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松山主水の最後
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おでん屋のおやじにも、この会話はよく聞こえた。
荘林と桑田が寺に入って行くときは、おでん屋のおやじはとくに気にせずに売れたおでんのたまごを付け足していた。
半十郎は事の起こりをおでん屋の前で待つことにした。
荘林は刀を納刀したまま腰から抜き右手に持った。
敵意のないことを示す礼儀だ。
寺に入ると、外のそうじに出ようとする僧とすれ違った。
僧が会釈するので、桑田と荘林も会釈を返した。
奥の部屋に行くと、主水が寝ていた。
ふすまを閉めると、桑田がどんぶりを主水の前に置いた。
と、同時に寝間着姿の主水が起き上がった。
荘林が、正座をして手をついた。
「先生。お久しぶりでございます」
「十兵衛。挨拶は抜きじゃ。このたまごを食っておけ今夜は長丁場だ」
「はい。では遠慮なく」
二人は、どんぶりのたまごを手づかみでほうばった。
「あつッ!」
「熱いな…」
荘林十兵衛の正体とは柳生十兵衛だった。
十兵衛は、家光の小姓をしているとき秀忠を怒らせた。
だが秀忠を怒るというときは必ず隠密を始動させる定番のやり口である。
主君から遠ざかり蟄居など命じられる間に隠密を遂行する。
主水が小野忠明として、徳川家に仕えていた頃からの常套手段だ。
当然、柳生十兵衛も豊臣秀頼の追跡のために細川忠興に仕え、隠密をしていた。
柳生十兵衛が隻眼だったという言い伝えや、両目がある肖像画が残っているのはおそらく変装のために眼帯をつけることがあったからだと思われる。
「準備は大丈夫か?」
「はい。打ち合わせのとおりに」
主水は十兵衛の背中に目をやった。
「鎖帷子は付けたか」
「はい。油紙の血もすでに」
「この慎之介が後ろから斬る。よいな」
「はい」
「慎之介も、稽古したとおり心してかかれ」
「心得ております」
「では、そろそろ始めるか」
「主水様、これを」
慎之介が竹水筒の蓋をとって見せた。
「うむ」
主水が背中を向けると慎之介が竹水筒の血を背中に垂らした。
自らの手で背中に血を広げ、腹の周りにも塗ったくった。
慎之介が十兵衛が差し出した剣の切っ先に残りの血を垂らす。
「よいか」
「はい」と、十兵衛と慎之介が答えた。
主水は息を大きく吸った。
寺の外では僧が作務のそうじをしていた。
主水は吸った息を叫び声にして吐いた。
「ぎゃあああああああ!おのれ~!」
外にいた僧はびくっとして声がした主水の部屋へ視線を集中させた。
おでん屋のおやじも悲鳴を聞いて寺の方を見た。
この二人が目撃してることを半十郎はしっかり確認した。
次の瞬間、主水の部屋のふすまを十兵衛が蹴り破り飛び出して来た。
片手には血をつけた剣を握っている。
たじろいた僧は、逃げる十兵衛をただただ目で追うだけであった。
そして俊足の慎之介が十兵衛を追った。
十兵衛が寺の門を出る直前で、背後から十兵衛の背中を斬りつけた。
「うわあああああ!」
断末魔の叫び声が静寂をつんざいた。
十兵衛はそのまま力尽きて倒れた。
部屋からその様子を見て主水は最後の一言を発した。
「でかした!」
そう言って力尽きて畳に伏せた。
この台詞は松山主水の最後の言葉として歴史に残っているが、敵を討ち取ったのも見届けて言ったとなるとあまりにも芝居がかった最後ともいえる。
おでん屋のおやじは、その場で固まって動けなくなり、僧はあたふたと震えながら住職へ報告に行った。
半十郎はおでん屋のおやじに言った。
「今見たことをしかと役人に伝えてくれ」
「は、はい」
半十郎は慌てる僧達をなだめ役人が来るまで主水や十兵衛に近づけさせなかった。
その半刻もしないうちに、役人がやってきて素早く主水と十兵衛の死体を運びだした。
死体見分所に到着するくと役人が部下を外へ出し戸を閉めた。
役人は柳生の者だった。
「主水様、十兵衛様、人払いをしました」
主水と十兵衛が起き上がった。
同時に役人に扮した柳生の者が用意しておいた召し物を二人に渡す。
主水は、浪人の姿で髭を付け傘をかぶった。
すれ違っても松山主水とは誰も気づかないだろう。
十兵衛は眼帯を外すとてぬぐいで頭を隠し、着物の裾を帯に巻きつけ、刀を枝の束に隠すとすっかり地元の農民が枝拾いから帰ってきたとしか見えない姿となった。
支度が済むと十兵衛は、主水に…いや、主水だった男に別れを告げた。
「先ほどは挨拶ができませんでした。小野先生には数々の剣の要訣を教えていただき、いつかお礼を言おうと思っておりました」
十兵衛は神妙に頭を下げた。
小野というすでに男が捨てた名前で十兵衛はあえて呼んでいた。
十兵衛が剣の真実を見せられ、心から尊敬したのが小野忠明だった。
「十兵衛、達者でな。但馬殿にもよろしく伝えておいてくれ」
「はい…小野先生。またいずれ」
「酒もほどほどにな」
十兵衛はにやりとして見せると会釈してそのまま出ていった。
死んだふりをした剣豪は、老いた浪人の姿で小倉を目指した。
一方、桑田慎之介は一足先に小倉へ戻っていった。
細川忠利に主水の死を報告するためだ。
細川忠興には、荘林半十郎が一部始終起こったことを伝えた。
これで松山主水は死んだことになった。
その後、桑田慎之介は荘林の手の者、つまり半十郎に打ち取られた。
これも打合わせしたとおりの仕掛けだった。
打ち取られ死んだことにして江戸に戻った。
江戸の戻る前に、慎之介は半十郎を槍で闇討ちするという仕掛けを掛けた。
半十郎、正確には十兵衛の息子のふりをした柳生の者だが闇討ちされたことにして、この者も江戸へ戻った。
長年、豊臣秀頼捜索のために小倉に派遣されていた柳生の者達がこれを機に一気に引き上げた。
小倉藩は事態の収集に追われたが仕方がない。
そして主水だった男は、宮本伊織との口約束…いや無言の口約束を実現する時がいよいよやってきたと、新たな人生の目的に胸を躍らせた。
寛永十二年十月のことだった。
荘林と桑田が寺に入って行くときは、おでん屋のおやじはとくに気にせずに売れたおでんのたまごを付け足していた。
半十郎は事の起こりをおでん屋の前で待つことにした。
荘林は刀を納刀したまま腰から抜き右手に持った。
敵意のないことを示す礼儀だ。
寺に入ると、外のそうじに出ようとする僧とすれ違った。
僧が会釈するので、桑田と荘林も会釈を返した。
奥の部屋に行くと、主水が寝ていた。
ふすまを閉めると、桑田がどんぶりを主水の前に置いた。
と、同時に寝間着姿の主水が起き上がった。
荘林が、正座をして手をついた。
「先生。お久しぶりでございます」
「十兵衛。挨拶は抜きじゃ。このたまごを食っておけ今夜は長丁場だ」
「はい。では遠慮なく」
二人は、どんぶりのたまごを手づかみでほうばった。
「あつッ!」
「熱いな…」
荘林十兵衛の正体とは柳生十兵衛だった。
十兵衛は、家光の小姓をしているとき秀忠を怒らせた。
だが秀忠を怒るというときは必ず隠密を始動させる定番のやり口である。
主君から遠ざかり蟄居など命じられる間に隠密を遂行する。
主水が小野忠明として、徳川家に仕えていた頃からの常套手段だ。
当然、柳生十兵衛も豊臣秀頼の追跡のために細川忠興に仕え、隠密をしていた。
柳生十兵衛が隻眼だったという言い伝えや、両目がある肖像画が残っているのはおそらく変装のために眼帯をつけることがあったからだと思われる。
「準備は大丈夫か?」
「はい。打ち合わせのとおりに」
主水は十兵衛の背中に目をやった。
「鎖帷子は付けたか」
「はい。油紙の血もすでに」
「この慎之介が後ろから斬る。よいな」
「はい」
「慎之介も、稽古したとおり心してかかれ」
「心得ております」
「では、そろそろ始めるか」
「主水様、これを」
慎之介が竹水筒の蓋をとって見せた。
「うむ」
主水が背中を向けると慎之介が竹水筒の血を背中に垂らした。
自らの手で背中に血を広げ、腹の周りにも塗ったくった。
慎之介が十兵衛が差し出した剣の切っ先に残りの血を垂らす。
「よいか」
「はい」と、十兵衛と慎之介が答えた。
主水は息を大きく吸った。
寺の外では僧が作務のそうじをしていた。
主水は吸った息を叫び声にして吐いた。
「ぎゃあああああああ!おのれ~!」
外にいた僧はびくっとして声がした主水の部屋へ視線を集中させた。
おでん屋のおやじも悲鳴を聞いて寺の方を見た。
この二人が目撃してることを半十郎はしっかり確認した。
次の瞬間、主水の部屋のふすまを十兵衛が蹴り破り飛び出して来た。
片手には血をつけた剣を握っている。
たじろいた僧は、逃げる十兵衛をただただ目で追うだけであった。
そして俊足の慎之介が十兵衛を追った。
十兵衛が寺の門を出る直前で、背後から十兵衛の背中を斬りつけた。
「うわあああああ!」
断末魔の叫び声が静寂をつんざいた。
十兵衛はそのまま力尽きて倒れた。
部屋からその様子を見て主水は最後の一言を発した。
「でかした!」
そう言って力尽きて畳に伏せた。
この台詞は松山主水の最後の言葉として歴史に残っているが、敵を討ち取ったのも見届けて言ったとなるとあまりにも芝居がかった最後ともいえる。
おでん屋のおやじは、その場で固まって動けなくなり、僧はあたふたと震えながら住職へ報告に行った。
半十郎はおでん屋のおやじに言った。
「今見たことをしかと役人に伝えてくれ」
「は、はい」
半十郎は慌てる僧達をなだめ役人が来るまで主水や十兵衛に近づけさせなかった。
その半刻もしないうちに、役人がやってきて素早く主水と十兵衛の死体を運びだした。
死体見分所に到着するくと役人が部下を外へ出し戸を閉めた。
役人は柳生の者だった。
「主水様、十兵衛様、人払いをしました」
主水と十兵衛が起き上がった。
同時に役人に扮した柳生の者が用意しておいた召し物を二人に渡す。
主水は、浪人の姿で髭を付け傘をかぶった。
すれ違っても松山主水とは誰も気づかないだろう。
十兵衛は眼帯を外すとてぬぐいで頭を隠し、着物の裾を帯に巻きつけ、刀を枝の束に隠すとすっかり地元の農民が枝拾いから帰ってきたとしか見えない姿となった。
支度が済むと十兵衛は、主水に…いや、主水だった男に別れを告げた。
「先ほどは挨拶ができませんでした。小野先生には数々の剣の要訣を教えていただき、いつかお礼を言おうと思っておりました」
十兵衛は神妙に頭を下げた。
小野というすでに男が捨てた名前で十兵衛はあえて呼んでいた。
十兵衛が剣の真実を見せられ、心から尊敬したのが小野忠明だった。
「十兵衛、達者でな。但馬殿にもよろしく伝えておいてくれ」
「はい…小野先生。またいずれ」
「酒もほどほどにな」
十兵衛はにやりとして見せると会釈してそのまま出ていった。
死んだふりをした剣豪は、老いた浪人の姿で小倉を目指した。
一方、桑田慎之介は一足先に小倉へ戻っていった。
細川忠利に主水の死を報告するためだ。
細川忠興には、荘林半十郎が一部始終起こったことを伝えた。
これで松山主水は死んだことになった。
その後、桑田慎之介は荘林の手の者、つまり半十郎に打ち取られた。
これも打合わせしたとおりの仕掛けだった。
打ち取られ死んだことにして江戸に戻った。
江戸の戻る前に、慎之介は半十郎を槍で闇討ちするという仕掛けを掛けた。
半十郎、正確には十兵衛の息子のふりをした柳生の者だが闇討ちされたことにして、この者も江戸へ戻った。
長年、豊臣秀頼捜索のために小倉に派遣されていた柳生の者達がこれを機に一気に引き上げた。
小倉藩は事態の収集に追われたが仕方がない。
そして主水だった男は、宮本伊織との口約束…いや無言の口約束を実現する時がいよいよやってきたと、新たな人生の目的に胸を躍らせた。
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