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25.寝込みを襲うとか最低だな

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「……きゃっ!」

 ここまで……ここまで耐えてきたのに! 

 据え膳食わぬは男の恥、と言わんばかりに、俺の体は意図せず動いていた。
 ナツの両手を押さえつけ、そのまま彼女に覆いかぶさったのだ。

「はあっ……はあっ……」
「ら、ランジェ……さま?」

 いつの間にか、俺の息は上がっていた。
 ナツは、急な俺の行動に対して何も抵抗できず、そして、赤面した。

 彼女が身につけていたネグリジェは、体のラインをはっきり写していた。その姿は、さらに俺を興奮させた。

 顔が、自然と近づいた。だが、彼女は、避けなかった。【剛腕】のスキルを持ってすれば、振りほどくのは簡単なはずなのに、それをしなかった。

「ランジェ様……ナツは……」
「俺は! 違う!」

 自分でもびっくりするくらい、大きな声で彼女の言葉を遮り、否定した。
 するとナツは、『はっ』とした表情を見せると共に、少し戸惑った感じを含みつつ、静かに目線をそらした。

 俺はそれを、受け入れのサインと受け取った。

 高ぶる気持ちと一緒に、さらに奥底から沸き上がる、彼女への想い。
 俺の……いや、これはランジェの『想いの残り香』だ。
 彼は、物心付いたときから、ナツを姉のように慕っていたのだ。そしてその気持ちは、いつしか、姉弟という関係を超越した物に変わっていったのだろう。

 彼が成し得なかったことを、俺がやろうとしている。
 死の淵をさまよったランジェに取って代わり、俺が、彼の想い人を抱こうとしている。

(ランジェ、スマンな)

 一旦、俺は目を瞑り、彼に謝罪した。しかし、今は俺がランジェである。わずかに残る罪悪感を内心に押し込み、そして、大きく深呼吸をした。

(……く、しかし困った)

 実のところ、俺は転生前含めて、こういう所作の経験がない(なお、フィクション的な映像資料としては履修済み)。
 作られた映像作品のことをそのまま行う訳にはいかないが、男として、彼女をリードしてやらんと示しがつかぬ。

 ここで悩んで、何もしないのも不自然だ。こうなったら、後は野となれ山となれ! 

 俺は、改めて目を見開いた。目線の先には、ナツの顔がある。

「ナツ……」
 相手の目をまっすぐ見据え、今宵を共に過ごすパートナーの名前を囁く……あれ? 

 先程まで、耳の先まで真っ赤に染まっていた彼女の顔は、いつの間にか色味が落ち着いていた。最初は、窓から差し込む月の光の加減だろうかと思ったが、そうではない。
 俺が精神統一している間に、彼女は何か、窓の外に違和感を覚えたようだ。

「ナツ?」
「……何か変です、ランジェ様っ」

 彼女は俺ではなく、先ほどから窓を見ていた。見ているというより、睨みつけている。まるで、窓の死角に何かが潜んでいるのを警戒しているような……。

「ナツ? ここまできて、そういう冗談は……」
「ランジェ様、扉には鍵はかけました?」
「なんだ、そんな心配か。もちろんしっかり掛けたよ。だから誰も邪魔はさせない」
「えと、では窓に鍵は……?」
「──あれ? してたっけ?」
「……! 避けてっ!!」

 残念ながらナツの勘は正しかった。
 彼女が声を上げた刹那、閉ざされていた窓が開放され、黒ずくめの人物が部屋に突入してきたのだ。

「! きゃぁっ!」
「しまっ……くっ!」

 一瞬のスキを突かれた。──いや、隙だらけといえば隙だらけだったが。

 飛び込んできたのは、二人組みだった。
 ナツが俺を逃がそうとベッドから突き飛ばしたが、それは叶わず、俺は右腕を掴まれ、後ろ手に回された。腕の腱が決められてしまい、そのままうつ伏せに倒され押さえつけられた。

「お楽しみのところ悪いわねぇ、お二人さん」
「お前は、あのときの!」

 一瞬にして身動きが取れなくなった俺は、腕を掴む人物の顔を拝もうと体をひねった。すると、目に飛び込んできたのは、狐のお面だった。

 忘れもしない。
 ゴブリン退治のときに、納屋に火を放った女だ。

「おっと、喋るなよ」
「……ぐうっ!」
 狐面の女は、俺の腕を軽くひねった。それだけで激痛が走る。情けない悲鳴が上がってしまった。

「ら、ランジェ様……うっ!」
「お前も、声を出すな」
 そしてナツも、もう一人の黒尽くめの男性に、動きを制限されていた。
 男の持つ長剣は、ナツの喉ギリギリに突きつけられていた。彼女は壁を背に立たされ、こちらも体の自由が奪われていた。

「全く世話が焼けるねぇ」
「なん──!」
「あんま大きい声出すなって」
 女が言葉を発するに併せて。再度、俺の腕に激痛が走る。

「ぐああっ!」
「あーあメンド。まさか、あの火事で生きてるとはね」
「……狙いは俺だろ、ナツは離せよ」
「アイツは人買いに売るわ」

 すると、ナツを押さえていた男が口を開いた。

「上物だな、高く買うぞ」
 こいつ、奴隷商人か。

「ランジェ……さま」
 ナツが喋るたびに、首に刃が触れそうになる。
 俺もナツも、動くに動けない。完全に『キメ』られてしまった。

「ランジェ=ヴァリヤーズ、悪いわね。今度は、殺した証拠を持って来いって命令なのよ」

 すると、狐面の女は腰に携えた曲刀を抜いた。月夜に反射した刃は、まるで氷のように青白く美しかった。

「……! やめてっ!」
「しゃべるなっ!」

 ナツが制止させようとするも、彼女も刃を首に宛がわれ身動きがとれない。
 そうこうしているうちに、女は曲刀を大きく振りかぶった。狙いはもちろん、俺の首だ。

(万事休すか!)

 まともに動けず、ナツの助けも望めない。

(くそっ! せっかく転生してきたのに……こんなところで人生終焉ゲームオーバーかよ!)

 俺はギュッと目を瞑り、覚悟を決めた。
 首を切られるのって、痛いのだろうか。できるなら、痛みすら覚える前に即死したいものだ……。

 そして、冷たく煌めく刃が、俺の首に向かって振り下ろされた──




『コン、コン』




 扉をノックする音。

 一瞬にして、緊張の糸が張りつめた。
 俺も、男も、狐面の女も、ナツも、一斉に動きを固めた。
 曲刀は俺の首を落とすことなく、ギリギリのところでストップしていた。

『……夜分すいません、クウです』
 扉をノックしていたのは、クウだった。

「チッ」
 仮面の女は小さく舌打ちをし、刃物を下ろして俺に目配せした。

退しりぞけろ。助けを呼ぼうとは思うなよ」
「……」

 助けを求めるという選択肢は、無かった。ここで俺が助けの声など上げようものなら、それこそ、クウの命をも危険にさらすことになる。

「……よう、どうした? クウ?」

 俺はできるだけ平常心を保ち、声色もいつも通りを意識して、扉に向かって返答をした。腕は未だに、後ろ手に固定されている。

『夜分すいません、村でのこと、謝りたくて』
「あ、ああ。そのことか、気にするな」
『ありがとうございます。けど、一度しっかり顔を合わせて謝罪を……』
「今日はもう遅いからさ、また明日話そうぜ」
『できれば、今すぐお話ししたいんです』

 クウを巻き込まないように、言葉を選んで返答した。しかし彼女は、なぜか意固地に扉の前から退こうとしない。

(早くしろっ)
 仮面の女が急かしてきた。俺の腕を握る手に力がこもる。

「ぐっ──、クウ、いま、ほら、俺たち、『取り込み中』だからさぁ」
 ちょっぴり下ネタも織り交ぜつつ、しかし自然な理由を含めて、クウの訪問を拒絶した。

『ええ、わかってます』
 しかし、クウは折れなかった。

「お、おいおい。『わかってます』って、クウ? 一体どういうつもり……」

『僕は……僕たちはっ!!』

 扉の向こうの彼女の声が大きくなった。『覚悟』を決めたような強い意図を含んでいた。

 そしてその彼女たちの『覚悟』が何かは、すぐに判明した。



『あなた達を、助けに来たんですからっ!!』
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