僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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四章

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 その三十分後。 
 竹箒で、ザー、ザー、ザー。
 僕は一人、境内を箒掛けしていた。
 魔想討伐のない今日は、普段より三十分遅い午前二時半に起床。裏庭での自主練、入浴、桔梗との訓練、そして浴室の掃除を経て、五時半から境内の箒掛け。これがここ二カ月ほどの、討伐に行かない日の僕の日課だった。
 自主練はストレッチ、坂道ダッシュ、翔刀術のゆっくり基本動作、それを素早くした高速基本動作の、計四つを行っていた。この四つは、その日の体調によって時間配分を変える事にしていた。そうしないとボンヤリ性格に生まれついた僕は、まるっきり同じ訓練を永遠に繰り返してしまうからだ。それを最良とする人もいるだろうが、生来のボンヤリ人である僕が何も考えない自主練を長期間続けるのは、致命的な気がする。そうする事へ、本能的な恐怖を覚えるのである。将来は未定でも少なくとも当面は、今の自分に合う訓練を自発的に考えるよう、僕は自分へ課すことにしていた。
 桔梗との訓練は、失敗続きでも毎回とても楽しい。桔梗の前に僕を教えてくれていた瑠璃との訓練も、その前の蜜柑との訓練も、というか精霊猫との訓練は、いつも非常に楽しく感じる。その理由を以前は想像できなかったが、水晶の話を聴いてからは事情が変わった。もしかしたらそうかなと思っていた通り、精霊猫はもともと、翔猫だったのである。翔猫が代替わりすると、関東猫の総家当主を務めていた大吉へ、三つの選択肢が提示される。一つは引退し、静かに余生を過ごすこと。もう一つは地球の好きな場所へ出かけ、見聞を広めること。そして最後の一つが伊勢総本家で修業し、精霊猫になることだ。といってもこの制度に厳格さは更々なく、のんびり余生と気ままな旅を繰り返したのち精霊猫を目指すなんて翔猫も、とても多いらしい。十二年前に引退した先代大吉もこのクチで、今は旅行八割余生二割のような生活を送っていると言う。それを初めて知った時はどこで余生を送っているのか首を捻ったものだが、半径600メートルの神社の大半を占める鎮守の森は地域の猫達の天国みたいなものだから、楽しく快適に過ごせる場所は沢山あるのだろう。「水晶が眠留と美鈴に精霊猫の秘密を明かしてくれたから、次は御隠居を二人に紹介できるのう」「楽しみですねえ。御隠居さん、いつ帰ってきてくれますかねえ」 祖父母はそんな会話をしながら、先代大吉の帰宅を心待ちにしている。
 ちなみに精霊猫は猫将軍本家と分家以外にもいて、それどころか猫の姿をしていないことも多々あるそうだけど、詳しくは知らない。水晶がそれを教えてくれる日を、僕は楽しみにしている。
 精霊猫との訓練と言えば、僕ら兄妹が道場で精霊猫達と実戦訓練をするのは、魔想を討伐した日だけ。討伐へ出向いたのが僕なら道場は僕が使い、討伐へ出向いたのが美鈴なら道場は美鈴が使う習慣になっていた。討伐が重なった日は、美鈴に道場を使わせる事にしていた。「お兄ちゃんを差し置いてそんなことしたくない」と美鈴は口を尖らせるが、それはこっちのセリフ。凡才の僕が天才美鈴の修業時間を奪うなど、神様が許しても僕が許さないのである。怒る演技をしてくれる妹は、可愛いしね。
 可愛いはさておき、僕は裏庭での自主練が、つまり屋外で翔刀術の基本稽古をするのが、実は大好きだったりする。春は新緑の香りを、夏は燃える命を、秋は豊饒の実りを、そして冬は躍進のための眠りを全身で感じながら、木刀を振る。息づく大地を裸足はだしで踏みしめ、無辺の夜空を頭上に仰ぎつつ、目を閉じ、けど心は開放して、ただ木刀を振る。これだけでも僕は屋外練習が手放しで好きなのだけど、月に一回くらいの割合で、なんとも不思議な感覚がやって来るのだ。ええっと、なんて説明すればいいのかな? 全てのモノを入れる空間という存在が「お~いそこのきみ」と呼びかけてくれるような感覚かな? う~ん、自分でもよくわからないや。
 とまあこんな感じで、台風が来ようが雪が降ろうが、討伐のない日は裏庭で自主練することを僕は望んでいた。けどそれをすると家族や猫達が心配するから、そんな日は第二道場で汗を流していた。第二道場とは、一番大きな離れの事。高い天井と道場用の床を有する広さ五十畳の大離おおはなれは、精霊猫との実戦訓練も楽々こなす実力を備えている。頑丈でありながらも弾力のある木の床に寝転び、屋根の裏側がむき出しになった小屋組み天井をぼんやり眺めるのが好きで、僕は一人の時間をしばしば大離れで過ごしていた。父さんが残して行ったオーディオも、あるしね。
 分厚い木の壁に同軸スピーカーユニットを直接埋め込んだこのオーディオシステムを、父さんは大層気に入っていた。もちろん僕も大好きで、両親の趣味だったクラシック音楽をよくここで聴いている。同じコンサートに偶然足を運んだことが父と母の馴れ初めだったらしいが、出会ったきっかけやコンサートの曲名を尋ねても、二人は照れて教えてくれなかった。両親から除け者にされたようで悲しいやら、でも仲の良い両親を見るのが嬉しいやらでどんな顔をすればいいか分からず、僕はそれを尋ねるたび豆柴と化し床の上を転げまわったものだ。気象庁に勤める父は今、山奥や離島に設置された気象観測施設の保守点検を、一人でする仕事に就いている。いわゆるデスク組だった父にとってそれは畑違いの部署だったが自ら志願し、東京の宿舎から全国を飛び回る日々を送っていた。
「今なら少しだけわかる気がするよ。父さんが、そうするしかなかった気持ちを」
 境内の石畳を掃き清めながら、僕は一人そう呟いたのだった。
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