僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

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 その日以降も、僕は三人からプレゼンの相談を受け続けた。ずっとペアを組んでいる白鳥さんはともかく、後の二人へは「クラスのプレゼン委員に相談した方がいいんじゃないかな」とやんわり断ったのだけど、「猫将軍君は危機に瀕した料理仲間を見捨てるの」とすがる眼差しを向けられたら、突っぱねる訳にはいかなかったのである。僕ら四人は度々集まり話し合い、また話し合うだけでなく実習室に籠って料理を作り、閃きを文章化して行った。彼女達の情熱は凄まじいの一言に尽き、そして遂にそれが実り、三人は満足のいくプレゼンを完成させる事ができた。料理仲間としても研究者の卵としても、僕は嬉しくて堪らなかった。
 プレゼン大会において、クラスの異なる生徒のプレゼン視聴は、大会終了後というのが原則になっている。しかし三人が教育AIに掛け合ったところ、一緒にプレゼンを作った仲間と認定され、僕と猛のプレゼン視聴を特別に許可されたそうだ。彼女達は僕らのプレゼンが気になってならず、採点期間初日の木曜の午前中、それを見たらしい。そしてお昼休み、「冒頭コントにお腹を抱えたままプレゼンが終わっちゃって、慌てて二度目を見たよ」「授業中に吹き出して大変だったけど、その後は時間を忘れて見入っちゃった」との感想を送ってくれた。僕と猛は大いに気炎を上げ、そんな僕らに「「なんだか知らんが俺も混ぜろ!」」と男子が次々加わり、教室はちょっとしたお祭り騒ぎになった。そのせいで教育AIに騒音を注意されるも、それがかえって男子の結束を高め、皆で校庭へ繰り出し夢中になって遊んだ。こいつらと同じクラスなのは残り二か月という現実と、六年生でまた絶対一緒になってみせると言う決意を胸に、僕らは校庭を走り回ったのだった。



「夢中になって遊ぶ男の子たちを教室から眺めていたら泣き出す子が出てきて、私達はしんみりしたの。でも昴が『私達と同じ気持ちの男子がそれを跳ね除けているのだから、私は負けない』って言ってくれて、私も負けないって思えた。だから教室に帰って来た男子達をみんなで揃って、お帰りなさいって迎えられたの。眠留くんたちが凄く喜んでくれて、とっても嬉しかったよ」
 僕ら男子は、ただ遊び惚けていたのではない。皆と過ごした月日の素晴らしさを分かち合い、そして再び級友になってみせるという決意を、男子全員で共有していたのだ。それに共感したからこその「お帰りなさい」なのだと直感した僕ら男子の喜びようと言ったらなく、あの日の夜は男子専用掲示板に集まり、クラスの女の子に恵まれた幸運をしみじみ語り合ったものだ。まあこれは、男子のみぞ知る秘密なんだけどね。
 と思っていたのに、
「私達女子も男子がしたように、一昨日の夜は掲示板に集まって、男子に恵まれたよねホントよねって、みんなで盛り上がったんだ」
 なんて、輝夜さんはしれっと明かした。秘密をばらしたのは誰だ、と勘ぐったのはほんの束の間にすぎず、それはすぐさま納得に変わった。一昨日の夜はプレゼン制作から解放された初めての夜であると同時に、プレゼン審査初日の夜でもあった。然るに僕は気がたかぶり、気晴らしに男子掲示板を覗いてみたところ、既にそこは同じ状態の野郎共で一杯だったのである。十組はカップルが多いから、男子経由ではなく付き合っている女子経由で掲示板の様子を知ったヤツがいても、なんら不思議はない。そしてそれは女子も同様なのだと、僕は納得したのだ。
 という僕の思索を表情から察したのだろう、輝夜さんは阿吽の呼吸でこう続けた。
「夏休み明けに眠留くんを神社まで送ってくれた須藤君達四人も、クリスマス会の余興で眠留君が力を貸した川端君達八人も、今はみんな付き合っている。十組はクラス内カップルが一番多い組だから、秘密はすぐ、秘密ではなくなってしまうみたいね」
 多いとは感じていたが、まさか一番とは思わなかった。研究学校は在学中に生涯の伴侶に出会う生徒が多く、それがクラスメイトの確率は一年時が最も高いので、どの組もカップルが多い。その中においてすら一番ということは、一体どれほどの人数になっているのか。それを輝夜さんに尋ねようとした寸前、僕らは同時に思い出した。今ここにいる僕らも、生涯を誓い合ったカップルじゃないか!
 僕と輝夜さんはそれから暫く、ただモジモジするだけの時間を過ごしたのだった。 
 とはいえ、いつまでもこうしている訳にはいかない。僕らは有限の命しか持っていないのだから、好機を逃してはならないのである。ならばそのきっかけを作るのは男子たる者の務めであると思い定め、僕はモジモジする心と体に芯を通した。
「輝夜さんのプレゼンこそを、僕は助けたかった。だから感想を一生懸命言おうとしたのだけど、分かりやすいや面白いといった直情的感想が湧いて来るだけで、話を膨らませることができなかった。扱っている領域が高度過ぎて学問的なやり取りはおろか、理知的会話すらままならなかったんだよ。そのせいで、寂しい想いをさせてしまったね。輝夜さん、ごめん」
 輝夜さんはこの大会を機に、秘密にしていた本命の研究を開示した。それは量子AI開発という、それを目指しているだけで一目置かれるほどの、人類史上最高難度の学問分野だった。もともと目立つのが苦手なうえに複雑な家庭事情もあり、輝夜さんは長くそれを伏せていたのだけど、今回その殻を破り、本当に望む未来の目標を皆に明かしたのである。よって僕はもちろん、昴を始めとする仲間達も級友達も皆こぞって輝夜さんの手助けをしようとしたが、それを成し得たのは北斗だけだった。輝夜さんのプレゼンのこれは何々理論を発展させたものだとか、○○理論と△△理論を融合させたものであるとか等の学問的な話を、数学と人間学の両面から展開できたのは、北斗ただ一人だった。いや、それは的確な表現とは言えない。北斗がすぐそばにいたこと自体が、奇跡以外のなにものでもなかったのだ。
 量子AI開発は、理系と文系の天才性を併せ持つ人だけの分野とされている。「社会的にも個人的にも人と深く係わることが予想される量子AIの開発には、心の大家たいかが加わっていなければならない」という方針のもと進められた量子AI開発プロジェクトには当初、社会学者や心理学者や宗教家が参加していた。しかしほどなく、その人達は役に立たないことが判明する。その人達の社会的地位の根拠となっていたのは、「その分野の知識を一般より多く暗記している」にすぎないことを、古典AIが看破したのだ。数多あまたの知識を高速処理する能力は、コンピューターのない時代には、得難い能力だったのだろう。だが、知識量と処理速度において、人がコンピューターに勝つなど有り得ない。故にまったく新しい量子AIを創造するプロジェクトには役に立たないことを、古典AIが証明したのである。学者達と宗教界はそれに猛反発するも、人が周囲に形成する電界の状態からその人の感情を識別する装置が既に完成していて、それを猛反発する学者や宗教家に用いたところ恐怖に由来する行動であることが判明し、その人達は支持を急速に失って行った。冤罪と同種の感情を抱いていたなら真逆の結果になったかもしれないが、秘密を暴露され保身に必死の状態だったと来れば、支持を失って当然だったのである。
 しかし皮肉にも、それは心の大家の必要性を証明する契機にもなった。暗記量と処理速度に秀でていただけなのは事実でも、それはそういう人達を時代が求めていたからであり、その人達が社会を騙していたのではない。けれども古典AIにはそれが理解できず、非情とも取れる手段をもってそれを公表し、それが学者や宗教家を精神的に追い詰めてしまった。よって量子AIは人の感情を斟酌できねばならず、そのためには心の大家が必須であると、世に広く認知されたのである。それを基に新たなメンバーが選出され、量子AIは完成した。それから数十年を経た今、量子AI開発は、理系と文系の天才性を融合させたほんの一握りの人達だけが参加しうる、史上最高難度の学問分野となっている。それを満たす人が、同じクラスの友人としてすぐそばにいたのだから、それは奇跡と呼ぶほか無かったのだ。よって役立たずの僕の代わりに北斗が輝夜さんのプレゼンを十全に理解し、その凄さを正当に評価し、活発かつ楽しげに意見交換する光景は、僕を喜びで満たしてくれた。けどそれが輝夜さんを寂しがらせていたのも、僕には痛いほど分かる。ならばここは、潔く謝罪するのみ。「輝夜さんごめん」と、僕は深々と頭を下げた。しかし、
「ううん、私はただ、ダメな子になっていただけなの」
 輝夜さんは華奢な肩をすぼめ、消え入るように呟いたのだった。
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