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秀忠からの偏諱の下肢

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 翌日、城内の道場で鬼小手と呼ばれる一刀流独自の小手の防具をつけた典膳が秀忠の打太刀を務めていた。
 典膳と秀忠が同時に振り下ろし、秀忠の木刀が典膳の木刀を弾き、切っ先を典膳に向ける。
 突けば刺せるという状態だ。
 そして、典膳が木刀を振り上げると、秀忠が鬼小手に打ち込む。

 「一刀流、二つ勝ち」だ。

 「殿、もう少し手首を効かせて刀身に当てるのでござる」

 「うむ」

 同じ動作をまた行う。

 「あまり、稽古をされていないようでございますね」

 「はっはっは。忙しくてのう。それにしても昨日の試合は見事だった」

 秀忠は、昨日の典膳の試合の話を聞きたかったのだ。

 「昨日のことは、昨日のこと。今は稽古に集中してい
 ただきとうこざいます」

 「まあ、そういうな。山上とやらの剣をどうしてああも簡単に弾くことができた
 のだ?山上も剣を弾こうとしておったのだろう」

 秀忠が話を聞きたそうに詰め寄るので典膳は剣を下した。

 「あれは、まさにこの二つ勝ちの応用でございます」

 「そうなのか」

 「この剣を弾くことが叶えば、敵の技は無力となります。山上は、左肘を見せ己の剣を
 隠すように構えました」

 山上のやった車の構えを典膳がやってみせる。

 「おお、そうじゃ。それで?」

 「この肘を打てと言わんばかりに、誘っているわけでござる」

 「なるほど。そうだったのか」

 「そして右の肘に剣を乗せることによって、脇構えよりも速く、最短の速さで相手
 の剣を撃ち落とすという技でした」

 「最短の速さで?」

 ぶおぉんっ!と、典膳が木刀を斜めに振った。

 「己の弱点を見せつけて誘い、さらに速く、または違う角度から打ち込むのが技に
 ございます」

 「違う角度とは?」

 「つまり、この車の構えの場合は速さを重視していて、打ち込む角度は上、または横からと推察することができるのです」

 典膳は車の構えから上段と、真横から打ち込む動作を見せた。

 「それをどうにかして弾いて無力にしたのだな」

 「同時に深く踏み込んだのです」

 「深く踏み込んだ?それで斬り伏せることができたのか」

 「左様。相手の構えからどんな技なのかを推察しあえて深く踏みむことで敵の
 理合いを崩すのです。わが師一刀斎から学んだ秘伝でござります」
 
 「伊藤一刀斎の秘伝か!なるほど構えから技を推察してさらに深く踏み込むのか!
 まさに一刀流は霊妙を極めた技だな」

 「恐れ入ります」

 しかしじつのところ典膳には山上との試合で不安が残っていた。
 山上の構えから上か、横からしか来ないと読んだが、下から来られたらまずかった。
 昨日、典膳は帰宅してじつはそのことを考えていた。
 もし山上が右肘に乗せた剣を、肘を脇につけ剣を下から斬り上げてきていたら…
 もちろん、そのぶん遅れるのでそのまま腕を斬りにいけばいい。
 しかし、 なにか腑に落ちない。
 典膳は、言いようのない不安を感じていた。

 「なんだこの不安は…」

 典膳の不安をよそに秀忠は、感激が止まらない。
 この構えから技を推察する秘伝に秀忠はいたく感動していた。

 「よくぞ一刀流の秘伝を教えてくれた!よし!おぬしに偏諱の下肢のを行うぞ」

 偏諱というのは、名前の一字を与えるということだ。
 秀忠の場合、陸奥国二代目藩主・伊達忠宗、小倉藩二代目藩主・細川忠利など
 多くの人間に「忠」の字をので与えている。
 小野典膳にも与えようというのだ。
 とっさに典膳は「ありがたきしあわせ」と、頭を下げたが、心の中は正体のわからない不安でいっぱいだった。
 秀忠は、その場で腕を組んでうろつき始めた。

 「小野忠信…いや小野忠勝…」

 そう言って典膳の顔を見る。

 「忠勝という顔ではないな」

 じっと、典膳の顔を睨むように見つめた。
 そして思いついた。

 「そうじゃ!忠明じゃ!おぬしは忠明という顔をしている」

 「忠明?」

 「そうじゃ小野忠明じゃ!後で正式に家臣達の前で偏諱を行うでな」

 数日後、小野典膳は、晴れて小野忠明になった。
 後に小野派一刀流の始祖と呼ばれる小野次郎右衛門忠明である。
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