僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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 同じ日の放課後、100メートル走決勝進出の練習をグラウンドの片隅で始めた。歩幅をめいっぱい広げて坂道を駆け上ること八回、前半の練習を終え、土手に腰かけ休憩する。体を壊すなよと龍造寺猛に念を押した手前、体調管理を怠るわけにはいかない。膝とアキレス腱を、時間をかけ入念に指圧してゆく。その最中「今日は屋外練習場で白銀さんを見られるかな」と呟き、顔を真っ赤にしてしまった。だって白銀さんの袴姿をまだ一度も見てないんだから仕方ないじゃないか、なんて自己弁護をしながら、先日の彼女との会話を僕は思い出していた。

 先週水曜の放課後、薙刀部の屋外練習場で稽古に励む昴の姿を、この土手で初めて見かけた。その翌日の放課後、「昴が現れたのだから白銀さんもいつか屋外練習場に現れるに違いない」という予想にやっと辿り着いた僕は、いつもより五本も多く坂道を駆け上がってしまった。これじゃいかんと反省し、翌朝のHR前、彼女に思い切って尋ねてみた。
「たまたま見かけたんだけど、薙刀部は、屋外練習場で基本稽古をするんだね」
「屋外練習場で、基本稽古?」
 白銀さんは最初、僕が何を言っているのか見当つかなかったみたいだ。小首を傾げしばし考えたのち、彼女は顔を喜色に染めパンと手を打ち鳴らした。
「わかった、基礎体力作りの日ね」
 その可愛らしい声と、打ち鳴らされた手の音色の柔らかさと、くるくる変わる豊かな表情がいかにも彼女らしく、自然に顔がほころんだ。それを好意的に受け取ってくれた白銀さんは、薙刀部について喜んで話してくれた。
 学年専用校舎制を採用している湖校には、体育館が六棟ある。その全てに薙刀部は専用道場を与えられているが、自分の学年の道場にこもりっぱなしでは、先輩に稽古を付けてもらう事ができない。薙刀部はそれを打開すべく、学年ごとに部員を三チームに分けた。自分達の道場に残るチームと、一学年上の道場へ行くチームと、一学年下の道場へ行くチームの、三つに分けたのである。それにより一年生道場にも毎日必ず二年の先輩がいて、二年生道場へ行けば毎回必ず三年の先輩がいるという状態が確立した。この「先輩の道場へ出稽古に行く」というシステムには計り知れないメリットがあると、白銀さんは話した。
「出稽古の日は身の引き締まる思いがするの。先輩の道場に足を踏み入れるだけでも緊張するのに、二つ上の先輩に自分達の成長を見て貰う機会でもあるから、稽古の一つ一つが真剣勝負みたいになる。だから出稽古の日は部活が終わると、みんなもうくたくた。でもそれが、凄く楽しいんだ」
 感心すると同時に、寂しさも覚えた。僕には、年の近い翔人の先輩がいない。出稽古の様子を顔を輝かせて話す白銀さんが、僕は羨ましかったのだ。
「先輩ってどんな感じなのかな。僕には年の近い先輩がいないから、想像できないんだ」
「厳しいけど、それ以上に優しい。私たち後輩を親身に指導し、そして温かく接してくれる。先輩方はどうしてこんなに素晴らしいのかなってみんなで話し合って、仲良くしてくださっている二年長に尋ねてみたの。そうしたら二年の先輩方がワイワイ集まってきて、『私達も去年の今頃、先輩に同じこと訊いたなあ』って、すっごく喜んでくれた。その時は『あなた達も来年になったら分かるわ』とだけ答えてくれたけど、後になって二年長がこっそり教えてくれたの。三年の先輩方が、泣いていたって」
「泣いてたの?」
 最近、なぜか泣いてばかりいる僕は少し心配になった。薙刀部ではないが妹が来年、湖校で部活に入るかもしれないからだ。でもすぐさま、僕は自分の間違いに気づいた。大切な想い出を慈しむ眼差しを、白銀さんはしていたのである。
「二年部員のリーダーの二年長が私たち一年生を集めて、ナイショだからねと三年長の言葉を教えてくれた。『自分達も一年生の時、三年の先輩方から本当に良くしてもらった。どうしてこんなに良くしてもらえるのかその時は分からなかったが、二年生になると自然に理解できた。三年の先輩方は自分達がしてもらったように、一年生に接しているだけだったのだ。そうか、私達もあの子達から、そう言ってもらえたか』 二年長は私たち一年生一人一人を見て仰った。『だからあなた達は、三年の先輩方から沢山のものを受け取りなさい。受け取れば受け取るほど、あなた達は再来年、後輩達に恩返しできるからね』  二年長が更衣室を出て行ってから大変だった。みんな涙が止まらなくて、あの日は家に帰るのがうんと遅くなっちゃった」
 湖校の部活は先輩と後輩の絆が非常に強いと、近所に住む僕は幼い頃からよく耳にしていた。けど僕は、五年も一緒にいれば仲良くなって当然だよな、程度にしか考えていなかった。まさに僕は、何も知らない子供だったのである。僕は部活に入らなかったけど、妹の美鈴が部活に入りたいと願うなら、どんな事でもしよう。白銀さんの話を聴き、僕は自分にそう誓った。
 白銀さんによると一年生道場には、二年生以外の先輩方もしばしば訪れるらしい。特に最上級生の六年生は訪れる上級生がいないので、一年生の面倒をこまめに見てくれると言う。最後のインターハイを間近に控え忙しいはずなのに、毎日二人連れでやって来て、一年生を指導してくれるのだそうだ。
「一度だけ、部長に掛かり稽古を付けてもらえた。天と地ほどの実力差が、私はたまらなく嬉しかった。あの日から、私と昴は変わった。ううん、稽古を付けてもらった一年生全員が変わった。湖校で頑張れば私達も五年後、あの高みに登れるかもしれない。そう思うと私は‥‥」
 白銀さんは瞼を閉じ、両手を胸に添えた。僕は白銀さんを、いや薙刀部の一年生全員を尊敬した。湖校薙刀部部長、湖校の生ける伝説と名高いその人こそは、朝露の白薔薇。あの方とすれ違っただけで犬ころと化す僕は、掛かり稽古とはいえあの方と打突を繰り広げられる薙刀部の女の子たちへ、敬意を抱かずにはいられなかったのである。瞼を開けた白銀さんは、前置きが長くなっちゃったね、とニッコリ笑った。
「六年生の先輩方が上級生の道場に行けないように、私達一年生も下級生の道場に行けない。だから三チームのうち一つは、その日を基礎体力作りに当てているの。体力作りには幾つかメニューがあって、私が屋外練習場で基本打突をするのは、多分来週の月曜日になると思う。屋外練習場は足運びを正確にできる透水ゴムで覆われているから、わたし大好きなんだ。あっでも、ちょっと恥ずかしいのでその」
 言葉どおり恥ずかしげに身をすくめる白銀さんに、僕は慌てて事情を説明した。
「僕は放課後、道場から200メートルほど離れたグラウンドの坂道を、体育祭の練習に使ってるんだ。その時、ほんのチラリと見えただけなんだ。他意はないので、どうか安心してください。いえもちろん、それでも嫌なら絶対目を向けませんから」
 しどろもどろに説明する僕をきょとんと見つめ、グランウンドの周囲を思い出す仕草をしてから、白銀さんは「ああ、あの坂道ね」と再び手を打った。豊かな表情と柔らかな音色に癒され、僕はまたもや顔がほころんでしまう。そんな僕を再度好意的に解釈してくれた彼女は「練習、頑張ってね」と満面の笑顔で励ましてくれた。やばい、あの笑顔を思い出しただけで、火山から湧き出るマグマのように力がみなぎって来たんですけど!
 休憩を終えた僕は「ドゥオおりゃたあ~~」っと、前半に増す勢いで坂道を駆け上がったのだった。

 気合いが入り過ぎた僕は後半のダッシュを終えるまで、屋外練習場で薙刀部の女の子たちが稽古を始めていることに気づかなかった。僕は土手に腰掛け脚をマッサージしながら、200メートル先の様子をうかがった。
「いた、白銀さんだ」 
 白銀さんは、十人の女子部員の先頭に立ち薙刀を振っていた。そのとたんニコニコ顔になるも、それは三秒と続かなかった。僕は先頭の彼女の動きに目が釘付けになった。そして数秒後、無意識に「ありえない」と呟いていた。
 僕は目がいい。視力2.0の記号を、通常の三倍離れた距離から難なく識別できる。だが僕は目に生命力を集め、視力を更に高めた強化視力でもって先頭の女子部員を見つめた。間違いなく白銀さんだった。白銀さんは、体の全筋肉と全関節を余すところなく連動させ、薙刀を振っていた。体を無数のパーツに分け、下部パーツの動きに上部パーツの動きを上乗せして、最小限の動作で最高効率の加速度を薙刀の切っ先に生み出していた。
「ありえない」 
 僕は再び呟いた。なぜならそれは朝の訓練時の、僕の動きとまったく同じだったからだ。
 運動音痴だった僕が血の滲むような努力の末やっと手に入れた、あの動きと。
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