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第一章 第三節 幻影

第48話 危険よ!。あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播する!!

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「レイ!」
 セラ・サターンを急発進したり、急停止したりしているレイに、リンがたまらず大声を投げかけた。あまりにもおかしな動き、すでになにものかに取り込まれた可能性もある。 今は、足元あたりに目をやったまま、なにかを呟いている。危険だ。
 こんなとき、パイロットたちがニューロン・ストリーマーを埋め込んでいないことがもどかしかった。心の声をそのまま拾えれば、選択肢はいかようにも広がるはずだ。
 リンは空中に表示されている端末を操作して、レイの足元にカメラをパンさせた。
 やはり、何もない。
 だが、リンはレイが足を数十センチ浮かせていることが気になった。
 どういうこと?。なにかを踏んづけてる?
 どうにも気になってリンは、レイの足元のちかくにカメラをズームさせた。

 レイの足元に血まみれの女が這いつくばっていた。
 そしてじっとこちらを見ていた。 

 リンは息を飲んだ。
 だが、目をしばたいた時には、そこにはもうなにもいなかった。
「今の……」
 リンの口から漏れでたことばに、ミライが呟いた。
「今……、なにか、見えましたよね」
 リンは驚いてミライのほうを振り向いた。彼女の顔はこわばり、血の気がひいているようにみえた。
「血まみれの女の人が……」
 そこまで言ったところで、過呼吸でも起こしたのか、息をつまらせて喘えぎはじめた。
「ミライ。おちついて」
 あわててミライのほうへ駆けよって、背中をさすって落ち着かせようとした。
 リンは、ブライトやアル、エドたち男どものほうへちらりと目配せしたが、それ以外のクルーもふくめて、なぜ騒いでいるのかわからず、こちらの様子をいぶかっている。
 なにも見なかった?。心に疑問がともった。
「今、なにか見た人!」
 リンは大声をあげた。悪い癖だ。ニューロン・ストリーマに回線をあずけて、思うだけで伝わるではないか。
 だが、その問いかけに、おずおずと女性クルーの何人かが手を挙げた。そのだれもが少なからずショックを受けているようにみえた。
 ここにいたって、なにか異常事態が生じていると察したブライトが声をあげた。
「リン、なにがあった?。何をみたんだ?」
 リンはミライの背中に手をあてたまま、ブライトの顔をむけて大声を挙げた。
「ブライト、危険よ」

「あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播でんぱする!!」

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 『恐怖』が支配している。
 ブライトは顔色をうしなっている、司令部内の女性クルーたちの様子をみてそう思った。
「リン、みんな、なにを見たというんだ」
「血まみれの女の人……」
「血まみれの……」
 ブライトはことばを詰まらせた。一瞬にして司令部をパニックに陥れたのだから、想像を超えるものだと覚悟はしていた。だが、あまりに場違いすぎる……。
 ブライトが女性クルーたちを見渡した。
「君たちもそうか?」
「えぇ、女性でした……」
「血だらけでよくわからなかったけど、女性なのは間違いありません」
 女性クルーたちはブライトの催促に、口々に吐露した。
「なにか心あたりがあるんですか?」
 ミライが呼吸を整えながら訊いた。
「あぁ。だが、これはレイの個人情報にかかわるので……」
「話して!」
 あのリンが取り乱していた。目が血走った必死の形相で訴えていた。
「みんなをこのままで放りださないで……」

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 リビングでひとごとのように戦況をみていたアスカにも、司令室がパニックに陥っている様子はすぐにわかった。ブライトが戸惑っている様子は見てとれたが、突然各自の思考データや音声データをシャットアウトされたため、アスカには、実際にはなにが今起きているのかがわからない。
 その場所にいた女性クルーたちは、みなこわばった表情をしているのに、男性クルーは
棒立ちになったままで手を束ねている様子も不自然だった。さいごに聞こえたのはリンの「あの亜獣の幻影はほかのひとに伝播する!!」だったが、アスカにはこれも意味不明だった。
 それだけではない。さきほどからヤマトはなにやら見えない誰かと、会話しているように見えるし、レイに至ってはぶつぶつ言いながら、挙動不審な操縦をなんども繰り返している。
 いま、現場でなにが起きているのか……。
 アスカは不安で仕方がなかった。彼らはすでになにかの幻影に取り込まれて、兄のようにおかしな行動をおこしていたとしたら、助ける術はない。今、こんなところでシロを抱きかかえてソファーに安穏と座って見ている場合ではないはずなのだ。
 アスカは抱きかかえたシロを強く抱いた。
「シロ……、今なにが起きているの?」
「アスカ、ヤマトとレイ、戦ってる」
「それはわかってる」
「ふたりとも……いっしょう……けんめい……死んで……」
 シロの音声データが途切れ途切れになり、よくわからない返事になっていた。アスカは怪訝に思い、腕のなかにあったシロを持ちあげると、目の前でかざすようにしてみた。なにかボタンを押したのか、とも思ったが、この機械にはアクセントになる大きなリボン以外に突起物がない。どうもそうではないらしい。
「アスカ……、おまえも……死ね……」
 アスカはシロをひざの上に置くと、頭頂部分を見下ろしながらシロに文句を言った。
「シロ、アンタぁ、なにを言っているの?」
 その時、自分の足元に目がいった。

 血まみれのおんなが自分の両足を握って、こちらをじっとみていた。
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