僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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八章

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 約三十分後、
「全力攻撃開始!」
 水晶の下知により最後の訓練が始まった。複雑な曲線を描きつつ超音速で迫る十一本の鞭を、爆渦軸閃の連続発動で僕は躱してゆく。そして僕の時間感覚で残り五秒となったとき、初めての閃きが松果体から放たれた。
 ――二歩先を読まれる要素は、これだ!
 その要素をそのまま用いて、僕は次の一歩を踏み出す。体に染み込んだその要素を排除せず、僕はいつもと変わらぬ身体操作で一歩目を踏み出す。すると案の定、二歩目を想定していた場所に精霊猫達の意識が殺到するのを、僕ははっきり感じた。
 ――ならば攻撃しない手は無い!
 その十一本の意識を避け、かつ攻撃しうる刀の軌道を松果体から引き出した僕は、それを再現する事だけを念頭に体を動かす。要求される刀術の高度さも、成功するか否かも忘れ、それを成し遂げた未来へ繋がる「今」を僕は無心に駆けて行った。然るに、
 ザザンッ
 二本の超音速鞭を叩き切るも、それはその未来に辿り着いた当然の結果として、僕はそれを捨て去る。そして再び今を駆け抜け、
 ザザザンッ
 三本の超音速鞭を切断する未来へ僕は辿り着いた。けれどもその次は、力尽きたこの体を十一本の鞭が貫く未来しか残されていない。いや、そうならない道が万に一つの割合で存在していたが、生命力の追加流入すらままならない刹那の連続を走り続けたせいで、その未来へ足を向けることが僕には不可能だったのである。
 だがそれでも、と僕は猫丸を握り直す。
 それでも僕は、その道を目指そう。
 物質の限界に拘束された肉体は無理でも、せめて心だけはその道へ羽ばたこう。
 なぜならそれこそが、
 
  心の現れである翔体を纏い
  魔想と戦う、翔人だからだ!
 
 僕は心を解き放ちその道を翔ぶ。
 今現在は無理でも、その道を駆ける未来のため、僕は心を羽ばたかせた。
 その時、
「戦闘終了!」
 水晶の声が心に直接響く。
 肉体へ戻った僕は体を支えきれず、足をもつれさせ前方へつんのめる。
 その僕を、象ほどの大きさに化けた水晶が、胴体でふわりと受け止めてくれた。
 極上のカシミアを遥かに凌ぐその柔らかな毛ざわりに全身を包まれ安心しきった僕は、そのまま気を失ってしまったのだった。

「まったくのう、この身に人を乗せるなど、思いもよらぬ事じゃったぞ」
「きょ、恐悦至極にござりまする」
 正確な時間はわからないが、気を失ってからまだ十分と経っていないと思う。
 巨大な猫に変身した水晶の背に揺られ、僕は母屋へ向かっていた。
 アフリカ象には及ばずともインド象に匹敵するその巨体は、まるで空気を運ぶように僕を背に乗せ坂道を降りてゆく。水晶独特の、内側から漏れ出る多種多様な光のうち白だけをかろうじて知覚しているかのような輝く長毛は、かつて地上に現れた如何なる皇帝といえども経験したことの無い、柔らかさと艶やかさで僕の脚を包んでいた。はかまごしに感じるだけでは飽き足らず、上体を投げ出し頬ずりし、それを心ゆくまで堪能したいという欲求を押さえ込むため、僕は今まで培ってきた全制御力を動員せねばならなかった。
「そういえば今年は、この身を得て丁度七百年目じゃった。眠留を背に乗せたのも、大いなる導きの一つなのかも知れぬの」
 制御力を総動員しても頬ずりしたいという欲求を抑えきれなくなりつつあった僕は、水晶の言葉に一も二もなく飛びついた。水晶のことだから、僕を助けるための話題提供でもあったと思うしね。
「七百年ってことは、精霊猫になって百年目の出来事だったのかな。翔猫として六十余年を生き、精霊猫になって百年目にこの姿を得たとするなら、水晶の年齢の八百六十余年とぴったり合うからさ」
 ふおぉ、ふぉっ、ふぉっと笑い、そうじゃよと水晶は答える。言うまでもないが、それはもちろんテレパシー。この巨体で高らかと笑ったら、5キロ離れていても聞こえる地響きのような音に、きっとなっただろうね。
「その話はしかるべき時期にする故、今は分身の術と魔邸訓練について話したい。眠留、良いかの」
 もっともでございますと僕は頭を下げた。水晶はとてもゆっくり歩いているが、残された時間は二十秒とないだろう。一人用ソファーほどもある頭で頷いたのち、水晶は話した。
「魔想戦における分身の術と、最後の稲穂斬り、まことあっぱれじゃった。その精度向上のため、魔邸訓練時に爆渦軸閃を陽動に用いることを、今しばらく禁ずる。むろん先ほどの、未来をうつしめる技はそれに及ばず。閃いたなら、ありがたく使っていきなさい」
 大離れと祖父母の離れを繋ぐ屋根だけの渡り廊下の手前で、水晶は立ち止まった。送るのはここまでという意思を悟った僕は、心に鞭打ち素早く背から降りる。だがそこは、さすが水晶。素早く地面へ降りたことを称え、水晶は僕に優しく頬ずりしてから宙に消えて行った。
 その際の、
「弟子達と美鈴へ、我が真身しんみは秘密にしておくれ。八百六十余年生きた儂とて娘らの悋気には、とても敵わぬからの」
 という水晶からの頼み事が、頬ずりの願いを叶えてくれたこと以上に、僕は嬉しかった。
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