。
(あいつが……俺の体になった……)
背筋がゾクリとした。
だがそれ以上に――
胸の奥から、熱い笑いが込み上げてきた。
(俺……勝ったのか?)
人生で一度も“当たり”を引いたことのない自分が。
この改札を通っただけで。
たったそれだけで。
この完璧な美人の体を手に入れた。
主人公は、思わず口元を押さえた。
(やばい……笑いが止まらねぇ……)
だが、次の瞬間。
頭の奥が、チリッと痛んだ。
視界が揺れた。
知らない景色が流れ込んでくる。
スタジオの照明。
カメラのフラッシュ。
スタッフの声。
「次、○○さん準備お願いしまーす!」
「衣装、これに変更で!」
「メイク直しますねー!」
そして、胸の奥に刻まれていた感覚。
“この体の持ち主”の記憶。
主人公はぼんやりと理解する。
(……モデル……?)
この女はモデルとして働いている。
しかも今日、テレビ局で撮影がある。
(テレビ局……!?)
改札の外、案内板を見ると、電車はちょうど目的地へ向かう路線だった。
身体が勝手にルートを知っている。
足が自然と動き出す。
主人公は歩きながら、もう一度ガラスに映る自分を見た。
細い腰。
まっすぐな背中。
コートの隙間から覗く脚のライン。
(俺が……モデル……)
信じられない。
だが同時に、最高だった。
主人公は、無意識に姿勢を正した。
すると驚くほど自然に、歩き方が変わった。
膝が伸び、足が前へ流れるように出る。
まるでランウェイを歩くような感覚。
(え、何これ……)
脚が長い。
ただ長いだけじゃない。
動かすだけで“映える”。
通勤客たちが、ちらりとこちらを見る。
視線が集まる。
空気が変わる。
主人公は、その瞬間に確信した。
(俺は今、“見られる側”なんだ)
今までずっと、背景だった。
誰にも気づかれない、透明なおっさんだった。
でも今は違う。
視線が、自分に刺さる。
すれ違う男が振り返る。
女が羨ましそうに目を細める。
主人公は口元を吊り上げた。
(すげぇ……これが……美人の世界……)
胸の奥が、ぞくぞくするほど満たされていく。
改札を抜け、階段を上がり、ホームへ。
歩幅は自然に大きくなる。
脚が長いから、同じ距離でも少ない歩数で進める。
(歩くだけで、気持ちいい……)
主人公は電車に乗り込むと、吊り革に手を伸ばした。
腕を上げるだけで、周囲の視線がまた集まる。
細い腕、綺麗な手首、女性らしいライン。
(これが俺……)
笑いが込み上げる。
(テレビ局か……)
頭の中に、撮影スケジュールが流れ込んでくる。
番組名、スタッフの顔、衣装、控室の場所。
そして、次に向かうべき場所――テレビ局の最寄駅。
主人公は、ふっと息を吐いた。
(俺が、テレビに出るのか)
車窓に映る自分の顔は、完璧だった。
少しだけ上目遣いになるだけで、もう“それっぽい”。
主人公は小さく笑った。
「……悪くないな」
電車が揺れる。
次の駅へ向かって走り出す。
主人公は、その長い脚を組みたくなる衝動を必死で抑えながら、
心の中で確かに呟いた。
(冴えないおっさん人生、今日で終わりだ)
そして――
モデルとしてテレビ局へ向かう朝が始まった。
テレビ局――いや、撮影所のビルは、駅から少し歩いた先にあった。
ガラス張りの高層ビル。
入口には警備員、搬入口には機材車、そして腕章をつけたスタッフが忙しなく出入りしている。
主人公は、その前で一度立ち止まった。
(……俺がここに入るのか?)
胸が高鳴る。
緊張というより、現実感のなさで足が止まった。
だが、次の瞬間。
頭の奥がふっと熱くなる。
「関係者入口は右です」
「受付で名前言えば通りますよ」
「控室、3階のCスタジオ横です」
知らないはずの知識が、当たり前のように浮かんでくる。
(……この体、覚えてる)
主人公は何食わぬ顔で歩き出し、受付へ向かった。
受付の女性が顔を上げた瞬間、目を見開いた。
「あっ……○○さん!おはようございます!」
(え、俺の名前……)
主人公は一瞬固まるが、体が勝手に口を動かす。
「おはようございます」
声が柔らかく、澄んでいて、自分の耳ですら心地いい。
受付の女性は嬉しそうに笑った。
「控室、いつもの場所です!今日もよろしくお願いします!」
主人公は軽く会釈して通り抜ける。
その一歩一歩が、異様なほど自然だった。
背筋が伸びて、首がすっと伸びて、足が前へ流れる。
(……歩き方すら、もうモデルなんだな)
エレベーターで3階へ。
廊下には、台本を抱えたスタッフ、メイク道具を運ぶ人、モニターを見つめるディレクター。
誰もが忙しいのに、主人公が通ると、なぜか一瞬空気が変わる。
「あ、来た」
「今日も綺麗だな……」
小さな声が、確かに聞こえた。
主人公は平静を装いながら、内心で笑っていた。
(俺、今……完全にスター扱いじゃん)
控室のドアを開ける。
「○○さん、おはようございます!」
中にはスタイリストらしき女性がいて、衣装ラックを整えていた。
テーブルにはペットボトルの水、軽食、台本。
主人公はぎこちなく頷く。
「おはようございます……」
スタイリストは当たり前のように言った。
「今日はまずこの衣装からですけど、先にコート脱いで楽にしてくださいね」
主人公は「はい」とだけ返し、部屋の奥へ歩いた。
そして――
ゆっくりとコートを脱いだ。
肩から滑り落ちるように外すだけで、動きが妙に綺麗だ。
まるで舞台の所作みたいに、無駄がない。
鞄を椅子に置く。
ふと視線が自分の体へ落ちた。
ニットのトップスが、胸と腰のラインを拾っている。
ウエストは細く、脚は長い。
長い、細い、真っ直ぐ。
(……やばい)
主人公は息を呑んだ。
今まで見てきた“美人”とは、レベルが違う。
これは美人というより、作り物みたいに完成された体だ。
肩幅、首の長さ、鎖骨、腰の位置、脚の比率。
どこを切り取っても「モデルの体」だった。
主人公は、思わず腹に手を当てる。
(脂肪がない……)
次に、太ももを軽く触る。
(細いのに、ちゃんと筋肉がある……)
その感触に、背筋がぞくっとした。
(俺……こんな体を持ってるのか……)
そして気づく。
鏡がなくても、わかる。
自分の存在が、もう“絵”になっている。
主人公は部屋の隅に立ち、何となく腕を上げてみた。
肩がすっと開き、背中が自然に伸びる。
姿勢が整う。
次に、片足を前に出し、腰を軽くひねる。
――決まった。
何の練習もしていないのに。
まるで体が答えを知っている。
(嘘だろ……)
主人公は、試しにもっとやってみた。
顎を少し引く。
視線を斜めに落とす。
肩を落とし、鎖骨を見せる。
脚を交差して、体重を片側に乗せる。
髪を軽くかき上げる。
――完璧だった。
控室の空気が変わる。
スタイリストが手を止めて、ぽかんと主人公を見ていた。
「……すごい。今日、なんかいつも以上に仕上がってません?」
主人公は心臓が跳ねた。
(やべ、やりすぎたか?)
だが、口元が勝手に微笑む。
「そうですか?」
その一言すら、余裕のあるモデルの声になっていた。
スタイリストは苦笑しながら言った。
「そういうとこですよ……もう、ほんと天性ですね」
主人公は内心で、思いきり笑った。
(天性じゃねぇよ……中身は冴えないおっさんだよ……!)
だが同時に、胸の奥が熱くなる。
この体は、努力して作り上げたものだ。
この体の持ち主は、こうやって日々、撮影に来て、堂々と立っていた。
主人公は、ふと手を握った。
(……俺がこれを使うのか)
(この人生を、俺が……)
そう思った瞬間。
背筋が自然に伸びた。
もう一度、モデルのように立つ。
呼吸を整え、視線を上げる。
自分の脚の長さが、床に影を落とす。
主人公は、静かに確信した。
(……いける)
(俺は今日から、モデルだ)
控室のドアの外から、スタッフの声が聞こえた。
「○○さーん!そろそろ入りお願いしまーす!」
主人公はコートを椅子に掛けたまま、ゆっくりと歩き出した。
足音すら綺麗だった。
そして、控室を出る直前――
ほんの少しだけ口元を吊り上げる。
(冴えないおっさんだった俺が……)
(テレビに出るんだ)
モデルらしい完璧な歩き方で、
主人公はスタジオへ向かった。
撮影スタジオに入った瞬間、空気が変わった。
照明の熱。
カメラのレンズ。
スタッフの足音。
モニターの光。
主人公は、思わず喉を鳴らした。
(……これがテレビの現場か)
今まで人生で、こんな場所に入ったことなど一度もない。
なのに――足が止まらない。
むしろ、自然に前へ出てしまう。
「はい、○○さんお願いします!」
「カメラこっちです!」
「かわいくいきましょう!」
スタッフの声が飛ぶ。
主人公は、言われるままにセットの中央へ歩いた。
床には柔らかいラグ。
背景は淡いパステル調のセット。
小道具のクッションと、小さなテーブル。
完全に「かわいい」を撮るための世界。
(……俺がここで、かわいい……?)
笑いそうになるが、その瞬間。
体が勝手に動いた。
主人公は、すっと膝を折り――
床に座り込む。
しかも、ただ座ったのではない。
両足を体の横に流し、お尻を床につける。
正面から見ると脚がW字型に見える座り方。
ぺたんこ座り。
その姿勢が、驚くほど自然だった。
(……は?俺、何してんだ?)
だが次の瞬間、さらに体が勝手に「完成」させる。
上半身を少しだけ前に傾け、
肩をすぼめ、
顎を少し引き、
目だけを上げて――上目遣い。
そして、ほんの少し口元を緩める。
ぶりっ子の決めポーズ。
(やべぇ……)
主人公は内心で焦った。
(こんなの、俺の人生で一度もやったことねぇぞ!?)
だが、スタジオは静まり返り――
次の瞬間、爆発した。
「うわ、出た!!!」
「それそれ!!」
「かわいい!!!」
「最高!!そのギャップ!!」
スタッフの声が飛び交う。
カメラマンが興奮気味にシャッターを切り始める。
カシャ、カシャ、カシャ。
フラッシュが光る。
主人公は気づく。
この体の“売り”は、ここだ。
大人っぽい美人の顔。
整った骨格。
色気のある雰囲気。
なのに――
床にぺたんこ座りして、上目遣いで甘える。
それが異常に刺さる。
長い脚が、座り方で余計に強調される。
W字に折れた脚のラインが、あり得ないほど綺麗に見える。
大人の顔で、子どもみたいな仕草。
そのギャップが、完全にウケている。
「はい、目線そのまま!」
「もうちょい口角上げて!」
「いい!天才!」
主人公は、内心で震えながらも、
(……すげぇ)
としか思えなかった。
自分が何かをしているというより、
この体が「正解」を知っていて、
勝手に正解を出している。
そしてそれを、周囲が歓声で肯定する。
(これが……モデル……)
主人公は、上目遣いのまま、心の中で笑った。
(冴えないおっさんだった俺が……)
(今、テレビの現場で“かわいい”って言われてる……)
撮影はまだ続く。
次の衣装もある。
次の番組もある。
次の仕事もある。
そして何より――
この体には、まだまだ知らない「決めポーズ」が眠っている。
主人公は、カメラの光を浴びながら思った。
(……これからが楽しみだ)
ぺたんこ座りのまま、
完璧な笑顔で。
主人公は、モデルとしての未来を確信しながら――
物語はそこで幕を閉じた。
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