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第1話 追放勇者、気が変わる【その1】

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「きゃぁぁぁっ!!」
 
 街へ続く街道から少しそれた小道に、絹を裂くような悲鳴が響いた。
 実際、その女のドレスは、胸元から引き裂かれていた。たわわに実った果実が露になる。
 
「いゃぁぁっ!」
 
「ぐへへへ……こっちも良いもん持ってんじゃねえか」
「兄貴ぃ! いいよな? やっちまう前にやっちまっていいよな!」
 
「この……痛っ! いやあ! 誰か! 誰か助けて!」
 
 
 
 ――それを遠くの崖の上から、もれなく音声付で覗いていた一人の男。
 彼は、望遠鏡に『力』を付与していたことに、心の底から後悔した。
 
 つい見入ってしまった。
 もともと、あそこの街道を抜けるつもりであったため、安全確認のため覗き込んだだけだったのだが。

 ここに来るまでに、こういった『厄介ごと』は極力避けてきたつもりだったが……。まあ、見続けてしまったのは、魔が差したというか。
 
「山賊の数は……5人ってとこか。さすがに……このまま無視するのは後味悪すぎるよなぁ」
 だいぶ年季の入った望遠鏡──ところどころ繊細な装飾が目に入る──を懐に押し込んだ。そして再度悩んだ。できれば目立つことせず故郷に帰りたかったのだが。
 
「ちっ。見ちゃった『お詫び』も兼ねる、か」 
 そう独白すると彼は、昨日防具屋で買ったばかりの《なめし皮のグリーブ》に力を込めた。
 
 
 
「ん? なん……」 
 女の胸を揉みしだく山賊風貌の男の首に、鋭いドロップキックが飛んできた。山賊は残念ながら、男としての絶倫の時を迎える前に絶命してしまった。

 まあまあ体格のある男ではあったが、首はひしゃげ、あり得ない方向に曲がったまま、キックの力のベクトル方向に吹っ飛んだのだ。
 
「よし。一丁上がり。女神の加護があらんことを」 
 代わり(?)に山賊がいた場所には、彼が立っていた。中肉中背の青年。黒の短髪に皮のマント。どこにでも居そうな男性だった。
 
「君、大丈夫……!! っっ!」 
 押し倒されていた女性も、年齢は彼と同い年くらいか。ピンクと白を基調とした洋服を着ていたが、胸元は大きく裂かれ、平均より大きな彼女の胸はこれ見よがしに開放されていた。
 
「……す、すごい……」
「……す、すごいっすね……」
 
 これは彼女と彼のセリフ。
 彼女は、彼のキックの威力に。
 彼は、彼女のお胸の迫力に対しての感想だ。
 
 ばっ! と咄嗟に、彼は身に着けていたマントを翻し、彼女に被せた。
 
「いったんこれで隠しておいて」
「あっ! は、はい」 
 胸があらわになっていることに気が付き、急いで彼女はマントで胸元を隠した。
 年季の入った、通常よりも厚手に編んであったマントは、彼女の知らない動物の毛と革でできていた。
 
「さて……今なら見逃してやるが、どうする山賊さん」
「な、なんだてめえ!!」 
 彼の慈悲の言葉は残った山賊には届かなかった。
 小柄な山賊は背丈並みの青龍刀を構え、そのまま彼に襲いかかった。
 
(まあまあの『手練れ』だな。油断せず、全力を『出そう』) 
 彼はまっすぐ襲ってくる山賊を一蹴した。小柄な山賊は確かに腕に自信があった、なんなら、この組で一番強いと自負していた。

 が、上には上がいる。
 彼の全力キックは、青龍刀ごと山賊を吹き飛ばした。
 誰も、本当に彼が蹴ったのかどうかすら、全く見えなかったレベルの神速。
 
「か……かふっ」
 変な声と一緒にあり得ない血液量を口から噴き出した。折れた青龍刀は身体に突き刺さっていた。
 
「わりぃ、こうなったら手加減できねぇんだ。よし、次……」
「に、逃げろ!」 
「ありゃ」 
 残りの山賊はさっさと逃げてしまった。
 
(ちょうどよかった。グリーブも限界だった)
 彼は片足を上げ、グリーブを見た。靴底は抜け、なめし革で固くしてあるはずの脛部分には大きな穴が開いていた。あれだけの衝撃を加えれば壊れるのも無理はないか。
 
「あ、あの! 助けて下さり、ありがとうございました!」 
 彼女が頭を下げる。
 上半身はほとんど開いてしまっており、革のマントで押さえてはいるが、重めのマントと重めのお胸のせいで、お辞儀した瞬間、彼の目には強烈な谷間がドドンと飛び込んでくることになった。
 
「わっとっと! ……い、いえ、ご無事でなにより……」 
 さすがに凝視は悪い、と、目をそらしたら、盗賊以外にも人が倒れていることに気付いた。
 
「……彼らは?」
「あ! あれはトゴとジェフ!」 
 彼女はトゴ、ジェフと呼ばれた『遺体』に近づいた。正直この離れた距離から見ても、胴体はひん曲がり、身体の一部はつぶれていたり。どう見ても生きていない。
 
 遺体に近づいた彼女は、右手の親指と人差し指を第一関節で交差させ、胸の前で二回回した。世界の理を構築した女神への祈り。死者への弔いでもある。
 
「お知り合いか?」
「ええ、今回の荷物運びの用心棒をお願いしてました……あっ!」 
 彼女は祈りも程々に、参道の脇に入っていった。何か大きなものが通過したのか、草木が分けられ道になっていた。
 
「よかった! 無事だったのね!」 
 その奥には、優雅に草をむさぼる一頭の馬と、幌を張った大きな荷馬車があった。馬自体には特に大きな傷もないようで、むしろ草を食べることに必死だ。
 帆は、山賊たちの弓矢で穴だらけだったが……。
 
 彼女は、荷馬車に飛び乗った。
 ついてきた彼も、馬車を覗き込んだ。
 
「荷物も無事ですわ!」 
 彼女は積まれた麻袋に抱きついていた。袋の一部には山賊が放ったであろう矢がぶっ刺さっており穴が開いていた。
 スンスンと、彼は鼻を利かせた。空いた穴から僅かに香る、甘く、それでいて鋭く頭から抜けるような匂い。なるほど。
 
「お茶、かな」
「え、ええ。そうです」 
 ビクッ! と、彼女は驚いた。荷物の中身を一発で当てられるとは思っていなかったのだろう。
 
「嗅いだことのある匂いだったんで……って! 胸! 胸!」
「あ、きゃあっつ!!!」 
 お胸の開放のことをすっかり忘れていた彼女。
 男は、おいおい、といった表情で、破れた帆をナイフで成型し彼女に渡した(顔を伏せながら)。
 
「こ、これ、胸に巻いて!」
「あ、ありがとう……」 
 そういえばお互い、自己紹介もまだだった。
 たわわな胸にいい塩梅にフィットしたブラを身に着け、彼女が振り向いた。……うーんでかい。
 
「私の名前は、ニオーレ。ニオーレ=イーガス。このお茶を、町まで運んでいるときにこんなことに……助けていただき、本当にありがとう! ええと」
「オレはサック。まあ、生業は行商人かな」
 
 え、と、ニオーレが驚きの表情を浮かべた。
「本当に行商人なんですか!? てっきり、武闘家かと思いました」
 先ほどの『足技』を見ての彼女なりの感想だろう。
 
「一人旅だからな、自分の身は自分で守らないと」 
 なるほどと、彼女は納得したようだった。
 
 馬を引き、通りに出た。しばらく町から離れている通りであり、また山賊などが現れない理由もない。
 となると、ニオーレの選択肢はひとつになる。
 
「サックさん、あなたのその武術を買ってお願いがあります、町まで用心棒をお願いできませんか」
 そうなるよな……。サックは少し後悔した。できるだけ人と接せず、旅を終えたかったのだが。しかし、これは不可抗力だ。サックはニオーレの提案に同意した。
 
「ありがとうサックさん! 私困っていましたの。馬車の運転方法もわからず、もし断られていたら、どうすればよかったのか……。お礼は弾ませていただきますわ」 
 違うところも一瞬弾む。もちろん、サックは見逃さなかった。
 

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「イーガス家は、元々は小さな家元でしたが、わたしたちの代で高級志向の紅茶を売りに出したところ、一定の貴族に大ヒットしまして」 
 馬車に揺られながら、目的の町に向かう、サックとニオーレ。
 
「それが、このお茶か」 
「ええ、かなり特別な栽培方法なので、畑も加工場も秘密にしております」 
 馬車の振動で彼女の胸が揺れる。
 それを、横目でちらちらと見ながらの運転。この男、意外とむっつりである。
 
「ですのでサックさん、この道で出会ったことは内密に。もちろん、無料タダとは言いませんわ。今回のお礼も含めて、今夜は当館でお休みください」 
「ありがとう、ぜひともそうさせて貰うよ」
 
 たゆんたゆんに気を取られつつも、華麗な手綱さばきで馬車を走らせるサック。
 自身の旅は――まあ、あまりゆっくりはできないが――当初からその街で宿をとる予定だったので、
 
「宿代浮いた……あわよくば……」 
 くらいの気持ちで考えていた。

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