僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

3

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 幸いにも今回の会合には本題があったので、
「そっ、それでは本題に移りましょうか、輝夜さん」
 僕は勇気を振りしぼり会合開始を提案した。けど輝夜さんが、
「はい、そうですね」
 と即座に同意し居住まいを正したとたん、僕はまたもや何も言えなくなってしまった。ブラウス姿の輝夜さんがコタツの向こうで姿勢を正す姿に、心臓が高鳴って仕方なかったのだ。清潔の象徴ともいえる白いブラウスに身を包む輝夜さんが、お馴染みのコタツの向こうにいてくれる。世界一サラサラになる魔法をかけられたかのような黒髪を顎のラインで切りそろえた輝夜さんが、くたびれたコタツの向こうから僕を見つめている。その現実に心臓が浮かれ騒ぐのを、どうにも止められなかったのである。それを少しでも鎮めようと、僕は胸に両手を添えた。すると、ある疑問が脳裏をよぎった。僕はこの人と、どうなりたいのかな?
「眠留くん。そっ、それでは本題に入ってよろしいでしょうか」
 慈愛に満ちた笑みを急に引っ込め、ソワソワしながら輝夜さんが問いかけてきた。輝夜さんは視線を泳がせ、決してこちらを見ようとしない。その姿に、どうなりたいという解答の一つを見つけた僕は、自分でも驚くほどリラックスして言った。
「脱線しちゃってごめん。輝夜さん、どうぞ本題に入ってください」
 芯からリラックスして語りかける僕に、輝夜さんはソワソワを止め、半年振りの笑みを浮かべた。
 それは五月半ば、ある言葉を告げた際、輝夜さんが浮かべた笑顔だった。
 その言葉を胸の中で輝夜さんに再び告げる。
 君に会うため、僕は生まれて来たから。

「本題の前に、ゼロと無限の不可解さについて話します」
 輝夜さんは湯呑みを丁寧に端へ寄せ、コタツの天板を両手でさすった。
「眠留くん、コタツのこの板が、完全な平面だって想像してみて」
 前触れなく突飛なことを言われるのは北斗のお陰で慣れていたから、四の五の言わずOKサインを出した。輝夜さんは頷き、コタツから腕を離すと、次は両手でボールを作った。
「ここに、凸凹の一切ない完璧なきゅうが、コタツから離れて浮いているとします。さてでは考えてください。この球とコタツの、接地面積は幾つでしょうか」
 北斗は僕に、こういう場面での心構えを教えてくれていたようだ。僕は胸の中で親友に手を合わせて、答えた。
「浮いているなら、面積はゼロだよね」
 知力に圧倒的な差のある人からこの手の問題を出されたら、ナゾナゾと茶化したりせず、とにかく素直に返答する。これが、北斗に教わった心構えだ。北斗のような頭脳の持ち主は、こんな僕にも理解できるよう話してくれるから、身構えず素直に考えた方が正解に辿り着きやすい。北斗はそれを、僕に叩き込んでくれていたのである。
「正解! ゼロというこたえと、浮かんでいるからという理由の、両方で正解です!」
 輝夜さんは眩しいほどの笑みで手をパチパチ叩いた。これは僕を見下しているのでは決してない。輝夜さんは僕の心構えを、心底称賛しているのだ。照れる僕に、輝夜さんはノリノリになって次の問いかけをする。
「ではこの球を、今度はコタツの上に置いてみました。眠留くん、球とコタツは、どんなふうに触れあっていますか?」
「数学の授業で習ったから知ってる。球とコタツは、点で接しているんだよね」
 円と直線の問題を散々解いてきた僕は、球と平面も点で接するのだとすぐ理解できた。部屋に再び拍手が響き、僕も再度照れたところで、輝夜さんはいたずら小僧の笑みを浮かべた。
「じゃあ考えてみて。球をコタツに置いた時の接地面積は、幾つになる?」
「それも習ったから知ってるよ、点の面積はゼロだから、接地面積もゼロだよね!」
 正解が続き気分の良くなった僕は、胸をそびやかし自信満々に答えた。のだけど、
「あれ?」
 数秒を待たず、僕は首を捻ることとなる。なぜなら「面積はゼロ」と、ついさっきも答えた気がしたからだ。その時のことを思い出し、二つの問いかけを吟味した僕は、ほぼ限界まで首を捻ってしまった。
「輝夜さん、なんか変なんだよ。きゅうは浮いている時も、コタツに置いた時も、設置面積はゼロになっちゃうんだけど?」

 その後、輝夜さんは種明かしをしてくれた。
「コタツに置いてもゼロになるで正解なの。点の面積をゼロにすると不可解なことが色々起きるってことを、眠留くんに知って欲しかったから、この問題を出したのね」
 僕は首を縦にブンブン振って輝夜さんに同意した。だってコタツに置いても浮いていて、浮いてるのに置いているなんて、頭がこんがらがるもんね。
 そんな僕を、次のステップへ進む準備が整ったと判断したのだろう。輝夜さんは右手を持ち上げ、親指と人差し指を5センチほど広げてみせた。
「眠留くん、ここに長さ5センチの直線があります。この線の中に、点は幾つ含まれているでしょうか」
 これは授業で習わなかったし、直感も働いてくれなかったので、僕は腕を組み考えた。ええっと、点の面積はゼロだから・・・
「う~ん、点は無限にある、でどうかな」
 自信はなかったが、輝く笑みで正解と言ってもらえて僕は胸をなでおろした。すると輝夜さんは、今度は左手の親指と小指を10センチほど広げてみせる。
「ではこの、10センチの線ではどうでしょう。点は、幾つ含まれていますか?」
「やっぱり、無限個かなあ」
 今回は直感が働くもやはり自信を持てなかった僕は、輝夜さんの顔色を窺いつつ答えた。両手が塞がっているため拍手こそなかったが、それを補って余りある笑みを輝夜さんは浮かべてくれた。わからないと言って逃げず、勇気を出して自分の考えを述べて良かったと、僕は胸の中で自分を褒めちぎっていた。
 そんな僕へ嬉しげに目を細め、輝夜さんは問いかける。
「さあでは考えてください。5センチの線と、10センチの線。点が多いのは、どちら?」
「ん? そんなの10センチに決まっているよね」
 輝夜さんは右手の指をチョイチョイっと動かし、「5センチにも無限個」と言った。
 そして次は左手の指をチョイチョイっと動かし、「10センチにも無限個」と言った。
 頭が混乱するも、北斗から教わった心構えを思い出し、恐れず答えた。
「ひょっとして長さが二倍になっても、点は同じ無限個ってことかな」
 輝夜さんはその後、ハイ子のお絵かき機能でコタツの上に図形を描き、どちらも同じ無限個になる説明をしてくれた。
「これはカントールという数学者が考えた、1対1対応たいおうというものなの。眠留くん同様、私も納得できないけどね」
 5センチにも10センチにも同じ無限個が含まれていることを輝夜さんは三角形を用いて丁寧に説明したので、納得できない個所が多々あっても、理論としてなら辛うじて頷くことができた。だがそれは早計だった。この数学者はなんと!
「短い線と長い線のみならず、線と正方形でも、点は同じ無限個だってカントールは発表したの。理屈は、こんな感じね」
 輝夜さんは座標を使い、気乗りしない素振りでその理屈を説明した。それでも僕は、今回はどうしても納得できなかった。だって、だってこれが正しいとしたら・・・
「輝夜さん、ものすご~く嫌な予感がするんだけど、もしかしてその数学者は、立方体も同じって言ったりした?」
 直線や平面は、数学の世界でのみ語られる理論上の存在だ。でも立方体は違う。立方体とは簡単に言うとサイコロなので、日常的に親しんできた物になってしまうからだ。しかし悪い予感は的中し、輝夜さんは心底嫌そうに肩をすくませて、首を縦に振った。
「個人的には到底納得できないけど、数学の世界ではそれが正解という事になっているの。数学では長さ1ミリの線の中にも、私達が暮らしているこの地球の中にも、同じ無限個の点が含まれているという事になっている。理系の研究者を目指すなら、大きさや次元が異なっても無限個であるのは変わらないって、知識として受け入れるしかないのね」
 自分でも意味不明なほど、僕は心の中で「嫌だ」と叫んだ。なぜだろう、なぜ僕はこれほどこの理屈が嫌いなのだろう。幾ら考えても回答が見つからなかったので一旦それを脇へ置き、輝夜さんにある提案をした。
「輝夜さん、実は僕、お昼ご飯があまり喉を通らなかったんだよね。これから休憩を兼ねてサンドイッチを食べようと思うんだけど、輝夜さんも一緒にどうかな」
 輝夜さんは顔をパッと輝かせ「私もお腹ペコペコ」と言ってから、舌先をちょこんと出しだ。
 僕は萌え死に寸前になり、のた打ち回ったのだった。
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