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第一章 第二節 非純血の少年たち

第9話 四解文書-- その箱の底に『希望』が残っている保証はない

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 『四解文書しかいもんじょ
 一節を知れば世界は『憤怒』し…
 二節を知れば世界は『恐怖』し…
 三節を知れば世界は『絶望』し…
 そして最後の一節を知れば ………………… 世界は『発狂』する

 その者は、暗闇のなか、中空に投写されているその文字列を、ぶつぶつと呟きながら反芻した。
 これが、あの少年だけに、あのラストジャパニーズと呼ばれる少年だけに託された、ということを知っているのは、世界でもほんのひとにぎりの者だけだ。その正体がなんなのかを知るために、各国がひそかにスパイを送り込んでいる、と囁かれていたが、それは間違いなく本当のことだ。
 自分もそのなかの一人なのだから。
 たった四節を知ることで、易々と世界の覇権を握れるかもしれないのだ。世界中の権力者が血眼になるのに値する情報だ。
 だが、それは本当にそれだけの『力』を持つものなのだろうか。
 いや、疑義をはさむ余地もない。
 本物だ。
 数十年前にローマ法王をショック死に至らしめた事実が物語る。
 表沙汰にはなっていないが、過去のデミリアンのパイロットの中には、精神を病んでしまった者が少なからずいたとも記録にある。
 その者はふと思った。
 なぜ皆、パンドラの箱を開けようとするのだろう。その事実を知らなければ、幸せのままでいられるのに。開いてしまったあとに、その箱の底に『希望』が残っている保証はない。それどころか、もしかしたら、その好奇心が地球を滅ぼすかもしれない。

 まぁ、それなら、それでいい。
 もしそれが避けられないのなら、自分がこの手でそれを行使するだけだ。
 自分の出自を考えれば、人類そのものに仕返しをする権利は、自分にだけは、ある。

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 八冉未来やしな・みらいは巻きあがる髪の毛を必死で押さえながら、軌道エレベータから降下してくる輸送機群を見あげていた。赤道直下のこの場所にエレベーターが設置されてからすでに100年以上経っていたが、ミライはここに来たのははじめてだった。正確に言えば月基地への研修で軌道エレベーターは利用したことはあったが、その時はここ、モルジブ・ステーションではなく、アフリカ大陸のステーションから上へ行ったと記憶している。
 ステーションの係員が駆けよってきて、うやうやしくペーパー端末をさしだしてきた。ミライがその上に手をかざすと、自分が国連軍の「少将」で、月から招聘されたパイロットたちの身元引受人であることを証明するサインが表示された。係員はミライの階級にはまったく気づかない様子で、ただ自分の役割だけを果たして、満足そうな顔で会釈をすると、事務所棟のほうへ引き返していった。
 ミライはふーっとため息をつきながら、昨日の自分の初めての実戦でのオペレーションを思いだしていた。まごつくことがなかったとは言えなかったが、自分なりに相応の手応えがあった。被害がでたとはいえ、亜獣を撃退することはできた。「これで残りの亜獣は10体、カウントダウンの始まりだ」と亜獣の専門家のエドが小躍りしていたのだから、任務はつつがなく完了したと自信をもっていいはずだ。

 それなのに、なぜかその数分後に事態は急変した。
 あらゆる部署にエマージェンシーが発動され、各部署の責任者たちは、あわただしいほどの勢いで組まれた緊急会議やグローバルミーティングに忙殺されはじめた。本来ならそれらを指揮すべきブライト司令官でさえ、みずから奔走する事態になっているのはまったく理解できなかった。
 おかげで、月基地から『クロックス』と呼ばれる、デミリアンのパイロットたちが到着するというのに、それを出迎える役割を押しつけられてしまっている。新参者とはいえ、階級は「少将」で、副司令官を拝命しているというのにこの扱いだ。

 宇宙輸送船が、カーゴエプロンと呼ばれる貨物の積み下ろしスペースへゆっくりと着陸してきた。着陸脚が地面につくと同時に、上空から放たれていた誘導パルスが切断されて、ガシャンと重々しい音とともにぐっと機体が沈み込んだ。
 着陸するとすぐに搭乗口のドアが開き、自動でせりだしてきた。待ちきれなかったかのように、タラップを3人の男女が大声で話ながら降りてくるのが見えた。
「なーんだ。意外に地球の重力ってたいしたことないじゃないのよ」
「アスカ、それはルナベースで1・5Gでの訓練をやらされてたおかげだよ」
「でも、からだが軽く感じて、飛んでいきそうな気分だわ」
「じゃあ、飛んでみせて」
「あんた『ボカ』ぁ、レイ、たとえよ、たとえ!」
「アスカ。『ボカ』ってなに?」
「あんたねー、『ボカ』は『ボカ』よ。最近流行っているでしょ」
 かまびすしい少年少女たちだったが、あれでも特別待遇で『中尉』の階級が与えられている将校なのだ。そうそう礼を失するわけにはいかない。
 ミライは軽く咳払いをすると、彼らの前に歩みでて敬礼をした。
「クロックスのみなさん、長旅、ご苦労さま」
「わたしは、国連統合軍本部の副司令官、ヤシナミライ少佐です」

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 ヤマトタケルは、広い部屋の真ん中に無造作に置かれた、ベッドの上にいた。
 周囲には、これでもか、というほどの量の計測機器やAIシステム、検査ロボットがあり、どれもが静かな動作音をたてながら稼働していた。ヤマトはからだに異常がないことは検査で判明していたので、このなにかしら仕事をしているらしい輩が自分から何を引き出したいのか理解できなかった。だが、首や腕、そして脚に痛みが残っている身では、あまり無理することもできないと、病床に横たわる立場に甘んじることにした。
 ヤマトは空中で二本の指をまわすジェスチャーをして、目の前に投写されていた3D映像を最初から再生した。これで同じ映像を見るのは、何十回目だろう。もう一時間以上も同じ映像を繰り返して見ている気がする。
 
 映像はマンゲツが亜獣サスライガンを倒したところから始まっていた。
 現場が上空から撮影された映像。飛びかかってきたサスライガンを持ち替えたセーバーで退治したマンゲツが、その死骸を横目にゆっくりとたちあがる。
 その瞬間、画面の一部がぎゅぎゅっと歪む。
 マンゲツが一瞬消えたかと思うと、数メートル横の違う立ち位置に移動し、同時に、あたり一面が水浸しになっている。マンゲツを中心にした数十メートルの同心円が、道路、家、ビル、樹木、すべてが一瞬にして濡れそぼっているのだ。
 その思いがけない変化にだれもが目を奪われるが、すぐにその映像からサスライガンの遺骸が瞬時にして消えていることに気づかされる。まるでデキの悪い合成映像か、とんでもない仕掛けのイリュージョンのどちらかを見せられている。そんな気分にさせられる不思議な映像だった。
 しかもその後、マンゲツはその場に崩れ落ちるように膝をおり、その場に倒れ込む。何度か映像をみると気づくが、マンゲツの左足は骨折していて、自分の体重を支えていられなかったことがわかった。
 
 最初にこの映像を見せられたときは、ブライト司令官をはじめ、アル、エド、春日博士に取り囲まれていて、病室だとはおもえない物々しい雰囲気があった。だが映像が再生されるにつれ、自分の顔を睨みつけているブライトの、今にも爆発しそうな心境も理解できた。困惑の表情しか浮かべていない他の担当者たちの口元をみれば、彼らも、はやく納得のいく答えを聞きたくてうずうずしているのは間違いない。
 だが、このなかで一番驚いているのは自分なのだ。
 なぜなら、あの時、まちがいなく死んだ、と意識したのだから。
 だが、なぜか生きているーーーー。
 あの時、なにがあったか思い出せ。
 水圧に押し潰された、と思った瞬間、仙台の街のまっただなかに、まだ、いた。
 しかも亜獣を倒して帰投しようとする直前。亜獣の罠にはまる寸前。
 だがマンゲツの機体がなぜか濡れていた。
 いや当たり前だ。海に引きずり込まれたのだから。だったら、街中にいるのがおかしい。しかも、周辺はまるでそこだけ豪雨が降ったように水浸しになってもいた。
 ヤマトは、マンゲツの足元近くに設置されたカメラからの映像に思わずさけんだ。
「ストップ」
 ブライトのほうにむかって向きなおるとあわただしく訊いた。
「ブライトさん、ソードは?。ソードはどこに?」
「それはこっちが聞きたい。ソードは見つかってない」
 ヤマトは驚きを隠せなかった。停止状態になっているその映像には、はね飛ばされたソードの柄の下敷きになったはずの、親子連れがいそいそとビルの影に逃げていく姿があった。

『なぜ、生きている?』
 ヤマトの頭に疑問が灯ったが、そこで思考はストップさせられた。そこからヤマトも全部どう答えたのか憶えていられないほどの質問攻めがはじまった。ヤマトには正直に答えるしかすべがなかった。この映像のあと自分が体験したことを。
 亜獣に反撃を受けたこと、海へ引きずり込まれたこと、操縦回路を喪失しデミリアンと直結して操作したこと、そして亜獣を倒したこと……。
 自分とデミリアンが圧壊した可能性と、コックピット内に響いた謎の声のことだけは本能的に語るべきではない、と判断し口にしなかったが、それ以外はあけすけに語った。この謎の解明には、どんなに微力であっても借りる必要があった。ヤマトタケルという男が、デミリアンについて知らないことがあっていいはずがない。

あらゆる手段を使っても、その解にたどり着かねばならない。
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